観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

小さな住人

2014-11-29 10:58:10 | 14
3年 上杉美由紀

 いつの出来事だったかは定かではないのだが、私の家の玄関の電灯のところにヤモリ(ニホンヤモリ)が現れた。当時私はヤモリのことを知らず、この生き物はなんだと驚き、また当時は爬虫類全般が嫌いだったため、どこかにいってほしいと思っていた。見てすぐにこの生き物のことを父親に聞き、これはヤモリという生き物だ、と教えてもらった。同時に「ヤモリは何もしてこないし、家を守ると言われているとてもいい生き物だから追い払ってはいけない。そっとしておきなさい」とも言われた。私はあまりいい気はしなかったが、家を守ってくれているのならばいいか、と放置することにした。
 ヤモリはとくに珍しくもないのだが、そのヤモリはそれからも1年くらい、我が家の電灯のところから離れなかったので、私には印象的だった。日中はたまにいなくなることもあったが、それでも夕方にはいつもの場所へ帰ってきていた。
 それからは、私は好奇心でときどきそのヤモリを観察するようになった。爬虫類は、大体は気持ち悪いと言われているように思う。私も初めはそうだったが、よく見るとヤモリは思ったよりずっと可愛らしい顔をしていた。観察を何回もしているうちに、自分はヤモリを可愛く感じ、すっかり気に入ってしまった。
 ところが、少し見ないうちにそのヤモリはいなくなってしまった。どこかへ行ってしまったか、捕食されたのかもしれないが、私はただ寂しく、「もう家を守ってくれる子はいなくなってしまったのか」とちょっとがっかりした。
 その寂しさも忘れかけた頃、母が電灯ではなく物置のところにヤモリが現れたと教えてくれた。ヤモリは5年以上生きるらしいから、もしかしたらあのヤモリかもしれない。でも物置にいたヤモリはその日だけしか見かけることはなかった。
 またしばらくたって、今度は家の駐輪場の塀にヤモリがいるのを見つけた。私が大声で「あっ!」と声を出してしまったため、そのヤモリは逃げて姿を隠してしまった。ただ、このとき見たヤモリは電灯で見たものよりも明らかに小さかったから、別のヤモリなのだが、もしかしたら前に見たどちらかのヤモリの子供かもしれない。いずれにしても、私たちの知らないところでひそかに生活していることを知り、とても嬉しく感じ、またほっとした。これからも変わらず家を守っていってほしいと思う。

移りゆく季節

2014-11-25 16:04:02 | 14
3年 大竹翔子

 日を追う毎に、秋から冬へ季節が移り変わっていくのを感じる。早朝は吐く息が白くなり、肌寒い季節となってきた。
 私は6月から山梨県の乙女高原で訪花昆虫の調査を行うことになった。11月23日に、その乙女高原で毎年恒例の草刈りの活動がり、参加した。これまで毎月2回調査に通ったが、この草刈りが今年最後の乙女高原来訪となった。
 今シーズンを振り返ると、調査をしていて驚いたのは季節の移り変わりの速さである。6月のことを思い出すと、キンポウゲやミツバツチグリなど小さな黄色い花を咲かせているほかには花はなく、他の植物も枯れ草の中に緑が少し出て来たという感じだった。



6月のススキ群落


調査をする筆者


ミツバツチグリ

 ところが、夏になるとススキがぐんと伸び、シラヤマギクやタチフウロ、クガイソウといった虫媒花が色鮮やかに咲いた。そして、マルハナバチやアサギマダラといった昆虫も活発に活動し、賑やかであった。


7月のススキ群落


シラヤマギク


タチフウロ


クガイソウとマルハナバチ


ヨツバヒヨドリとミドリヒョウモン


ノアザミとセセリチョウ

 それから秋が近づくにつれ、高さ2m近くにも生長したススキが茶色くなって銀色の穂を揺らすようになり、色とりどりの花は少なくなった。あれだけいた昆虫が少なくなり、ルリハムシの仲間やハチにしか会えなくなった。
ひとつの調査が終わって、2週間経ちまた訪問するたびに、咲く花の種類も、訪れる昆虫の数も、ススキの丈も、空気のにおいも何もかもが変わっていて、毎回新鮮な気分を味わった。これほどまでに季節の変化を感じたのは初めてのことだった。


秋のススキ群落

 気がつけば、手帳に年末年始の予定が書く時期になっている。寒くなってきたが、外に出て散歩やサイクリングがてら、葉の落ちた木々を眺めるのもよいかもしれない。手が悴んだら、炬燵に入ってミカンを頬張るのもよいかもしれない。そんなふうに季節になぞって日々を送ることができたら素敵だなぁ。

