観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

ツバメ通り

2013-07-01 15:53:31 | 12
4年 鈴木里菜

 私の地元の駅には駅からスーパーなどが続いているアーケードのようなものがあります。夜中じゅうずっと明かりが灯り、人通りもそこそこあります。
 このような場所ですが、天井近くにはツバメの巣がたくさんあります。駅や店の人達は巣を取り払わず、糞除けの屋根を付けているだけなので、毎年春になるとツバメがやってきます。そして生まれた雛が大きな口を開けてピーピーと鳴いている姿を見て、声を聞くことが出来ます。今年も5ペア程のツバメが子育てをしていました。昼間は両親ともに飛び回り、そして雛たちは口をあけて餌をねだっていました。ピーピーとねだる声は日に日に大きくなり、ボサボサ頭もだんだんとちゃんとした羽の生えた頭に、黄色い口が目立つようになっていきました。しかし夜になると昼間のうるささはなくなり、巣はとても静かになります。両親も巣に戻ってきて、雛に覆いかぶさるようにして2羽がくっついて眠っていました。
 そんなツバメの子育てを見続けていましたが、今年はもう終わりのようです。雛たちはいなくなり、親もあまり飛び回らなくなりました。きっと、もう少しすれば親たちもいなくなるのでしょう。来年もちゃんと戻ってきて欲しい、また雛を見たい、そして飛び去った雛たちも無事に生きてほしいなんてことを思いながら今日も通りを歩いて家へ帰りました。


6年という月日が私にくれたもの

2013-03-13 08:21:09 | 12
修士2年 八木 愛


 大学・大学院生の6年間、一言では言い表せないほど多くのことがありました。楽しかったこと、辛かったこと、悔しかったこと、本当にさまざまなことがありました。そのため、いざ最後の「Observation」を書こうとしても、思いが溢れてしまって、何から書いたら良いのか、まったくまとまりません。それでもなんとかつきつめて言うとすれば、「とても充実した日々だった」ということと「とても良い人達に出逢うことができた」ということだと思います。
 高校生の頃はただなんとなく毎日を過ごして、友達とわいわいしているだけでも楽しいと感じる日々でした。その時はそれで十分でした。しかし、大学に入学し、野生動物学研究室で毎日を過ごすようになってから、明らかに以前とは違う楽しさを感じました。また、自分の興味のあることを追究するおもしろさにであいました。目標を決めて、それに向かって自分で努力することの大変さ、うまく形にできないもどかしさ、そしてそれができたときの達成感。こうしたことは高校生の頃には味わうことがなかった感覚でした。
 ただ「楽しい」だけでは充実した日々であるとは言えず、辛いこと、悔しいこと、多くの困難を乗り越えてこそ、充実していたと感じるのだと思います。
 私はこの6年間を振り返って「楽しかった日々」と「充実していた日々」が違うのだということに気づくことができました。「毎日が楽しいなんて毎日が楽しくないのと同じ」という言葉を聞いたことがありますが、この言葉の意味が今になってやっとわかったような気がします。そのことをこの研究室での生活は教えてくれました。
 そして研究室での生活は、私に素敵な出逢いもくれました。私という人物を、きちんと理解した上で、優しい言葉だけでなく、厳しいことも言ってくれる。今までにない出逢いでした。一緒に卒業する同期の3人、大津さん、嶋本さん、海老原君。私はこの仲間達と6年間を共にできたことをとてもありがたく思っています。この3人がいてくれたから、今の私がある、そう思うくらい多くの面でお世話になりました。本当にありがとうございました。

 私の大好きな歌手の言葉に、こんなものがあります。

「自分で選んだ夢を正解にするため、毎日“今日が人生最後の日”と想って、後悔のないよう突き進みたい」

 人生は長いと思っていましたが、近頃は生きているといつ何が起こるかわからない、限られた人生の中で、同じような1日は2度とないのだと考えを改めるようになりました。

 この6年間は私の人生に大きく影響しました。一生忘れることはないと思います。そのくらい多くのことを私は野生動物学研究室から学びました。これもすべて家族、友人、そしてこの野生動物学研究室の高槻先生と南先生、仲間たちの支えがあったからこそです。本当に、長い間お世話になりました。そして、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。この野生動物学研究室に入ることができて、とても幸せでした。
 長い長い学生生活も終わり、いよいよこれから社会に出ます。学生のときより辛いことや、大きな困難が立ちはだかることもあると思います。それでも私は、この言葉を胸に刻んで、毎日毎日をしっかり後悔のないように、精一杯頑張りたいと思います。


