六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

イヌ 飼いたいけど・・

2005年03月31日 | 日々のこと
 あ☆しまった。買い物の帰りに近所の桜がどのくらい開花してるかチェックするつもりだったのに。ちょうど公園にさしかかった時、珍しく愛想の良いイヌを連れた人と行き会って、撫でさせてもらえたのが嬉しくて、桜の方を見忘れたっ!

 東京で寂しいのは、見知らぬ人のイヌを撫でさせてもらえないこと。
 東京の人って、通行人に迷惑をかけちゃいけないという配慮からだろう、飼主のリード捌きがとても神経質。うっかりイヌが近寄ってきて仲良くなれてラッキー、って事がない。田舎ではよくあるのに。イヌ自身もちゃんとしつけられているためか、見知らぬ通行人から可愛がられた経験がないためか、すれ違う時こちらにほとんど関心を示してくれない。
 こっちも「イヌ連れ」なら、声もかけ易いが、「ただのイヌ好きでーす」じゃ怪しまれるかもしれない。
 だから我慢して平然とすれ違う・・けど寂しひ・・イヌ、撫でたい・・

 いま住んでいる賃貸はペットOKだから、飼おうと思えばすぐ飼える。

 けど、我慢。

 なぜならイヌは、飼って最初の1年がタイヘンだからだ。赤ん坊をひとり育てるに近い苦労をする。
 ・・そりゃ、適当に飼うなら話は別。でも後々「いいワンちゃんね~」などと誉めてもらえる飼主冥利につきる《かわいいお利口さん》にしたかったら、そのくらいのエネルギー注入は覚悟しなければ。以前飼っていたイヌが、そうだったもの。・・まぁ、人間の赤ん坊と違って、そういう集中子育て期間は1年か1年半で済むからラクなんだけどね。
 飼主の方も「イヌの居る生活」に適応するよう生活パターンを変えなければならないし、その後の人生設計も「10~15年はイヌが居る」ものに変えて考えなければならない。

 そう考えると、今は「イヌを飼うべき時」ではない。

 ダーリンとの生活が今後どうなるか、まだ不透明だし・・いや「ふたりの間」そのものはそんなに心配してないんだけどね。外野がね。双方、高齢の両親が幸いにも健康に存命だけれども、今後どうなるか分からないし。

 何より、人生設計に加味して考えなければならない最大の不確定要素がある。
 「こども」だ。私とダーリンの。

 今はイヌよりも「こども」をもつ事を優先で考えなければ。
 ・・いや、こればっかりは「優先で考えて」何とかなることじゃないかもしれないけど。

 こどもが欲しい。
 今はその事で頭がいっぱい。

起立、しないんですか?

2005年03月29日 | 文化・社会
 世の中は春、三月。旅立ちの時、卒業式シーズン。
 卒業式といえば、式典での国旗掲揚、国歌斉唱。

 ・・昨夜は珍しくダーリンが早い時間に帰宅し、私も珍しく夕飯の支度が出来ていて(いつもは、予想外に早く帰宅されると慌てる・・ ^^;)「すぐ食べられるよ~」なんてイイ雰囲気だったのに~。
 ブチ壊してくれたよ、NHKのクローズアップ現代。

 腹立つ。なにアレ。
 NHKもとうとう「インテリコドモな左がわでーす」と公然と宣言することにしたのか。
 せめて最後に「自分の国の旗に向かい合い、国歌と定められた歌を歌うという行為に、私たちはなぜ抵抗を感じてしまうのでしょうか」くらい問いかけなさいよ!

 この問題はそもそも教員たち自身が、自分の国は劣っていて、過去の人々や自分につながる先祖は誤った恥ずかしい者と教えられ、歌ったり国を愛したりすることが戦争賛美につながると信じているから、結果、めぐりめぐって「強制」される破目にまで至ったんでしょう?

 インタビューされていた教員の一人が「子どもは国のために卒業するんじゃない。一人一人がこの学校を巣立っていくのが卒業式だから、式典には校歌だけで良い」と答えていて、唖然とした。

 自分の目の前しか見えていない。

 その、アナタの可愛い子どもたちが卒業して入ってゆく先は、他でもない日本という「国」なのよ?子どもたちに、はなむけに希望でなく厭世を、自律でなく放縦を手渡すなんて。
 学校に留まる教員自身は自分の信念を貫いて気持ちイイかもしらんが、それって「子どもを預かり社会へ送り出す職」としてどうなのか?

 そもそも、アナタが歩く道路は「日本という国」に生きる人々が快適な暮らしのためにお金を出し合って整備した場所なのよ?アナタが食べたご飯は、名も知らぬ先祖が命がけで開墾した田んぼに実ったお米なのよ?アナタの飲む水は、孫の代までと考えて木を植えた山から流れてきてるのよ?

 こういう浅学で視野の狭い厭世主義・個人主義が、どれだけ子どもたちの魂を傷つけ「社会の中で生きていく力」を削いでいるか。
 だから礼儀も知らないコドモ丸出しのバーチャル守銭奴がちやほやされる軽薄な世の中になっちゃうんだ。

 第一、お行儀が悪くてみっともないさー、国旗国歌で起立しないなんて。

 行儀というのは「他者への配慮」から生まれる。
 自分には抵抗があろうとも「他者が大切にしているもの」には公的な場で一定の配慮を態度で示す。それが「おとなとしての、格好イイふるまい」ってもんでしょう。それを体現してみせるのが教師の役目じゃないのか。

正体見たりホリエモン

2005年03月24日 | 文化・社会
 「冒涜」=神聖・尊厳なるものをおかしけがすこと(広辞苑) 

 昼のワイドショーの単独インタビューで。
 世間の批判や、自分に対する評価が過少だと憤慨して彼は繰り返し言った。「それはボクに対する冒涜ですよ!」

 ・・アンタは神か。神聖なのか。

 たとえば「それってボクに失礼じゃないですか?」とか「過小評価が過ぎますよ」「暴言ですよ」と言うならまだ分かる。「冒涜」って言葉を選ぶあたりに心根が見えるね。

 もっともダーリンは「こいつは日本語を知らないんだ」とコメント。
 そうかも。

 さらに、今後どんな事をやっていきたいか、という話をしていて「ボクは知的好奇心が旺盛だから、いろいろ興味があるんですよ。やってみたい事がいっぱいある」と言っていたが、とうとう最後まで《こういうことをするからきっと皆さん喜んでくれますよ》とか《社会にこういう貢献がしたい》という表現は全く出てこなかった。
 キャスターがくりかえし「周囲に理解されるためには説明が必要ですよ」と言ってるのに、「何で説明する必要があるんですか」と切り返したあげく、「ボクのこと、そんなに理解されていないと分かってなかった」と答えた。

 もしかしてホリエモン、頭悪い?

 ・・ま、頭良ければ、「東大には、合格する事が目的だった」なんて「学問への志なき自分」をさらけ出すような恥ずかしいこと、絶対に口にはしないわね。

 さらに彼は言った。「欲望は無限に拡大する」。それが、ホリエモンにとっての真理であり、自己正当化のなによりの根拠らしい。

 本当に分かってない。京都議定書で愛知万博な今現在の日本にいるのかホリエモン!地球は21世紀を迎えているんだぞホリエモン!そんなバブル期みたいな人間観を、経済社会観を、まだ引きずっているとは!

 人間の欲望の拡大に沿った、成長を前提とする経済活動や社会構造はもはや限界目前だ。だから地球規模の環境問題解決の道を、さまざまな人々が模索している。
 そういう時に、違法じゃないからと不備をすりぬけ自分だけがオイシイ思いをするのをひけらかして、大衆の無限の欲望を煽るのがどういう行為か、自覚のないのが本当に腹立たしい。煽った責任感なんて皆無だろうし。

 また、彼は言った。「お金お金って皆さんボクに言うけど、もっとみんな、金に敬意を払うべきですよ。ボクが帰宅してくつろぐ部屋も、眠るためのベッドもみな金で買うんです。それ、あたりまえの事でしょう?」

 ・・はぁ? 

 言いたい事はわかるけど、もしもし?

 金も、部屋もベッドも、「物質」だよ。それに「くつろぎ」がくっついているわけじゃないよ。
 まして「敬意」を払うって、そんな価値、もともと「物質」には付随してない。

 すべては「人の心」が、評価するのに。

 さるさる日記の2月8日に書いた。もう一度書く。

 女性性優位の事業である、有機的存在の健全維持(自然保護も含め)とその再生産無しには、人間社会は存続できない。いくら科学技術が進んでも、人はひとかけらの生命も生み出してはいないのだ。その事を忘れ、あるいは意図的に無視し、自らが再生産できる無機物(=物質=金)の多寡と再生産能力で社会的地位と評価を決める。そういう「男性性優位」の近視眼的社会が、政治が、いま国そのものを、人類そのものを、存亡の危機に陥れている。

