観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

夏のツバメはどこにいる?

2014-08-23 15:07:19 | 14
修士1年 落合茉里奈

「もうずっと前。京都の宇治川で、はじめてツバメのねぐらを見た日のことをいまでも鮮明に思い出します。夏の夕暮れ、宇治川の堤防の上に立っていると、南に広がる巨椋の田んぼの方からツバメたちはやってきました。彼らは堤防の上を低く飛び越えて、河原のヨシ原に集まりはじめました。堤防に立っていると、身体スレスレにツバメたちが流れていきます。振り返って川の方を見ると、ヨシ原の上はまるでウンカの大群のように、飛んでいるツバメだらけです。ツバメたちはヨシ原にやってきても、すぐにはヨシ原に降りません。いつまでもヨシ原の上を飛んでいます。陽も沈んで、堤防の上を闇がつつみ始めました。あたりが真っ暗になる直前、巨大な蚊柱のように乱舞したツバメたちは、一瞬のうちにねぐらにおさまったのです。数万羽のツバメをのみこんだヨシ原はひっそりとして、もうウマオイとクツワムシの声しか聞こえませんでしたが、私はしばらく蚊に食われながら堤防の上に立ち尽くしていました。」
(上田恵介, 1990『鳥はなぜ集まる?-群れの行動生態学-』, 東京化学同人)

 これは、立教大学の上田先生の本の冒頭にある、ツバメの群れに関する記述である。小さな鳥が大群となって、まるでひとつの生き物のようにうねる様子が目に浮かんでくる。文章からは夏の夕暮れの空気やにおいが伝わってくるようで、まるで先生の隣で一緒にツバメの群れを観察しているかのような気持ちになった。文字での情景描写は、ときに映像以上の感動を与えるものだ。想像力が掻き立てられて、自分も体験したくなってくる。幸いにも、その機会には本を読んでからすぐに恵まれることとなった。
 夏まっさかりの暑い日に、鳥の剥製作りを教えてもらいに、お世話になっている相模原市立博物館へ向かうため準備をした。いつもとは異なり、双眼鏡を鞄に忍ばせて、ちゃっかり調査着まで着込んで意気込んだ。「午後になったら、ツバメのねぐらを見に行く」と聞いていたからだ。場所は、談合坂パーキングエリア。部活の合宿や旅行で何度も通った場所なのに、ツバメのねぐらになっているとは知らなかった。
 車に乗せてもらい、ちょっとして目的地に到着した。高速道路に入らなくても公園沿いにパーキングエリア内に入れるらしかった。ドッグランを右手に見ながら芝生をちょっと歩いて、ツバメのねぐらの真下にやってきた。木の下は「落し物」だらけだ。ほう、かなりの数がこの木にとまるようだ。
 空はまだ明るく、鳥といってもスズメがちらほら飛ぶくらいで、大群が押し寄せる気配は全くなかった。ドッグランがあるので、犬の散歩をしている人がちらほら見られた。
「あのぉ」
突然話しかけられて、少しびっくりして振り向いたら、女性が立っていた。
「すみません、ここでは何か見られるのですか?」
双眼鏡やカメラを構えて、数人の大人が何かを待ち構えるように空を眺めているのだから、気になったのだろう。他にも数人いたが、お話し中であったこともあり、一人でぼんやり双眼鏡を眺めていた私に声をかけてくれたようだ。ちゃんと答えたかったが、私にも大群の規模がわからないので、うまく伝えられない。
「ここはツバメのねぐらになっていて、7時ごろになると大群が見られるみたいなんです。」
「へぇ、そうなんですか。」
もっと珍しいものが見られると思ったかしら。ツバメを待っているなんて思わなかっただろうな。話しながらこんな考えがよぎった。このときの私は心のどこかで「ツバメなど、どこでも見られるのだから」と思っていたのだろう。
 空が濃い青色に染まって、パーキングエリアに隣接しているガソリンスタンドに明かりが灯るころ、気付いたら空がツバメで埋まっていた。ずっと一方を眺めていて、飛んでくるツバメを見ては「きたきた!」と喜んでいたはずなのに、はっとねぐらを振り返ったら、すでにおびただしい数のツバメが飛んでいたので驚いた。「あれ?私ずっと空を見ていたはずだよね?このツバメたち、一体どこからきたの?」と混乱するくらいの数だ。伝わるだろうか。写真には到底収まりきらない数のツバメが飛んでいるのだ。


