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2年8ヵ月ぶりの海外(2022フランスno1)

2022-10-31 | ヨーロッパ

   エリザベス女王が亡くなられウエスタミンスター宮殿に弔問に訪れる国民の連なりがテムズ川沿いに並び24時間待ちとかのニュースが流れていた。25万人もの国民が弔問に訪れるかもとのニュースも。如何に国民に愛されていたのかと感涙ものだ。

 一方は日本国。安倍元総理の国葬だ。新聞社などの世論調査では、いずれの調査でも「国葬反対」が賛成を大きくといっていいくらい上回っていた。その民意を横に置いて決行された。 国葬といえば多くの方が半旗を掲げ、黙とうをささげるのが国葬のあるべき姿だったのではないでしょうか。確かに安倍元総理の亡くなり方は異常だったし、悲しむべきことだった。憲政史上最長政権だったという。これはただ他にやる人いなかったんじゃないの。と言いたくもなってしまう。その安倍政権って何をしたの? と振り返ってみても「森友・加計問題」「桜を見る会」しか記憶に残っていない。「アベノミクス」とか「三本の矢」とか言ってたけど、賃金はここ30年間ほぼ横ばいだという。諸々のスポーツで宿敵の韓国にも抜き去られるというみじめさ。プーチンと何回会談しても北方領土は微動だにしていない。せめてせめて北朝鮮との拉致被害者の問題でも解決していれば、大きな功績として残ったでしょうが、これにも何ら手が付けられなかったようだ。

 日本の国葬翌日の仏紙ル・モンドでは、「7月8日に選挙演説中に暗殺された安倍元首相の国葬は、国民の強い不満を呼び起こし、岸田現首相の支持率を著しく低下させた。誰からも何の疑問を抱くこともなく行われた世界的な影響力を持ったエリザベス女王の国葬は、イギリス国内だけでなく世界中の人々の感動を呼び起こし、この日本の国葬とのコントラストを際立たせた」と書いていました。 国葬を機に弔問外交を行うと意気込んでいた日本政府にとっては大誤算で、結果として、G7(主要7カ国)の現職の首脳は一人も参加しないものとなってしまった。

  そんな今世紀最大のため息が出るほど美しいイギリスの国葬の後の日本の国葬は、日本の粗を露呈する以外のなにものでもなく、もはや報道に値するのはその国葬儀自体よりも、そのことによる日本国民の分断や旧統一教会などのスキャンダルがボロボロ出てくることなどの報道が柱になってしまう感ありだった。

    コロナ騒動もだいぶ穏やかになってきたようだ。海外からの受け入れ制限もなくなったようだし、GoToドラベルも名前を変えて再開された。マスクも時とところによっては外していても大丈夫とも言い始めた。そんな環境の折、2020年2月以来の海外旅行をもくろむのでした。

 朝早い時間での旅立ちとなり、空港ラウンジで簡単な朝食。

 搭乗機はJALのパリ行き。8時30分羽田空港を飛び立つのでした。

 搭乗直後にシャンパンをいただいて離陸してから1時間余、早めのお昼ごはんが始まった。

 マスクしてたけど、かわいいだろうCAさんがお代わりに勧めてくれたサントリーのウイスキー「山崎」は、何年物か知りませんがなんとも美味しかった。

 食事時間が終わると機内の灯が薄くなり午睡の時間に。

 テレビ画面に飛行路が映し出されている。私はこの画面を選択するのが好きだ。ベーリング海? 飛行機は北に向かっているのでした。右にアッツ島という字が見えている。これは聞き覚えのある島の名前だ。第二次世界大戦、いや太平洋戦争というのかな。日本軍が占領していた島をアメリカ軍に奪われる戦いがあった島だ。1943年(昭和18) この戦いの敗北が、日本軍が初めて太平洋戦争で負けたことを国民が知った戦いであったそうだ。

 ウクライナのナチを倒すといって始めたらしい軍事作戦が飛行機の航路を変えさせてしまった。南回りかな? と思っての航路はロシア上空を避けて北極海への北回りでした。多くの発電所を破壊して電源をシャットアウト、冬を迎えようとするウクライナ国民を凍死させてしまう軍事作戦なのか。もう8ヵ月にも及ぶ侵攻。戦争と軍事作戦がどう違うのか説明してもらわなければ分かりません。いずれにしても、自分がナチになってしまったプーチン殿はこれから何をどうしようとしているのだろうか。この不埒な出方に世界がもっと怒らなければ収拾がつかないのではないしょうか。

 席が窓側でないため下界の様子が分かりませんが、飛行機は雪原を飛んでいる。目的地の現地時間は 12:13 としている。時差-7だから日本時間では夕方の5時過ぎということ。9時間近く飛行したことになる

 ただいまグリーンランド上空。アイスランドを越えてパリへ向かっています。同時刻に出てきたのが次の画面。目的地まであと3時間16分と教えてくれている。

 

 地球の半分が睡眠時間。きれいな画だ。

 ロンドンの上を通ってパリまであと1時間。ロシアの上を飛べれば多分コペンハーゲン辺りからパリに向かっているだろうけど、遠回りは何時間無駄な時間を過ごしていたんだろうか。

 町に入ったのは空港から1時間ぐらいだったかな。何の遮蔽壁か分かりませんが、壁には落書き、これも芸術の都の一端か。

 シャルル・ドゴール空港に到着したのが15時40分ごろだったか、入国もお荷物検査も特別問題なし、スゥーっと空港を後にしてバスに。日本への入国はそんなわけにはいきませんよ。ずっとずっと後刻にお伝えいたします。

 

 このあと旅するセーヌ川を渡ります。この日の写真は、ここまでで終わっていました。川に沿って走ると現在修復中のノートルダム寺院なども見えていました。お宿はこのセーヌ川沿いにあるのでした。

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