ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

戦前のポスター 「姫路 今むかし partⅡ」 より 

2015-07-24 14:19:51 | 歴博
この特別企画展の詳しいことなどは歴博のホームページを見てください。

戦争へと進む日本の縮図でもあった姫路を思うままに書きます。

まず,入り口入ってすぐの「高橋たつ子さんの描いた姫路の近代風俗スケッチ」の所にあった説明より

「城南練兵場の変遷」
明治7年(1874)大阪鎮代の分営として,城内に連隊が設けられ,その南面,昔の士族邸が並んでいたところを一挙に立退かせての取りこわしで,見事な庭園も樹木も刈取られ,灯篭も押倒し,石も芝生も池にほおりこんで埋めて,坦々たる平地に押しのべられたのである。
終戦近くにもなれば,もう軍部もえらそうなことが言えなくなったのか,この広い練兵場にも芋畠になり,増産増産につとめその甲斐もなく・・・
ー高橋秀吉(1899~1979)著『姫路城の50年』(昭和38年刊)

今回は,この高橋さんのコレクションからの展示が中心です。


戦前の「ラヂオ体操の會」ポスター
日の丸がはためき,割烹着のいかにも国防婦人会っぽい女の人が中心で,拳をあげてラジオ体操を呼びかけている。
たまたま出くわしたご夫婦と話し込んだ。
「ラジオ体操って,戦意を鼓舞するための体操だったの?」
「みんなを集めて集団で頑張ろうってこと?」
「何でも戦争だね。」

そしてもう1枚戦前のポスター「武運長久祈願 観光報国 ハイキングの會」
「ハイキングも武運長久祈願?」
「何でも戦争だね。」
ハイキングの景品の一つに「貯蓄債権」
「これって,何?」
「もしかしたら,戦後には紙くずになったんと違う?」(事実かどうかは確かめていません。)
「どこ行くの?・・・広峰,増位・・・」
あたりまえだけど,姫路城はないよね。練兵場だもの・・・

展示は戦後の写真等もあります。

私はこの2枚のポスターが気になりました。

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