観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

家の近くの森の変化

2012-09-29 16:11:47 | 12.9
3年 安本 唯

 私は生まれてからずっと埼玉県の新座市というところに住んでいる。新座市は東京都との県境に位置しているが、都会と言えるような場所でもなく、大昔からある平林寺という臨済宗のお寺と、野火止用水という用水路が有名なところである。そんな田舎な私の家からすぐのところには森がある。先日、その森で驚いたことがあった。
 家の近くの森。その場所は、今まで二十数年生きてきたなかで、もっとも身近なところにある自然だったと思う。幼稚園生や小学校低学年だったころは、二人の兄や、兄の友達と一緒に虫を捕まえに行き、おにごっこやかくれんぼをよくしていた。小学生高学年になると、段々と同い年の友達と遊ぶことのほうが多くなり、小学校の校庭や家の中で遊ぶようになった。それに加えて、以前よりも少し虫が苦手になったこともあり、森へ行く回数は減っていた。ちょうどそのころ、森は少しずつ、少しずつ削られてゆき、新しく家がたくさんできた。中学生になると、私は歩いて五十分の学校に通い始めた。私は長い距離に疲れ、少しでも近道をしたいと思い、久しぶりにその森を歩いた。すると、数年前は広くて明るいイメージであった景色が、なんだか狭くて暗い景色になっていた。部活動の帰りにそこを通ると、本当に真っ暗で、月の明るさはうっそうとした木々によってさえぎられていた。高校生のときも自転車でその森を通っていたが、やはり暗くてなんだか気味の悪い森となってしまっていた。母にはいつも「あの森は暗いし、危ないから通らないほうがいいよ。」としつこく言われていた。
 大学生になり、電車を使うようになってからその森の方面には行かなくなった。しかし先日、三年ぶりにその森を通る機会があった。私は森の入口まで行った時、とても驚いた。あんなに暗くてうっそうとしていた森が、整えられ、明るくなっていたからだ。




中学、高校のとき夜道が怖くて大急ぎで通っていた、あの森の中の道も、草が抜かれたりしていて、とても歩きやすくなっている。木々の間から光が差し込んで葉っぱが照らされている。今年野生動物学研究室に入り、以前よりも野生動物や自然のことについての話を聞くことが多くなった私は、「人が整えているから、こんなに明るくなったんだ」とすんなりと思えた。ふと見ると、森の中には看板が立てられて、「里山・平地林の再生」と書かれていた。



こんな風に人が管理して、良い森を作ろう、自然を守ろうという活動を、ずっと知っている身近な場所で体験できるなんて思っていなかったので、私は本当に驚いた。少しぼーっとしながら森を眺めていたら、ちょうどそのとき昆虫採集のために虫かごを抱えた少年たちが、「セミがいたよ!」と叫びながら森の中を駆け抜けていった。自分がこの場所で同じように遊んでいたころを思い出して、昔あった姿に戻りつつある、ということをしみじみと感じた。

