ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

文化財は不可侵;「美術家たちの太平洋戦争 日本の文化財はこうして守られた」

2017-01-10 14:35:57 | 日記 テレビ
太平洋戦争中は文化財を守るために様々な人が努力していたのだろうということは想像がつきます。

でも,戦後になって,文化財が賠償のために使われていたかもしれない,ということは知らなかったし,ビックリしました。


BSプレミアムはよく見ても,
普段,BS1をほとんど見たことがない私ですが,
主人が「おもしろそうな番組がある」とテレビ欄から見つけました。

1月8日日曜日,ちょうど大河ドラマ「おんな城主 直虎」の時間,
大河を見ずに,のめりこみました。


太平洋戦争中,アメリカ人ウォーナーは,敗戦国の文化財を守ろうというモニュメントメンの一人でした。
この組織は,日本に限らず,ドイツの文化財なども守るために活躍しています。(映画にもなっているそうです。)
ウォーナーはもともと日本で勉強したり,
ボストン美術館の日本のコーナーの責任者だったりした人です。
(そうです,去年神戸市立博物館で見た「国貞・国芳」はボストン美術館の所蔵です。)
ウォーナーは,日本の文化財を守るべく,
守るべき文化財リストを作りました。京都31か所,奈良15か所など全国で137か所ありました。
それを陸軍に提示します。

日本の寺院も努力します。
興福寺は阿修羅像などを奈良県南部の民家に疎開させます。
(すでに,国鉄奈良駅のあたりは,空襲がありました。)
法隆寺は信仰か文化財かで悩み,
もしもの時は,仏像といっしょに池に飛び込む覚悟をしていたそうです。
結局,ウォーナーのリストの8割が空襲の被害を免れました。


戦争が終わりやれやれ・・・ではありません。
今度は,文化財を賠償に使おうという話が出てきます。
ただ,当時としては当たり前で,文化財の略奪もあったようです。

当時の中華民国政府は,「360万点の文化財が戦争の被害にあった,代わりに文化財で賠償を
同種類・同価値のものを・・・」と言い,
オランダなども賛成したそうです。

しかし,ウォーナーの孫弟子,リー(GHQの美術記念課)は
「文化財は不可侵だ」とし,
日本を元気にしたい,そう思うのなら,直近の戦争より,ずっと以前の文化だ
とのことで,活動しました。

文化財は今までは上流階級のものでした。
正倉院の宝物を賠償に差し出してはどうかという意見もある中,
正倉院展を開きました。
たくさんの人々が正倉院展に訪れるのを見て,
極東委員会側も
文化財賠償をという案を廃案にしたそうです。(1949年)


だらだらと長々と書きましたが,
私が4年前に見た阿修羅も
学生時代に行った正倉院展も
ついこの前に行った東寺や西本願寺も(これはたぶん・・・ですが)
こうして守られたのですね。

いろんなたくさんの人々の努力に感謝しながら,
今年も寺院や美術館・博物館に行って,
仏像や絵画を楽しんできます。
ありがとうございました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする