観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

素朴な疑問

2015-01-01 22:41:52 | 15
4年 大内力
 先日、近所の公園を歩いていた時のことである。近くを通った小学校1・2年生くらいの女の子が母親に聞いた素朴な疑問が聞こえてきた。
「ねぇママ、なんであの木には葉っぱがついてるのにこっちの木にはついてないの?」
この時は「かわいいな」としか思わなかったが、よくよく考えるととてもよい質問だと思えてきた。
 普段歩いていて、「なぜ?」と考えることがいったいいくつあるだろうか。大人になると、常緑樹と落葉樹があることくらいは知っているが、「なぜ」常緑樹と落葉樹があるのかに疑問をもつ人はどれくらいいるのだろう。少し調べてみた。
 落葉樹の落葉とは、乾期や寒冷期などの植物が生育する上で不適な時期がある地域に適応した性質である。他にも病害虫などの防御反応としての性質もあるともいわれている。樹木の葉は枝先などの突出した部分についているので、厳しい環境条件の影響を受けやすい。だから、冬が寒いとか、ある時期が乾燥するなど、葉が危険にさらされる条件が一定期間存在する環境では、適期だけに薄くて面積が比較的広いような効率の良い葉を展開させ、不適期には葉を落とす落葉樹の方が適応的である。
 そう思えば、誰でも目にする公園にある木を見比べるだけでも、ただ常緑樹・落葉樹と分けるのではなく、植物が自然環境を生きていく上で選んだ生存戦略という見方をし、勉強することで、その意味の理解につながる。これは樹木についてのひとつの例えだが、樹木だけでなく少し外に出て周りを見渡せば、同じようにおもしろいことがたくさん転がっている。
 子供のころ多くのものに好奇心を持ち、聞いたり調べたりすることで「わかった」時はとても嬉しかった。残念なことに、私は近頃その好奇心が薄れてきてしまっている。しかし、あの女の子のおかげでその大切さに気づくことができた。これからはもっと好奇心を持って周りに目を向けていこうと思う。

研究室に入って一年が経って

2015-01-01 18:11:23 | 15
3年 富永晋也

 先日二年生の何人かが、入室のために面接に来ていた。それを見ると、自分が野生動物研究室に入ってもう一年になるということを感じる。研究室の室生として一年間を過ごして感じたことは、この研究室は実に様々なことを体験できるということだ。
 私が入室する前は、「野生動物の観察とかをする研究室で、主にシカのことをみんな研究しているのだろう」と考えていたのだが、入室してみると、それぞれ研究テーマが異なり、シカ以外にも、タヌキやアナグマ、哺乳類以外にも爬虫類や植物の研究をしている人もおり、多岐にわたることがわかった。そして、それぞれ動物や自然に対する価値観や、持っている知識の分野が異なり、話をしてみてとても面白く、また、ためになるということを感じた。このことは野生動物研究室に入って、大きなメリットになっていると思う。
 この研究室では自分の研究以外でも、学ぶ機会が多くあるということが特徴だと思う。研究室では定期的に、標本作りのために除肉をするのだが、時にとても珍しい動物や、触ったこともないような動物に触れることが出来る。例えば、以前はイルカを除肉したのだが、私はイルカに触れた事がなかったこともあり、とても感動した。また、解剖をしている中で、「皮膚は弾力があり、これは水中で体温を逃がさないことに役立っている」ということや、「肉に赤みがあり、これは、水中で素早く動くために多くの酸素を消費するため」など、解剖する中でも、その体の構造には意味があるということを学び、仕組みの精密さに感動した。
 他にも、先輩や同輩の研究の手伝いでは、自分とは全く違う分野に触れることが出来る。新たな調査地での調査は、いつもドキドキし、どのようなことでも新鮮に感じる。また、調査の途中で自然について調査仲間と話すことは、調査の楽しみでもある。
また、ゼミでは意見を発表、交換し、時に議論をすることもある。自分の意見を伝えるために、相手に伝わりやすい表現の仕方を考え、そして論理的に物事を考えるということを学んだ。
 このように、野生動物研究室では多くの経験をすることが出来る。ここまでさまざまな経験をすることが出来る研究室はほかにないのではないだろうか。来年も多くのことを学び、実りの多い一年にしたいと思う。

