観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

とうとう会えた

2013-08-25 22:32:35 | 13.8
4年 安本 唯

先日、調査地で「最も会いたかった動物」に会うことができた。

 私は昨年この研究室に入り、テンの食性と種子散布という研究テーマに取り組み始めた。先生と相談の結果このテーマに決まったのだが、「テンは警戒心が強く、夜行性だからまず姿を見られることはないだろう。地味でも耐える、という研究だ。」ということを初めに聞いた。このとき私は、「野生動物だからしょうがない。私自身、地味なことは好きだし、別に目立つことをしたい訳ではない。テンが見られなくてもいいんじゃない。」とさほど気にしていなかった。
 しかし調査を始め、毎月調査地である盆堀林道(八王子市)に通っていくうちに、「一目でいいから会いたい」という思いが湧いてきた。林道には毎回10個程のテンの糞があり、毎月採集し、日々分析するたびに「こんなにたくさん糞はあるのに、なんで実物は見られないんだろう」と、自分の中で少し悶々としてきていた。
 研究室には動物を直接観察している人もいれば、実験をしている人もいる。私もテンそのものを見てみたいと思うようになった。
 自動撮影カメラをセットしてみたところ、タヌキやキツネは写ったが、テンは写らなかった。それでも2013年7月にやっと写って嬉しかった。ただ、それでも実物を見てはいないという思いがあった。
 調査に行くたび、近くで葉の擦れる音がすると「なにかいるのかもしれない」と音がした方向をじっと見る。獣のようなにおいがすると、「そういえば動物園のテンもこんなにおいがしたかも。テンが近くにいるのかもしれない」ときょろきょろする。そんなことをしても一向に見れるわけではなく、直接目撃を期待している自分がなんだか馬鹿馬鹿しいとも思った。

 そうして調査を始めてから一年が過ぎた8月20日、突然その時は来た。
 その日は友人と調査に来ていて、いつものように林道を歩いていた。普段は一人で調査に行くことも多いので、話しながらする調査も楽しいなと思いながら歩いていた。すると歩いている前方に、突然黄色っぽい何かが見えた。・・・テンだ!!!!
 隣にいる友人の腕を思わずバンバン叩き、「見て!あれ!うそ!どうしよう!本物!!」というようなことを言い、驚きや、喜びや、感動やらのたくさんの思いが駆け巡っていた。
 私が見たテンは思っていたよりも毛がフサフサとしていて、とくに尾は存在感がかなりあった。センサーカメラに写っていたテンよりも、もっと毛が多い印象が強かった。テンは私たちが驚いている間に、すぐに軽やかな動きで林道を曲がって行ってしまった。本当に一瞬の出会いだった。写真を撮る余裕もなく、ただ驚いているだけでいなくなってしまった。
 誰に聞いたのかはっきり覚えていないが、「いないか、いないかと意識して探しているときには野生動物に会えず、むしろぼんやりと山を歩いているときなどに会えるものだ」ということを聞いたことがある。今回の突然の出会いを通して、その通りだと思った。

私の研究では三年分のテンの糞の食性分析をし、種子に着目し発芽実験等もしているので、種子散布についても調べたいと思っている。テンに偶然出会うことは本当に嬉しいことだが、私の研究上では「テンに出会う」ということそのものがデータになることではない。しかし、例えば糞分析をしてヘビが出て来たら、「テンは調査地のどこでどのようにヘビを探し、どのくらいの大きさのヘビをどうやって捕まえ、しとめているのだろう」と、疑問もふつふつと湧いてくる。それらの疑問が、直接観察によって解決できるとは限らないが、やはりテンについて研究をしている以上、「出会う」ということに象徴されるように、できるだけ多くのテンに関する情報を持ちたいと思う。
 「また会いたいな」という気持ちも、また「できたら出会って写真をとりたいな」という欲もある。意識しすぎると出会えないというなら、意識しないでまた盆堀に行ってみよう。



センサーカメラに写ったテン(2013.7.19 盆堀林道にて)