 そういう視点をちょびっとでも持ちたまへ、ホリエモン。


本日のお言葉

2005年03月22日 | 心や命のこと
 本日のお言葉は、がくほうさんの日記 http://www2.diary.ne.jp/user/121029/ から。

 『私が無駄に過ごした今日は 昨日死んだ人が 痛切に生きたいと願った一日』

 本当にそうだなと思います。
 ちょっとくらい切なくても、辛くても、「精進せねば」という気持ちになります。

 春の気配が肌をなでていくみたいに立ちのぼるこんな日。昨年の11月に亡くなった伯母を思い出します。
 伯母は華道の師範でした。花菖蒲のような女性でした。
 私の祖母は70歳前に亡くなったので、幼かった私はあまり覚えておらず、私にとってはこの伯母が「若い祖母」のような存在でした。

 亡くなる半年ほど前。
 ダーリンとの事を伯母に相談しました。両親と、私と、伯母と、伯父と伯母と(親戚が多いぞ・・実は他にももっと居るのだ ^^;)6人で話し合い、伯父伯母は皆、私の味方になってくれました。「好きな人と添わせるのが一番だ。たとえどんなに条件が良い相手でも、好きでもない人との結婚生活なんてみじめなだけだ」とその場で両親を説得してくれました。

 もちろん、両親は頑として受け付けません。
 両親の性格をとてもよく知っている伯父伯母は、顔を見合わせて、やれやれとため息をつき、話し合い終了。

 でも私にとってはこれで充分ありがたかった。
 披露宴って結局は、こういうお世話になった親戚などへのご報告の意味もあるわけでしょう?だから話し合いの場にいてもらえれば「なぜ私が正式に結婚できないでいるか」を理解してもらえる。それでいいや、と思ったの。

 両親が帰る支度をするため席を外した時、伯母は私に言った。一言だけ。

 「おばさんは、わかってるからね」

 ・・うん。ありがと。

 その後、伯母は口腔内に癌ができ、痛みで喋れなくなった。亡くなるまでの数ヶ月の間に、帰省して何度か会ったし筆談もしたけれど、結局、何気なく言ってくれたこの一言が、私とっては遺言になった。

 おばさんは、わかってるからね。

 遺された者にとって、こんな幸せな遺言が他にあるだろうか。

今日もびみょーな気持ち

2005年03月21日 | 文化・社会
 昨日の新聞に、16日に触れた「韓国人スキー客」についての顛末が掲載されていた。もちろん不倫旅行か否かは書いてなかったけど(苦笑)

 まとめると、こういうことらしい。
 たしかに彼らは、捜索隊出動要請はした。けれど捜索隊は二次遭難を避けるため、開始を翌朝にした。その間に5人中4人が自力下山していた。だから「《働いて》ないのに払う必要があるか」と費用を払わずに帰国しちゃった。
 
 ・・うーん。びみょー。
(日本人なら「ありがとう代」「よかったですご心配おかけしました代」として払いそうな額だが・・)
 
 ついでに、何で竹島だったかというと「この微妙な時期に、よりによって日本に遊びに行ってたのが周囲にバレたら非難される、どうしてくれるんだ!」ということだったらしい。不倫かどうかは別として。(←しつこい? ^^;)
 ・・まぁねー。公職にある分別ある人が、公衆の面前で血文字を書こうとするくらい熱い国民性だものねー、日の丸燃やしてついでに自分も燃えちゃった熱い人もいたしねー、そりゃコワイというか怒って見せないと面子が保てないわよねー・・。

 和をもって尊しと為す日本人は、こういう激しい反日感情に触れるとビックリする。なかなか理解できない。特に山形の温泉街なんて、素朴であったかいおっちゃんおばちゃんが多いから「んなんだーアレ」「ちょっと常識ねぇんでねの?」「慌てて帰ったっつーことは、知られでまずいんだべ」「知られでまずいんだら、不倫だべや」「んだんだ、きっと不倫旅行だ」・・ってことになった、のかな?ははは・・

 ・・つーか、何も血文字書かなくたって、自分で燃えなくたって、国際法上認められるなら竹島も対馬もそちらのものでしょ。認められないと知っているからそんなパフォーマンスするんでしょ?
 過激にやれば日本人はびびって、わりと多くの国民が「そうかもしれない・・」と自分の国を疑うと、知っているから。

 でも違う。いま、静かなうねりが広がりつつある。

 対馬はもちろん、竹島も日本領土です。沖縄と同じように、小笠原と同じように、尖閣諸島も鳥島も、歯舞、色丹、国後、択捉も、日本の島です。ちゃんと認めて、還すものは還して下さい。

