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熊本城(2021九州no12)

2022-03-04 | 九州

 熊本のお城にやってきた。入城前に熊本城ミュージアム「わくわく座」にちらっと寄った。親水空間ステージで「おもてなし武将隊」が踊ってた。

 

 お城に向かって歩きます。

 平成28年(2016)熊本地震からの復旧工事がまだ進められていますが、2019年10月から特別公開がはじめられたそうだ。でも新型コロナ「まん延防止等重点措置」の影響で閉じたり開いたりだったらしい。その参観のためにこうした見学路できたのでしょう。

 

 見学路の真下で復旧工事が進んでいました。

 立派な石垣だと思って撮影したこの写真が大阪城のホームページにもあった。そこでは「忍者も登れない武者返し」として紹介されていた。

 本丸御殿の床下の「くらがり通路」らしい。こんなところを通ってお城に向かうのでした。

 

 お城前の広場に出た。ううーんと思ってしまうのですが大阪城、名古屋城と並びこの熊本城が日本三名城だいうのだそうだ。四名城とすれば姫路城が加わるのかといいたくなるのですが、まあいいでしょう。時の城主加藤清正が7年の歳月をかけて造り上げたといい、西南戦争で大部分が消失、昭和35年に鉄筋鉄骨コンクリート造りで再建されたという。だから私は名城とはいいがたいのです。コンクリートでは嫌だ。古を残した木造でなければやはり物足りない。

 当時城主だった加藤清正が朝鮮から帰国し、1599年に築城に踏み切ったといい、関ヶ原の戦いの頃には完成まじかの天守がそびえていた・・・と説明しています。九州の地図に赤く塗られているところが徳川家康軍についた殿様の所領地としています。清正も少ない赤印の仲間。

 1階には加藤時代の諸々の展示、2階には細川時代を展示しており、3-4階にも近代、現代と展示は続いていた。1階に入ったところには、まだ完成していないのか大天守と小天守の模型があった。

 いつ頃の写真なのか説明がありませんでしたが、小天守と宇土櫓と書いてあり長崎大学図書館蔵としてありました。さて、本命の大天守はどこなんだろう。

 天守閣の最上階6階展望フロアから写しました。落葉し敷き詰められた銀杏の黄色が美しい。まるで張り付けてあるようだ。熊本城の別名を「銀杏城」と呼ぶそうです。加藤清正のお手植えとか、西南戦争で焼けてしまい現在のイチョウは燃え跡から生えてきた二代目だという。

 下の方に先ほど歩いてきた仮設の見学路が見えています。この仮設路が取り払われ城内を自由に歩けるようになるのはいつの日か。

 

 2016年被災後2017年4月から復旧に取りかかり、石垣の復旧では大天守で791石、小天守2500石を積みなおしたなどと書いてある。

 

 

 この建物は多分何とか櫓というのでしょうが、手前も櫓も復旧工事中でした。

 帰り道には被災前後のこんな写真が並んでいました。その一部分を切り取ったのが次の写真。崩れ落ちた石垣が悲惨。

 

 

 現在地が駐車場。特別公開エリアを約2時間ぐるっと一回りして帰ってきました。このあと皆さんは水前寺公園に寄って熊本空港から羽田行き。私はひとり新幹線で広島に向かうのでした。

コメント
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