観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

Observed ~ 他人から見た自分

2012-06-27 15:25:28 | 12.5

修士2年 海老原寛

 「エビさんっていつもキョロキョロしてますよね(笑)」
びっくりした。自分はそんなことをしてるんだ。後輩に気付かされるなんて。確かに言われてみればそうかもしれない。でも、自分ではぜんぜん気付かなかったな・・・。
 私は、様々な物事を客観視することが得意な人間だと思っている。日常起きている出来事だったり、研究のことだったり、周りの人間だったり・・・。観察は、客観的であることで一般性が見出せるようになるものだと思う。物事を客観視できることは、ただそれだけではつまらない人間になりそうではあるが、一方で自分の長所となっているとも思う。
 物事を客観視できる人はそれなりに多いかもしれないが、自分自身を客観視することができる人はなかなかいないのではないだろうか。でも、私は自分自身を客観視することもある程度得意だと思っている。自分がどんな人間かを問われたときに、それを苦もなく答えられることができるし、他人からどう思われているかもなんとなく理解している(と思い込んでいる)。自分自身のことは自分自身で全て理解していると思っていた。
 だから、予想もしなかった後輩の言葉に驚くこととなった。自分自身で気づかなかった自分がそこにはいた。言われてみれば、自分の周りのあらゆる人や物に対して情報を集めることが、他人と比較してかなり多いと思う。もしかしたら、その癖が自分の客観視を育てているのかもしれない。
 そう思っていたので、「キョロキョロしていますよね」に驚き、自分自身を過信していた。自分のことは全て自分で理解していると思っていた。でも、それはことが間違っていたことに気づいた。自分が知らない自分もいる。でも、考えてみれば、そんなの当たり前だった。同じ対象物を見ていても、見ている人が変われば見方も変わる。気付くところが変わる。だから、新しい発見はな無くならない。そんなの当たり前だった。
 私は主に1人で調査を行っている。1人だけでゆっくりと自然を観察するのは楽しいし、今までたくさんの発見もした。でも、2人で歩くだけで新しい発見は何倍にもなる。だから、時には多くの眼を持って自然観察をすることで、これからももっともっと新しい発見をしていきたいと思った。
 私自身のことさえ、他人に観察してもらえばもっともっと新しい発見があるのかもしれない。・・・・・新しい発見が相次ぐくらい、自分自身が魅力的な存在であることを願うばかりである。ありたいと思う。





三浦市の自然と自分

2012-06-27 15:24:07 | 12.5
3年生 落合 茉里奈

私は神奈川県の南に位置する三浦市に住んでいる。三浦市は夏は涼しく冬は暖かいという気候の特徴があり、過ごしやすい場所だ。農業、漁業が盛んであり、私の家の前には畑が広がり、漁港へ行くと店先には兜焼き用の大きなマグロの頭が置いてある。
 そのような環境にあるため、三浦市は比較的自然の残されている土地であると思う。幼いころは、畑の道沿いで生き物を捕まえることが好きだった。友達と一緒に畑や空き地でアマガエルやアオダイショウ、モグラなどを捕まえて楽しんでいた。学校帰りには畑沿いの水路でザリガニやカニをとって遊んだ。雨が降るころには家のアジサイにアマガエルがたくさん来て、夜に大合唱していた。それが当たり前の風景だった。
 その風景が少しずつ変わりつつある。幼いころあったはずの田んぼはなくなり、畑になってしまった。畑沿いの水路も水が溜まっていたはずが、パイプで排水するようになってしまい、カニを見ることがなくなってしまった。アマガエルの鳴き声は近年少なくなり、寂しい夏の夜を迎えることが多くなった。私が意識する数年の間にこのような変化が起きたが、実は三浦市での生き物の減少は今に始まったことではなく、私が生まれる前から続いていたようだ。かつては田んぼが多くあり、タゲリが訪れており、観察会が開かれていたようであるが、今ではタゲリの姿を見ることはもうない。そういった話を聞くと、非常に寂しく感じる。一度でいいから、三浦市でタゲリの姿を見てみたかった。
 こう書いたものの、私は杉浦先輩のように、地元の自然を特に保全していきたいと思っている訳ではない。自然が好きになれたのは三浦市のおかげであると思うが、麻布大学に入った時点では、野生動物に関しては動物園にいるものとして、あるいはテレビの中でのイメージしか持っていなかった。しかし、大学にはいって講義を聞いてから考えてみると、里山の重要性を知るとともに、三浦市が良くない状態に向かっていることがわかってきた。そして、自分が何も生き物たちのことを知ろうとしていなかったことも思い知った。アマガエルが減ってしまったことに気付きながら、その理由を考えたことがなかった。草花や虫を採集して遊んでいながら、それらの名前をろくに言い当てることが出来ないことに今更気付いた。今では、学ぶ環境にありながら、何も知ろうとしていなかったことに悔やまれる気持ちがある。里山に関する講義があるたびに、三浦市と重ねて考えている。これ以上、生き物が失われることのないよう願う。三浦市はもちろん、三浦市と同じような状態にある土地の生き物たちに、自分が出来ることは何か、今後も勉強を重ね、科学の目を持って自然を眺めることができるようになりたい。