坂本さん(左)と。町田市図師の里山で。2010.5.16

おとぎ話

2013-02-24 17:35:30 | 12
おとぎ話


教授 高槻成紀


 幼い子供がおとぎ話を聞くのは、大人あるいは中学生くらい以上の人がテレビや映画のドラマを見るのとはだいぶ違うようです。大きい人はどういうストーリー展開になるかを知らないから見るので、それがわかってしまえばもう見ませんが、子供がおとぎ話しを聞くときは、もう何度も聞いていて完全にお話を知っていて、それでもまた聞こうとします。ですから、お話が終わったとたんに「もういっかい」とよく言います。そういう違いもありますし、子供はそのお話の中に完全に入ってしまい、自分が主人公になったように思うし、実際にはありえないことでも何も不思議には感じないでほんとうにあることだと信じることができます。そういう意味でも子供は大きい人と違います。それだけにおとぎ話が幼い子供の心に与える影響はとても大きいはずです。
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 日本のおとぎ話にはよくおじいさんとおばあさんが出て来ますが、これは日本人の大半は農民でしたから、お父さんお母さんは田畑の仕事に忙しく、子供の相手をできるのがおじいさん、おばあさんだったために、どうしても自分たちを話しに登場させたくなるという心理が働いたのではないでしょうか。代表的なおとぎ話である「桃太郎」もそうです。おばあさんが川に洗濯に行くと上流から桃が流れて来たというところから始まります。
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 私は動物や植物が環境とどういう関係をもっているかを研究しています。そういう学問を生態学といいます。ですから、いつでも環境とは何かということを考えています。おとぎ話もそういう見方をすると違った発見があります。私たちはこのおばあさんが川に洗濯に行くということをあまり不思議に思いません。私たちは家に水道があり、洗濯は洗濯機でするのを当たり前に思っていますが、八十歳くらいより年上の人が若いときは、洗濯はタライと洗濯板でしました。タライというのは直径が一メートルくらいある浅い容器です。洗濯板はまな板よりは大きい板の表面に粗い波形のでこぼこがある板で、その上に洗濯物をおいて石鹸をつけてごすごすこすったのです。だから洗濯は重労働でした。年代でそういう違いはありますが、水道や洗濯機がなかった時代があったことはわかるので、おばあさんが川に洗濯に行ったという情景は想像できます。
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 私は研究のためにモンゴルに行きます。広々とした草原が広がり、空気が乾いているので遠くまで見えてとても気持ちがよい国です。人々はゲルといわれるテントのような家に暮らしています。季節に応じて移動するときはゲルをたたんで、また新しい土地で組み立てます。風呂はありません。そう聞くと、風呂に入らないなんて、なんて不潔だと思うかもしれません。でも風呂の大好きな私もモンゴルでは毎日風呂に入りたいとは感じません。それは汗をかかないため、衣類が汚れないからです。空気が乾燥しているので、汗はそのまま気化してしまします。タオルをぬらして体をふくとそれもすぐに気化するのでスッとしてとても快適です。私は調査が終わると、洗面器一杯の水をもらいタオルをぬらして体をふけばそれで十分、貴重な水を大きな容器に入れてつかるなど思いもよらないことです。
 そういう国からすると、おばあさんが川に洗濯に行くということそのものがなんだかおかしなことに聞こえるはずです。そもそも川などどこにでもないのがふつうで、日本のように雨が多くていたるところに水が流れていることのほうが珍しいのです。
 桃太郎を育てたおじいさん、おばあさんは山にすんでいたのでしょうか。どんぶらこと桃が流れてくるのですから、そうかもしれません。「桃太郎」ではおじいさんが柴(しば)刈りに行くとあります。柴刈りというのは芝生のシバを刈るのではありません。柴は背の低い木のことで、林の下に生えています。それを刈って来て風呂や料理の焚(た)き付けに使ったのです。ガスや電気を燃料に使うようになったのは最近のことで、日本では長いあいだ薪(まき)や炭を燃やして暖房や料理に使いました。それには柴が必要だったのです。ですからおじいさんは柴を刈るために、山に行ったのかもしれません。ただ、日本にはほんとうに深い山も多いですが、もう少し低いところ、あるいは平野と接したような場所もたくさんあります。ですから、家は平地にあって、その裏に山があって林がある「里山」と呼ばれる場所が広がっています。こういう林を雑木林(ぞうきばやし)といいます。おじいさんはそういう林に柴刈りに行ったのだと思います。雑木林はテレビなどで見る奥山のブナ林とか、アメリカの国立公園などの原生林とは違い、人が利用しながら維持して来た林です。人がくり返し利用し、毎日のように柴刈りをしても、次から次へと植物が伸びて来て、いつまでも使うことができます。それが可能なのは日本の夏が暑く、雨がたくさん降るために植物にとっては理想的な環境だからです。
