六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

セルフ・メディケーション

2005年04月30日 | 日々のこと
 今月は、後半あたりずーっと、気分Lowに悩まされた。
 美味しい食べ物も綺麗な花も、気分回復に思ったような効果が出ない。
 そんな時、残る手段は・・そう、薬物だ。

 とはいえ私はアルコール分解酵素をあまり持っていないらしく、酒がほとんど飲めない。発酵系食品がごっつう好きで、酒類の味もマジ好きなの好きなの本当~に好きなの、なのに飲めないの~
 ニコチンは摂取経験無しで、今後も摂取予定無し。
 刺激物には敏感に反応する体質のため、カフェインなどは、うっかり多めに摂取してしまうと胸が苦しくなることさえある。だから、ドラッグなんて、違法なのはもちろん手を染めるつもりないけど、合法ドラッグだって、どんな反応が心身に表れるか自分でも見当がつかないから、服用するつもりは無い。

 安全かつ確実に効いて、副作用無しでお金も要らない。使うならそんな薬物がいい。
 それが β-エンドルフィン。脳内麻薬さ。

 良い天気だし、ちょっと足を伸ばして、昨日は多摩動物公園に行ってきました。入園料が無料の日だったし。
 多摩動物公園は全体が丘陵地なので、カワイイ動物見たさに早足で歩いて回るだけで、結構汗をかく。「クタクタ」になるまで動くと、その日の残りと、下手すると翌日までひびいたりするので、「クタク・」程度(笑)を心がける。身体を動かしていくと、次第に気分が軽く朗らかになってくるのが分かる。ヨシヨシ、脳内で麻薬分泌中だぁ~。

 (^^)これがホントの、セルフ・メディケーション(笑)
 最終的には、やっぱりコレが一番効きますな

     ***   ***   ***   ***   ***   ***

 気分Low状態の原因は、いくつかある。

 ひとつは生理由来のホルモンバランスの乱れ。毎月のことだからコレは時間が経過するのを待つしかない。

 ・・しかし、毎月思うよ。男は、一般論として女を「感情的な生き物だ」とか「理性のコントロール力が弱い」とか評価しがち。だけどオメーラ、内分泌物質の増減からくる気分のアップダウンに、月一度という極めて短い周期でさらされるのがどういう体験か、本当に想像できるのかい
 個人差はあるけど、それに痛みやダルさ、吐き気、偏頭痛等が加わり、しかも大概「病気じゃない」と評価され、周囲には気づかれたくないから平静を装っていつも通りの社会生活を営んでいる。そういう女たちのどこが「コントロール力が弱い」んだよ!
 男たちよ、いっぺん「女」をやってみなサイ。そうすりゃもう少しマシな少子化対策とか教育改革とか環境政策とかを考えつくことでしょー。

 落ち込みのもうひとつの原因は、それに付随する事。つまり今月もコウノトリは来てくれなかったってこと。
 ・・でもまぁこれはね。まだ「ちゃんと医学的に取り組んで」いるわけでもないし、もう少し気長に構えよう。

 そして、原因のメイン。それは「あいかわらずの親」との「あいかわらずの関係」だ。

 両親に淋しい思いをさせるのは親不孝だと思うから、私は、なけなしの金をはたいてせっせと帰省する。「その分があったら新しい洋服の一枚も買える、美容院やコンサートにも行ける・・」とは思うのだが、それを諦めても元気な顔を見せに帰るのが子としての義務だと思うのだ。

 私が帰ると、両親は嬉しそうだ。それを見ると心から良かったなと思う。

 でも最後にはいつも私が、親の無理解に泣かされて終わる。

 今回も、楽しく数日を過ごし(というか、演出し)東京に戻る時。新幹線の扉が閉まる直前、母がこれだけは言っておこうという風情でつけ足す。「全てを白紙にして、早く戻ってらっしゃい。お母さんも今後の事を考えておくから」
 ・・この一言で、私は今回も撃沈したことを思い知る。