親睦旅行を終えて

2012-06-27 15:22:49 | 12.5

3年生 遠藤嘉甫

 野生動物学研究室に入室してはや一カ月が過ぎ、次第に研究室の生活にも慣れてきた。同学年の学生や先輩方とも打ち解けて研究室で過ごす時間に居心地の良さを感じてきた5月の中旬、研究室の親睦を兼ねて山梨県の早川町へ旅行に行った。
 道中のバス内では普段は中々接する機会のない先輩とも会話が弾み、より研究室に溶け込めたような気がした。現地に到着してから山道を散策する際に所々で先生にオオバヤシャブシ、アカシデ、リョウブ、ヤマゴボウといった植物の特徴や見分け方、虫等について解説をしていただき、山を歩いているだけで幾つも新しい知識に触れて感心する一方で、自分の勉強不足を痛感した。これについて野外に調査に行った際に植物の名前や性質が理解出来ていれば、調査対象になる各動物が利用する環境を把握することで、より円滑に作業を進められると思ったので、今後は糞のことだけでなく植物のことも勉強していく必要性を感じた。また、現地のカモシカについて浅間に生息している個体より黒いと聞いていたが、実際に遭遇した個体と浅間で撮影した個体の色の差に驚かされた。捕食者の目から隠れるためなのか、単に遺伝的な偶然なのか、『カモシカの毛色を左右する要素』は何なのか、という事に興味を惹かれた。夜のバーベキュー後にコウモリの観察に向かう際に渡ったつり橋からは親子を含めたシカの集団を観察することが出来た。翌朝に数人と野鳥の観察に向かい暫く息を潜めていたが、目当てのヤマセミを観察することはできなかった。
 昼食時に訪れた野鳥公園は見晴らしも良く、木陰で昼寝をしたり、読書に勤しむのに適した環境であったが、自分は小鹿の糞を集めていた。その際に撮影した写真の幾つかが研究室のパソコンのデスクトップにアップされており、面白い半面、少し恥ずかしかった。
 ヘルシー美里を後にして大学へ戻る際に自分で感じていた以上に疲労していたのか、バスの中では度々眠りこけてしまい、起きたのは高速を降りる辺りだった。大学に到着して帰路に就く時には出発時より3年生の結束が強くなったように感じ、来年の親睦旅行は今年よりもっと素晴らしいものにして、多くのことを学べる機会を作りたいと思った。


大西さんによるカモシカの説明を聞く


お土産

2012-06-27 15:19:20 | 12.5

修士2年 大津綾乃

 調査から帰ってきた人はいろいろな『お土産』を持ち帰ってくれます。調査で発見したことや採集してきたサンプルを、聞かせてもらったり一緒に調べたりすることで、調査での楽しさをおすそ分けしてもらった気分になります。先日、またお土産をもらいました。昆虫調査から帰ってきた修士2年の八木さんが持ち帰ったサンプル袋に紛れていた二つのお土産です。一つは細長い肢と体を持つ生き物でした。今まで見たことがなく、皆で観察してみると、脚が8本あることからどうもクモらしいということがわかりました。調べてみると、オナガグモという種類で、松の葉に擬態して他のクモを食べるようです。クモを主食としていたり、松の葉に擬態したり!とても不思議です。
 観察してしばらくすると、オナガグモが徐々に体を細くさせていき、遂に松の葉に擬態するのを見ることができました。その姿を見ながらも、今度はクモが出す糸は回収できるのか、という疑問がわいてきます。皆でじっと糸の部分を見ると、糸を手繰っていった肢の部分に糸のくずがついていたので、回収されずにそのままで、必要な時に次々に新しい糸を出していくのだということがわかりました。
 もう一つのお土産はつくしのような木の一部分でした。これはホオノキの柱頭だったようで、花が咲いた後のものがたまたま落ちて、袋の中に紛れてしまったものでした。とてもかわいらしい形をしていますが、私は特にめしべの下の部分に興味を惹かれました。めしべの下には、ゴルフボールのような、表面に無数の小さなくぼみがある部分と、その下にもっと大きな8つのくぼみがぐるっと一周めぐっている部分、さらにその下に横長のくぼみが3つありました。調べると一番上のゴルフボール模様の部分はおしべの跡、8つのくぼみは花の付け根、3つのくぼみはがくだということがわかりました。抱いていた疑問が解けたとき、なんとも言えない自然のすごさが感じられました。
 たった一匹のクモ、たった一つの植物を見ているだけでも様々な疑問や発見がありました。調査や歩いているときにも、ただ目的に縛られるだけでなく、周りの色々なことに目を向けて、身近にある生き物を見ていくことで、これからも自然から様々なことを教わり、自然のすごさを知っていきたいと改めて感じました。さらにもう一つ、その疑問や発見を皆と議論したり共感できることがとても大切なことだということも感じることができました。

