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観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

私にとっての「自然」

2014-10-23 09:41:18 | 13.1
3年 秋元 悠佑

 私には鮮明に思い出すことのできる風景があります。私は東京都の南、大田区の工場の多い土地で生まれ育ちました。私にとって「自然」とは公園の木々や街路樹などが主なものでした。でも、それを見て「これが自然だ」と思っていたわけではありません。それでも、そんな工場ばかりの場所で、唯一、自然を感じることのできる場所がありました。
 それは祖父と行った多摩川の河口付近の土手でした。堤防を越えると、そこには小さな空き地があり、その周りにはたくさんの花やススキがありました。ガタガタの舗装されていない道を通り、川の近くの岩場にいき、よくそこで祖父とカニをとりました。幼かった私は
 「暖かい日は動きが早い!」
 「寒いとあんまりいないし、いても元気がない…」
 「鳥に咥えられてる!食べられちゃう!」
 などと感じました。そういう感覚は私にはとても新鮮であり、これが私にとって「自然」を感じることのできる唯一の瞬間でした。
 ところが、最近、その土手は整備され、花の咲く空き地も、カニのいる岩場もほとんどなくなってしまいました。理由は住民の安全のためです。確かに、河川の増水を考えると、整備し、コンクリートで固めれば洪水を防ぐことができます。しかし、整備された土手を見た祖父は寂しそうでした。私も、自分にとって大切な風景を壊されてしまったことに落胆しました。
 原生自然や珍しい動植物が存在する自然を守るのは多くの人が支持しますが、都市のささやかな自然は守る価値がないと考えられているのかもしれません。しかし、そのささやかな自然に対してかけがえのない思いを抱いている人もいます。「原生自然や珍しい動植物だから守る」、「都市部のささやかな自然だから切り開いてもよい」ではなく、どこにおいての自然でも、そこに存在することの様々な意味を考えてから、行動を起こしてほしいと思います。

戻って来たタヌキの食べ物

2014-09-25 22:19:21 | 13.1
教授 高槻成紀、 4年 岩田 緑

 仙台海岸に戻って来たタヌキの食性を分析していますが、調査を始めてから1年が経ったので、このあたりで報告しておきます。
 ことのおこりは私が在学した東北大学の植物生態学研究室の後輩である平泉さんからのメールでした。南蒲生の植物や動物の復興は平吹さんたちの論文(平吹ら, 2011)を読んで感銘を受けていましたが、自分でお手伝いできることも見当たらず、ただ気持ちで応援するだけでした。それが平泉さんのメールで小さな隙間がこじ開けられたような気がしました。平泉さんによると、2013年に南蒲生で鳥の調査をしているときタヌキの糞を見つけたので、分析できる人はいないかといろいろ検索して私にたどりついたのだそうです。たしかに高槻はタヌキの糞で食性を分析した論文を書いています(Hirasawa et al., 2006, Takatsuki et al., 2007)。平泉さんのメールを読んで心の中にさざ波のような心の動きがありました。あの津波でタヌキは死んだか、たとえ生き残ったとしても、遠くに流されたに違いありません。糞があったということは、タヌキが2年後に「戻ってきた」ということです。文字通り戻って来たかどうかはわかりませんが、別のタヌキが新しく来たにしても、残った林にタヌキがいるという状態が戻ったということです。ということは、その林が、タヌキが生きて行ける林に戻ったということでもあります。林が戻るということは、見た目の装置としての林ではなく、見た目は同じようでも、林の下に植物が生え、開花、結実し、それを利用する昆虫がいて、受粉したり、果実を食べる鳥や哺乳類がいるといった動植物のつながりが蘇るということのはずです。生き物のことを調べてきた私たちが「生態系が回復した」というのはそういうことであるに違いありません。そのことを示すのに、自分がコツコツとおこなってきた動物の糞を分析するという技術や知見が役に立つのなら、ぜひ協力したいと思いました。平泉さんに「タヌキの糞をぜひ送ってください」と連絡すると、その後、きちんと送られてきました。
 これまでのタヌキの糞分析の経験から私たちが予想したのは、植物が回復したのなら夏には昆虫類がいるから、タヌキはこれを食べるはずだということです。また秋から冬にはベリー類の果実を食べるはずで、関東地方ではジャノヒゲやヒサカキなどがよく食べられますし、初夏にはサクラ類やキイチゴ類がよく食べられます。仙台海岸でも林の下に残っていた土の中にあるキイチゴ類やコウゾなどのベリー類が2年経って結実するようになり、それをタヌキが食べているのではないかと思ったのです。
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 平泉さんによると、津波のとき南蒲生浄化センターの建物の内陸側の林が、津波の勢いが弱くなって残ったそうで、ため糞はそこで見つかったとのことでした。その後、タヌキの糞は岩沼からも発見されましたが、こちらは貞山堀が津波の動きと同じ方向にあったせいか、林への影響は比較的弱かったようです。その後、平泉さんが現場に自動撮影カメラをおいたら、確かにタヌキの姿が写っていました。



