観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

セミの声

2012-07-30 16:16:23 | 12.7
3年 鈴木里菜

7月になり、気温はどんどん上がっていき、夏だと感じるようになりました。夏の生き物として真っ先に思い浮かぶのはセミです。小さなころは毎日のように虫取り網を持って色々なところへセミをとりに行きました。私は関西に住んでいたので、アブラゼミよりもクマゼミの方が多く、アブラゼミはちょっとレアだと思って探していたのを覚えています。またミンミンゼミやヒグラシはすごくレアとランクをつけて、どれだけとれるかなど弟や友人と競っていた思い出があります。また、幼虫を見つけ羽化までを観察したときはその羽の色の美しさに感動しました。
 いつの頃からかセミを捕まえることはなくなりましたが、毎年セミの声を聴きながら「夏だなぁ」と感じています。ただ、今年はセミの鳴き声が小さいように感じます。サクラの木の下を通ってもあまり聞こえてきません。もしかしたら今年はセミが少ないのかとも思いましたが、去年も同じような思いを持った覚えがあります。でも考えてみると、これまでセミが多くなる時期のことなど特に考えたことはありませんでした。
毎年夏休みには祖母の家で過ごしましたが、夏休み中どの時期でもセミはうるさすぎるくらい鳴いていたように思います。でも9月からは学校が始まり、その時期になるともうセミ採りをしていなかった覚えもありますから、関西のセミのピークは7月下旬~8月なのではないかと思います。セミの羽化は気温に影響されるそうです。冷夏ならばセミの羽化の時期は遅くなると思いますが、今年の夏は暑いので、今年のセミが特別遅いわけではないのかもしれません。私がセミがあまり鳴いていないと感じたのは、まだ羽化したセミの数が少ないだけで、これから増えていくのかもしれません。
 そういうわけで、今年は気温も含めて、どの時期頃からセミが一斉に羽化し始めるのか、どの時期に鳴き終わるのかをきちんと考えながらセミの声を聴きたいと思います。

セミ ―命のループ―

2012-07-30 14:17:29 | 12.7
3年 千葉 琴美

 暑い。夏である。朝の8時くらいからもう気温が高く、太陽の光が地面と自分を照らす。時間が経ち、日中になると、外の景色がギラギラしている。暑すぎるせいか、生きものたちは息を潜めたようで、何もいないように感じた。そうした中で、セミだけは鳴いている。太陽の光が滾々と降りそそぐ中、いきり立ったように鳴いている。いつまで鳴き続けるのか。一生懸命鳴いている。生きることに一生懸命であるようだ。セミをみてちょっと考える。自分も一生懸命テスト勉強しよう、と。
…夕方、木の下に立ってみた。セミは確かにこの木にいるはずなのだが、見当たらない。木に近寄ると、鳴きやんだ。こちらをみているのか、少し離れてみるとふたたび徐々に鳴き始めた。おもしろいなぁ。とても高いところにいるみたいで、残念ながらこの日は姿を見ることはできなかった。
テスト空け、ぼーっとしながら家の外に出てみた。「あ、蝉が地面に寝転がっている。」あの時のセミかどうかはわからないが、新たな命のために鳴き続ける日々をこの蝉は終えたようだ。
夕方、自分の車の下に野良猫がいた。おっぱいのある母猫、そして、小さな小さな子猫。自分はこの時初めて野生の子猫を見た。すごい。母猫は穏やかで、わが子のそばで横たわっている。
それで、ふと、考えた。ネコと違い、セミは自分の子を見る前に死んでしまう。改めて考えると、不思議だ。まさに、「遺伝子を残す」「次世代に託している」といったような感じだ。幼虫は土から這い上がる前に何かに食べられてしまうかもしれない。まだ見ぬ未知の世界にたったひとりで這い上がってくるのだ。来年の夏も、またこの木の下で新しい命が引き継がれたらいいなと思った。