(撮影:清水)

 木の上を飛び交い、ゆらゆらと揺れる枝先にふわりととまっては、バランスを崩して再び空中に飛び立つ。ちょっと不器用なツバメたちはそれでも何とか自分のとまる枝をみつけて、木におさまっていった。もう、空を覆っていた大群は見えない。目の前の木にとまっているはずのツバメも、薄暗くてよく見えない。空中のツバメが消えてしまったように思える。
 「写真にすると面白いんだよ。」
メンバーの一人がカメラを構えた。パッとフラッシュが光り、木を照らし出した。写真を見せてもらうと、ツバメの白い腹がフラッシュで照らされて、たくさんのツバメが木にとまっているのが見受けられた。


(撮影:清水)

「あの、すみません。」
ツバメを見ていると、また声をかけられた。
「教えていただいて、ありがとうございました。あんまりにもすごかったものだから。待ってみてよかったです。」
先ほどの女性だった。さっきの会話で、ツバメが来るのを待ってくれていたようだ。意外だった。
「このツバメたちは、いつごろまで見られるのですか。」
「えーっと・・・。」
目が泳いでいる私を見かねて博物館の方が助け舟を出してくれた。
「だいたい8月の終りくらいまで見られますよ。それから少しずつ移動して渡りを始めるんです。本来ならこういう場所ではなく、河川敷にねぐらをつくることが多いです。」
女性は興味を持ってくれているようだった。軒先で子育てをするツバメは誰でも見たことがあるだろう。そして、渡りを行うことも誰もが知っているだろう。じゃあ、子育てを終えて渡りを始める前のツバメたちはどうしているのだろう。どこにいるのだろう。そうやってツバメの一生を考えると、よく知っている鳥だと思っていたが、実はそうではないことがわかる。だから面白いのだ。どこでも見られるような生き物でも、知ることは山ほどある。
 ねぐら観察に同行させていただいて、自分が見たかった景色を見られたことはもちろん、その場にいた人と少しだけ交流することができた。やはり、生き物を見て感動を共有することは非常に楽しい。まだまだ生き物を他人に語るには勉強不足な私ではあるが、もっと見て、触って、感動して、「生き物って面白い」ということを伝えられるような人間になりたい。
 夏の一時、一定の場所でしか見ることができないツバメの大群。身近な生き物の知らない顔という意味でも驚きがあるだろうし、期間限定という「レア感」もあるので、ぜひ一度見に行ってみてはいかがだろうか。本を読んで知識だけつけるのではなく、一度映像を目に焼き付けてみるのがいい。「わぁ、すごいなぁ。」好奇心はこう思うところから始まる。

