観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

Observation=Observed

2013-03-13 18:51:16 | 13.3

修士2年 海老原 寛


 今日も眠いなぁ。あぁ、いつもと変わらず、ユリカモメがめっちゃ並んでるな。今日はツグミもいる。こいつらが来たときはまだ寒かったのに、もういつもの光景になっちゃった。あっ、もうコブシが咲いてる。もう春か。ってことは、ユリカモメもツグミももうすぐいなくなっちゃうな。ツグミは昔、焼き鳥にして食ってたとかいうけど、美味いのかな?食いたいなぁ。人の近くによくいるイメージだけど、下北半島の雪山にもいたな。そういえば、そこで初めてテンを見たんだった。真っ白な雪の中で真っ黄色な体が目立ってて、アホかと思ったな。何であんなに真っ黄色なんだろう・・・。あっ、今年はサルナシ食えなかった。季節を読み違えたんだよなぁ。サルナシ美味いから、テンとかサルとかのフンにもいっぱい出てくるのもわかるよなぁ。そういえば、フンに集まる糞虫を食べるために、キツネがそのフンごと食べちゃうことがあるってどっかで聞いたな。フンを食べちゃうって、もはや目的を見失ってるな。アホか、あいつらは。そういえば、最近は糞虫が種子散布の二次散布に関わってるって話をよく聞く・・・あっ、サクラの蕾が開きそうだ。そういえば、・・・

 3月の通学中の頭の中を書いてみた。自分の成長を表すとしたら、きっとピッタリな例だと思う。自然の中には不思議なことがいっぱいあるっていうけど、それに気付く能力を持ってなきゃ気付けない。前よりは、不思議に気付けるようになってきた気がする。
 自然が好きで大学に入って、そんな研究室に入って、たくさん学んで。でも、それじゃ足りなくて、大学院にまで進んでしまった。大学院生は研究者の卵だと言われるが、自分はそんなふうになれたかどうかわからない。でも研究することは楽しいと思う。生き物のことを明らかにすることや、生き物のことを知ることはやっぱり楽しくて、何にも変えられない魅力を持っていると思う。
 それはまちがいないことだが、よかったのはそれだけではない。生き物の「今」をゆっくりと観察できる時間が作れたことが一番大きい。冒頭にたくさんの生き物のことを書いたが、前の自分ではこんなに具体的に名前をあげることはできなかったし、こんなに次々に連想して生き物のことを考えることもできなかった。人でもそうだが、自分が実際に出会い、興味を持たないと名前を覚えることは難しい。こんな風に考えられるようになれたのも、実際に生き物に出会い、興味を持って観察できたからこそだと思う。それが大学院生でいて一番楽しかったことだ。
 楽しいことだけでもない。アカガエルがU字溝を登れない。シカが植生を荒らす。タモ網ですくうとウシガエルとアメリカザリガニばっかり・・・。このような自然界で起きているさまざまな問題を自分の目で見てきた。ほかにも、何かを観察したいために足元の植物や虫を踏み潰してきたかもしれないし、生き物の体内構造を観察したいからといって命を奪うこともしてきたかもしれない。
 「生き物を観察している」とたくさんの人が胸を張って言うが、それは同時に生き物たちに「観察されている」ということでもあると思う。私たちが気付かなくても、きっと思っている以上に生き物たちは私たちのことを見ている。こんな私たちのことを、生き物はどう観察しているのだろうか。そして、私たちに対して何を思っているのだろうか。
 そうだからこそ、私たちは自然に対する思いやりを持たないといけないはずだ。研究は楽しいが、知的好奇心がその思いやりを超えてはいけない。大学院での経験の中で、このような現実を考えられたことは、自然と人間の付き合いを考える上でとても大事なことだった。
 自分が成長できたのは、いいことも悪いことも含めて、たくさんの出会いがあったからだ。それは、生き物や人間を問わずである。興味を持てたのは、生き物そのものの魅力ももちろんだけど、それを純粋に受けとめる人たちに出会えたから。自然があって、自然が大好きな人たちがいる。こんな風景をいつまでも見ていたい。そんな風景の中で、自分もいつまでも自然を観察していたい。そして、生き物たちに観察されたときに、許される人間でいたい。自然と人間がお互いにいい関係を築いていけるようにしたい。
 そのために自分に何ができるかはわからないけど、自然への思いやりを忘れないように、例えば割り箸をなるべく使わないようにしたいし、冷房だって28℃に設定したい。硬いと言われるかもしれないけど、そうじゃなきゃ「自然が好きだ」という説得力がないと思う。
 これから私は、自然と人間の付き合いを間近で考えなければならない仕事に就く。研究者としての目線と、自然好きとしての目線。このどちらも忘れずにいたい。それが自分の成長だと思うから。6年間通ったキャンパスとの別れはツラいが、大学生活での経験を活かせるように、今後も頑張っていきたいと思う。