松を立てる 2012.9.15

2012-09-29 16:08:18 | 12.9
 あの日から1年半が経ちました。その節目ということもあったのでしょう、陸前田の一本松を切り倒して処理をして再び立てることになったと報じられました。
 私は8月下旬に田を訪れ、改めて津波が深いところまで達していたことを知って驚くとともに、回復が遅いことに情けなさを感じていたので、このニュースを複雑な気持ちで聞きました。
 この国が1年半の時間をかけてこれだけのことしかできないのか。それがごく素朴な疑問と無力感です。被災地の人々に元気を出してもらいたいという思いはなかなか伝わりません。そうした中にあって「がんばり」の象徴であった一本松がなくなることは心の支えを失うことになるであろうから、なんとか再び立たせようという計画がわからないではありません。しかしそういうものだろうかという思いは残ります。
 私はこの一本松のことについて自分の考えを書いたことがあります。そこで書いたことのひとつは、生態学的にみたときにマツというのはもともと不安定な場所に生える木であって、寿命もそう長いものではなく、むしろ枯れてはまた新しい子供を産み出して引き継ぐ生き方をする木だということです。そのことを考えれば、あの松が枯れたことは心痛ではあったけれども、受け止めるべきだと思うのです。
 報道のあとに地元の人の意見がありました。もちろん「残念だ、なんとか再建してほしい」という意見もありましたが、「静かに横にならせてやりたいなあ」という声も、また「命あるものは死んでゆくんだよ」という声もありました。まったくその通りだと思います。
 美しかった田松原が津波によって壊滅したが、その中に一本だけがんばった松があった。だが、その松もついに枯れて土に還っていった。ほかの松と同じように。そうであっても、私たちの心の中にはそのことはいつまでも残っている。それでいいではないかと思うのです。
 私は思います。もしこの松が合成樹脂などを注入したり、樹皮をプラスチックで加工したりして、「永遠に」残されたとして、本当に被災者を勇気づけることになるだろうか、と。枝がなく、葉もない松はむしろ痛々しく見えないだろうか。これを見た人は、横になりたいのではないか、土に還りたいだろうに、とむしろ痛ましさを感じるのではないだろうかと。
 付け加えれば、松を「再建」するのに1億5千万円を費やすそうです。それが高いか安いか軽々には評価できません。本当に被災地の皆さんが心に勇気をもてることであれば、決して高くはないという考えはあるでしょう。しかし、私には実質的に町に本来の生活が戻ることが優先されるべきだという思いのほうが強いです。

伊豆動物園で個性に触れる

2012-09-18 12:18:20 | 12.8
廣元祥恵

先日静岡の伊豆に足を運ぶこととなった。お目当ては7月15日に誕生したホワイトタイガー雌二匹の双子の子。晴れ晴れとした天候に恵まれ、夏の伊豆ということもあり、海水浴に赴く人々も大勢見受けられ、絵に描いたような夏の光景があった。海沿いの電車に揺られながら着いた最寄り駅から目的地まではバスで10分程の道程であったが、初めての土地ということあって、徒歩で向かうことにした。見慣れない風景に逐一感動しながら休憩を挟まず歩みを進めたものの、到着したのは駅を出て2時間以上あとのこと。車で10分程ならば徒歩でもさほど時間は掛からないだろうと踏んでいたので、長いコンクリートの坂道を経て、動物園に到着する頃にはすっかり疲れきってしまっていた。
 到着した伊豆アニマルキングダムは、平日でもなかなかの盛況具合であった。ホワイトタイガー2頭に加えて、ホワイトライオンの子供の公開も始まっており、プラケースに入れられた彼女らを至近距離で観ることができた。上野動物園や横浜ズーラシアに比べると規模の小さな動物園であったが、大きな空間でシマウマやアルパカ、ダチョウなどさまざまな動物が混在して展示されていたり、ふれあい広場にはモルモットなどよく目にする動物のほかにカピバラ、マーラ、アルマジロなど触れる機会の少ないだろう珍しい動物もいた。どの草食動物のゾーンでも大方餌やりを体験できるようセットされていたり、園内の随所にマニアックな動物に関する知識が提示してあったりと、人と動物の近い動物園であった。
 幸運にも偶然に、動物園のガイドツアーに参加することができ、インタープリテーションの経験をすることとなった。ガイドが大型肉食獣のゾーンに入った際に、スタッフの方の一人に質問をしたところ、快く応答してくださり、ツアー途中にも関わらず付き合ってお話しをしてくれた。人工保育された動物は育児放棄をしやすいこと、ライオンの雄から精巣を取り除いてしまうとホルモンの関係でたてがみが抜け落ちてしまうこと、同じネコ科の大型肉食獣でもライオン、トラ、チーターの3種で繁殖ひとつをとってもまるで違うこと、大型肉食獣は間接飼育であるからさほど力がいらないこと、草食動物を取り扱う方が女性飼育員には難しいことなどを聞くことができた。経験豊富な飼育員の方から親切に直接対話させて頂き、質の高い経験となった。人と動物、のみならず飼育員の方とも距離の近い動物園は珍しいと感じた。
 さまざまな動物園に足を運ぶが、どこもそれぞれが個性ある様式で、そこには人を惹きつけるための工夫が詰まっている。動物園でさまざまな動物を次々と目にするだけでも、それぞれの動物の個性を感じることができる。動物園はアイデアの宝庫であるように思った。

