観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

鯱鉾

2013-09-18 09:02:49 | 13.9




いきなり写真です。私はめったに嘘をつきません。左が枝で右が蛾です。どうみても折った枝でしょ?折れた部分のなんと材のようなことか。これが要するに蛾の頭です。

 その仲間にムラサキシャチホコというのがいるようですが、これがまたおかしいというか、あきれたというか、まるで枯れ葉です。枯れ葉にまねるというのにもいろいろあるでしょうが、ナラなどの葉が乾燥して巻いていることを表現しています。枯れ葉の表面ではなく、「巻いたようす」を表現して、葉の鋸歯のようす、裏側とそこにある葉脈、表の濃いようす、「巻いた葉が作る陰」まで表現しています。この写真でいうと枯れ葉の表がこちらを向いていて、反り返った裏側が見えていますが、中央のへこんだようにみえる部分は、この蛾の翅の凸部であって、逆なのです。蛾は葉を巻いていますが、こっちは舌を巻きます。


ムラサキシャチホコ

 同じ仲間ということはもともと同じのが分化したことになるのですが、枯れ葉と枝の共通の祖先というのはよくわかりません。「おれ、枯れ葉やるからお前枝をやんなよ」などと談合したわけでもないでしょうに。
 シャチホコというのはおかしな名で、この2種をみていてもわかりませんが、幼虫がおどろおどろしい形をしていて、背中をのけぞらせてお尻の部分を上に持ち上げたようすがまるで名古屋城のシャチホコみたいだからのようです。ちなみにタイトルの鯱鉾がシャチホコで、もちろんこんな字、書けません。入力したら出てきました。
 どちらの蛾も珍しくないそうですから、見ていても気づかないでいるに違いありません。これは気づきませんよね。

 蛾といえば、神津牧場の実習に行ったとき、電灯に集まっていた蛾をみていたら、いろんな奴がいました。










マレーシアで体験した野生動物の危険

2013-09-18 09:01:27 | 13.9
修士2年 山本詩織

 「ゾウを見に行こう」というと、多くの日本人は動物園にいるゾウを思い浮かべるでしょう。あるいは、タイのゾウのように人を乗せて森の中を歩き回るゾウを思い浮かべる人もいるかもしれません。これらは、人に飼いならされたいわば’家畜’のようなゾウです。穏やかで優しいイメージのゾウさんですが、実は人を殺すこともある猛獣としての側面もあるのです。飼いならされたゾウですら人を殺すことがあるのですから、野生のゾウも人間が近づいて身の危険を感じたら人を殺すことがあります。
私が調査地としているマレーシアには野生のゾウがいます。彼らの生息地はプランテーション農業や道路の拡大による伐採によって減少していて、道路沿いに出没したり、食べ物とする植物が足りないために人里に出て作物を荒らしたりこともあります。人との問題を抱えるゾウは残り少ない自然の中で必死に生きています。私も何度か野生ゾウに道路沿いで遭遇しましたが、それはどれも動物園で見るゾウとは異なっていました。中でも印象的だったゾウの群れについて書こうと思います。
 初めて出会ったのは、5頭くらいのゾウの群れ。子ゾウが「ピーパオ」と母親を呼んでいました。それに答えるように鳴く母ゾウ。とても和やかな場面でした。私と調査チームはこのときテレビ番組のスタッフといたのですが、そのカメラマンたちがゾウの映像を撮ろうと車から飛び降りようとしました。ところが、そのとき調査チームのメンバーがスタッフをしかりつけ、座席に座らせました。
 ゾウは私たちに気づき警戒していたのです。とくにメスのリーダーは耳をパタパタさせ、こちらをにらみつけていました。
「一歩でも近づいたら容赦はしない。」
 彼女の瞳はそう語っていたように感じました。まわりのメスゾウたちも円陣を組んで子ゾウを隠すようにこちらを見据えて警戒音を放っていました。その声は「パオパオ」という可愛らしい愛嬌のあるものではなく、「ブオーブオー」という恐ろしい声でした。
 私たちはじっとその場から動かず、ゾウたちが森の中に帰っていくのを見守っていました。一歩間違えたらあのスタッフは殺されていたかもしれません。
 私は野生ゾウの怒りをスリランカの国立公園でも味わったことがあります。近づきすぎた私たちの車にゾウが怒って衝突してくる寸前だったのです。ゾウがいる側の席に座っていた私は、その迫ってくるスピードが想像以上に速く、距離があまりに近かったため、殺されると思いました。でも、ゾウは怒りをしずめたのか、直前で後ずさりしたので、私たちはその一瞬のすきを見て車をかっ飛ばして一目散で逃げました。
 マレーシアでのテレビクルーも、スリランカでの私たちも、ゾウが危険と感じる距離や、そのときに示すゾウの態度や行動の意味を読み取っていませんでした。またなんとなくゾウはやさしい動物だというイメージから抜け出せないでいたと思います。
 