二つの原稿を読んで

2013-08-24 22:54:19 | 13.8
 今月の「オブザベーション」に寄せられた原稿に対照的な二つがあり、おもしろかった。テンの糞分析をしている安本さんは糞の分析をしながら、自分が調べているテンを見たことがないことを疑問に感じ、ついに見たことを喜んでいる。これに対して鷲田さんは動物を直接見る行動学こそが自分がすべきことだと考え、解剖とか糞分析などに忌避感をもっていたが、実習ではない形でシカの解剖をしたときに内臓の構造や機能に感嘆し、行動に興味があったとしても、それは解剖学や形態学の知識と結びついていることを体感したようだ。
 この二つの文章を読んで、私は南先生と「野生動物への2つの視点」を書いたときのことを思い出した。この本を書いたとき、動物をいわば密着取材的に詳細に見る視点と、他種や環境の中で大きくとらえる視点のいずれもが重要で、そういう複眼的な見方が動物の実像を正しくとらえるのだという意味のことを書いた。今回のものはそれとは違う「2つの視点」だが、哺乳類の生態学を大きく分ければやはり環境と行動というのは大きな核になる分野である。麻布大学で3、4年生を主体とした研究室で卒業研究のテーマを考えるとき、環境そのものを捉える現象はなかなか取り組みにくい。私は自分なりの考えで哺乳類の食性分析をしているが、これまでのさまざまな知識の蓄積があるので、卒業研究として食物の分析はよいテーマだと思っている。
 そう考えるひとつの要素には、日本の哺乳類学の中で、取り組めばできるのに未着手である食性分析がたくさんあり、誰かがすべきだということがあった。「タヌキの食性はもう誰々さんがやってしまった」という形で、新たに取り組むことが無意味だとされてきたのである。実際に文献を集めてみて、タヌキについてさえごく少数しか分析例がないことを知って愕然とし、またその分析内容がきわめて多様であることを知って、各地で個別の情報が集まれば、食性の多様性や可塑性が論じられるはずだとも思った。
 しかし、こういう研究の場合、対象動物を見ることや、行動を観察することはふつうはむずかしく、胃内容物や糞内容物と格闘することになり、そうなると「自分がしていることは最初に思っていたことと違う気がする」ということになりがちである。動物が好きという「好き」と、調べることが好きという「好き」でいえば、後者の比重が大きくなければ取り組みにくいテーマといえるだろう。
 一方、行動学のほうは「動物好き」の多い麻布大学では希望する学生の多いテーマだと思われる。だが、直接観察を行動学の方法だとすると、日中に行動観察できる哺乳類は種としても調査地としても限られてしまう。見るだけではデータにならないから、「見た」という体験に感激しても、調べることにはつながらないから、調べることが「好き」な人には満たされないものが残るし、指導する側も慎重にならざるをえない。もちろん、たとえば自動撮影カメラという手法や、ライトセンサスなどから環境との問題を解明するといったアプローチもあり、それらは「見る」ことを活かした調査といえるだろう。
 私は対照的な二つの原稿を読んだことから「二分法」をしたが、私自身が重んじ、自分でも実行しているのは、「動物をできるだけ多面的に捉える」ということで、それによって初めて理解が深まるのだと思う。現実には専門的になるということはしばしば限定的になることであり、それは「よけいなこと」を排除することで成り立つ。安本さんの糞分析はその例であろう。そういう入り方をした安本さんは「これでいいのかなあ」と漠然と疑問と不安を感じた。一方、鷲田さんは逆に、行動を見ることこそ自分がしたいことだと思っていたが、体内のことにも興味を持った。
 私はこの二人の姿勢はきわめて健全だと思う。脇目も振らずに自分の狭い世界に入り込んで、それ以外の分野に興味を持たないという例はしばしば見られる。というよりもそうなることが専門家になることだという風潮さえある。だが、私はそれは違うと思う。もともとの出発点には「テンのことを知りたい」とか「シカのことを知りたい」という、漠然とはしているが、最も大事な知的好奇心があるはずである。これまでにも「哺乳類にも興味はあるんですが、一番好きなのはカエルなんです」という学生がいて、結局はカエルを調べてもらうことにした。そして、それでよかったと思っている。
 専門的になることはよいが、いつでも「こいつのことが知りたい」という原点にもどって、対象とする動物については何でも知ろうという姿勢が大切だと思う。自戒を込めてそのように感じた。