話す側になってみて

2014-08-22 16:27:52 | 14
3年 土方宏冶

 私はこの夏休みに小学生のキャンプのバイトや、インターンシップに参加し、ガイドや昆虫観察会などの自然観察プログラムのお手伝いをした。お手伝いではあったが、このようなプログラムを実行する側に立ったのは初めてのことで、今までにない経験ができた。
 キャンプは長野県の川上村という場所で行われたもので、80人余りの小学生が参加した大規模な企画だった。その中で私は子供たちの世話、ガイドの補佐と昆虫観察会での解説を行ったが、難しいと思ったのは奔放な子供たちを制することと子供たちが楽しめる話をすることだった。私の役割は、山道で子供が危ない目に合わないように誘導することだったのだが、たった十人を扱うことすら難しく、30人前後の生徒を扱う小学校の先生の苦労がうかがえた。また、昆虫観察会は水生生物観察会と夜の昆虫観察会でわかれており、そこで解説をした。私はヘビトンボを調べる中で、ヘビトンボのサナギは噛みついてくるくらい激しく動くということを知り、おもしろいと思ったので、それを子供に話してみた。だが、反応は薄かった。皮肉なことに、私の方から話しかけた時よりも、子供たちの質問に答えて話をする時の方がずっと受けがよかった。たぶん子供には大人とは違う興味の対象があり、それをうまく把握しなければいけないのだろうと思った。
 インターンシップは神津牧場と川上村で行い、神津牧場では木を使ったクラフトと水生生物観察を手伝った。こちらはキャンプに比べると相手は少なく、親子だったので子供の扱いに困ることはなかった。ここでは、事前にキャンプでの経験があったので、それを活かせたのか、ややうまくいった。図鑑と照らし合わせて種類を当ててもらったり、顕微鏡で見たいものを自分で選んでもらったりと、子供の主体性に任せたのがうまくいった要因だと思う。クラフトでは見本をまねしたようなものしか作っていなかったが、これは私が見本の存在を推しすぎたために、子供の自由な発想を邪魔してしまったように思う。子供たちの自主性を活かすことが子供たちを楽しませるためのキーになるのだと思った。
 川上村でのインターンシップでは大人を相手にしたプログラムのガイドの補佐を行った。メインのガイドの人の話す内容が子供たちに話す内容のそれとは明らかに違っていた。ガイドの人がキャンプの時とは違うというのもあるのだろうが、子供たちの時は「目に見える現象」の話が多かったのに対し、このガイドでは「目には見えない仕組み」の話が多いという印象を受けた。途中の休憩では自分の研究対象のアナグマの話をした。アナグマの巣がキツネやタヌキに間借りされてしまう話をしたら結構笑ってもらえたのでうれしかった。
 この夏休みで私は大学での「話を聞く側」から、「話す側」に立ったわけだが、最もよかったのは大人と子供相手に似た内容を話し、その反応の違いを見られたことだった。神津牧場での水生生物観察会では、相手が親子だったため、その違いがよく表れていて、親御さんは水生生物が水質の指標になる話を真剣に聞いていたが、子供たちはそんな話には耳も傾けず、ブヨの幼虫が水面に上がろうと必死に体をくねらせる様子に夢中だった。逆に親御さんの方はそんなブヨの様子には「がんばってるなぁ」と一瞥をくれただけであった。またヘビトンボの話も同じで、子供たちは「ふーん」、という感じだったが、親御さんは「それはすごいですね」と驚いていた。他にもガイドの時は子供たちの質問が飛び交っていたのだが、大人たちからの質問は少なくやや受動的であった。
 話をする側に立つということは話をする相手にその内容を理解してもらわないと意味がない。そのために重要な事は、理解してもらいたい内容について自身が十分な知識と理解を身につけることだと思っていた。しかし、それと同じくらい重要なことが、話をする相手の特徴を知ることなのだと体感できた。そう遠くないうちに自分の研究を発表する機会があるし、人前で話す必要が生じる場合もあるだろうから、今回の経験を忘れず、また話す側になったときは相手のことをよく考えて話を組み立てたい。

「動物を見る」ということ

2014-08-22 07:30:53 | 14
3年 宮岡利佐子

 私は春夏秋冬それぞれの空気の匂いやその季節の雰囲気を体で感じるのが好きだ。自然が好きで、特に家の近くの田んぼと川、景色が綺麗な広場が私のお気に入りスポットである。そこには、カモやカエル、コイ、スズメ、ハトなどのどこでも見られる動物はよく見るが、森の中に住むようなシカやサル、カモシカなどの野生動物はほとんど見たことがなかった。しかし、野生動物学研究室に入ってから山に行くことが多くなり、青々とした森林の中で風を感じたり、鳥やセミの声を目を閉じて聞いてみたり、さらに野生動物も見るなど、これまでは体験しないことを体験できるようになった。その意味で、とても幸せな環境に足を踏み入れたなと感じている。
 8月の最初に野生動物学実習として神津牧場へ行ってシカのライトセンサスをした際に、多くのシカと3頭のイノシシの子どもを見ることができた。丘の向こう側にいたシカは遠くからしばらくこちらをじっと見つめると、左右に分かれて、片方は奥の森に逃げていき、もう片方は勢いよく走り、力強くフェンスを跳び超えていった。私はその光景を見つめながら、「こんなに高いフェンスをみんな跳べるのだな…さすが野生だな。」と感動していた。ところが、最後の1頭だけはタイミングを逃したのか踏み切れず、慌てて引き換えし奥の森へと消えていった。その姿はとても可愛いらしく、野生動物でもやはりそういう時もあるのだなと、なんだか微笑ましかった。
 また、イノシシはまだとても小さく、体には縞模様もあった。このイノシシたちは、ライトを照らされた瞬間何が起きたのか分からないといった様子で一瞬固まり、状況が分かると慌てて逃げていった。その行動は子供らしくとても可愛かった。こんなに一瞬の時間でも野生動物の色々な行動を見られたのだから、動物の行動を研究している方々は、きっとさまざまな状況に出くわすのであろう。
 私はこの研究室に入室する前まで、「動物を見る」ということは、このように実際に自分の目で見て行動や体の形や色など、動物そのものを見ることだと思っていた。しかし、今私が研究しているホンドテンの食性調査は、実際にテンを見ることはなかなかできないが、糞を採集し、それを分析することで、間接的にテンのことを知ることができる。どういう所で糞をするのか、どういう物を食べているのかなどを見たり考えたりすることも、間接的ではあるが「動物を見る」ということなのだと思うようになった。そのように「見る」ことは、直接見ることからはわからない、テンの生活の内容に踏み込むこともできることがわかった。
 私はこの研究室に入室し、動物を見るというのは、直接見るだけではなく、調べることでも動物の生活を垣間見ることができるのだということがわかってきた。そのことで自然を見る視野が少し広がったと感じている。