 同じ土俵には立たない。ケンカになるから。和と平和を愛する日本人には、日本人のやり方がある。

 ブロードキャスターのアンカーマンが言っていた。
 「アジアには大きな潜在力がある、なのにこういう反日感情でバラバラになっている。それで得をするのは誰か?アメリカだ」・・。

 中国も、韓国も、国内対策とはいえ反日教育をもう少し考えてもらえないかな。

 京都議定書も批准せず、貴重なアラスカの自然保護区も手をつけようとしているアメリカ。バカブッシュを無邪気に支持する「世界のジャイアン」アメリカ。地球が滅んでも、星野道夫も愛した世界の宝の一部が永遠に失われる可能性があっても、いま現在のアメリカ経済さえ安泰ならば良いと言っているも同然なアメリカ。

 こういう状況に全く関心がなくてメディアを乗っ取って、ホリエモン、あんた何か出来るの?何もするつもり無いでしょ。
 ふたたび、かのアンカーマン。
 「コドモがお金で遊んでるだけに見えマース、良くないデース」
 
 はい。仰るとおり。
 

神奈川県の水源環境保全税

2005年03月17日 | 自然関連
 軽く風邪ひきました。7度2分。
 ここ数日の暖かさにもかかわらず「さらさらする」(ウチの田舎の表現。ゾクゾクという悪寒ほどではない、軽い体調不良の意味)のでヤバいな~とは思っていたのですが。
 今朝は仕事しながらくしゃみと涙が止まらなかった。
 でも周囲の人には、対策不十分の花粉症と思われたに違いない。通常は世話好きな人が「風邪?大丈夫?」とか話しかけてくるものだが、今日は全くなかったから。
 ・・それともまさかマジで花粉症デビュー?・・とは思うが、やっぱり違うと思うなぁ。だって戸外にでると逆にスッキリして気分がいいんだもの。

 ボーっとしたアタマで今朝聞いたニュース。神奈川県の水源環境保全税について。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050316-00000108-mailo-l14
 この提案は徹夜の審議のあげく「お持ち帰り」になったそうな。

 そうか、神奈川県でもダメか。

 もちろん提案の詳しい内容を知らないから何とも申し上げられませんが。こういう「環境税」的なものが、受け入れられるものなのかどうか、の方に興味があった。

 よそ者の勝手な印象ですけれども、「神奈川県民」とは、都会的で裕福で、人手の入った緑が好きで、動物愛護への関心が高い。「田舎モン」(^^;)がいない。県内は、どこまで行っても人の気配がある(他地域のように「人の気配がしない場所」が山奥にも無い)。水源地域が丹沢山塊という1箇所に集中しているから、県ぐるみの環境施策についての議論や思考の焦点が絞り易いという地域特性がある。

 そういう県民性をもってしても、こういう税の取り組みは受け入れられないんですねー。やはり日本人、「水と安全はタダ」の感覚は強いんでしょうかねー。
 それとも、提案の中身の方が問題だったんでしょうか?

 もっとも、神奈川県人、自然や動物をいじりすぎではないかしら。
 アライグマとかタイワンリスとか外来種問題の中心地のひとつだし。丹沢の野生動植物は柵とかのせいで酷い事になってるし。
 愛情のあまり、浅い考えでいじりまわし甘やかし「良かれと思う人間の都合」を最優先で押しつけるから、徒労のあげくダメにしちゃう哀しい現実。

 人はもっと、自然に対して謙虚に行動するべきだと思う。

 とはいえ「行為の謙虚さ」の基準そのものがヒトと自然で違っていたりするから、なおさら困惑するんだよねー。

清く正しく、そしてうつくしく

2005年03月16日 | 文化・社会
 昔、コンビニでバイトをしていた時。店内の防犯カメラが、出入り口や陳列棚だけでなく、ある角度でレジも映しているのに気づいてハッとした事がある。店内の不審者を警戒すると同様に、レジを預かる私たちバイトもまた監視されているも同然なのだと気づいたのだ。
 いい気分はしなかった。
 しかしすぐ考え直した。不正をしなければいいのだ。正々堂々と働いていればこんなの気にしなくて良い。

 昨今、増加する犯罪のせいで街角にも監視カメラが増えた。もちろんいい気はしないが「安心感という恩恵」に勝るものはない。

 要は、清く正しく生きていれば、監視の目があろうとなかろうと、何もこわがることは無い、ということだ。

 何でいきなり自分にそう言い聞かせたかというと。
 ネットってコワイと思っちゃったからだ(^^;)

 蔵王温泉の雪山で韓国人観光客らが一時行方不明になった。捜索隊も出、結局無事だった。
 ところが、それでメデタシメデタシとはならなかった。
 彼らは「捜索してくれなんて頼んでない」と、かかった捜索費用の支払いを拒否。あげく「実名報道された!非道い!帰国したら訴えてやる!」といきまいており、竹島問題まで持ち出したというのだ。

