ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

天守閣はいま

2017-01-14 13:13:49 | 日記 新聞
「風雪に耐え、400年の歴史を耐え抜いた宝 日本の城――。かつて日本国内には数千の城があったが、天下人たちの登場で整理統合され、徳川幕府の一国一城令によって約200に減少する。その後の明治政府の廃城令で60まで減少。そして戦災…。こうして現在まで残った天守が、「現存12天守」と呼ばれているものだ。」(BS朝日 日本の城見聞録 ホームページ 「新春4時間スペシャル 永久保存版! 現存12天守に攻め入る!!」より:2016年)


さて,朝日新聞(1月9日・10日)
「天守閣はいま」より
 「全国津々浦々に所在する近世城郭(お城)。その中心的存在の天守閣を、江戸時代そのままの木造で再現しようという動きが相次いでいる。一方、戦後建てられたコンクリート造りの天守閣に愛着を抱く人も。天守閣の保存と復元を巡る問題を追った。」

天守閣を復元しようという動き:
①甲府城跡(明治時代に主な建物は撤去),福岡城
しかし,「国史跡整備などを指導する文化庁が、史跡内での建造物の復元展示に際し、発掘調査による構造把握や、細かな状況がわかる指図(設計図)などの存在の確認ができる場合に限って現状の変更を認める方針を示しているから」現状では復元は難しい。

②名古屋城1945年の名古屋大空襲までは天守閣が残っていた。1959年に築造された鉄筋コンクリートの天守閣の耐震性が検討→木造復元を

そもそもなぜ復元?
→「なぜこれほど天守閣にこだわるのか。復元運動を進めてきた福岡城市民の会の石井幸孝理事長は「古今東西を問わず町のシンボルといえば城塞(じょうさい)であり、中でも日本の城のシンボルは天守閣」と語る。天守閣ができると観光客が増加するという試算もあるという。」


さて,現在,日本に天守閣はいくつあるのか。→80前後(日本城郭協会・加藤理文(まさふみ)理事)
ただし,江戸時代から残っているものは12城のみ
かつて名城とうたわれた大坂城・名古屋城・広島城・岡山城・熊本城などの天守は鉄筋コンクリート造り
(中には墨俣一夜城のように本来は天守を伴わなかったものにも新しく天守を建ててしまった例も:模擬天守)
しかし,鉄筋コンクリート天守の寿命は50~60年
多くの天守はあと10年~20年で立ち入ることも難しくなる。

ではどうすればいいか。

今は復元が文化庁から認められても,建築当時の材料を使った精度が高い復元が求められる。

となると選択肢は限られる
木造で復元するか
耐震補強をするか
取り壊すか


文化庁が復元を許可するのではないかと思われる天守は7つ
水戸城・名古屋城・大垣城・岡山城・福山城・広島城・熊本城

すでに補強工事を実施
小田原城・富山城(模擬天守)

「天守復元・再建運動の多くは城という存在が町の中心であることを認め,それを再現することで町も活性化させようというのが根っこにある。」



さて,わが姫路では,
「姫路藩主本多忠政の息子忠刻(ただとき)・千姫の成婚400年」と昨年,のぼりを立てていました。
町の活性化・・・わかるような気がします。


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文化財は不可侵;「美術家たちの太平洋戦争 日本の文化財はこうして守られた」

2017-01-10 14:35:57 | 日記 テレビ
太平洋戦争中は文化財を守るために様々な人が努力していたのだろうということは想像がつきます。

でも,戦後になって,文化財が賠償のために使われていたかもしれない,ということは知らなかったし,ビックリしました。


BSプレミアムはよく見ても,
普段,BS1をほとんど見たことがない私ですが,
主人が「おもしろそうな番組がある」とテレビ欄から見つけました。

1月8日日曜日,ちょうど大河ドラマ「おんな城主 直虎」の時間,
大河を見ずに,のめりこみました。


太平洋戦争中,アメリカ人ウォーナーは,敗戦国の文化財を守ろうというモニュメントメンの一人でした。
この組織は,日本に限らず,ドイツの文化財なども守るために活躍しています。(映画にもなっているそうです。)
ウォーナーはもともと日本で勉強したり,
ボストン美術館の日本のコーナーの責任者だったりした人です。
(そうです,去年神戸市立博物館で見た「国貞・国芳」はボストン美術館の所蔵です。)
ウォーナーは,日本の文化財を守るべく,
守るべき文化財リストを作りました。京都31か所,奈良15か所など全国で137か所ありました。
それを陸軍に提示します。

日本の寺院も努力します。
興福寺は阿修羅像などを奈良県南部の民家に疎開させます。
(すでに,国鉄奈良駅のあたりは,空襲がありました。)
法隆寺は信仰か文化財かで悩み,
もしもの時は,仏像といっしょに池に飛び込む覚悟をしていたそうです。
結局,ウォーナーのリストの8割が空襲の被害を免れました。


戦争が終わりやれやれ・・・ではありません。
今度は,文化財を賠償に使おうという話が出てきます。
ただ,当時としては当たり前で,文化財の略奪もあったようです。

当時の中華民国政府は,「360万点の文化財が戦争の被害にあった,代わりに文化財で賠償を
同種類・同価値のものを・・・」と言い,
オランダなども賛成したそうです。

しかし,ウォーナーの孫弟子,リー(GHQの美術記念課)は
「文化財は不可侵だ」とし,
日本を元気にしたい,そう思うのなら,直近の戦争より,ずっと以前の文化だ
とのことで,活動しました。

文化財は今までは上流階級のものでした。
正倉院の宝物を賠償に差し出してはどうかという意見もある中,
正倉院展を開きました。
たくさんの人々が正倉院展に訪れるのを見て,
極東委員会側も
文化財賠償をという案を廃案にしたそうです。(1949年)


だらだらと長々と書きましたが,
私が4年前に見た阿修羅も
学生時代に行った正倉院展も
ついこの前に行った東寺や西本願寺も(これはたぶん・・・ですが)
こうして守られたのですね。

いろんなたくさんの人々の努力に感謝しながら,
今年も寺院や美術館・博物館に行って,
仏像や絵画を楽しんできます。
ありがとうございました。


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いよいよ次は,解読実践コースです!

