観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

木造校舎の火事

2012-11-25 18:08:02 | 12
高槻成紀

 今年の9月6日、長野県上田市の古い小学校の木造校舎が火事で全焼したと報じられました。上田市は長野市の手前にあり、アファンの森に行く時にいつもながめるので、どことなく親近感があります。山に囲まれた落ち着いた感じの町です。ニュースでは炎上する校舎を見て、3世代にわたって通った家族が悲しみを伝えていました。子供たちはもちろん、「ひどすぎる」といいながら泣いている女性もいました。
 私は3つの小学校に行きました。父の仕事で転校したのです。3年生から5年生を島根県の松江ですごし、朝日小学校という学校に行きました。松江という町全体がそうでしたが、その小学校はとくに伝統を重んじる雰囲気があり、私は大好きでした。とてもよく遊んだし、勉強もよくした記憶があります。校舎は木造で、雑巾がけをしました。
 しばらく前に島根大学で学会があったので、時間をつくって朝日小学校に行ってみました。日曜日だったのでお休みでしたので、外からのぞくだけでしたが、廊下がピカピカに光っており、節の部分がもりあがってみえました。つまり柔らかい部分はみがかれてへこんでいたのです。明治時代からずっと子供たちが毎日雑巾がけをしてへこんだのです。たぶん、今回焼けた小学校と同じくらい古い校舎だったと思います。私は窓の外からその廊下を撮影して、2歳年上の姉に見せました。とても懐かしがってくれました。
 火事のニュースをみて、朝日小学校の校舎を見ようと思ってインターネットで検索したところ、廃校になったということがわかりました。ショックです。ネットの範囲では在りし日の写真もみつけることができませんでした。もちろん校舎は壊されてしまったのだと思います。それなら廊下の板の一部でも欲しかった。
 木造校舎にはただの「建築物」だけではない、人が親しみをもつ何かがあります。校舎がなくなるといっても、鉄筋コンクリートの校舎の場合、木造校舎が火事で焼けるときと同じように悲しいでしょうか。
 なんとも心の痛むできごとでした。

サルを見てヒトを思う

2012-11-25 18:03:35 | 12
修士2年 海老原寛

 私の研究対象であるニホンザルは、見ていて飽きない動物だと思う。それぞれが常に動き回っているからである。大人のサルは何かを食べていることが多く、子ザルは何がおもしろいのかはわからないが、常にはしゃいでいる。サルは群れをなす動物でもある。だからこそ、他の個体との関わりもより多く見られる。子ザル同士でにぎやかに遊んでいるかと思えば、大人のサルは静かに毛づくろいしている。かと思えば、向こうではケンカが起こっているようだ。1匹1匹がそれぞれ自由で、とにかく忙しない。
 そんな自由なサルたちも、移動するときはみんな一緒だ。誰が先頭というわけでもなく、1匹が移動すれば1匹がついていく。自分の周りのサルが動けば、それに続いて自分も動く。そうして最後には、50匹以上の群れの全員がそろって移動していく。
 そこで1つの疑問が浮かんだ。あんなにそれぞれが自由にしていたのに、なぜ移動するときはまとまることができるのだろう。そう考えながらサルを見ていると、それぞれが自由な行動をしているときも、周りをキョロキョロしていることに気付いた。自由にしているように見えて、一方ではちゃんと自分の仲間たちのことを気にしているのだろう。
 今年の哺乳類学会のシンポジウムでは、京都大学の杉浦秀樹さんからサルがどのように群れのまとまりを保っているのかというお話を聞かせていただいた。その中では、自分の近くにどのくらいの仲間がいるかを基準にまとまりや移動をしているのではないかということだった。それを聞いたとき、以前から抱いていた私の感覚がある程度正しかったのではないかと思った。常に周りを見ていなければ、群れはうまくまとまることはできないはずだからだ。
 『ホモ・サピエンス』とは、私たちヒトのことである。ヒトはサルと共通の祖先を持つと言われているのだから、ヒトとサルには共通点があると言っても否定する人は少ないだろう。
 ある日、電車の中でふと周りの人を見ると、イヤホンで耳を塞ぎ、携帯やゲームで目を塞いでいる人が多い。現代社会では、それは別に悪いこととは言えないかもしれない。現に、自分もそのようにするときがある。しかし、それでいいのかとときどき思うのである。それとは別に、マナーが悪い人もいる。優先席に堂々と座る人、携帯で話している人、イヤホンからの音漏れ・・・。これらのことは、周りの人たちのことを考えたら、自然と控えるものなのではないだろうか。
 どんな動物でもその種に応じた社会があり、他個体のことを気遣って生活しないと、その集団から除外されるようになってしまう。特にサルは社会性動物だと言われるが、きっとそこまで他のサルに合わせて生きているわけではないと思う。ただ、きっとサルにはサルのルールがあり、そのルールを破ったり気遣いを怠ってしまうと、その集団から除外され、生きていけなくなってしまうのだと思う。ヒトにはそのような進化の一般論が当てはまらないことも多いかもしれない。しかし、日常生活の中で自分勝手な行動を控えることや、それとは逆に他人を気遣って自らが望まない行動をあえてとってあげることは、サルの一種として、ヒトが生きていくためにもともと必要なことのように思う。
 ヒトとサルは似ている。確かに多くの部分で共通点はある。でも、本当に似ているかと言われればそうではないと思う。ヒトはサルと同様に集団生活をする動物なのに、周りが見えていなくてよいのだろうか。現代は情報社会と言われている。インターネットで調べれば、自分の知りたい情報が山ほど出てくる。ニュースを見れば、自分が行ったこともない遠くの国の情報さえも手に入れることができる。放っておいても様々な媒体を通して様々な情報が手に入り、情報があふれていると騒いでいる。しかし、動物の1種として、まず自分たちが手に入れるべきものは、その時・その場所の情報なのではないか。サルたちは、身の回りの情報を必死で取り込み、一生懸命生きている。一番大切な情報を手に入れずに優越感に浸っている私たちが、サルに似ていると言ってしまうのは申し訳ないことなのかもしれない。
 サルを見てヒトを思うひとときだった。