 そのように考えると「桃太郎」の最初に出てくる「おじいさんは柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました」という短い文章だけでも、実に日本的な環境が描かれているのだということがわかります。
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 おとぎ話の中でも世界中に有名で人気があるのが「赤ずきんちゃん」でしょう。どきどきする場面があってとても引きつけられる話です。この話も環境のことでいうとおもしろいことがわかります。赤ずきんちゃんは一人で森をとことことあるいておばあさんの家に行きます。なんの不思議もないようですが、そうでもありません。どうやら赤ずきんちゃんは5歳くらいの女の子だと思われます。もし日本でそういう女の子が山のおばあさんの家に行くとしたらどうでしょう。日本の林は急斜面をのぼったり、川があったり、薮がしげっていて、大人でも道に迷います。とても5歳の女の子がひとりで歩いていけるような場所ではありません。赤ずきんちゃんは確かイチゴをつみながら、鼻歌をうたいながらおばあさんの家に行ったと思いますが、そのためには地面が平らで、木はあまり生えておらず、林の下には草が少しだけ生えていて、遠くまで見えないといけません。赤ずきんはヨーロッパの童話ですが、私はドイツの平地のブナ林を歩いたとき「ああ、こういう林だから赤ずきんの話が生まれたのだ」と納得しました。まさに大きな木がまばらに生えた平らな土地で、下草が少ししかないので、気楽に鼻歌でも歌いながら歩きたくなる林でした。
 これに対して日本の林は平地にはほとんどありません。平地は田畑に使われているからです。林があるのは丘や山で、急斜面です。そして林の下には人の背丈ほどの植物がびっしり生えて一メートル先も見えないことも珍しくありません。とくにササが密生していると先に進むこともできないほどで、「薮漕ぎ」ということばがあるくらいです。手で薮を泳ぐようにかき分けないと進めないという意味です。私は東北地方の山で何度か薮漕ぎをして泣きたい思いをしたことがあります。それだけではありません。日本の林には蚊がたくさんいて刺されるとかゆいし、ハチもよくいるので、こちらは刺されたらたいへんです。それにヘビに出会うことも珍しくはありません。もっともヘビに出会ってもマムシ以外は大丈夫ですが。
 「桃太郎」は動物を家来(けらい)にして鬼退治をした勇気ある青年の成長を描いたのかもしれません。「赤ずきん」はオオカミがおばあさんに化けていることを描いて、子供の心にある怖いものみたさで引きつけているような気もします。ただ私はふたつの童話のテーマについてではなく、日本とヨーロッパの違う環境が無意識のうちに童話に描かれていることをおもしろいと思い取り上げてみました。
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 そういう意味でもうひとつとりあげてみましょう。具体的な話としては思い出さないのですが、北欧かロシアの童話に雪の妖精が出て来ます。そういうお話では、今まであったものが一瞬にして消え去るということがあります。それは約束を守らなかったために一瞬にしてほかの動物になってしまうとか、世界がまるで変わってしまうというようなことです。現実にはないが、夢の中であるような不思議な世界のことです。私はそういう話を創作できる文学者の想像力をすばらしいと思っていました。
 ところが岩手県でシカの調査をしていたとき、必要があって冬の朝ご飯の前に山に車で行ったことがあります。前の日の夜に冷え来んだため、山の木々に空中の小さな水滴が急に冷えたために結晶としてくっついて白くなっていました。これを「霧氷(むひょう)」といいます。白い氷で枝を作ったようでした。林全体がそうした白い枝でできていたので、夢の中の世界のようでした。ただ、そのときはカメラがなかったので一度泊まっている場所に戻り、朝ご飯を食べてからカメラをもって出掛けました。ところが一時間ほどのあいだに日が昇り、枝に当たって融けてしまっていました。それはいつも見かけていた当たり前の黒い枝の集合にすぎませんでした。
「あれは夢だったのではないか」
と思うほどでした。そして思いました。雪の妖精を作った作者はすばらしい想像力を持っていたに違いないが、それでもこういう一瞬にして消えてしまうものを見ていたからそういう想像ができたのだと。
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 私たちは日々の暮らしで見るものを当たり前だと思っていますが、どこかで影響を受けているのだと思います。そのことが当たり前でないかもしれないと思い直すとたくさんの発見があるように思います。