宮城県、金華山にて

枝のような蛾 高槻

2013-03-13 18:07:06 | 13.3
教授 高槻成紀

 毎年のことながら年末からこちらは次から次へと大学の用事が波のようにおしよせてきて、余裕がない。健康診断は6月くらいにあるが、あれは意図的ではないか、3月に実施すれば胃潰瘍などの率が上がるのではないかなどと思う。
 年度末にあたり、この一年に自分が「オブザベーション」に書いたものを読み直してみると、本来の目的である「自然を観察したこと」はあまり書いていないことに気づいた。東日本大震災が衝撃だったために、原稿がそれに偏りがちになっているのはしかたないとして、やはり観察に基づいたものがあるべきということに変わりはない。
 そこで一年を振り返って一番印象的だった観察は何かと考えたときに、自分の研究のことでないのは残念だが、下の写真である。
 アファンの調査に行ったとき、学生が宿泊するゲストハウスでお昼を食べて出掛けようとして、先に出て玄関で待っていたときのことだ。玄関の昇りのステップの両側にレンガがあり、その上に枝が乗っていたのだが、その枝は妙なことに半分以上がレンガからはみ出している。おかしいと思ってみるが、別におかしいことはない、確かに枝だ。ところがもっとよくみると、なんと枝に脚がある。それはまちがいなく鱗翅目の脚だ。私は目を丸くしていたに違いない。どう見ても枝としか見えない樹皮の部分は蛾の翅であり、枝の折れ口は頭なのだ。枝の色つやはサクラとかカンバに似ている。私は道に落ちているサクラの枝を拾って同じくらいに折ってその蛾の横に並べてみた(写真左)。並べてみてさらに驚いたことは、「本物を並べてみたら、やっぱり違いはあきらかであった」というよくあることにはならず、ますますよく似ていることに改めて驚くことになったのだ。



 この枝をつついたら、確かに蛾に「なった」。むしろがっかりするほどありふれた感じの蛾になった。



 私はこの蛾の名前をまだ知らない。それはいずれ詳しい人に聞けばわかることだが、この蛾が枝にそっくりであるあという事実にかわりがあるわけではない。
 これは鳥などの補色に対する隠蔽なのだろうが、なんとよくできていることか。ほとんど冗談のような事実に笑いが込み上げてきて、半ばあきれたような気持ちだった。

濃かった2年間

2013-03-13 14:42:22 | 13.3
4年 戸田美樹


 カワラヒワが忙しなく鳴き始めた。去年、電線にたくさん並ぶカワラヒワをみて春を感じていたのが、ついこの前のようだ。研究室に入室して、あっという間に2年が経った。風のように過ぎていった2年間だったが、私の人生の中では最も濃い時間だった。
 その濃い時間の中で私を最も楽しませてくれたのは、やはりフィールドワークであったように思う。
 先生方や、先輩、同輩の調査によく同行させてもらった。宮城県の金華山島では、メスジカを巡って闘うオスを見て、生き物の力強さを感じた。モンゴルでは、たくさんの野生動物との出会いや自然の雄大さに感動し、またその中で生きる遊牧民の生き方に、人と自然のあり方を考えさせられた。何処へ行っても、必ず新しい発見と感動があり、私を成長させてくれた。
 ただ、高校生の私が一人で同じ土地を訪れて同じ体験をしても、きっと同じ発見や感動は得られなかったように思う。同行してくださった方々の知識があったからこそ、様々な現象を科学的な目線で見ることができ、私の体験に素晴らしい付加価値がついたのだと思う。
 私は、新年度から自然ガイドの仕事に就く。山奥の町を訪れた人々に、私も経験したこと以上の感動を与え、自然の面白さを伝えられるように、これからも野生動物学の勉強と、フィールドワークを怠らないようにしたいと思う。
 そして、勝手ばかりしてきた2年間、私を支えてくれた先生方と室生のみんなにはとてもお世話になった。お礼申し上げたい。