 分析を始める前に0.5mm間隔のフルイで水洗し、こまかな物質を洗い流します。それを特殊加工したスライドグラスにのせて顕微鏡で調べ、量的評価をします。顕微鏡をのぞくと、糞からいろいろなものが出て来ました。たとえば、夏には昆虫の脚や翅など、ウワミズザクラ、ヤマグワなどの種子が出て来ました。なかには哺乳類の体毛や鳥類の羽毛もありましたし、ゴム手袋の切れ端なども出て来ました。



 現段階ではサンプルの半分ほどしか分析が終わっていないのですが、結果をまとめてみると、次のような傾向がありました)。
 南蒲生では3月には3分の2が動物質でとくに鳥類の羽毛が40%上検出されました。その後、動物質は徐々に減少して、5月には60%、7, 8月には40%となりました。6月以降は昆虫が20-30%を占め、予想を裏付けました。植物の葉は、春は10%程度でしたが、7, 8月には30-40%もあり、意外でした。種子はどの月もだいたい10%前後でしたが、5月だけは20%以上ありました。これはコメで、時期からして落ち穂などではなく、貯蔵してあったものが食べられたのかもしれません。今後、秋から冬の試料を分析しますが、きっと種子が増えるものと予想されます。
 岩沼ではサンプルが十分ではなく、6月、8月、12月しかありません。6月は70%以上が動物質でとくに昆虫が多く、8月になると植物の葉が50%ほどを占めました。12月は種子が60%近くを占めましたが、このほとんどはテリハノイバラでした。
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 このように仙台海岸に戻って来たタヌキは基本的には回復した植物とその群落に生息する昆虫を基本とした食べ物を食べており、それらが乏しくなれば、人工物や鳥類も利用しながらたくましく生きていることが示唆されました。冬に岩沼でテリハノイバラの種子が大量に検出され、タヌキが非常に依存的であることを示唆していました。植生が強く破壊されたあと、テリハノイバラが2年で種子から再生して結実したとは考えにくいので、おそらく地下部が生き延びて、そこから再生した株が結実したのではないかと思います。そういう意味では復活した植物の、復活のプロセス―種子から回復したのか、栄養体が残ったのか、種子であればどういう散布をしたのかなど―を把握することも大切だと思います。
 いずれにしても、これらの分析結果は、私たちが期待した「破壊された自然の中でタヌキと植物のつながりが回復しつつある」ことを示唆しています。ただ、予想したキイチゴ類はまだ出て来ていません。それから鳥類の羽毛が何のものであるかなど、課題も残っています。未分析の糞も分析して、また報告させてもらいます。
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 科学的な調査の報告ですから、客観的でなければいけませんが、私自身の率直な思いをいえば、あれだけの壊滅的なできごとのあと、たくましく蘇った植物たちの中にタヌキが戻って来て、季節に応じて食べ物を探してたくましく生きているという事実そのものに感動を覚えずにはいられません。科学研究の根底には自然のことを理解したいという好奇心がありますが、それともうひとつ、少なくとも生態学を学ぶ者にとっては、生き物のすばらしさを讃えたいという思いがあるということを、この分析を通じて改めて確認できたように思います。

適応ということばを知ったときのこと

2014-08-22 00:16:14 | 13.1
 3年 矢野莉沙子

 この研究室に入ってから「適応」という単語をよく耳にし、考え、これを基盤として生物のあり方を見るようになった。私が初めてこの単語の意味を理解したとき、幼い頃からの疑問がぱあっと晴れたのを今でも鮮明に記憶している。それは小学生5年生のとき、月に一度送られてくる教育雑誌を読んでいたときだった。チャールズ・ダーウィンの自然選択がキリンを例に数ページにわたって小学生向けに易しく、しかし私にとっては濃厚で重量のある文章で紹介されていた。「ある環境で生き残ったものがその姿を子孫に受け継ぐことができ、生き残れなかったものが絶滅した結果」。
 これを読んだとき、薄ら寒いような感覚があった。自然の作り出す環境が見上げるほど大きくて強くて、私たちは皆これから逃れることは不可能なのだと悟った。そして私が今目にしている生物は大昔から生き残れた祖先がいて、その一番先を走っているもので、私も例外ではないのだと気が付いた。その瞬間、首の長いキリンがいること、絶対に見つけられそうにもない花びらに擬態したカマキリがいること、すばしっこくて体を潰されても死なない生命力の強いゴキブリがいること、それまで、すべてが平面のように見えていた私は、彼らの後ろに空間が広がっていくように感じた。図鑑でみつけたかわいい鳥を捕まえて飼おうと意気込んで木を見上げたとき、鳥はあんなに高い場所で生活していたのだと知った小さい頃のように胸がドキドキした。
 この大学に入って様々な分野の授業を受けていく中でも、自分の視野がぐうんと広がるあの感覚を覚えるときが何度かあった。キリンが高い場所の餌を独占的に食べられるとか、ハナカマキリのように餌動物に見つからないで餌を採れるといった生命維持に直接関係する適応の他にも、性選択などもあるらしい。クジャクの派手な羽や姿は敵に見つかるリスクが大きいが、それにもまして異性から選ばれるという選択が重要だった結果だと学んだ。また目に見える形態だけでなく、性格も遺伝するから、遺伝子を残すのに有利な行動も選択を受けた結果であることに驚きを感じた。
 この分野にはまだまだ私には想像もつかない物事がたくさんあるのだろう。これから、適応ということばを知ったときに感じたあのドキドキする感覚を自分の目で見ることに期待している。