 娘が、人を愛し、人生をともにしたいと思う相手を見つけた。思いは通じ、相手もそう望んでくれた。
 こんな奇跡のようなこと、人生に何度もある事じゃない。
 ところがそれを悲しみ、娘の身勝手・わがままだと怒り、世間に対して恥ずかしいと責め、全て無かった事にしたいと望む親。

 何でこんな思いまでして、帰省せなあかんねん・・


ひどい

2005年04月27日 | 日々のこと
 福知山線の事故の犠牲者、判明した数はまだまだ増えているみたいです。本当に残念です。

 事故原因の究明はもちろん大切です。でも、それに直接つながらない無神経なインタビューはやめてくれ。
 ワイドショーのレポーターとかが、「運転手の家族」に今、何を聞きたいと言うのか。何を言わせたいのか。

 運転手自身も、まだ見つかってないんでしょ? ・・年若い息子の姿が無い家の中で今、家族が、どんな悲しみと責任感と世間の目の重圧に圧倒されているか・・それを思うと胸が潰れそうな気分になります。

 視聴者がそんな映像やコメントを見たがっていると、テレビ関係者は本当に思っているんだろうか。いったいどういう神経をしているのか。
 
 興味本位の断罪気分で「運転手家族の顔が見たい」と思っている人間のために、マスコミはあるのか? 報道を、つるしあげの道具に貶めたいのか?

 被害者・関係者から「運転手家族の声が聞きたい」との要望が仮にあったとしても、今はそれに応じる時ではない。この時期にそんな事をしても、被害者・関係者自身の心の傷口を広げることにつながりこそすれ、癒しや慰めになどならない。そのくらい、わからないのか。

 現場の人が「特ダネ根性」で動いてしまうのは、腹立たしいが致し方ないのかもしれない。いつも反射的に動かなきゃいけない瞬間に埋もれて生活しているのだから、思考パターンの固定や感覚マヒが起きても不思議じゃない。
 問題はそれを取捨選択し方向性を決める、もっと落ち着いた場にいるはずのエライ人の判断だ。感覚が、おかしいぞ。

24日は日比谷公会堂に居ました

2005年04月26日 | 文化・社会
 JR西日本 福知山線での列車事故、たいへんな事態ですね。被害に遭われた方々に心からのお見舞いと、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 24日はダーリンにくっついて、日比谷公会堂で行なわれた拉致問題の早期解決を願う国民集会に参加してきました。
 ダーリンがやたら早く会場に行きたがるので「え~、時間に余裕あるのに、なんで?」と思ったら、ダーリンの読みは正しかった・・会場に入りきらない人出!
 ぎりぎりセーフで私たちは建物内には入れましたが、その後も沢山の人がやってきて、結局、定員2千人の公会堂に6千人が集まったとの事。入りきらない人たちは戸外に設営された第二会場(急ごしらえなのでモニターとかも無しだったとか・・)で、第一会場から入れ替わり来る演者を待って、集会を盛り上げたとの事。皆さんの熱意をひしひしと感じる集会でした。

 その感想は・・日本って今、へんな国になっちゃってるなぁ、ってこと。いろんな事に真剣にならないと、浮かれてばかりいるとマジやばいんじゃないかなぁって思った。

 人権蹂躙の典型である拉致問題。その解決を訴える集会の中で、ある人が「『人権擁護』法案を通してはなりません!」と訴え、参加者は「もちろんだ!」と満場一致の賛同の拍手をおくる。「人権擁護」という美しいタイトルの法に反対する人々が訴えているのは、自国民の救出のみならず、政権の圧制に苦しむ他国の民衆さえも救い出すことにつながる、きわめて人道的なこと。