 ところで、ある日、マレーシアの野鳥公園で色とりどりの鳥たちを見ていたときのことです。人慣れした鳥たちは、私が近づいても平気な顔でそこらへんを歩き飛びまわっていました。夢中になってフラミンゴの写真を撮っていたとき、お尻に激しい痛みを感じました。ふと振り返ると、巨大なコウノトリが私のお尻を突っついているではありませんか。どうやらコウノトリは私に餌を横取りされると思ったらしく、怒って私を攻撃してきたのです。私はとっさに悲鳴を上げて逃げましたが、突かれたあとは、赤く血がにじみ、腫れ上がっていました。そのとき、私ははじめて鳥を恐ろしいと思いました。
 このときも、私がコウノトリにとって迷惑な距離にいたことの意味を理解していなかったからだと思います。

 動物好きな私は、どこか動物園ののどかな飼育動物というイメージを抜け出せずにいましたが、マレーシアでの体験は、野生動物にとっては許せない距離があり、それを超えると危険な存在になるということを改めて教えてくれたように思います。


私が出会ったゾウのリーダーと子ゾウ


森のキャビア

2013-09-18 09:01:20 | 13.9

4年 山尾佳奈子

 長野県でカモシカの研究を行っている先輩に同行した時のこと、調査が終わった帰り道、砂利道に足を取られて疲れていたので、下を向いて歩いていた。すると、砂利や小石とは異なる黒い塊に気づいた。1ミリほどの小さな粒がたくさん集まった黒い塊だ。ところどころ光沢があり、まるでキャビアのようなものと(私はテレビで見ただけで食べたことはないのだが)、ゴムのような水気を失った長さ5センチ程度の細長いものでできていた。



 枝でつついてみると、粘り気があり、粒の一つ一つがくっついていた。一粒を取り出して開いてみると、小さな黄色がかった幼虫のような物がもがくように出てきた。「虫の卵にしては黒というのは変だな、こんな道の真ん中にあるのもおかしい」と思いながら、そのときはそのままで終わった。
またしばらくして調査に同行し、山道を車に揺られながら登って駐車場に駐車した。その駐車場の脇にため池があり、前回の調査でヒキガエルの卵がたくさん見られた。そのため池を覗き込むと、たくさんのオタマジャクシの中に、ヨーヨーのように動かずにいるヒキガエル(アズマヒキガエル)の死体があった。
調査を終え、その駐車場まで降りて帰る準備をしたのだが、朝見たヒキガエルの死体が気になり、池を覗き込んだ。そこにはカエルの死体がなく、オタマジャクシがいるだけだった。そのときいっしょにいた皆から
「おお!すげー!」
という声が上がった。駐車場のふちに丸太の柵が作られており、その一本の上にヒキガエルの死体があったのだ。私が今朝見た死体と思われる。それは大の字になっており、背中がちぎられてめくれ上がり、内臓が出ていた。



おそるおそる近寄ってみると、体から卵が出ており、あの黒い塊が繋がっていた。よく見ると、丸太にはほかにも乾燥したカエルの卵や、光沢を放つ「キャビア」も混ざっていた。
このため池で何者かが卵を食べ、消化しきれず吐き出したようだ。このことから、前回道路で見つけた「キャビア」がヒキガエルの卵であることがわかった。そして、それを食べた何者かがいて、移動させ、一部を吐き出したというストーリーが描けるような気がした。私はカヤネズミの糞を分析しているのだが、糞からさまざまなものが出て来る。それを分析するときも、カヤネズミと食物となる動植物とのあいだにあるストーリーを読み取りたいと思った。

小さな隣人 

2013-09-18 09:00:12 | 13.9

3年 土屋若葉

 地面はコンクリートに覆われ、木々は管理され、落ち葉や草は掃除されてしまう街にもたくさんの生き物たちが力強く生きています。例えば、つい先日のことです、落ちるのが早くなった太陽に急かされるように帰宅すると、アパートの外壁で動くものが見えました。
「なんだろう・・・?」
と、ガス給湯器の裏を覗くと、アパートの壁と同じ色をした尻尾が見えました。その動物は私の視線に気づいたのか、いそいそと奥の方へ隠れてしまいました。気になって両生類・爬虫類に詳しい友達に聞いてみると、ニホンヤモリだろうとのこと。おもに、人家の近くでクモなどの虫を食べながら生活しているそうです。私がニホンヤモリを見かけた場所はアパートの照明のすぐ下でしたから、照明の明りに集まってくる虫を食べに来ていたのだろうと想像しました。しかも、照明の下にはガス給湯器。ご飯も食べられ、隠れ家まである、
「こんな優良物件よく見つけたなぁ」
と感心しました。このアパートに入居して三年目ですが三回目の秋でやっと、小さな隣人に気づくことができました。
 大学生になり、神奈川へ越してきて一人暮らしを始め、ずっと「さみしい、さみしい」と思っていましたが、小さな隣人の存在に気づくことができ、夕方帰宅しアパートの外壁を探すのが一日の楽しみになっています。