みんな大切:シデムシとの出会い

2014-06-20 12:40:01 | 13.1
3年 鈴木沙喜

 近年、地球環境の変化により多くの生物が絶滅の危機にさらされている。アジアゾウやライオン、オオワシなどの「人気者」が年々少しずつ姿を消しつつある。これらの生物を守りたい、自分たちにできることはないかと考える人はたくさんいるだろう。
 では、ゴキブリやミミズはどうだろうか。できることなら目にしたくないと思う人が多いだろう。自然界にそういう「嫌われ者」もたくさんいる。私の研究対象のひとつである死体分解昆虫もその「嫌われ者」のひとりだろう。
 シデムシは動物の死体に集まり、それを餌とする甲虫である。私はこの春に宮城県の金華山での調査でシカの死体を見つけた。持ち上げて見ると数えきれないほどのシデムシがいて、異臭が漂い、死体の一部は白骨化していた。実に不快で、多くの人が目を覆い、その場から立ち去りたくなる光景だった。そのことは反射的な反応といってよい。でも私はそのことを頭で考えてみた。自然界におけるシデムシが担う分解という機能は、自然界でとても重要なはずだ。もし、シデムシら死体分解昆虫がいなければどうだろう。哺乳類や鳥類の中に死体を食べるものもいるが、なんといっても昆虫や微生物の働きが大きい。もし彼らがいなければ、森の中には死体が至るところに転がっていることだろう。


クロボシシデムシ 2012.7.4 金華山(撮影、高槻成紀)

 これまでの自分はシデムシの大まかな特性は知ってはいた。そして何となく容姿が可愛い、かっこいい、行動がおもしろそうだから、調べてみたらおもしろそうだと思っていた。でも、それらが自然環境に及ぼす影響などは考えたことすらなかった。だが、卒業研究で、シデムシをそのような役割を果たす存在として考えたとき、そういう単純な興味ではなく、生態学上の価値ある調査対象であることがわかった。調査は気持ち悪いこともあるが、そのことを乗り越えたいと思う。
 思えば私たち人間の生活も動植物がいることに支えられているのであって、自然界には不必要な生物など何一つ存在しないと思う。すべての生き物に尊敬の意を持ち、これからの研究を有意義なものにしていきたい。

種子散布研究との出会いと、これから

2014-03-09 17:42:08 | 13.1
4年 鈴木里菜

私はタヌキが種子にとって良い散布者であるのか?というテーマで研究を行いました。もともと私は異なる環境に生息するタヌキが何を食べているのかを調べていて、種子散布にはとくに興味はありませんでした。でも同級生と先輩が自主ゼミで種子散布について勉強していると聞いて、2人がどんな勉強をしているのか気になり、参加させてもらうことにしました。参加してみて、自分が植物側の目線からタヌキのことを考えたことがなかったことに気づきました。そして果実を食物として利用するタヌキ目線、タヌキやその他果実を利用する動物を種子運搬者として利用する植物目線両方のことを考えないといけないなぁと思いなおしました。
 果実の色・形・大きさは、食べられたい動物に合わせていると知ってから、道を歩いているときもきょろきょろ果実を探して、見つけたときは散布者を想像して楽しんだりするようになりました。そして、その時自分が分析していたタヌキの糞にどの種類の種子がどれだけ含まれているのかということも気になり始め、食性分析と並行して種子の取り出し、同定も始めました。
 タヌキの糞から種子を取り出していくうちに、「この種子は発芽できるのだろうか?」と思うようになりました。そこでいくつか条件を変えて種子をまいてみました。それから、条件によって発芽率が違うから、タヌキがどこに種子を散布しているのかを調べていく必要があると思うようになりました。そこでタヌキの溜め糞がどのような環境に作られているのかを調べました。しかし、結果はタヌキは平坦な環境に溜め糞を作っているということはわかりましたが、それが種子にとってよいかどうかは分かりませんでした。こういう結果になったのは、種子を種ごとに区別しなかったためかもしれません。対象の植物を決めて、その植物にとってよい環境であるのかを調べていく必要があります。その意味では植物目線が弱かったと思います。今後は植物目線をしっかり入れて調べていきたいと思っています。
 私は大学院に進学することになったので、少なくてもあと2年は種子散布の研究ができます。卒業研究をして、ひとつ新しいことを知ると、それ以上の新しい疑問が生まれると思いました。タヌキの種子散布というテーマでもいくつも知りたいことがあります。きっと一生調べ続けてもすべての疑問はなくならないでしょう。ですが、その疑問を少しでもいいから明らかにしていきたいと思います。