2017-01-09 16:37:45 | 古文書
「あなたの声」から

今回で応用ステップ2が終わりました。
平成28年7月1日付で「生涯学習2級インストラクター(指導分野)古文書」を取ることができました。
次はいよいよ「解読実践コース」です。
やっと「古文書を読むための基礎学習」から「実際の古文書解読学習」になるような気がします。私にとってはこの違いは大きいです。
数年のうちに1級インストラクターの資格を取りたいです。(難しいでしょうが)
実は私は1年半ほど前から地元の歴史博物館でたった月2回ですが,「ボランティア」という名で勉強させてもらっています。
今は図書のコーナーだけですが,こちらも数年のうちに古文書ボランティアができるようになりたいです。
このためにも「解読実践コース」もがんばります。
今後ともよろしくお願いします。


応用ステップ2の最後の課題終わりました。あすにでも提出します。

私はいつも必ず,NHK学園「古文書」の「あなたの声」に何か書いています。
以前先生に
「思ったことを素直に書いている」と
書かれたことがあります。
先生は,「素直に一生懸命取り組んでいるのがよくわかる」という意味で書いてくれていて,
ほめてくれていると思っています。
でも,小学生の作文みたいですよね,私の文章。

「あなたの声」に書くことで,
それなりの私の古文書に対する気持ちを整理できたり,
決意表明(?)することができます。

頑張ります!

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戦国のへ~ほ~ 素朴な疑問を解決!

2017-01-05 14:49:25 | 日記 テレビ
1月3日NHKテレビ
「戦国のへ~ほ~ 素朴な疑問を解決!」
おもしろかったですね~!

信長の年収は今のお金に換算して770億!
日雇いの兵は1日米1升お金に直すと1万円!

「今川義元殿」とは言いません。武将を名で呼ぶのは無礼です。官職で呼びます。

槍はつくものではありません。叩くものです。

やり・弓・鉄砲が主流で,刀は首を取る時だけです。

などなど・・・

戦のあとの黒鍬者
戦に負け,死んだ者が出てきて,たたられないよう,
勝った側は丁重に葬るのです。それが黒鍬者のお仕事


おもに「雑兵物語」という本から
話すは「真田丸」の時代考証に関わった黒田基樹先生!


番組の終わり近くにオランダに残る史料を紹介。

東南アジアに行って,傭兵になり,
そのうち鎖国により帰ってこれなくなった人もいるのです。
山田長政もその一人だそうですが,
150年も戦いが続いた日本人は優秀な戦力。
東南アジアでのヨーロッパ諸国の勢力争いで活躍できたとか・・・。
ちょっとむなしいと思うのは,
現代人だからでしょうか。
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西本願寺・東本願寺

2017-01-05 14:21:26 | 日記
あけましておめでとうございます

12月26日のふらっと京都の続きです。

東寺を出て,歩いて西本願寺へと向かいました。

東寺のすぐ東の道を北に向かっていくと,洛南高校がありました。
洛南高校は真言宗・東寺の系列なんですね。

わざと大通りから外れ,東へ少し,そして北へ
町家みたいな家が何軒かありました。
京都です。

地図を頭に入れていたので,
ここ!と思ったところが
龍谷大学・・・?
門番みたいな人に
「すみません。」と尋ねると,
目の前の門が西本願寺で,そこを東に行って・・と教えてくださいました。
道を間違ったわけではないのです。
さっきの洛南高校同様,
龍谷大学は西本願寺の系列で,世界遺産・西本願寺のお隣。

国宝の唐門の前を通り,ぐるっと角を曲がって西本願寺へ

先に行った東寺は,世界遺産!国宝!文化財!
といった感じでした。

もちろん西本願寺もそうなのですが、
信仰の場,現在進行形の・・・といった感じでした。

どう表現したらいいのかわかりません。
西本願寺もその後行った東本願寺も
(西本願寺は世界遺産ですが,東本願寺は蛤御門の変などで焼け,明治時代に再建されているので,建物は世界遺産ではありません。国宝でもありません。でも,凛としたものがありました。)

さて,西本願寺
飛雲閣の見学は・・・と思ったのですが,
予約すればいつでも見学ができたのは以前のことだそうです。
今は非公開。
でも,第25代専如門主伝灯奉告法要修行期日は公開されるそうです。
自由に飛雲閣を見たり,
飛雲閣に入って,お茶をよばれたりできるそうです。(こちらは有料)
今年,3月から5月にかけてかなりの日に見学できるようなので,
興味のある方は,ホームページなどで調べてください。

家の事情でなかなか遠出はできませんが,
今回の東寺と西本願寺・東本願寺の旅は,序章。
もっと調べて,また行きたいですね。


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