 ???である。

 一部報道はこれを「国民性の違いが出てしまった事例」と解説。
 たしかに日本人は「自己責任」に対する厳しさが足りないというか、親切でお人よし過ぎるというか、「荒川のうさぎ問題」でもちらっと触れたように、他者に対して「情で境界をユルめる」傾向がある。
 もちろんそれがあるおかげで住みよい風土が形成されているのだから、その国民性を一概に欠点とは思わないのだが、「助けてあげたから感謝してョ。お金も払って。」と言うのは、もしかしたら外国人にとっては大きなお世話だったかもしれない。「生きようと死のうと勝手だろ、恨みも賠償請求もしないから放っといてくれ」ってことか、とは思う。

 (もちろんそういう外国人は別の機会にとっつかまえて「郷に入っては郷に従え、というではありませんか。ここは日本です。親切と感謝、おせっかいと甘えに満ちあふれた、オソロシクやさしい国なの。従うべし!」と説教せねばなりませんが。)

 ・・いや、それにしても。
 何で竹島?ハッキリ言って無関係な問題やん。
 この時期とはいえ、何でそんな事まで持ち出して怒ってるわけ?

 ・・と思ったら「どうも彼らは不倫旅行の最中だったらしい」という情報がネットを駆け巡った。

 あ、あー・・なーるほどねぇ。「そういう事情」なら、竹島まで持ち出さなきゃー怒りはおさまらんわねー・・ははは・・。
(不倫こそ自己責任だろう、というツッコミも書いてあったな ^^;)

 本当に不倫旅行だったのか、真偽のほどは不明だ。虚報ならとんでもない名誉毀損な話だが、いずれにしろ既存のマスメディアが報じないそういう情報が、まるで引火するようにパッとネットを駆け巡るのを目の当たりにして、舌を巻くやら慄然とするやら。

 ・・でもまぁ、こういう例を目の当たりにしてビビッてたってしかたないわね。
 要は、日々自らを律して、清く正しく、人様にご迷惑をかけないよう立ち居振る舞いをうつくしくしていれば、ネット社会もコワい事はないはず。
 ・・あとは運悪くヘンなのに引っかかったり、目をつけられたりしなきゃ、だな。(こればっかりは、運頼み、神頼みだ・・)

本日の読書

2005年03月15日 | 読書
 会社の都合で、今日は勤務を半日削られた。そこで午後は久しぶりに書店へ出かけた。
 ・・図書館でも良かったんだけど、時間の空いた理由が理由だからさ、納得づくとはいえ心がどこかスサむよね・・。そんだもんだから「ピカピカの商品」に囲まれて幸せ気分になりたかったわけですよ。

 平積みの話題本(「対岸の彼女」とか「グランドフィナーレ」とか)をぺらぺらめくり、山古志村のマリちゃん(絵本のタイトル忘れた・・)にうっかり涙が滲みそうになり、成長の限界系のダイヤモンド社の本は厚さと値段を見て図書館に入るまで待とうと思う。
 そして本日、一番長時間手に取っていたのは「ダーリンは外国人」!!
 こ・れ・は・おもしろいー!!
 実は店頭で1,2巻とも読破してしまったが、次回の給料日には多分購入すると思う(笑)

 というわけで本日購入したのは2冊。
 1冊は、先月さるさる日記内でちらっと触れた「オニババ化する女たち」。ヒマな夜に読む用。

 もう1冊はマンガ。
 ・・私は店頭で新刊を「発見する」のが楽しみなので、コミックの発行予定表などは見ないことにしている。
 今日は「バルバラ異界」かパームシリーズの新刊は無いかと思って売り場をチェックしに行った。そしたら竹宮惠子の「ブライトの憂鬱」を発見!即、購入ー。

 こーゆーのが、楽しいわけよ!