モンゴル草原での出会い

2014-08-22 07:20:39 | 14
今日は8月21日、それはわずか数日前の16日のことだったのに、本当にあったのだろうかと思うようななんとも不思議なことだった。
 私たちはモンゴル中央部のモゴッド県というところで調査を終えて、その中心地であるモゴットの町に着いた。小さな町で、お昼時だったので、食堂に入ることにした。ところがひとつしかない食堂があいていないということだった。それでは、草原にいってインスタントラーメンでも作ろうかということになり、移動をしようとしていたら、モンゴルの運転手さんがなにやら説明を始めた。それによると、この人が昼ご飯を用意するからよかったらうちに来ないかといっているという。いかにもモンゴルの牧民という感じの、がっちりした人のよさそうな人だった。少しためらいはあったが、ここはおことばに甘えてごちそうになろうということになった。恥ずかしいことだが、私の中には「これはある程度食事代を請求されるかもしれない」という気持ちが少しあったが、いろいろな話を聞けるチャンスだから、それもいいだろうという考えがあった。
 すぐそこだということだったが、行けども行けども着きそうもない。草原の両側に丘があり、そのあいだを進むのだが、「あの丘を越えたらゲルがあるのだろう」と思いながら前を行くその人の車はどんどん進むばかりだ。30分ほど経って、私はこれ以上進むのだったら、断って自分たちで作ったほうがよいだろうと思った。私の運転手にそれを伝えると、クラクションをならした。しかし前の車はそのまま走る。運転手はスピードをあげて、追いつく。そしてあとどのくらいかと聞いたら「もう少しだ」とおなじ返事だ。「もういいや、ここはモンゴルなのだ、今日は仕事ができなくてもしかたないな」と思っていたら、ようやく車が左に曲がった。やっと着いたのかと思ったが、そこから枝谷に入ってまた10分ほど走ったところにようやくその人のゲルがあった。
 私たちはゲルに案内された。十代の少年二人と、奥さん、少女が二人いた。まず薄いミルクのお茶をふるまわれ、硬い乳菓を出された。これはモンゴルで必ずおこなわれることだ。主人は「嗅ぎタバコ」の瓶を出し、ふるまう。客人はそれを嗅ぎ、主人に戻す。これもモンゴルの伝統的習慣だ。私も嗅いだが、心の落ち着くよい匂いだった。
 彼は戸外で大きな鍋にお湯をわかし、ヒツジの肉を入れて煮始めた。一時間くらいかけただろうか。その間、少年たちは若い馬を馴らすためだろう、二人で馬ででかけた。お兄ちゃんが弟に教えているようだった。小学5年生くらいのお姉ちゃんは料理を手伝う。小学1年生くらいの妹は一人で遊んでいた。首を上下に動かしていたが、これはウマがそうするのを真似ているつもりのようだった。広い草原を歩くこの子を見て、マンションで育つ日本の子供のことを思った。