  
オナガグモ擬態途中                

茶碗と鍬

2012-06-27 15:18:27 | 12.5

教授 高槻成紀

 子供の頃、松江という町に2年ほど暮らしたことがある。小学3年生から5年生までだった。落ち着いた西日本の城下町でとても好きだった。今でも帰省すると足を伸ばして城山を歩いたりすると、当時の匂いのような、味のようなものがよみがえる。松江はよくお茶を呑むところだ。もちろん薄茶である。お客さんがあればもちろんだが、農作業の合間にもお茶を入れる。甘い茶受けがおいしい。
 その頃の私は、お茶を呑む大人を見ながら、なんであんなでこぼこでゆがんだような茶碗で飲むのだろうと思った。それに比べて西洋の紅茶茶碗はすっきりとした形で同じ規格でできている。それに取っ手があるから熱くても手に持てるが、茶碗では手のひらで持つしかない。日本は技術のある国なのになんで茶碗は洗練されないのか不思議だった。
 町田の図師小野路にある里山を維持しておられる田極さんが、研究者が集まったときに話をしてくださった。ものをよく知らない人に田圃の作り方を指導していて、丘の斜面に道を付け方を教えたそうだ。その場所は地形の関係で木の杭を使うのがよいのでそれを教えたら、ほかの場所にもやたらに杭をうった階段をつけてしまったそうだ。伝統的にはそうはしないという。道をつけるところは地形的にほぼ決まっており、できるだけ杭は打たない。そういう階段式の道は重い荷物を運ぶときには歩きにくいし、雨が降ると水が土砂を流すのでよくないのだそうだ。そして昔の人は鍬をもって歩きながら最低限の掘りをつけて滑らないようにするだけにしておいたという。そうすると秋までに雨が降って堀ったところがわからなくなってしまうのだそうだ。田極さんは鍬で軽く掘ることを、身振りを交えながら「ちょちょっと」と表現された。
 雨にしても風にしてもそうだが、地震、豪雪と、ほんとうに日本は災害列島だと思う。とてもとても人があらがえるような相手ではない。人などとるに足らない存在であり、天は恐るべきものである。流れる水はとどめるのではなく、流す。人が自然を変えるのではなく、自然に合わせて人のほうが変わらなければ、必ずひずみが生じることを、体で感じてきたのだと思う。しばらく穏やかな年が続けば、その頃に農業を始めた若者は「たいしたことはない、わざわざあんな回り道をしなくても、近道をつければいい」と「工夫」をして、新しい道をつけるようなこともあり、強行をして、その後に大雨が降って道が崩れて田圃が埋まり「それみたことか」と経験者が尊敬されるというようなことがくり返されたに違いない。
 持つのに熱ければ取っ手をつける。道が滑れば階段にする。わかりやすく合理的だ。これが脆弱な自然のなかで発達したヨーロッパ的な合理主義であろう。しかし圧倒的な破壊力をもつアジアの自然に対して、その合理主義は合理的ではない。堤防をつければ決壊したとき、おそるべき被害が出る。それよりは川は流れるままにするほうが安全であり、川を変えるより、人が動くというのが日本の伝統的な「治水」であった。地震国では高い石積みの家は危険であり、家ごと揺れる木の柱の構造のほうが安全であり、恒久的な建物よりも、しばらくしたら立て替えるほうが合理的である。
 にもかかわらず、そうした農民の自然感は「古くさい」として顧みられることはなく、重機を使って山を削り、掘りを作り、高いビルを建て、陸橋を作り、道路をめぐらせた。自然は管理できると考え、自然のすることはこのくらいだと浅知恵で「想定」し、その結果、高さ10メートルの防潮堤は20メートルの津波を防ぐことはできなかった。そして、その極みは原発事故であろう。自然を甘く見た日本人は、美しい福島の地を汚してしまった。
 熱いお茶は茶碗のふちのほうをもてばよい。ゆっくりと手のひらにのせ、ざらついた土の感触を楽しみ、少し冷めるまでゆっくりと会話をしていただけばよい。フランス料理を食べれば、肉はフォークでさして、ナイフで切り、スプーンに持ち替えてと忙しく、マナーもうるさい。私たちは箸の二本があるだけだ。それで魚の骨もはずせば、豆もつまむ。箸で汁は呑めないから、お椀を持ち上げる。道具を発達させようと思えばできるのに、簡単な道具のまま自分の技量のほうを磨く。こうしたことは災害大国の環境に生きて来た我々の祖先の自然感と通底しているように思われる。
 少年時代の茶話の不思議が融けたような気がした。