 このシリーズなつかしー。私はおヤエさんのファンなので、続編は嬉しいゾ。

専門化(細分化)社会の弊害

2005年03月14日 | 文化・社会
>・・つーか、ホリエモンを支持する人たちは、この問題がそういう議論につながるんだと、絶対意識してないと思うなぁ・・

 これと似たような感想を持ったのが、「青色発光ダイオード」の訴訟だ。
 発明者の教授がサラリーマン時代に発明した、青色発光ダイオード。おかげで私たちはセンスの良い青いクリスマスディスプレイを楽しむことも可能になったし、逆光に信号が見えなくて怖い思いをすることも無くなった。
 この世紀の発明に対する対価として200億円だかを認められたけれども、そんな大金払ったら訴えられた会社が潰れてしまう、また、似たような訴訟が次々に起こされたら傾く企業が増えて経済界にダメージが及ぶ、と和解が勧告され、8億円だかで決着させられた。
 教授は声を裏返して「信じられない!」を連発。減額の根拠も不明なまま金額を提示され、それを呑めと要求されるとは、個人の才能をこの国は何だと思っているのか、と。「才能のある人はアメリカへ行きなさい」と彼は言った。「才能の無い人はダメですよ、でも、ある人なら正当に評価され対価を受け取れる国へ行きなさい」と。

 経済界の人は、経済のことを考えるのが仕事。
 しかし、同じく才能が決め手であるプロ野球選手なら億単位の年収も夢ではないこの国で、「100年に一度」の発明をした頭脳についた値段が、8億円とは。

 今回の結末によって、頭脳の国外流出のリスクがさらに高まったこと、若い世代に「この国では、勉強してても稼げないからな」とメッセージを送ってしまったことを、経済界も、和解勧告を判断した司法も、わかっているのだろうか?
 
 絶対、考えもしていないに違いない。「学力低下は教育界が考える仕事だ」と思っている。
 
 「学んで行き着く先」に夢を持てないから・・大人が、子どもに対して語るべき言葉を失ったから、子どもはそれに素直に反応して学力が低下してるんじゃないの?


見えないものを

2005年03月14日 | 文化・社会
 昨日の「男と女の、倍率の違う接眼レンズ」について、もうちょっと。

 そのこと自体は、仕方の無いことだと私は思っている。だって脳の構造からホルモン分泌から社会的文化的立場から違うのだもの。
 「お互い、それぞれに見えにくい次元がある」。
 それはそのまま受け入れるより他に方法がない。

 問題なのは「その事実」ではなく、それに対する「態度」や「対処の仕方」の方だ。

 自分の目には見えないものを、「在る」と思うか「無い」と思うか。
 それによって人の態度は変わる。

 たとえば一昔前に流行った「亭主元気で留守が良い」というキャッチコピー。あれは、既婚女性を揶揄しているようでいて実は、「女の知恵」を良く現していると思う。
 女は、男が「女には見えにくい次元のものを見ている」と知っている。
 見えない次元のものは、「ある」と思っている。
 そして、見えにくいため参画するのが困難だから、「留守がいい」と口に出して自らを能動的に切り離すことで、精神の健康を保つ。
 それは生活の知恵だ。そうすることが結果的には、自分にも周囲の人にもメリットのあることだと分かっているから。

 一方男は、目に見えないものは「無いものだ」と思いがちではないだろうか。あるいは、見えにくいから「小さいことだ」と判断し「取るに足りないことだ」と評価する。

 たとえばホリエモン。
 あの人は、自分の倍率で見えるものしか「無い」と思っている。そして他の人もみな同じ倍率でものを見ていると思っている。さらに、違う倍率を持っている人のことは「眼中に」無い。
 焦点深度の浅い人。
 そんな人に、既存メディアが扱えるのか。

 それとも既存メディアは役割を終えたと切り捨てられる時期にきていて、そこに付随する「ささやかな人々」もまた切り捨てられて仕方ない時代だと考えられているのか。

 それでいいのか。

 ・・つーか、ホリエモンを支持する人たちは、この問題がそういう議論につながるんだと、絶対意識してないと思うなぁ・・

男と女の間には冥くて深い川が・・2

2005年03月13日 | 心や命のこと
 前回の「男は男なりに、不器用なりに」という表現には、補足が必要かもしれない。
 
 「不器用」というよりは、大づかみと表現した方がいいのかな。

 それは顕微鏡の接眼レンズに例えると分かり易い。
 プレパラートの上に対象物を載せて、ある倍率の接眼レンズを用いる。たしかに物体を載せたはずなのに、まるで何も無いかのように見えないことがある。そこで別の倍率のレンズを持ってくる。すると魔法のようにくっきりと像が立ち上がってくる。(小学校の昼下がりの理科室はホグワーツばりの魔法学校だった・・余談)

 男と女はいわば、倍率の違う接眼レンズを持っているのだ。
 同じものを見ていても、脳裏に同じ像が結ばれているとは限らない。

 ひとつの事象を異なる倍率でそれぞれに観察し、情報を伝え合い理解しあい、お互いにカバーし合えれば理想的だ。
 しかし現実はそうはいかない。自分の倍率で見えたことから物を言い、異なる倍率でしか見ることの出来ないものは「無い」と断定してしまう。
 自分の目に映った、という「体験に基づく発言」だから、主張には迷いが無い。そしてかたや相手を「狭量な見方だ」「些末な事だ」と嗤い、こなた他方を「あまりにも無神経だ」「杜撰で早計だ」と怒る。
 そのすれ違いのすきまに、悪意をもった第三者がすべりこむ余地が生まれてしまう。