初心に帰る

2012-11-25 17:55:41 | 12
A10037 落合茉里奈

妹のシューズをこっそり借りて、ジョギングに出かけた。中学生のころから走り続けた、一周3kmの畑道。アップダウンがない上に、距離の感覚がつかめるので、とても走りやすい。視界に広がるのはもう何年も見てきた風景だ。陸上部であった頃から変わったところがあるとすれば、私の視線が腕時計ではなく、川で餌を探しているコサギや、空高く飛ぶトビに向くことくらいだろうか。
 陸上を辞めた今でも暇を見つけてはちょくちょくランニングしているが、こうしていつもの風景の中を走っていると、中学時代にタイムスリップしたような感覚に陥る。そして、必ず思い出すのが、中学一年生の頃に将来の夢をみんなで語り合った日のことだ。
 夏休みだっただろうか。練習が終わってみんなでストレッチをしている間、誰かがふいに「みんなは将来なにになりたいの?」と聞いてきた。輪になってストレッチをしていたので、時計まわりに順々に自分の夢を語ることになった。先生になりたいと答えた人、アイドルになると笑っていた人、まだ決まっていないと言った子。それぞれが将来について語る中で、私は「獣医師になって動物の命を救いたい」と答えた。人に夢を語ることなんて一度もなかったので、恥ずかしかったが、それを聞いた先輩たちが口々に応援の言葉をかけてくれたのを覚えている。
結局、私が獣医になることは叶わなかったが、動物の役に立ちたい、命を救っていきたいという気持ちはずっとそのままある。こうして今、ぶれずに好きな勉強ができているのは、あのとき自分の気持ちを口に出したからではないかと思う。
私の学生生活は常に陸上競技と共にあったので、走ることで思い出をなぞることができる。動物に対する思いに関しても例外ではなく、ジョギングしていると自然と初心に帰る。そうして原点に帰ってみることは、これから将来のことを考えるときに重要なことであり、同時にとても心地よい感覚が得られることでもある。
三月には、地元で大きなマラソン大会がある。私はハーフマラソンに出場予定だ。海風を切って走ることが楽しみであることはもちろん、久しぶりに中学の先輩に会えることが嬉しくて仕方がない。先輩もぶれずに夢を追い続けて、今では教員として働いている。一緒にご飯でも食べながら、話を聞かせてもらおうと思う。私ももうすぐ就活が始まるが、自分が一体何をしたいのかを見失いそうになったとき、最初に動物の役に立ちたいと思ったときの気持ちを思い出したい。