 もし仮に、半端な知識や関心で現状を見る人がいたら、一見どっちが正しいのか、こんがらかってしまうじゃないか。

 この奇妙なねじれ。
 これは、美辞麗句を隠れ蓑に、ある意図をもって蠢いている暗い「動き」が存在しているから・・としか思えませんね。

 やだよぅ。こわいよぅ。「冥い世界のこと」なんか知りたくない、「無かった事」にしたい・・。

 でも、これが現実なら、一有権者としても、逃避するわけにはいかないんだよねぇ。

 ちゃんと勉強をして、日々社会情勢に目を凝らして、表面的な見栄えの良さや耳に心地いいだけの言葉や目先の利益に惑わされないように、賢くならなきゃいけない。
 「無かった事」にしておけば「無い」ままでいてくれる、そんなうまい話は無い。そう思い込まされて「蚊帳の外」に置かれてほくほくしていることは、実は得でも何でもないんだ。冥い存在のはびこるのを許し、アッと気づいた時には足元をすくわれる、その畑を自ら耕しているようなもの。
 毒草の芽は、小さいうちに、日々丹念に摘み取らなければ。
 しかも、どれが毒草の芽なのか、ちゃんと判断できる目も養わなければと思う。自分の心の中にも、周囲の論調の中にも、日々芽生えてしまう「軽率」「偏見」「独善」「怠慢」「感情的反応」・・これらも同時に摘み取る力量が必要だ。

 改めてそう思い、気持ちを引き締めましたデス。
 

ご冥福をお祈りします

2005年04月25日 | 日々のこと
 ちょっと遅れた話題ですが、ポール牧さんが亡くなっちゃいましたねー。
 別にファンとかじゃないんだけど、何か「えぇーっ」というキモチ。そしてしんみりしました。

 自殺の原因はいろいろ取りざたされているみたいだけど、報道を見るだに「彼は寂しかったんだ、とにかく寂しかったんだ」というオーラ(?)が押し寄せてきて、かないません。
 私は霊感とかはまっったく無いヒトなんだけど、なんか時々まぐれ(?)でこういうのを感じてしまって閉口する。ちがうぞちがうぞ、コレは過剰な共感だ気のせいだ~と自分に言い聞かせる
(^^;)

 霊ってさー、《そういうのが分かる人》に寄って来るって言うじゃない?現実生活でも、聞く耳を持たない人には誰も話しかけない、それと同じように。
 アタシ人一倍怖がりなのに、霊感なんてあったら怖くて生活できなーい。
 だから感じない《ことにしている》。感じすぎないことにしている。ゴメンナサイ、私にはあなたをお救いできる力量はございませーん、と心の中で目をつぶって詫びながら、撤収。

 自分を過大評価しないこと。自分の力量、身の程を、わきまえること。半端な興味関心でスピリチュアルな世界に首をつっこまない。それが私にできる、せめてもの誠意ある態度だと思う。

作られた愛国 作られた反日

2005年04月18日 | 文化・社会
 中国の反日デモで聞かれる言葉 「愛国無罪」
 これは、愛国心ゆえの行為ならば多少のことは許される、という意味だそうで、こう言いながら破壊行為を行なっているんだとか。

 ・・おいおい(--;)やめてくださいよ。

 しかしコレと似たようなフレーズ、どこかで聞いたような・・日記http://www4.diary.ne.jp/user/475361/ の方に2月6日に書いた、それとくらべて、どうどす?「反権力なら多少の捏造は許される」「反権力なら稚拙で客観性に欠けていても価値がある」って主張する、どこぞの新聞社の姿勢と似てません?

 また、恐ろしい事に、救済だからポアも許されるとか言ったカルト教団もありましたねー。中国の大衆がそのレベルまでエスカレートしないことを切に祈ります・・

 デモの中心はネット世代の若者だそうですが、彼らは自分たちの始めた行為が末端で暴走を始めたりしたら、どうするつもりなんでしょうね。バーチャル空間に集合しただけの顔の見えない間柄だから、やばくなったらその他大勢のふりをしてバッくれて、時間がたてばいずれ幹部とかエリートになっていくんでしょうか~・・。

 いや。少しでも賢くて才能かお金か知識を手に入れたら、大半は海外へ移住しちゃうんだろう。

 私が通っていた大学の、とある教授は嘆いていた。「中国からの留学生は、日本で学ぶだけ学ぶと海外(主にアメリカやカナダ)へ行ってしまう。中国へ帰国してくれない」と。
 日本は中国の影響力と無縁ではいられないから、中国に、少しでも良い国になって欲しいという願望がある。だから教授は、技術だけでなく「高等教育の恩恵を社会に還元する思想や視点」も同時に留学生に教えようとする。けれども「日本で学んだことを祖国に持ち帰り、祖国発展のために尽くします」という学生は、あまりに少ないそうだ。・・ま、この教授の知る範囲の話、ではありますが。

 中国人にとって、愛国って、何?

