「無垢の時代」、映画になっている。邦題、「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」。汚れなき、と、情事、と。並ぶんかいな。
読んでから見るか方面は滞っています。ほんの少し前、A・ウェイリー版「源氏物語」(毬矢まりえ+森山恵姉妹・訳 左右社)もザセツしていて、ザセツした割には 両者の雰囲気ははんなり似ている、などと思っています。も少ししたらまたトライしたい。キーンさんの心をとらえた「源氏物語」の〈戻し訳〉に来てみると、「無垢の時代」邦訳によって知る世界と羽衣がごとき共鳴を感じる。ザセツしといて、よくまあここまで書けるもんです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」を見た。
ニューランドもメイもエレンも、本から受けた印象の彼らと映像の中の人たちとはちょっと違う。全体の三分の一ほどもまだ読んでいない者の感想ですが。
その中で、【私が気になっていたシーンの台詞が削られずにあるといいな。いや削られたりはしないだろう。要とも思われるところだから。】と ドキドキ眺めた。
河島弘美訳
(ニューランドとエレンの会話)
エレン「メイは素敵な方ですのね。…とても愛していらっしゃるんでしょう?」
ニュー「一人の男に可能な限りは」
エレン「では、限界が存在するとお思いなんですか?」
ニュー「愛することに、ですか?もしあるとしても、まだ僕は見つけてはいません」
字幕翻訳
エレン「メイを心から愛してる?」
ニュー「愛し得る限り」
エレン「限界はある?」
ニュー「まだ見えない。」
この ニューランド「まだ見えない。」 にやられた。
私が本から受けた印象は肯定感でしたが、映像の中のニューランドのそれは惑いだった。ダニエル・デイ=ルイスのそれは惑いだった。きゃー。ダニエル・デイ=ルイス凄い!
私が読み落としていたものを映像で知らしめられただけなのかもしれないが(たぶん、そう。)、ダニエル・デイ=ルイスに持ってかれた~。
ダニエル・デイ=ルイスさん。私の中では、「眺めのいい部屋」の人だ。
他にも何作か、会いに行ってみたい。
読んでから見るか方面は滞っています。ほんの少し前、A・ウェイリー版「源氏物語」(毬矢まりえ+森山恵姉妹・訳 左右社)もザセツしていて、ザセツした割には 両者の雰囲気ははんなり似ている、などと思っています。も少ししたらまたトライしたい。キーンさんの心をとらえた「源氏物語」の〈戻し訳〉に来てみると、「無垢の時代」邦訳によって知る世界と羽衣がごとき共鳴を感じる。ザセツしといて、よくまあここまで書けるもんです。
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で、「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」を見た。
ニューランドもメイもエレンも、本から受けた印象の彼らと映像の中の人たちとはちょっと違う。全体の三分の一ほどもまだ読んでいない者の感想ですが。
その中で、【私が気になっていたシーンの台詞が削られずにあるといいな。いや削られたりはしないだろう。要とも思われるところだから。】と ドキドキ眺めた。
河島弘美訳
(ニューランドとエレンの会話)
エレン「メイは素敵な方ですのね。…とても愛していらっしゃるんでしょう?」
ニュー「一人の男に可能な限りは」
エレン「では、限界が存在するとお思いなんですか?」
ニュー「愛することに、ですか?もしあるとしても、まだ僕は見つけてはいません」
字幕翻訳
エレン「メイを心から愛してる?」
ニュー「愛し得る限り」
エレン「限界はある?」
ニュー「まだ見えない。」
この ニューランド「まだ見えない。」 にやられた。
私が本から受けた印象は肯定感でしたが、映像の中のニューランドのそれは惑いだった。ダニエル・デイ=ルイスのそれは惑いだった。きゃー。ダニエル・デイ=ルイス凄い!
私が読み落としていたものを映像で知らしめられただけなのかもしれないが(たぶん、そう。)、ダニエル・デイ=ルイスに持ってかれた~。
ダニエル・デイ=ルイスさん。私の中では、「眺めのいい部屋」の人だ。
他にも何作か、会いに行ってみたい。