わかりやすい文章

2014-11-18 22:41:44 | 14
高槻成紀

 私が初めて本を書いたのはシカの生態学の野外調査を記載した「北に生きるシカたち」である。それは専門的な内容であるから、読者対象は研究者や学生を想定していた。その後、生態学の専門書などをいくつか書いた。前者は研究成果だけでなく、自分が野外調査で体験したこと、シカの生態を解明してゆくおもしろさなどを自分のことばで書いたが、後者は硬い言葉で正確な文章が求められるので、書きぶりは大いに違った。自然科学の研究者は日常的に英語の論文を読み、英語で論文を書くから、いつでも頭の中で英語と日本語を往復させている。専門的なことばを同業者で話すときは単語も英語のほうが便利だということも多い。ただ、それだけでなく、文章の組み立て、主語や時制を明確にすること、骨組みから書いて、詳細は付け加えるように書くなども英語の影響を受けているように思う。
 その後、中高生を対象にする本を出した。とても楽しい作業だったが、大変でもあった。専門書であれば、専門用語を使うことができるが、中高生ではそうはいかない。かといって、生態学の内容を伝えることに「手抜き」をするつもりはなかったので、言葉の選択には苦労した。
 思いがけないことに、私の文章が中学生の国語の教科書に採用されることになった。私にとって学校の「国語」という科目はよくわからないものだという印象がある。新学期に教科書を開くと、決まって詩が載っていた。もちろん好きな詩もあったが、何を学べばよいのかわからなかった。作者が感じたことを共有するということなのだろうか。試験問題として出されて、自分の感じ方を書いたら不正解になり、納得いかなかった。中学生くらいになると、教科書に載ったおもしろい文章に出会うと、原作を図書館で借りて読むようになった。それらの多くはいわゆる文学作品だから、何を言っているのかよくわからず、だから試験問題になるのだと思った。だが、その後私が読むようになった自然科学の文章は論理的でわかりやすかったので、高校までにこういう文章の書き方を教えてほしかったと思った。
 私は中高生を読者に想定したときは、ひとことでいえばわかりやすさを最重要と考えた。そのために重要なことは、何を伝えるかが明確になっていることである。その伝えたいことを的確に伝えるには、どういう入り方をし、どう組み立てて、どう結論するかを考える。それはやはり英語的で自然科学的な発想なのだと思う。同時に無意識におこなっているのは、心の中で文章を「読んでいる」ことだ。要するに内容は正しくても、聞こえる言葉として流れや響きがよいものにしたいという思いがある。
 私が文章を書くときに心がけているのはその程度なのだが、そうして書いた文章が国語の教科書の文章の書き方のモデルとして採用されたというのは、驚きでもあり、喜びでもあった。子供たちが正確でわかりやすい文章を書くことに役立てるとすれば、本当にありがたく、嬉しいことである。

タヌキが戻ってきたということ

2014-11-08 20:26:05 | 14
4年 椙田理穂

 今月、同期の友達が自主ゼミで「仙台で3年前の津波の被害で失われた海岸に動植物が戻りつつあり、タヌキも戻って来たので糞分析をする機会を得た」という話題を紹介してくれました。仙台の海岸はあの東日本大震災で大津波に襲われたのですから、タヌキは完全にいなくなったはずです。そのタヌキが戻ってきたということは、タヌキが暮らせる環境が戻ってきたということです。タヌキの糞からはテリハノイバラという低木の果実の種子がたくさんでてきたそうです。また、冬にどこから見つけたのか米を食べていたそうです。ともかく、たくましく生きていることがうかがえたということでした。私はその発表を聞いたとき
「たった3年で戻りつつあるのか!」と驚きでいっぱいでした。
 動植物たちは人に助けられた訳でもなく、自らの力のみで生きているー今まで何度も厳しい環境の変化を生き抜いて今があることを考えれば、もしかしたら津波被害も「想定内」なのかもしれません。何もなかったところにまず植物が生え、そこに昆虫などが表れ、その昆虫を食べるために鳥や小動物が来る、こうして徐々に自然が戻っていくのでしょう。私には3年というのは短いと感じられました。何もないところから命をとりもどし、繋いでゆくその生命力は、本当に凄いと思いました。
 このことが印象に残っているところに、御嶽山の噴火や、大型台風など自然災害に関する報道が多くありました。これはこれで自然の偉大な力です。小さな生き物の生命力と、地殻変動や大気の動きなどの大きな自然の力、今月はそうした力に印象づけられる月になりました。