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ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

BS11尾上松也の謎解き歴史ミステリー「伊勢神宮 ~なぜ人は『お伊勢さん』を目指すのか?~」

2017-12-09 13:08:06 | 日記 テレビ
最近,テレビ番組についてあまり書いていないことにふっと気が付きました。

「趣味どきっ!」は今月からは歴史ものがないので残念ですが,
めったに見ることがないBS11で面白いものを見つけました。

こんなこと言ったら失礼ですが,
BS11にあまり期待していなかったのです。
どうせ面白おかしくオーバーに言っているのだろうと思っていました。

でも,
失礼しました。

おもしろかったです。

江戸時代になぜ伊勢神宮を目指したのかということを中心に,
伊勢近辺の神社やお土産物屋,旅館など
そして風景も楽しみながら,
見ました。



神が宿る場所...伊勢神宮。
江戸時代には当時の日本の総人口の5分の1に相当する300万人もの人々が訪れた年もあったという。
庶民の間では老若男女、貴賤貧富の区別なく「一生に一度は伊勢参り」という慣習があった。
伊勢神宮は聖なる場所として有名な一方、俗なる世界も併せ持っていた。

とホームページには書いています。
そして,御師が伊勢ブームを広げた張本人,と書いています。

ここには書かれていませんが,
「俗」としては,
遊郭のことも番組ではかなり取り上げていました。
「伊勢参り大神宮にもちょっと寄り」という川柳のことも。


次回は,
第33回「熊野古道 よみがえりの聖地の謎」(12月13日放送)です。

どうとりあげるのかも楽しみです。


PS.昨日の「ぶらぶら美術博物館」もおもしろかったです。
どうしても,西洋から影響を受けて,文明開化・・・といった方ばかりが有名ですが,
北斎はじめ,日本の浮世絵がすっごく西洋美術に影響を与えているんですね。
日本と西洋の考え方が根本から違っていたということ,
よくわかりました。
(例えば,日本は自然の花を描く。西洋は切り花を花瓶に入れたものを描いていた。
 キリスト教の影響。普遍?不変?を描く。)
でも,浮世絵師たちも西洋の遠近法とか勉強するから,
「相互に影響を与えているんだ。」と山田五郎さんが言っていました。
西洋絵画には本当は興味ないのですが,
今回はなるほど,なるほど。でした。
(東京まで見に行けないです。残念です。
 結局この秋,京都の「国宝展」も,大阪の「北斎展」も行けませんでした。)

せめてテレビで・・・
今日は
BS11で北斎やるそうです。
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兵庫県立歴史博物館:特別展「ひょうごと秀吉」始まりました!

2017-10-07 14:04:05 | 日記 テレビ
「秀吉が茶々に宛てた書状発見」(カテゴリーは「古文書」です。)
のところでも書きましたが,

今日,兵庫県立歴史博物館で,特別展「ひょうごと秀吉」が始まりました!
(~11月26日)

開会式に初めて参加してきました。
(来賓・友の会会員のみ・・・と思います。)

館長さんのお話では,
秀吉は,天正5年(1577年)10月,播磨平定のため,播磨に入ります。
そこから大坂に移るまで,「播磨時代」です。
秀吉はアバウトなものに数字を持ち込みました。・・・などなど

神戸新聞社など挨拶があって,
来賓紹介があって,
テープカット!
と思いきや,
マスコミ向けのテープカットのポーズの写真撮影があって,
今度こそテープカット!

そのあと,今回の調査・展示をした前田学芸員の説明を
展示を見ながら聞きました。

前田先生,実は,昨日もテレビで見ました。
たぶん,近畿だけのローカルニュース(NHK)だと思います。

秀吉が姫路城主だったころ,地位の低い家臣に与える給与について記した自筆文書が
熊本県のある民家にあり,
以前の秀吉が茶々に宛てた書状のニュースを見た持ち主が
「是非とも役立ててほしい」と歴博に依頼したそうです。


今回の展示の
1番が秀吉が茶々に宛てた書状
2番がこの小出秀政に宛てた「切符」といわれる文書でした。
そして,
5番目「豊国大明神」の秀吉像の上に書かれた文には,
「秀頼書」と幼い字,豊臣秀頼の自筆文字に
その横に,「つゆとおち・・・」と辞世の句の草稿と思われる句が一つ,
これは秀吉自筆だそうです。

秀吉関連の文書は7000ほどあるそうですが,
ふつうは,祐筆が書き,花押またはハンコ(朱印)のみ秀吉です。
秀吉自筆は,100通ぐらいだそうですが,
今回,自筆が5点(?)かな?