頑固さ:モンゴル牧民のデールをみて思ったこと

2013-08-24 11:32:27 | 13.8
教授 高槻成紀

 今年もモンゴルに行って来た。これまで南部のゴビでのモウコガゼルの調査、東部草原での群落調査、北部森林ステップでの放牧影響、フスタイ国立公園(中部)でのタヒ、マーモットの調査などをしてきた。だいたいは日本の研究者や学生とのチームに通訳をつけての調査で、いってみれば日本社会をモンゴルに持ち出したようなものだった。その中で北部のブルガンではチョロンさんという人のお宅にお世話になったので、いろいろとモンゴルの生活について話を聞くことができた。ただチョロンさんは気象台の所長をした人で、奥さんのスレンさんも学校の先生をしていた人なので、どちらもインテリで、話がわかりやすく違和感を感じない人たちだった。
 今年はモゴッドというところに行った。同じブルガン県にあるので、自然環境はなじみのものだったが、牧民のゲルに泊めてもらったので、これまでとは少し違う体験ができた。というのは、今回の調査は明治大学の森永先生のプロジェクトの一環で、アイラグ(馬乳酒)についての調査だったからだ。私はアルコールがだめなので、その意味ではふさわしくないメンバーだが、私に求められたのは、馬の食性とその生息環境の把握ということだった。
 お世話になったのはニルグイさんという人のお宅で、この人は伝統的なアイラグ作りの名人ということだった。風貌も印象的な、今の日本にはいなくなった威厳のある父親という雰囲気のある人だった。ニックネームは「ボロ」さんということだったが、これは茶色という意味で、チョコレート色によく日焼けしているかららしい。話をすると空気が震えるような太い声だった。


「ボロ」(茶色)さんことニルグイさん

 私たちはひとつのゲルを借りて使わせてもらったが、それはボロさんのところから30メートルほどのところにあり、歩いてすぐ行ける距離だった。私たちのゲルの隣に一まわり小さいゲルがあり、そこにはバトユンさんという若い女性がいたが、この人は鳥取大学の大学院を終えて、今は研究生をしている。自分のアイラグの科研費で春から滞在して調査をしているということだった。バトユンさんには2歳になるアミナという女の子がいて、お母さんといっしょによく私たちのゲルに来て遊んでいた。人懐っこい子で、すぐに私の膝の上に座っていた。
 ゲルには南側にドアがあり、そこから外が見える。ちょうど視野の先に馬と牛の搾乳をする場所が見える。昼間は家畜が草を食べに出かけるのでいないが、朝夕には戻ってくるので、にぎやかになる。牛が夕方戻ってくると子牛のいる柵に行く。「モー、モー」と鳴きながら、ときには走って来る。早くお乳があげたいようだ。そうするとボロさんの娘さんが乳搾りを始めるのだが、初めに子牛を母牛に近づける。そうすると母牛の乳房が張って泌乳が促され、そこで子牛を引き離して搾乳をする。まさに「搾取」だ。その前に軽く母牛の足をひもでしばる。足が動くとミルクを容器に受けにくくなるからのようで、こうしたちょっとした技術を見るとき、伝統のすばらしさを感じる。
 その娘さんはとてもおしゃれで、Tシャツやセーターの好みもすばらしかったが、少し寒くなるとデール(モンゴルの伝統衣装)を着ていた。日本の農民の服装を考えると、豪勢な感じがしたが、草原にはよく似合っていると思った。