英語で書く

2015-01-01 17:41:07 | 15
 私は自分の日本語は英語の影響を受けていると思っている。日常的に自然科学的な文章を書き、そういう文章は論理的に書かないといけないから、日本語のあいまいさをできるだけ排するように心がける。あるいは「これを英語ならどういうだろうか」といつでも考えているようなところがある。たとえば、日本語なら「タヌキの糞をみつけた。分析をしたら種が出た」などというが、英語なら「私はタヌキの糞をみつけた。私が分析をしたら、糞から種子が出た。I found a dropping of the raccoon dog. When I analyzed it, I found some seeds.」というだろう。日本語ではあきらかなことは略すことが多い。むしろいちいち主語を書くのは重苦しく、美しさがないと感じる。
 青森弁で「どさ?」「ゆさ」という会話があって、正確に言うと「あなたはどこに行くのですか」「私は湯(風呂)に行きます」というところだが、寒いから口をあけないですますように略すのだという説明を聞いたが、そうではないだろう。東京だって「どこ?」「湯」で通じる。日本語はそういう性質をもっているのだ。
 私は論文を書くとき、いきなり英語で書くことが多いが、長い論文や、複雑な内容のときは、頭を整理するために、メモ程度に日本語で書いて訳していく。そういうとき、英語にしながら、日本語のメモを書き直すころがよくある。英語にすることでそのあいまいさが見えるのだ。そういうことを長年くりかえしてきたので、日本語が英語の影響を受けているに違いない。
 そういうわけで文学的な流麗さなどとは無縁で無機質な記述をする文章を英訳することに一応慣れてはいる。でも、もちろん母国語でないことばに自信はないから、専門の業者に出してお金をかけて読んでもらい、添削をしてもらう。いつまで経ってもけっこう直される。
 私はカナダのある会社に原稿を送って添削してもらうのだが、添削してもらった原稿を投稿しても3回に1回は「英語がよくない」といわれる。自分としては最良と思って出すのだから、「よくない」といわれても困る。奥多摩のシカの間接効果についての論文は、よく書いている食性の論文とは勝手が違うので、「英語がよくない」と言われたとき、編集者に誰か適切な人を紹介してくれないかきいたら、ジェーン・マクグラスという、英語圏のよくあるような名前の人を紹介された。ただしその人はスペインに住んでいるとのことだった。
 事情を説明すると、まず金額の条件を聞いてきた。少し失礼な感じをうけたが、あとでわかったのは、この人はものごとを明晰にする人で、まず条件を明示してから仕事を始めたいようだった。それから要旨を送るようにいわれ、それから本文となった。添削されたのは実は量的には多くなかったのだが、「結局あるのか、ないのか」「この文章はあいまいだ。グラフからこうはいえないのではないか。いえるなら説明せよ」というように、内容に立ち入って質問をし、それからきっちりした程作文が戻ってきた。
 私はお礼とともに「お名前からして英国人かと思いますが、お仕事が明晰で印象的でした。スペインにおすまいのようですが、英語とスペイン語も違うと思いますが、それでもどちらもヨーロッパ語です。これに比べれば日本語は大きく違います。今回感じたのは、言葉を置き換えるということよりも、発想そのものがかなり違うということで、勉強になりました」という内容の返事を書いた。そうしたら、その返事に「私はニュージーランド人です。今はスペイン人と結婚して、スペイン語、フランス語、イタリア語はよくわかり、翻訳をするとき、それを話す人が何をいいたいかわかってから英語にします。よくネーティブに読んでもらったという英語を点検しますが、ひどいのがあります。あなたの英語はとても上手ですが、それでも科学論文を書くときは厳密さを求められます。英語は多くの言語の中でもとくに厳密さを求める言葉です。」
 とあった。
 自分の言葉を客観的に評価できるほど、他国語ができることをうらやましいと思った。だが、なんといっても外国語は外国語であり、壁がないはずはない。英語を磨く努力はするにしても、何よりも重要なのは母語を正確に表現できるように鍛えることだ。そして日本語については正確なだけでなく、響きのよいことばや言い回しをし、読む人の心に届くような文章を書きたいと思う。

野生動物学研究室に入って変わった自然の見方

2015-01-01 09:16:55 | 14
3年 鈴木華奈
 今年の4月から野生動物学研究室に所属し、自然に対する興味、見方が一変しました。なにげなく歩いていて、それまで目につかなかったはずの道端にひっそりと咲いている花や草、またその花に止まる昆虫にまで目が行き届くようになりました。
 歩道の端っこに生えている草をすべて雑草というひとくくりで見ていた私は、今まで自然をよく見ていなかったことに気づかされました。よく見てみると葉の形も大きさもそれぞれ全く違う草でした。私が研究室に所属してすぐ、友達の調査の同行で高尾山へ行った際、高槻先生が多くの植物について説明してくださいました。一見全体を見渡すと緑が広がっていて、それまでの私だったら、「きれいだな~、空気がおいしいな~」で終わってしまっていたはずが、植物に目を凝らしてみると、面白い形をした植物がたくさんありました。その中でも印象に残っているのは、ハナイカダという植物でした。説明を聞いて見ると、葉の中心に花が咲いていました。ここに実がなるそうです。まるで葉の先端につぼみがついているように見えました。研究室に入ってから、このように動植物の形にしっかりと意味があることも学ぶことが多くなりました。
 今年の夏、実家へ帰省すると、庭に6匹以上のセンチコガネが死んで転がっていました。私はびっくりして、母の所へかけつけました。すると、害虫退治のために、庭に薬をまいたとのことでした。私の友達はセンチコガネの研究をしており、その子とよく研究の話しをしていたので、センチコガネが糞虫としての自然界の物質循環に果たす役割が大きいということを知っていました。そのことを母に伝えると、驚いた顔をしていました。もし、野生動物学研究室に所属していなかったら、センチコガネに興味を持つこともなかったと思うと、研究室に入ったことで自然のことを深く見たり考えたりできるようになったことをうれしく思いました。
 研究室には、さまざまな動物、植物、昆虫を研究している人がいて、自分の知らないことがたくさんあり、ゼミの発表で刺激を受けます。また、動植物についてもっと知りたいという気持ちが強くなりました。今年は生き物について多くの知識を吸収することができました。これからも新しい発見を見つけていと思います。-