でも,今回の展示は古文書が多く,
あるボランティアさんは「ちょっと難しくてとっつきにくいのではないか。」
と言っていました。
でも,前田先生の丁寧な解説文がついています。

私が,「おお~!」と思ったのは,
太閤検地直前の淡路の状況と
太閤検地後の淡路です。
太閤検地前に千石氏が秀吉の家来の脇坂氏に提出した指出寄帳では,
淡路は1万2千6百石。
しかし,太閤検地を脇坂氏が行うと,
淡路半分の段階で3万石。
これって,指出と太閤検地の違いを見事に表していると思うのです。

このほか,最後に展示されている龍野神社の古文書
これについては,
秀吉の手紙 その2特別展「秀吉からのたより」(2016・3.11「日記」)
に書いています。


先生の解説は約1時間半。
そんなに時間がたっているとは思いませんでした。

人が多すぎて,ゆっくり見ることができなかったので,
(解説はしっかり聞きました。)
また別の日に,じっくり見ようと思います。

ん~!しあわせ!



コメント (3)
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趣味どきっ!「国宝に会いに行く」&ぶらぶら美術・博物館の日光東照宮!

2017-10-04 14:01:19 | 日記 テレビ
なんと2週間ぶりです。

楽しみにしていた
趣味どきっ!「国宝に会いに行く」が昨日から始まりました。

第1回は日光東照宮

でも,この放送は2015年の再放送なので,
現在とは少し違います。

現在はというと・・・
9月15日放送,
BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」の日光東照宮です。

2つの番組を比較しながら・・・

どちらも言っていたのが,
「平和」です。
徳川の世になり,平和になったから,この平和が続くようにと・・・
「ぶらぶら美術・博物館」(以下「ぶらぶら」)
表門の獏については
「悪い夢も食べるけど,鉄も食べる。
 平和になったから,獏は鉄を食べられるようになった,ことを意味する。」
(鉄で戦争道具を作らなくなった。)
 
以前なら,
「あくまで徳川による平和でしょ!」と文句を言いたくなっていた私ですが,
藤木久志氏の『雑兵たちの戦場』など中世の本を最近よく読んでいたので,
食べるために戦争を続けていた戦国時代の人々のことを考えると,
平和ってすごく重要に思えました。
でも,・・・だからといって,
こんなにド派手な東照宮を作るのは,やはり徳川の威信のためですよね。

そしてどちらも言っていたのが,
彫刻には意味がある。
「ぶらぶら」によると,
東照宮の彫刻は全部で5173体
陽明門だけで508体だそうです。
「ぶらぶら」では,東照宮の方が面白おかしくいくつかの彫刻の説明をしてくれていました。

書くときりがないので,彫刻の解説は省きます。

今年3月修復が終わった陽明門
「ぶらぶら」によると,
陽明門だけで金箔24万枚使ったそうです。
(ちなみに,金閣は20万枚。金箔1枚は200円とのことです。
 「漆など,もっと高価なものはいっぱいあります。」と言っていましたが。)
見取り図などをもとに修復したそうですが,
カビとの闘い・・・と「ぶらぶら」では言っていました。

タイトルには趣味どきっ!とも言いながら,
「ぶらぶら」中心の話でした。


ところで少し前に届いた「古文書通信第114号」
巻頭エッセイは「日光社参に参加する人々」
これによると,
日光社参は江戸時代を通して合計19回
そのうち16回は4代将軍家綱までだそうです。
「これは徳川家の威信を示すために行われた公的行事」です。
エッセイには,
社参に対応する人馬の供給のことなどが書かれています。
で,このエッセイを書いたのは,
「堀 亮一」という人
もしかして,解読実践コースになったからいつも添削してくださっている堀先生かしら?
と感動(?)しているATSUでした。


おまけ:今年の夏は,「地獄・極楽」関係のテレビ番組が多かったですね。
おもしろかったです。「ぶらぶら」も「歴史秘話ヒストリア」も

今,北斎など浮世絵の番組が多いですね。
歴史秘話ヒストリアでしていた,北斎の娘「応為(お栄)」よかったですね。
なんと,明日は,久々の国芳!(「英雄たちの選択」)楽しみです。
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え?何で? 趣味どきっ!歴女向けは月曜日に?!?

