ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

JMOOC「男と女の文化史 」,Week2だけ受講しました。

2018-06-27 14:31:07 | JMOOC
JMOOC「男と女の文化史 」は,
Week2:表現される遊女から表現する遊女へ
だけ受講しました。
「源氏物語」や「ドイツ文学」「ギリシャ美術」,
1週100分程度,4週にわたっての東北大学の先生方による講義でしたが,
私はこの度は,修了証を目指さず,
自分の興味がある第2週のみ受講,
確認クイズは満点を取りましたが,
なんせ4週のうちの1週のみ,最終レポートも書いていませんので,18点でした。

Week2:表現される遊女から表現する遊女へ・・・は,
江戸時代天保のころ,
新吉原の遊女,浅茅生(あさじう)さんのお話です。
(といっても,歴史とは・・・といった話も結構長かったですが。)
歴史ですから,
史料がないとわかりません。
浅茅生さんが新吉原の遊女であったことや,
狂歌を読むのがうまく,
狂歌の雑誌に優秀な成績で載っていたこと,
狂歌の選者にもなったこと,
などが講義で話されていましたが,
浅茅生さんのその後など
わからないことが多いです。

しかし,
浮世絵などに見るように,表現される遊女ではなく,
まさに,表現する遊女です。

私の遊女観と異なるものでした。

でも,浅茅生さんの狂歌を見て,がっくりしました。

私は勝手に遊女という職業であっても,
現代で言えば,
バリバリ頭の切れるキャリアウーマンみたいなのを想像していましたが,
その狂歌は,

青柳(あおやぎ)の 影さす道を 見返らで うわさ堤を 行く人やなぞ

細かい解釈は省きます。
私に狂歌の良しあしはわかりません。
でも,遊女の狂歌であるということはわかります。

浅茅生さんは選者もした。
え?選者?
どこで狂歌を選ぶのでしょう?
選者はひとりではありません。
遊郭から外へ出て,ほかの選者といっしょに選んだのでしょうか?

遊女・・・という人を私はよく知らないということがわかりました。

ちょっと,調べてみます!
(したいことばかりが多いので,いつになるか分かりません。)

ただ,安政江戸地震の際は,
新吉原の被害はすごかったようです。
「遊郭という出入りの自由がない特殊な構造,
 二万坪弱に人口一万人弱という高密度,
 しかもその大半が女性で占められるという特殊な条件が,
 数多くの焼死者を出す結果になったのである。
 公的な調査では死者は630人であるが,
 当時の人々は2000人とも3000人とも噂した。」
(北原糸子『地震の社会史 安政大地震と民衆』47ページ)

いつものことですが,
話がそれましたね,JMOOCから。
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