 日の丸君が代に主義主張を投影する教師たちは、近隣国である中国ではどんな教育が行なわれ、どんな教科書が使われているか、知っているんだろうか?

 ・・なーんていうとまたこのエントリーが「お祭り」になっちゃうかな(^^;)

 かくいう私もここ数日のワイドショーで初めて知ったんですけどぉ~・・。「愛国」中国人を育てた「中国の歴史教科書」があんなになってたなんて・・

 唯一の国定教科書に、多分白黒だろうけれども戦争時の累々たる遺体写真・・武器を手にする軍人・・これでもかという記述・・。
 ふつうの感性をもつ子供なら、こんな本を授業と称して見せ続けられたら、心の中に恐怖と生理的嫌悪感がまず刷り込まれる。対象が何処の国かは関係ない。後々客観性が育ってから、初めて理解できることだからだ。判断能力の半端な子供にとってコレは立派な「国をあげての精神的虐待」だと思う。

 そのフォロー、「心のケア」の代わりに手渡されるのが「反日」「抗日」という文脈だ。

 デモに参加した若い女性がインタビューに答えて「反日教育には影響されていないです」と自らの意志であることを強調していたけど、それって「洗脳されてないです」と街頭で踊っていた美女たちを彷彿とさせるです・・

 ・・それにしても、中国の空港ロビーとかホテルの踊り場とかに「麻薬はこんなにコワイ!撲滅!」と、中毒患者のオムツ姿や変死写真を目バリやモザイク無しで張り出して、誰からも「非人道的だ!」「人権蹂躙だ!」とクレームが出ないのは、ああいう「教科書」を日々見て育つから、なのねきっと・・

 ・・あーそれにしても、本当にそうなのか中国人!ちゃんとした人は沢山いるだろう中国人!私が知っている「いい人たち」は皆、例外的存在なのか!そんな事はなかろう!
 ・・ってデモりたい気分です。モヤモヤして、やりきれない・・

最初から「ガス田」だった?

2005年04月14日 | 文化・社会
 もはや記憶に無いのですが。現在、日中関係においてよく耳にする単語のひとつ、「ガス田」開発。あれって当初から「ガス田」でしたかしら。最初は「海上油田」じゃなかった?
 そして私の記憶が確かなら、最初はいわゆる「外資」、アメリカ資本の民間会社が中国との共同開発に乗り出して、その後、撤退してるはず。

 何で撤退したかなー。
 米中関係より日米関係を重視したとか?いやいや、日本側がまだぼーんやりした反応しかしてないのに、アメリカの、しかも民間会社が、そんな事に気を遣うとは思えない。

 そう思っていた去年の晩秋。
 たまたま参加したボランティア活動のメンバーの中に、かつては石油ディベロッパーで、世界中を飛び回ってきた紳士がおられた。中国の内陸部でも長くお仕事をされたとか。
 待ち時間の多い活動だったのでそれを幸い、「春暁」の件の感想を、面白がって聞いてみた。

 私:アメリカ資本はなぜ撤退したんでしょう?日中の政治的イザコザに巻き込まれたくなかったのでしょうか?