牛の搾乳をする娘のサラさん

 お父さんのボロさんはいつでもデールを着ている。これにもいろいろあるようで、ウランバートルで見るのは立派なもので、カウボーイハットをかぶっている粋な人もいたりするが、牧民たるボロさんは普段着としてのデールで、それだけに家畜を扱うときのボロさんは草原の景色の一要素のように完全になじんでいた。


馬を扱うニルゲイさん

 デールは袖が長い。私は袖の長いシャツが大嫌いで、そういうのはすぐに袖口を折ってしまうし、もともと半袖のほうが好きだ。個人的にそういう好みなのだが、その大きな理由は日本の湿った空気にあると思う。要するに「うっとうしい」のだ。だが、モンゴルの空気はカラッとしている。暑い日にカッパを着ていても、蒸れるということがない。それに、モンゴル草原では真夏でも突然寒くなり、ときに雪が降ることさえある。「一日のうちに四季がある」ということばがあるほどだ。そうであれば、袖が長い理由も理解できる。あれは夏に着ていてもうっとうしくなく、寒くなれば両手を合わせれば手がかじかむこともない。裾は膝の下くらいまであって、ガウンのような使い方もするようだ。着物との共通点も多く、帯をする。ただ日本の帯のような面的なものではなく、ただの長い布という感じである。ところが、これがなかなかおしゃれで、オレンジ色とか、浅葱色だったりして、アクセントになっている。モンゴルの衣装と着物との大きな違いは、足下である。多湿な日本では伝統的には下駄を履いた。だがモンゴルではブーツである。なんといってもマイナス40℃にもなる厳寒の地である。足下が暖かくないと凍傷になってしまう。浴衣にゴム長靴だと訳のわからない組み合わせになるが、デールと皮ブーツの組み合わせは実にすばらしい。
 小雨が降って少し肌寒かった日の朝、いつものようにアミナが遊びに来たのだが、なんとデールを着ていた。こんな小さな子にもちゃんとデールがあるのだ。実にかわいらしかった。その日は午後にはよい天気になったのだが、夕方アミナはヤギの群れの中で遊んでいた。


ヤギの群れの中で遊ぶアミナ(2歳)