2017-06-06 14:39:29 | 日記 テレビ
いつも「趣味どきっ!」火曜日を楽しんでいました。
歴女向けなのです。
世界遺産もお城も浮世絵も国宝もそして歌舞伎も火曜日でした。

昨日,テレビ欄を見てビックリ!
え?何で?
月曜日に歴女向けがはいっているではないですか!
うっかり見過ごすところでした。

「おとなの歩き旅」1回目は松本城

こういう番組はついつい姫路城と比べてしまいます。
姫路城天守は5重6階地下1階ですよ。
とか,
姫路城はすでに世界遺産ですよ。
とか,
姫路城は白です。関ケ原以降ですから。
とか,
姫路城天守は連立式,
姫路城石垣が野面積みのところもありますが,切り込みはぎもありますよ。
などなど・・・

ちょっと恥ずかしくなってきました。
地元愛,郷土愛,オーバーですね。

次回は,城下町・松本だそうです。

あれ?
ホームページを見ると,
歴女向けは2回まで?
山登りとかになるようですね。・・・残念・・・


でも,ブラタモリが面白いからいいですよ。
前回の倉敷もおもしろかったです。
30年ほど前に行ったことがありますが,町並みとか大原美術館とか覚えています。
ブラタモリを見てから行くと,もっと面白いでしょうね。

「発掘!お宝ガレリア」はこの前(6月1日)初めて見ました。
NHKの番宣,「国芳」と言っていたのに惹かれて・・・
残念ながら,あの時は雷がすごくて,ハードディスクにきれいにはとれていませんでしたが,
歌舞伎のお煎餅の焼き型も平安時代のラブレターもへーっと思って見ました。
でも,あのラブレター,全く読めません。
古文書の解読力が全然足りません。


それからもう一つ
え?何で?

昨日のこのブログ
閲覧数526 訪問者数141 順位:7,802位 / 2,722,308ブログ中

今まで訪問者100を超えたことはなかったと思うのですが,何で?
何見たんですか?

今日は,朝から古文書のページを見ておられる方がいるようです。
古文書で頑張っている方が多いのでしょう。
でも,NHK学園の古文書の課題の答えや答えにつながりそうなことは,
書かないように気を付けています。


PS.減ったものの今朝見ると,
 昨日の
閲覧数328 訪問者数125 順位:8,558位 / 2,722,784ブログ中
え?何で?どうして?  (6月7日追記)
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盛本昌広『本能寺の変 史実の再検証』&BS歴史館「秀吉 天下取りへの必勝戦術~奇跡の大返しの謎」

2017-04-12 10:28:52 | 日記 テレビ
読書メーターATSUより
盛本昌広『本能寺の変 史実の再検証』
いったい何が本当なのかわりません。
ただ,盛本氏は,膨大な史料・特に一次史料を分析してこの本を書いているということはわかります。
本能寺の変前の天気も当時の日記から調べあげています。
じゃあ本能寺の変は何ですか?と聞かれてもすきっとしません。
すっきりしないのが歴史かもしれません。

そうです。
本能寺の変もその後のいわゆる秀吉の大返しも盛本氏は再検証します。
大返しではない,当時としては普通なのだと。
「要するに40㎞歩くのを異常なスピードというのは現代人の感覚でしかなく,これに驚いているのを知ったら,過去の人は驚くだろう。秀吉もこのように言われて,びっくりしているに違いない。」(146ページ)

そういえば・・・と思い出したのが,

BS歴史館「秀吉 天下取りへの必勝戦術~奇跡の大返しの謎」(2012年,だったと思います。)
ブルーレイに保存していたんですよ。

これによると,当時,足軽でも装備して,食料を持つと,30㎏増。
これで,山道を走るとなると・・・と言っています。
でも,秀吉は炊き出しをしたため,食料を持ち運ぶ必要はなかった,と。
姫路城にある金銀財宝はすべて投げ出し大盤振舞い。
士気を高めた,と。
あとは,情報をつかんだり,使ったりするのがうまかったことなど。

私には,いったい何が本当かわかりません。
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