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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「100年先」流れ ジェンダー不平等の

2024-06-01 | _よむ__
♪ 100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!
♪ 生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ さよーならまたいつか!
  ↓
で やってきました、クラウディア・ゴールディン。 

「なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学」
クラウディア・ゴールディン 鹿田昌美訳 慶應義塾大学出版会 2023/04/05

「本書は、ジェンダー不平等を生み出す要因についての100年分の疑問に、本当の答えを出している。…」
(ジャケットカバー折り返しのところにあった、アン=マリー・スローターによる本書紹介文より。)

原著出版年は 2021年。
第1章初めの方に
「あなたがこれを読む頃までに、パンデミック(この章を書き終えてもまだ猛威をふるっている)がおさまり、私たちがその厳しい教訓から恩恵を受けていることを願っている。」(p.4)とあった。はて?さて?今っておさまったって言えるかなぁ。とわが身振り返ると ついひと月ほど前に感じた “どういう方面というのか、不安?緊張?人見知り?” な個人的精神状態は あれっ?いつの間にか落ち着いていた。マスク無し対面時の動揺が必要圏内?になってきた?(とは言っても マスク無し対面場面がその間にあったのは数えるほどでしたが。。。)

原題は
Career & Family: Women’s Century-Long Journey toward Equity
驚くべきことにと言うか 訳者あとがきには
その原題とともに
キャリアと家庭:女性たちの平等へ向かう100年の旅
と 邦訳題も書かれている。
どうしてこの 逐語訳的題 の方は採用されなかったのだろう。
それと関連があるかどうか、一か所気になっているページがある。
その部分の活字だけ周りと比べて太字※になっているのだ。

p.18

男性は家族を持ちながら、キャリアアップすることができる。それは、女性が家族のよりよい幸せのために時間を提供しようと、キャリアを置き去りにするからだ。

その太字の先には通常の活字仕様に戻って、次の文が続いている。

どちらにも奪われるものがある―男性は家族との時間、女性はキャリアである。

さて、ここでこの文章の含まれる第1章の題を改めて書き出してみると

キャリアと家庭の両立はなぜ難しいか

著者の書き進めようとする内容と
逐語訳的題 キャリアと家庭:女性たちの平等へ向かう100年の旅
は、当ったり前ですが 合致していると思われるのです。
それでも翻訳出版者は
「なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学」
という邦題を選んだ。

そこには 優三さんの
「トラちゃんができるのは トラちゃんの好きに生きることです。…」に始まる
一連のニュアンスを 終戦前後のコトバでありながらも
現代の日本のニュアンスとして 組み入れたということでしょうか。

なぜここに優三さんが?
そもそも 強引すぎるわね、さよーならまたいつか! と クラウディアさん の並立が><。
それでも書いてみたくなる、

♪ 生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ さよーならまたいつか!

という衝撃。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


太字表記のところは、ここ以外にも存在しますが。




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