 思えば今は21世紀になって10年あまりが経っている。私たちにとって着物は実に距離の遠い衣類になってしまった。私も正月に着物を取り出すくらいだし、夏祭りに浴衣を着ている若い女性がいるが、高校生くらいの子はスニーカーを履いていたりする。卒業式に着物を着る大学生は一生にそのときだけだろうし、着物を着るのは数年に一度という頻度ではなかろうか。私が子供の頃、親世代はもっとよく着物を着ていた。ちょっとしたハレのとき、たとえば学校の参観日や卒業式とか、気の張る集まりなどでは着物を着るのがふつうであったし、私の父は夏は浴衣をよく着ていた。もうひとつ古い世代では日常的に着物を着ていたと思われる。「二十四の瞳」という戦後の映画があるが、あそこに描かれる子供たちは学校に着物を着て通っていた。つまり、この数十年のあいだに私たちは着物を脱ぎ捨てたといってよいだろう。
 それを思えば、モンゴルの牧民は頑固というか、頑なというか、頑としてデールを着続けている。モンゴル人があらゆる意味で頑固であるかといえば、そういうことはないと思う。自動車やバイクはその例で、便利なものを取り込むという意味ではまったく頑固ではないと思う。おそらくデールは実用的にも代替物がないから着続けているのであろう。ただ、それがすべてではなく、伝統的な衣装に対する好みもあるだろう。子供のデールはそうであるに違いない。
 そういうことを考えると、日本人の「脱ぎ捨て」のほうが特異なのかもしれないと思う。どこの国でも若い女性の民族衣装を大切にするもので、実際よく似合う気がする。ベトナムのアオザイとか、インドのサリーなど、やはり着ている人と衣装がよく似合うという気がする。白人から見れば私たちのジーンズ姿は違和感があるに違いない。もちろん振り袖を着て日常生活はとてもできないが、夏の浴衣などは日本の気候にはふさわしいのではないか。
 もっとも衣装はそれだけを切り出して考えることはできない。近代的なビルを下駄で歩くわけには行かないだろうし、浴衣のそではパソコンのキーボード操作にじゃまになるだろう。そう思うと、モンゴル牧民が遊牧生活を続けているということ自体の意味を考えなければならない。牧畜生活は外目には牧歌的でのんびりと楽しげに見えるが、もちろんそのようなことではない。私が泊まったモゴッドでは、アイラグのために馬の乳搾りをするが、作業は2時間おき、一日に数回もおこなわなければならず、もちろん牛もヤギもいて、その世話もしなければならない。しかも乾燥地というのは、気象の変動が大きく、現にこの十年ほどのあいだに数回のゾドが襲っている。ゾドとは典型的には異例に寒い冬、とくに雪が降って家畜が餌を食べられなくなって餓死する現象で、ボロさんの場合、120頭いた牛が3頭にまで激減したことがあるということだった。それでも牧畜生活を続けるというのはたしかに頑固といえるかもしれない。一訪問者にとって牧民の深層心理は知るよしもない。この生活がいつまで続くだろうか漠然とした不安を感じているのかもしれない。
 それでも私が強く印象づけられたのは、家族が一日中、いっしょに作業をすることの温かな雰囲気である。馬の乳搾りをするときは、男は馬の動きをコントロールする。力仕事だから額に汗がにじんでいた。女は乳搾りに忙しい。馬の状態を見て、先にしたほうがよい個体を見つけては急いでそこに行って乳搾りをする。そうした慌ただしい作業を終えると、ミルクの入った容器を二人で持ちながらゆっくりとゲルに戻る。楽しげに話をし、男たちは肩を組んだりしている。子供たちはこの作業には参加できないが、牛の搾乳などは手伝うことがあるので、嬉々として手伝う。大人のする作業はあこがれなのだ。何でも知っていて、何でもできる大人は羨望と尊敬の的だ。


搾乳作業を終え、ゲルにもどる家族

 私たちが「脱ぎ捨て」たときに、失ったものもたくさんあったはずだ。こうした家族の共同作業もそのひとつであろう。その喪失は、経済的に豊かになることに比べれば無視できるほど小さいものなのかもしれない。少なくとも戦後の日本では、家族の在り方などは問題とせず、楽で高給な仕事を選ぶのが当たり前であった。そういう大きな流れの中にいて、とくにおかしなこととも思わないできたが、モンゴルに行くようになって、そうしたことの意味を考えるようになった。日本人の「脱ぎ捨て」の見事さと、モンゴル牧民の「頑さ」は現実にある。それは「民族性」といわれるようなもので説明できるのだろうか、それとも政治や教育によって決まるものなのだろうか、というようなことを。

スイスで見た自然と人の在り方

2013-08-24 08:06:47 | 13.8
4年 萩原もえか

 この夏休み、私は初めてスイスに行ってきた。私にとって、スイスは「ハイジ」に見るような自然の中に牧場があり雄大な国というイメージであった。実際、そのイメージ通りの国であった。
 私の旅行の目的はユングフラウ、マッターホルン、モンブラン三大名峰を見ることだった。そのために登山列車、ロープ―ウェイを使い頂上まで行った。ロープ―ウェイは30分ほどで3000m、4000mの地点まで登った。出発地点の気温は25℃ぐらいだが、頂上は-2℃と大きな差があった。私は初めて高い山に登ったので、空気が薄い場所では頭がふらふらし、少し苦しかった。