2011年8月 モンゴルにて

選択

2013-03-13 14:25:09 | 13.3
4年 佐野朝実


 野生動物学研究室を選んだこと、調査地に長野県アファンの森を選んだこと、テーマに“ネズミとフクロウのつながり”を選んだこと、この2年間の選択に後悔はありません。この2年間に多くのことを考えることができたと思います。その一つの表れが進路選択でした。私は、生協(生活協同組合)を就職先に選びました。周りの人からは、全然関係のないところに行くんだねって言われますが、私の中ではこの2年間の学びとしっかりつながっているつもりです。
 私は確かに生き物が好きでこの大学を選び、研究室を選択しました。けれどもそれが一番の理由ではありません。生き物が好きと言うよりも、生き物が当たり前に生息することのできる雄大な自然が、地球が、好きです。例えば、水生生物も好きですが、水族館で小さな展示用の水槽に入れられた一種の生き物を観察するのに特別な魅力を感じるわけではありません。そうではなく、海の透きとおる水の中、サンゴ礁の周りを色とりどりの魚が泳いでいることに感動させられるのです。そういうわけで、私が調査地にアファンの森を選んだのも、ネズミが好きだとか、森が好きだとか、フクロウが好きだとかではありません。ネズミがいて、フクロウが棲む森があるということが、私にとっては重要な事なのです。つまり、生態系のいとなみそのものが好きであり、いつしか野生動物の生息できる環境を守りたいと思うようになりました。
 就職先を考えたとき、どの業界も経済活動を促進するから環境への負荷は避けたくても避けられないことを痛感しました。そこで、就活の軸となったのが「持続可能」な社会の創出でした。石油はいずれ枯渇します。経済はずっと右肩上がりが続くわけがないと思います。そんな世の中になったときも欠かすことができないものが「食」であり、生きる手立てが「農」だと思うのです。これを強く意識するようになったのも、生き物同士のつながりが研究室のひとつのテーマだったからです。「食べることは生きること」、最も大切なことだと思います。持続可能な社会で、「食」と「農」とのつながりを支えたいと思いました。生協は食品の宅配サービスのイメージが強いかと思います。他の企業との競争からビジネズ色が強くなっていますが、社会問題と経済問題を同時に解決できる可能性のある組織だと、私は認識しています。
 これから社会にでていくつもの選択をしていかなければならないと思いますが、研究室で学んだこと、考えたことを軸に進んでいきたいと思います。ありがとうございました。


ネズミの体重測定をする。2011年7月 長野県黒姫アファンの森にて

下を向いて歩こう

2013-03-13 10:20:55 | 13.3

4年 大貫彩絵


 「下を向いて歩くのはやめなさい」
小さい頃、こう注意されたことがある。しかし、実際に下を向かないで歩いたら転んでしまい、今度は「ちゃんと下を見て歩かないから」と注意された。「下を向くなと言ったり、ちゃんと下を見ろと言ったり、どっちなんだ」と、もやもやした記憶がある。
今なら、これは「うつむいて歩くのはよくない」とか、「背筋を伸ばして歩きなさい」というような意味なのだと理解できる。しかしながら、あの幼き日の私の前には、日本語の壁が立ちはだかっていたと思う。もともと、何かを拾うのが好きな子供で、よく石とかどんぐりを拾って持ち帰り、親に怒られたりもした。ひょっとしたら、その拾い癖をやめさせるための言葉だったのかもしれない。
中学生になると、拾い癖はなくなった。高校生になると、空をよく見るようになった。それから月日は流れ、あっという間に大学生になり、今の野生動物学研究室に入った。私はバリバリのフィールドワーカーというわけではなかったが、親睦旅行や実習、調査で山を歩いた。休日には家の裏の山に入って歩き回ったりするようになった。そこで気がついた。私は下を向いて歩いている。
もちろん周りも見るし、木を見上げたりもするのだが、下を向いてうろうろしていることが多い。うろうろしながら何かおもしろい物がないかと探し回っているのだ。そう、あの小さい頃のように。そして何か気に入るものが見つかれば、家に持って帰る。あの頃とまったく同じじゃないか。違いをあげるなら、拾ったものを入れる場所がポケットからチャック袋に変わったことくらいだ。結局、私はこういうことが好きなのだ。
「小さい頃に戻りたい」と強く思うことがよくある。それは能わぬことだが、山に入れば小さい頃のような気持ちには戻れる。そのことに気がつけたのは、下を向いていたからのような気がする。
「上を向いて歩こう」という有名な歌がある。確かに、涙がこぼれないように、上を向いて歩くのは大事なことだと思う。でも、たまには下を向いたっていいじゃないか。別に上下じゃなくても、左右どっちを向いたっていいんだ。大切なのは「どこを向くか」ではなくて、「どういう気持ちで向くか」なのだと思う。
だから私は、ワクワクした気持ちで下を向こうと思う。