これは「教科研究国語」という雑誌に書いた原稿で、中学生を対象に想定したものです。

恥ずかしがるな*

2013-01-23 16:31:36 | 12
 
教授 高槻成紀

 第二次世界大戦後、私たち日本人は自分たちのことを内気で、生真面目で、ユーモアがない、議論が下手だ、人前でアガりやすいなどと、いろいろ悪口を言われて来ました。私は1949年、戦後4年に生まれましたから、戦前派とは違う教育を受けましたが、こういう性質は変わるわけではないのでうまくゆかず、劣等感を持ちました。アメリカ映画を見て、アメリカの若者がいかに違うかを見て、うらやましいと感じました。あるいは感じなければならないと思っていたかもしれません。
 日本人が海外旅行出来るようになったのは1960年代のことで、当時1ドルは360円(今は90円!)でした。当時、海外旅行は夢そのものでした。私は大学4年生のときにインド旅行をしましたが、父親が「ああ、お前らが海外旅行する時代になったんだな」と言ったものです。その後私はいろいろな国に生態学社として、あるいは一旅行者として訪問しました。スリランカの人は外見はまったく違うのに内気で、周囲からどう見られるかを気にするのは日本人と似ていると思いましたし、逆にモンゴルの人は外見はまったく同じのに、開放的で独立心が強いと感じました。それで私は国民性はやはり環境によって強い影響を受けるのだと思いました。日本は島国で、夏は高温多湿だから植物が豊富です。「あとは野となれ山となれ」というのは植生遷移が速く進むことを表現しています。そうした国土でわれわれの祖先は豊富な水を使って稲作をしてきました。ご承知のように日本は災害列島でもあり、定期的に台風、洪水、地震があります。米を作るには土木工事、田植え、刈り取りと、大人数の共同作業が必要です。そういう社会にあっては「個性的」なことは歓迎されません。農民は土と植物に向かいあい、勤勉で忍耐強さこそが必要でも、おしゃべりは不要です。そのことは収穫に正直に返ってきます。そういう社会では協調的な人が主流になっていくのが当然です。私はそういう社会が日本人の気質を形成してきたと信じています。
 ですから日本人が突然、おとなしいとかまじめすぎるのはよくないと言われて当惑したのは当然です。なにしろそれまでは「男は減らず口をきかないで働け!」と言われてきたのですから。
 そう、私が言いたいのは、人の気質は社会によって影響を受け、その社会は環境によって影響を受けるということです。稲作は日本人気質を形成しました。それをアメリカ人とくらべたら違いは明白です。悲劇は違うことを「悪いこと」としたことにあります。
 私はそうしたアメリカの影響が日本人の自然に対する態度を変えたということを指摘したいと思います。戦後数十年経って、自然を畏れ敬ってきた農民さえもが次第に「科学的に」なり、自然はコントロールできると「認識する」ようになりました。実際、機械によって田んぼは作り替えられ、森林は伐採されました。そうしたことをくり返すなかで我々は徐々に自然は管理できる、恐れるに足らずと感じるようになりました。我々の親世代が一番悔やんだのは日本には技術がなかったことだということでした。だから戦後技術改良に懸命の努力をしました。事実、品質のよい機械を作り、土地や植生の改変が可能になりました。日本社会で影響力のある人たちには必ず工学系の人がいますが、動植物のことを知らないばかりか、興味もありません。私は親世代の戦後の経済復興の努力には敬意を払いますが、それが日本人の自然への態度を変えたことを実に悲しいことだと思います。
 私にいわせれば、その最たるものは原発依存です。日本人は自然が畏れるべきものだということを忘れていたのです。日本列島は原発を作るには危険すぎます。
 私も余生は長くありません。せめてそうした傲慢さを改め、日本人の伝統的な自然への態度を思い起こすことに微力を尽くしたいと思います。