 主人は額に汗をかきながら、鍋をかき混ぜる。ときどき味見をし、首をかしげえながら、塩を追加したりする。同行の日本の研究者はモンゴル語ができるので、いろいろ話をしていた。明日から近くの町にでかけるというので、馬のことはどうするのと聞いたら、彼は空を見上げて、にこりと笑いながら言った。
「お天道様が見てくれるよ」
この土地に生きて、自然を全面的に信じて生きているという自信と迷いのなさがあった。
 そこに奥さんが現れた。ゲルの中でトントンとよいリズムの音がしていたが、麺を切っていたらしい。それを鍋に入れるのを見ながら、主人が言った。ことばはわからなかったが、身振りや表情で何を言っているか、私にもわかった。
 俺たちはこんな小さなときからの幼な友達で、大きくなって俺がこの人を好きになって結婚したんだ、と。奥さんは健康そのものという感じで真っ赤な頬をした美人さんだった。この人のよさそうなおじさんが恋に落ちて求婚したようすが想像できた。奥さんは穏やかに微笑んでいた。
 やがてうどんができた。そのおいしかったこと。ダシはたっぷりだが、あっさりしていて実においしい。思わずお代わりをしてしまった。別の研究者でいろいろなことに気の廻る人が代金を訊いたところ、とんでもないと断られたそうだ。私たちは各自の荷物からせめてもと日本のお菓子とかお茶とかを探し出してお礼にした。私は、見ず知らずの人が、「うちで昼食を」とさそってくれたことに、それがただの善意から出たものだと思わなかった自分を恥じた。
 日本に帰り、あの乾いたモンゴルの空気からべっとりと汗の出る日本の空気に包まれ、たまった雑用を片付けながら、「あれは本当に数日前にあったことなのだろうか」「あれは夢だったのではないか」というような気持ちがある。


適応ということばを知ったときのこと

2014-08-22 00:16:14 | 13.1
 3年 矢野莉沙子

 この研究室に入ってから「適応」という単語をよく耳にし、考え、これを基盤として生物のあり方を見るようになった。私が初めてこの単語の意味を理解したとき、幼い頃からの疑問がぱあっと晴れたのを今でも鮮明に記憶している。それは小学生5年生のとき、月に一度送られてくる教育雑誌を読んでいたときだった。チャールズ・ダーウィンの自然選択がキリンを例に数ページにわたって小学生向けに易しく、しかし私にとっては濃厚で重量のある文章で紹介されていた。「ある環境で生き残ったものがその姿を子孫に受け継ぐことができ、生き残れなかったものが絶滅した結果」。
 これを読んだとき、薄ら寒いような感覚があった。自然の作り出す環境が見上げるほど大きくて強くて、私たちは皆これから逃れることは不可能なのだと悟った。そして私が今目にしている生物は大昔から生き残れた祖先がいて、その一番先を走っているもので、私も例外ではないのだと気が付いた。その瞬間、首の長いキリンがいること、絶対に見つけられそうにもない花びらに擬態したカマキリがいること、すばしっこくて体を潰されても死なない生命力の強いゴキブリがいること、それまで、すべてが平面のように見えていた私は、彼らの後ろに空間が広がっていくように感じた。図鑑でみつけたかわいい鳥を捕まえて飼おうと意気込んで木を見上げたとき、鳥はあんなに高い場所で生活していたのだと知った小さい頃のように胸がドキドキした。
 この大学に入って様々な分野の授業を受けていく中でも、自分の視野がぐうんと広がるあの感覚を覚えるときが何度かあった。キリンが高い場所の餌を独占的に食べられるとか、ハナカマキリのように餌動物に見つからないで餌を採れるといった生命維持に直接関係する適応の他にも、性選択などもあるらしい。クジャクの派手な羽や姿は敵に見つかるリスクが大きいが、それにもまして異性から選ばれるという選択が重要だった結果だと学んだ。また目に見える形態だけでなく、性格も遺伝するから、遺伝子を残すのに有利な行動も選択を受けた結果であることに驚きを感じた。
 この分野にはまだまだ私には想像もつかない物事がたくさんあるのだろう。これから、適応ということばを知ったときに感じたあのドキドキする感覚を自分の目で見ることに期待している。