気付く、気付かれる

2012-07-30 08:35:01 | 12.7
気付く、気付かれる

4年 小島香澄

 今年の春、ポピーが咲いていることに気付いた。ポピーが満開になってアジサイが咲いた。思えば去年も一昨年も同じ通学路を歩いて同じ景色を見ていたはずなのに、花が咲いたことに気付く自分に気付いたのは初めてだったかもしれない。



 親睦旅行で覚えたミズヒキという植物を乙女高原でも見付けた。授業で覚えたギンリョウソウも乙女高原にあった。きっとこれらの植物は今までの調査でも見てきたはずだが、ポピーやアジサイと同様に存在を認識したのは初めてだった。



 植物を通して季節の変化を捉えられたこと、覚えた植物を故意に探そうとしたわけでもないのに別の場所で発見できたこと、どちらも今までの自分にはなかったことだと気付いて嬉しくなった。同時に、彼らに申し訳ないような気もした。ずっとそこにいたのに気付いてもらえない、それはとても寂しいことなのではないだろうかと。いや、気付かれないのは当たり前なのだから、私が気付いたことに彼らは驚くのだろうか。
 このような擬人化をして勝手な想像を膨らませていたときに思い出したことがある。10歳ほど年の離れた小学生の従妹が将来の夢について書いた作文のコンクールで都道府県から表彰された話である。その作文の内容は「獣医になりたい」というものであった。従妹の母親が言うには、どうやら私が動物関係の勉強をしていると知って憧れの気持ちから獣医になりたいと思い、その作文を書いたらしい。それを知って驚いた。普段は話しかけても照れて親の後ろに隠れてしまうような子が私のことをそんなふうに見ていたとは思ってもいなかったからだ。しかし驚いたと同時に嬉しさもあったので「本当に獣医になって将来は一緒に動物のお仕事しようね」と言った。従妹は文字通り目を丸くしてやはり母親の後ろから私を見ていた。
 このことがあってから、人は気付かれないところで実は見られているのだと思うようになった。誰がどこでどんな影響を与えているか分からない。それと同じで、私に気付かれた植物たちもあのときの私のように驚き、嬉しくなっているのだろうか。そうでなければ人に気付かれたときはどんな気持ちなのだろうか。この疑問に答えはいらないのだが、調査に行くと、どうしても動植物を研究対象という視野で見てしまいがちだ。しかし、そのときに自然を少し別の視点で観察してみるのも楽しいことだ。また、何気ない観察でも気付くことがあり、そこから考えられることがあるもので、それもまた楽しいと改めて思った。

スズメの足音

2012-07-30 08:30:44 | 12.7

4年 小山めぐみ

今年も、我が家の屋根の雨樋が賑やかになる季節がやってきた。チョンチョンとせわしなく跳ねる足音、ひっきりなしに餌をねだる雛の声、スズメが子育てをしているのだ。家の前には、小さいながら田んぼがあり、地主のおじいさんが管理をしている。この緑のおかげか、郊外のわりにスズメが多い地域であるような気がする。スズメは古くから稲作と深くかかわり人のそばに暮らす身近な野鳥であったが、ここ二十年ほどで個体数が6割に減少してしまった。理由は農地の縮小や農薬の利用による餌の減少などもあるが、最も大きな原因が住宅難だという。そのようななかで、我が家を含むこの集合住宅ではどこの家でも、瓦屋根の隙間に巣をつくり、時折屋根の上でいざこざを起こしているスズメの姿が見られる。藁吹き屋根ではないけれど、大昔と同じように人の住む家にスズメも住んでいる。小さな小鳥の営みがすぐそばにあると思うとなんだかうれしい。私はこっそりその生活を覗かせてもらっている(我が家の屋根であるし、相手も気にしていないのでこっそりとは言わないかもしれないが)。
近年のスタイリッシュな家に瓦屋根は多く見られず、入り込めるような隙間もないのでスズメにはかなり厳しい時代となっているようである。それでもスズメたちは、小さな隙間を見つけて巣を作っており、あっと驚いたという情報も寄せられている。さすが、人とともに生活圏を広げてきた小鳥、人工物を利用しながらたくましく生きている。かつて身近に生きていた野生の生き物たちが人の生活や考えがかわったことでいなくなってしまっては悲しい。私がもし家を建てるのなら、昔ながらの隣人スズメも住めるようなあたたかい雰囲気の瓦屋根にして、スズメを応援したい。