* 実はこの文は「Do not be shy」という英文の「和訳」です。海外の知人に送った文に何人かの人がとてもよかったと言ってくれたので、日本の皆さんにも読んでもらおうと思いました。でも「shyであるな」は「恥ずかしがるな」がぴったりではありません。「もじもじするな」とか「言いたいことははっきりいえ」かもしれません。

これは冬眠準備?

2012-12-29 15:30:52 | 12
3年 柏木美香

 12月に入ってから、ものすごく寒い。寒さが苦手、早起きが苦手、貧血ぎみ、冷え症な私にとってはもはや地獄である。布団から出られない、コタツから出られない、家から出たくない。寒いだけでこんなにも行動力が落ちるのかと自分でも不安になってくる。年を取るにつれて寒さに弱くなっているような気もする。関節も痛いし、鼻水も止まらない。お腹も痛くなるし、何しろ自分の手が冷たいのでどこにも触れたくない。一言で言えば寒いのが嫌いである。雪は好きだし、スノーボードも楽しいし、星が綺麗だし、冬は好きである。が、寒いのは嫌いだ。外に出たくない。
 さて、寒さのせいで元気はなくなる一方な私だが、食欲はある。むしろ増している。温かい鍋やおでんは寒い時ほどおいしいし、暖かいコタツでぬくぬくしながら食べるアイスも美味しいし、クリスマスにはケーキも食べたいし、お正月はおせちも食べたいし、魚介も美味しい季節である。
 そこで気づいてしまったのだが、これはもしかして冬眠準備なのではないか。哺乳類の多くは冬眠をする。寒い間は巣の中でじっと耐え、暖かくなるのを待つのだ。冬眠中のエネルギーを確保するためにその前に沢山食べて蓄えておく。今私はこの段階なのではないだろうか。本当はもう家の外に出たくないのに、人間は出なければならない。学校もあるし、バイトもある。そして、冬眠したいのにできない、食べ物は食べたい、といった現象が起きているのではないだろうか。この現象は私だけに起きているのではないだろう。その証拠に、多くの人はお正月家でのんびり過ごし、冬休み明けに久しぶりに会うと若干太っていることが多い。
クリスマス寒波や年越し寒波といった寒波に襲われている日本列島。日本海側では大雪、太平洋側でも例年に比べかなり低い気温で、雪こそ降らないもののかなりの寒さである。辛すぎる。雪崩や吹雪といった災害もあるのに、なぜ人間は冬眠しないのだろうか。寒さに対して不満を言いつつも、きちんと外に出て活動する。散々寒いのが嫌いだとか冬眠したいといったことを述べてきた私だが、クリスマスはクリスマス寒波の中寒いのを我慢してお洒落をして出かけたし、年越し寒波の中お正月早々からスノーボードに出かけるのである。寒いのに冬眠しないことを選択した人間はきっと欲張りな動物なのだな。