 たとえばNHKと朝日の泥仕合のそもそもの発端となった「従軍慰安婦問題」という問題。
 あれはもちろん「ある意図をもった」存在による捏造に違いないけれども、そんなものが巨大メディアを巻き込み将来性ある政治家を陥れかねない事態にまで大きくなった背景は、男には見えない倍率だった「女の痛み」を「無い」ものとして無視軽視してきたツケである側面も、あると思うなぁ。

 だから男性の倍率で声高に高圧的にものを言うだけでは、この問題はなかなかスムーズには解消しないと思う。

 女自身が「女の誇り」の問題としてこれときちんと向き合わないと。そして、男性と異なる倍率のものの見方があるんだと、ハッキリ言葉で伝えていかないと。

 いつまでも「社会とかァ、世界情勢とかァ、難しくってェ」と思考停止していたら、巧妙な操作に誘導されて、いつのまにか自分が率先して、愛しい人の尻をひっぱたいて戦場へ送り出すような人間に作り変えられてしまうかもしれないのだから。

男と女の間には冥くて深い川が・・

2005年03月12日 | 心や命のこと
 先日は久々に、ダーリンと議論になった。
 双方、主張に譲れないものを感じていたテーマだったので、途中で議論を打ち切ることができず、気づけば深夜になっていた。

 テーマは「ジェンダーフリー教育の背景について」。

 社会によって上塗りされたり装飾誇張されたりして人を苦しめる「性役割期待」と、社会的価値の評価という「報酬の多寡」。
 歪んだそれらによって、一部の才媛と「家族という名の環境」に恵まれた人を除く多数の女たちが、いかに苦しんできたか。
 今の行き過ぎたジェンダーフリー教育の背景には、そういう男性性優位社会に対する女たち(および女性性優位の価値観を支持する人々)の抗議の思いがある、その経緯(警告)を汲んで考えるべきだと私は主張。
 しかしダーリンは、将来の社会を担う者の教育を考えるにあたり、ジェンダーフリー教育の旗手たる女性たちの根底にある「価値破壊の志向」が許しがたい、と言ってゆずらない。

 ・・ウーン、ここが難しい。

 たとえば野党の主張を、今の世界情勢で現実に起きている様々ないざこざに照らして考えると、とんでもなく国益を損ねていると感じる。そういう時代にあって、内憂を助長するような「既存の社会体制の破壊を志向する教育」がそぐわない、というのは判る。

 でもだからといって、既存の価値観でガチガチに固められた社会は、女こどもの日々の生活やいのちには苦しい。だから少子化と環境破壊が止まらないのだ。過労死などで男の命さえ奪っていく。

 社会に対する「破壊」の志向は、それが「再生」への最短距離だと思ってしまうからだ(女たちは「破壊」は望んでも「崩壊」は望んでいない)。

 だからせめて、今のような、過剰に男性性優位な社会を作っちゃった人たちに反省の気持ちがあればね。

 と言ったらダーリンはふくれた。

  反省してるよ、だから、体育の時間に同じ部屋で着替えるような間違った教育が、こんなにも広く浸透してしまったんじゃないか。

 ・・あ、そうね。
 男は男なりに、不器用なりに、考えている。いのちについて。それを守り育む「場」について。

 「2」へ続く。

ハチ公の命日

2005年03月08日 | 心や命のこと
 本日はハチ公の命日だそうです。

 むかし渋谷のハチ公ショップで売っていたCD「もう待たなくていいんだよ」は、何度聞いても泣ける(今はもう売ってないのかな?)。
 犬好きの人なら、これ聴いたら絶対泣くと思うなぁ。それから、大切なひとを亡くした人も。

 大切な人がある日、目の前からいなくなる。いつもの時間に帰ってこない。
 待ってる。
 帰ってくるのを待ってる。
 でも帰ってこない。
 どうして?
 理由がわからない。どうして帰ってこないの?
 「死んだ」って何?
 待ってる。
 好きだよ。待ってる。
 帰ってくるのをずっと待ってる。