撮影 小山めぐみ


哀しみ 高尾山トンネル裁判に思う

2012-07-30 08:30:44 | 12.7
高尾山にトンネルを通す工事に反対する運動が敗訴したという。貴重な自然ではあるが、住民の利便性のほうを優先すべきだというのが判決趣旨らしい。これだけ自然を破壊し、それはよくないということはもうわかっていたのではなかったのか。
 私は山陰のいなかで育ち、仙台で大人になり、四十歳を過ぎてから東京に来た。東京の自然のなさは覚悟していたから、残された自然は東北の自然にくらべてみすぼらしいという印象があった。だが、実際に暮らしてみて感じたのは、「ある意味で、東京のほうが自然を守ろうとしている」ということだった。仙台では意外と大胆に郊外の森林が伐採されたり、丘が宅地化のために削られるということがある。それでもまだ周りにいくらでも残っているから、という感じがある。その自然に比べれば東京の残っている自然は貧弱なものだが、たぶんそうであるから、これだけは残さないといけないという気持ちがあるように感じた。それを知って「失ってその価値に気づくということがあるのだろう」と思った。自分たちは戦後の経済復興の時代に自然を食い物にして利便性を享受してきた、だけどこれ以上は破壊してはいけない、残った自然はささやかでも最後の砦として残してゆこう、そういうことだと思ってきた。
 高尾山は山陰に育った私にとってさえ特別な存在だった。思えばおかしなことなのだが、私は豊かな自然の中に暮らしながら、高尾山にあこがれていた。小学生のころに「小学++年生」という雑誌と「++年の学習」というのを読んでいた。そうすると必ず「高尾山に行くとこんな昆虫がいます」と書いてあって、中央線という電車に乗って行くとたくさん昆虫が捕れると書いてあったからだ。私は高尾山とはどんな山だろうとあれこれ想像して胸をときめかせていた。
 東京に来て、高尾山に行ってみたが、冷ややかな気持ちでいた。「いくら知名度が高くても、たかが東京の小さな山だ、たいしたことはない」という思いがあった。実際そうだったのだが、そうでもないこともあった。高尾山よりも東側の平坦値と比べると、確かに格段にスミレの種類が多い。徐々にではなく劇的に植物相が豊かになるのだ。
 東京は自然の犠牲の上に繁栄し、それだけに残った自然を大切にしている、その代表である高尾山はさらに特別である、その高尾山にこともあろうにトンネルを通そうとしている。これは流れとして、「これまでの繁栄至上主義を見直して高尾山だけは残そう」となるべきであろう。だが、そうならなかった。高尾山の保護団体が都民を代表しているとはいえないにしても、都道府県レベルの意見が国レベルでつぶされるという例のひとつなのであろう。国を動かすのも人である。この国ではこういう判断をする人たちが国を動かしているのである。
 それにしても、と私は思う。こういう愚かな判決であろうと、それに抵抗した人がいたことは記録に残る。その良心は日本の自然保護シーンに記憶されるであろう。だが、高尾山にすむ動物やそれを支える植物たちは何も知らないで今日も懸命に生きているだけである。意見の違う相手に「多数民の利便のほうが優先される」と言って勝ち誇るのはひとつの約束事としてありえることかもしれない。だが、もの言わず懸命に生きる動植物の生命を、宣戦布告もしないで奪うことに正義は見いだせない。自分がその傲慢な側にいるという事実が動かしようのないことがつらい。虫でも花でもいい、助けてくれと語ってくれればまだましなのだが、そうしてくれず、そのまま消滅してゆくのが哀しい。