夕日のマッターホルン

 頂上では氷河を見ることができた。ロープウェイが登ってゆく途中、氷河を登っている人を見ることができた。こんなに寒いし、誤ってクレバスに落ちれば命はない。こんな死と隣り合わせの登山にたくさんの人が挑んでいるのをみて理解できないと思った。しかし、そうして自分の足で登頂したときは、ロープ―ウェイで登った人とは違う感動があるのだろうなと感じた。
 私は事前にそこに生息している野鳥、哺乳類について情報を調べていたが、クロウタドリ以外の野鳥を見ることができなかった。哺乳類はいないかなと思っていたら、遠くの山の尾根沿いに黒い影があった。シャモアかな?アイベックスかな?と双眼鏡を覗いてみると・・・頭から体の半分までが黒く、そこから尻尾までが白い家畜のヤギであった。残念。


唯一見られたクロウタドリ

 これまでに3つの山を訪れたがどの山も乗り物が充実しており、誰でも簡単に景色を見ることができる。でも、これらが山に悪影響を与えているはずだとも思った。
 けれども環境に配慮した素晴らしいことがあった。私がチューリッヒからツェルマットへバスで移動しているとき、ガイドさんに急に車を降りるように言われた。どうしてかなと思ったら、ツェルマットではガソリン車が禁止されているため、電気自動車に乗り換えなければならないということであった。その徹底した環境配慮に感心した。また、スイスは国全体が農業を尊重し誇りに思っていようだった。その源はスイスの小学校で誰もが行っている農業体験にあるらしい。その農業体験は数週間あり、その間子供たちは牛の世話をしたり、街へ出て牛乳を売るなどの手伝いをする。そして農業の大変さ、食のありがたさを知るということだ。


高原に放牧された牛たち

 スイスは自然を愛するとともに、農業を大切にし、誇りしているという点で素晴らしい国だと思った。そして、日本もスイスのように自然や農業を一人一人が考える国になってほしいと心から思った。

いもむし・けむし

2013-08-23 23:46:03 | 13.8
3年 望月亜佑子

 「毛虫は、触ってはいけないもの。」そんな私の中での常識が覆されたのは大学1年の6月だった。森林整備を行うサークルに入り、フィールドにしている嵐山という森で、当時4年生だった野生動物学研究室の神宮さんに、人差し指ほどもある大きな毛虫を紹介された。その毛虫はエメラルドグリーンの胴体に、水色の目のような模様がついていて、青みがかった白い毛が全身に生えている。後の足が吸盤になっていて、手に乗せると何とも言えずかわいかった。名前は「クスサン」というらしい。そのとき思った。「ああ、毛虫って触れるんだ。触ったからこそ分かるかわいさもあるんだ」と。


私の手の上のクスサンの幼虫 2013.6 神奈川県嵐山

 このかわいさに魅せられて以来、毎年6月、クスサンが出てくる時期を楽しみにしている。
 最近、アファンの森と神津牧場で、白い毛虫をみた。遠くから見れば、何かの繊維か、カビのように見えるし、近くで見ても、とても毛虫とは思えない。真っ白。触ってみれば、意外と柔らかく、白い粉が手につく。ケースに入れてみたら、白い繊維のようなものはとれて、ケースが真っ白になってしまった。それでも、幼虫は真っ白で元気に動いている。調べてみるとどうやら「アゲハモドキガ」の幼虫らしい。(ミツクリバチの幼虫も似ているらしいが。)なんともいえない、変な「いもむし」だった。
 緑色のクスサンの幼虫は茶色いガになるし、真っ白なアゲハモドキガの幼虫は真っ黒なガになる。幼虫、蛹、成虫という変化も不思議だし、幼虫によって形も色も模様も違うということもまた、不思議である。
 はたから見たら、手に乗せている図というのは奇妙な光景なのかもしれないが、今の私はちっとも奇妙だとは思わない。なんとなく勝手に「常識」としていることがたくさんあるのだと思う。それを教えてくれたのが、毛虫だったのだと思う。「触れてはいけなかったもの」に触れて、実際に間近でみて、そのかわいさに魅せられた。
 「いもむし図鑑」を開けば、知らない変な色や形をした「いもむし・けむし」がたくさんいるようだ。フィールドに出て、たくさんのいもむし・けむしに出会い、手がかぶれない程度に、ふれあってみたいと思う。