 雑味を排した、それは最もピュアな愛のかたち。

 死も絶望も、まっすぐな瞳の輝きの中に影を落とさない。
 だってわからないんだもの。「死」や「いなくなる」ことがどういうことか知らないんだもの。

 待ってる。大切なひとのやさしい笑顔を想像しながら、ずっと。

 「その人のいない日常に慣れること」は「愛が色あせること」と同じではない。
 だから愛は、軽々と時をこえる。肉体は時間に織られた物質だから、いつしか衰え消えてしまうけれど。

 間違えてはいけない。
 「死」は愛を奪わない。愛を奪うのは、死ではない。

 間違いやすいけど、そうなんだ。

荒川のうさぎ騒動

2005年03月07日 | 自然関連
東京・荒川の河川敷で、ホームレスが飼っていたウサギが野放しになり、増え、穴を掘るから堤防の強度にかかわると国土交通省が柵を設置した騒動。
 もうほとんど報道されなくなったけど、その後どうなったんだろう?「ウサギがこれ以上繁殖しないように、オスとメスに分けて柵内に収容する」ってのは実行されたのか。

 こういう報道に接すると、マスコミってのは全くなぁーにやってんだろねって思う。騒ぎを騒ぎとだけ伝えて、それで充分仕事をしたつもりになっているから知識無いよね。
 コメントを求められた識者や専門家も、少し考えてしゃべったらどうか。「飼いウサギの逸出」と聞いて何も連想しないなら、専門家としてあまりにもお粗末だ。

 一見無害に思える生物が、人の手によって自然の中に持ち込まれることで生態系に多大かつ不可逆的な影響を及ぼし、対応の誤りと遅れが産業や経済に損害を与え、めぐりめぐって人命を危機にさらすことすらある。その危険性が日本でもようやく注目されてきて、外来生物に対する法整備が進んでいる。
 そういう時期なのだから、専門家ならこの機会を捉えて外来種問題まで言及すべきではなかったのか。

 イギリスでは野生化したアナウサギのために田園風景が変わってしまった。在来種のノウサギが減少し、優占する植物が変わり、昆虫相も変化した。オーストラリアでは多額の予算を投じてアナウサギの駆除を試みているが、経済および希少な在来種に対する影響は多大なままだ。

 こういう例を一言付け加えるだけでも、大衆の心の中に何がしかの「ひっかかり」・・議論のための「フック」が形成できる。そうなれば、いざ他の生物で問題が切迫した時、感情論に流されずに自然科学及び社会学的な根拠からの議論ができるのだ。
 なのにそういうコメントに常日頃から接していないから、急に「ブラックバスはダメだ」「ノネコ捕獲だ」「アライグマ処分だ」と聞くとビックリして感情的に反応してしまい、結果「大衆は愚か」で片付けられてしまう。

 先を見越して知識を普及し、意見を醸成しておくのが識者や政治家の仕事なのに。

 マスコミもその知識と心構えがないから、相手がホームレスということもあって飼い主としての無責任を糾弾もせず、「可愛いうさちゃん」が里親希望者にもらわれて行って一件落着という美談でオチ、とするしかなかったんだろう。

 まったくもう。

みちびきのことば

2005年03月07日 | みちびきのことば
 きょうは おいのりをしましたか?
 おいのりは、こころによゆうのあるときにするというものではありませんよ。ないたりどなったりのかわりにするものでもありません。すがったり いばったりするためのものでもありません。

 おいのりは、こきゅうのようなものです。しようとおもわないで しているもの。しないでは いきていけないもの。
 あなたはときどき、うまくこきゅうできないことがありますね。からだはどこもわるくないのに、じぶんでいきをころし みをかたくして くるしいおもいをするでしょう。おいのりできないひは、きっとこころがそんなふうなんです。だからあせらなくていいのですよ。おちつけば だいじょうぶなのだから。からだがこきゅうのしかたをしっているように、こころがおいのりのしかたをしっています。だいじょうぶ。だいじょうぶ。

 じこけんお や こうかい のなみだを、おしんではいけませんよ。いくらでも、あふれるだけ ながしつづけなさい。あなたはいつだって いたらないのだから。あなたはいつだって ちいさくて よわくて いたらないのだから。

 じつのちちやははのほかに ちちやははをおもいえがいて、それをかみさまとよぶのはおやめなさい。なんとふきんしんなことでしょう、かみさまをなにかの だいようひんにするなんて!

 きょうはもう おいのりをしましたか?
 まだだったら、はやくいってらっしゃい、にかいの つきあたりの ろくじょうのしんでんへ。ひがしとみなみのまどはあいていますよ。むねいっぱいのなみだをこぼさないように、そうっとそうっとかいだんをのぼって、はやく、はしって、いってらっしゃい。

 かみさまは おまちですよ。