土地への執着 ― シカ生息地を訪問して思ったこと

2012-09-09 17:18:45 | 12.8
4年 戸田美樹

 3.11が起きてから約1年半が経った。去年の夏に調査で岩手の沿岸部に訪れた時は、瓦礫はある程度片付いていたものの、崩れた建物が広がる景色に、私は何も言えなかった。その中にたくさん立っていた、名前の書かれた赤い旗は今でも脳裏に焼き付いている。
 そして今年の夏、調査で1年ぶりに岩手に行った。建物が崩れ、さら地になった場所には草が生え、時の流れを感じさせられた。驚いたのは、津波に襲われた地に点々と家が建っていることである。あの恐ろしい経験をしてもなお、地元を捨てず、この地で再スタートを切っている人たちは少なくないようだ。人の土地に関する執着力のすごさを感じた。
 しかしよく考えてみると、土地への執着は人だけではなく、多くの生き物に共通なのかもしれない。なわばり性ではない生き物も、その個体の行動圏はある程度決まっているし、私たちに出会って逃げていくシカはきっと慣れた獣道に逃げているのだろう。
 そのシカだが、私の調査対象である岩手県五葉山周辺のニホンジカは、近年急激に分布を拡大している。分布拡大の最先端の地は、牧場が広がり、周辺の林床にはササが広がり、少なくとも夏場はシカにとって天国のような環境であることを見ることができた。では、なぜシカたちは今までこの地に来なかったのだろうか。密度が高くなり、五葉山のシカ収容力に余裕がなくなるまでは、慣れた地である五葉山に執着していたのだろうか。
 毎日接している人間のことがわからないのだから、野生動物のことが簡単にわかるはずはない。それでも、ひとつひとつ小さなことをひも解いていけば、少しでも理解が進むかもしれない。生き物と人間が共存していくためには、少しでも相手を理解することが必要なはずだから、私は小さな発見を大切にしていこうと思う。今回、実際にシカの生息地を見て、考えることがあった。そうした考えが自然の見方を深めてくれるのかもしれないと思った。


遠野盆地の山で出会ったシナノキの老木と著者 (撮影高槻)

守るために殺す

2012-09-09 06:42:06 | 12.8

3年 森 悠貴

 夜が涼しくなり始め、コオロギなど秋を代表する虫が鳴きはじめました。僕は小さい頃からこの季節から秋の終わりまでの期間が大好きで、よく散歩に出かけます。心地よい気温と、変わり始めた空気の香りと、吸い込まれるような季節独特の色合いの空が精神を研ぎ澄ませてくれる気がするからです。その散歩のときに、ふと思い出したことを書こうと思います。
 僕は何年か前から、傷病鳥獣を一時的に保護し野生に返すサポーターをしています。放っておけば死亡するであろう個体が救護された後に僕たちサポーターの元へ届けられるのですが、5~6年程前、その届けられた個体の中に二匹のイワツバメの雛がいました。まだ飛翔するには早すぎて、自力で餌を取ることは不可能でした。専門家からのアドバイス通り、一日に200匹のカイコの幼虫を殺しては彼らに与える生活の中で、何か頭に引っかかるものがありました。小中学校などで教師から口うるさく言われた、「命は平等だ」という疑いもしなかった言葉に大きな違和感を覚えたのでした。この放鳥できるかも分からない二匹のために、毎日その100倍もの命を殺す意味は何なのだろう、この二匹を保護することは、単なるエゴではないか、そんな疑念に駆られた事がありましたが、それらを完全に払拭する答えが見つからないまま今日まで生きてきました。
 世の中には人の都合で保護される動物がいる一方で、駆除され続ける野生動物が沢山います。せめて自分の心くらい納得させられる感情論ではない答えがいつかは出せるようになりたいと強く思いました。