実習での体験とタヌキをみて思ったこと

2012-11-02 14:18:56 | 12.10
3年 朝倉源希

 私たち三年生は野生動物管理学実習として10月5 ~8日の日程で群馬県の神津牧場を訪れた。実習ではライトセンサス、糞虫調査、群落調査、毎木調査、センサーカメラの設置、テレメトリー調査、個体追跡調査など盛りだくさんのメニューを体験することができた。また、副場長さんや神津牧場内での野生動物の研究をしておられる畜産草地試験場の塚田さんに講義をしていただいた。講義では、神津牧場が日本内でいち早く放牧式の酪農業を始めたことや、牧場の存在がシカに食料を供給し、結果として個体数の増加を助長していることを知った。特に生息地の食料供給量が少なくなる冬季には、シカがロールベールをよく食べるようになるとのことだった。でも私は今まであまり野生のシカを見たことがなかったため、頭では理解していても、問題を実感する機会があまりなかった。だから、今回ライトセンサスを行いシカを実際に見ることができたことはとても貴重な経験だった。
 その他にも今回の実習ではいくつかの動植物の野外調査方法を体験することができたが、私の中でもっとも印象に残ったのはたまたま捕獲されたタヌキの放獣現場の見学であった。
 捕まったタヌキにすれば、狭い檻に閉じ込められ、このあと自分が何をされるかも分からない不安、さらには多くの人間に注視されることによる強いストレス状態が続いていたに違いない。今回の放獣を担ったNPO法人あーすわーむの福江さんによると捕獲された動物はたいてい失禁し、暴れることで自分の身を傷つけてしまうため、捕獲された動物に対しては最低限の人数で扱うようにするということだった。これを聞いたとき、私は捕獲されたタヌキに対して申し訳ない気持ちになった。見学とはいえ、周りに私たちがいることでタヌキにストレスを与えたと認識したからです。
 今回の実習では現場に立つことで初めて感じる人間と野生動物の関係について考える貴重な機会となった。これからも実習で学んだことを忘れずに野生動物と接したいと感じた。


「知る」ということ-シカの観察を通じて

2012-11-02 14:07:01 | 12.10
研究生 中村圭太

私は福岡県出身で、家族と18年間一緒に生活をしていました。母、父、姉、妹、祖父、祖母の二世代家族です。祖父は昨年他界しましたが、お酒が好きな人でした。怒るととても怖いのですが、お酒を飲まなければこんなやさしいおじいちゃんはいないと思います。畑で花や野菜の苗を育てて、田んぼではお米を育てていました。刑事ドラマや演歌が好きで、土曜の8時は必ずテレビを見ていたのを覚えています。ちなみに歌は下手くそでした(笑)。祖父とはたくさん思い出がありますが、私が生まれる前、どうやって育てられて、どんな子供時代だったのか、どうやって祖母と結婚したのか、考えてみると知らないことはたくさんあります。
母はもちろん私たち子供たちが産まれた頃から見守っていますから、とくに乳幼児の頃のことは私たち自身よりもよく知っていることもあるでしょう。でも、だんだん大きくなって学校でのこと、なにを考えているかといったことになると、母の知らないこともたくさんあります。

私は今年の10月6日から23日のあいだ、宮城県金華山島に行って、ニホンジカを観てきました。島には500頭ほどのシカが生息していますが、神社周辺のシカ約150頭については個体識別がされています。私はその中でオクニヌという名前のオスの行動を観察しました。交尾期だったので、オクニヌは多くのオスとさまざまなディスプレイを競い、繁殖なわばりを勝ち取っていました。なわばりを持つオスは、その中の発情メスと交尾することができるのですが、なわばりの外にはなわばりを持てなかった劣位のオス達がいて、オクニヌの隙をみてはメスと交尾しようと狙っていました。また、メスたちもなわばりの外に出よとすることがありました。そのためオクニヌは常になわばり内を見渡し、入ってくるオスを排除し、メス達をガードしていました。観察のかいあって、オクニヌが複数のメスと複数回の交尾をするところを確認することができました。私は、オクニヌを含め3個体のオスを朝から日が暮れるまで観察しましたが、今回観察できたのは優位のオスだけでした。

今回、けっこうがんばって観察したつもりですが、それでも一部のオスのことしか理解していません。それでも交尾期のオスの行動を観察するというはっきりした目的意識をもっていたから理解できたので、漫然と「シカを観察する」だけではその意味が読み取れなかったと思います。
思えば、同じ金華山のシカを調べるといっても、南先生たちはシカの行動を研究し、シカの一生を追ってデータを蓄積されていますし、高槻先生はシカと植物の関係やシカが生態系に与える影響を研究されています。3月の調査に参加したとき、シカのセンサス、死体回収、捕獲などを体験し、サンプルやデータがどんどん蓄積されるのを見て、感動しました。それははっきりした目的意識をもち、それを科学的に実証しようという姿勢があるから可能なのだと思いました。
冒頭に祖父や母のことを引き合いに、家族のことについて知らないことがたくさんあり、また自分自身が知らないことを家族が知っていることもあると書きました。なにごとも知ることができるのはほんの一部であるには違いありませんが、私はニホンジカについて、自分なりのはっきりした目的意識をもって少しでも未知の部分を解明したいと思いました。