 紳士:いや、彼らに限ってそれはないでしょう。たぶん試掘の時点で純粋に、経済的な採算が合わないと判断したんでしょうな。あのあたりはあまり質のいい油田は無いようです。

 油田としては採算が合わなくても、ガス田なら何とか・・って事で、最近は「ガス田」問題、と言うようになったのでは?・・というのが私のシロウト考え。

 つまり「春暁」は純粋な経済活動として考えてはいけない場所であり、そういう問題、じゃないかな。

 だから「仲良く日中一緒に開発すればいい」という社説を掲げる新聞社は、正しい事を言っているように聞こえるが、コトの本質を見誤っていると思う。第一「お互いのデータを見せ合いっこしましょう」と日本が言ってるのに、中国は自分のは見せない方針、なんでしょ?それってズルイ。「共同」とは言えないじゃん(怒)
 中国側も、この開発は「経済活動」だなんて思っていない。そういう顔をしているけどポーズだというのはミエミエ。

 ご油断めさるな、日本。・・つーか、政府を支持する一般市民がまず、ぼんやりしてちゃいけないね。今、私たちは「領海侵攻工作」にさらされているんだ。竹島もそうだけど。心地いい理想論ばかりに耳を傾けていてはいけないと思う。現実を直視するのは、時に苦痛だったりするけど。

 もちろん、そのうえで「理想を灯と掲げて」ゆかねば。常に心に戒めを。
 

ハイラルのロバ

2005年04月13日 | 文化・社会
 先週のある日。夕飯時に、見たいTV番組が地上波では何もなかったので、スカパーのスイッチを入れた。チャンネル桜を流していたら、天安門事件の時の写真が放送された。

 ・・あらかじめ警告があったのに、ヘラヘラとそのまま見続けてしまった私が愚かでした・・ものすごい写真・・(--;)戦車に轢かれると人はあんなになっちゃうのね~~~げろりろりーん・・
 私は子どものころから、昆虫はダメだけど脊椎動物なら大抵の映像は平気、医学的なナマナマしい写真も面白がっちゃう方でした。だから大丈夫だと思ったんだけど・・あ゛~忘れてた~、私、スプラッタ系の映画はダメだったんだ~・・
 その後丸二日、忘れようと懸命に努力しました(^^;)花とか木々とかダーリンの笑顔とか、美しいものをイッパイ見て、あの画像を記憶から消し去るんじゃ~!!!

 そうだとは思っていたけど、やっぱりあの日、天安門ではあんな事になってたのね・・。

 大学在学中は、何人もの中国人留学生と研究室で机を並べた。みんな真面目で向学心にあふれ、同級生たちより格段に優秀で、誇りに満ち、素朴で優しい人ばかりだった。
 だから彼らの生まれた「中国」という国を悪く思いたくない。本当に「仲の良い隣国」「素晴らしい隣人」であって欲しいと願う。

 でも現実は、こうなのだ。

 すごく残念で、悲しい。
 北朝鮮の現政権もそうだけど、人として、かの国の政権の「人道に対する感覚の低さ」を、ただ傍観して怒り悲しむしか今の私には手立てが無いのが、本当に切ない。

 ・・歴史認識と同じで「いま、ここ」の立場からの価値判断で相手を断罪していいのかどうか、それはわからない。そんなめんどくさい事、一般庶民は考えてられっか☆と思うのも確かだ。「人として非道は非道」そうすっぱり割り切って先方を糾弾できたら、どんなにキモチイイかと思う。迷わず行動できたら、もっとキモチイイと思う。
 でも。
 キモチイイの先に「戦争」という落とし穴が黒々とした口を開けて待っているのではないか・・?
 それが何より悩むところ。人として善くあろうとして、人として最大の罪を自らに招き寄せるのはごめんだ。
 
 ・・にしても、日本政府もマスコミもへっぽこだ。中国がそーゆー国だからって、ダライ・ラマ14世の訪日を見てみぬふり、ろくに報道もしないってどーゆーコトなんだ。

 「あーゆー国」だから、なんだろうけど・・(--;)

 中国の問題を考える時、いつも脳裏に、内蒙古自治区ハイラルの街角で出会った驢馬(ロバ)のことが浮かんでくる。

 学術調査のお手伝いボランティアとして初めてその街を訪れた私は、自由行動の時間に何人かと連れ立って、人でごったがえす市場や商店街を観光してまわった。明るい日差し、吹き抜ける異国の風、空にはアマツバメ、行きかう人々の息遣い。
 楽しい気分だった。信号で立ち止まり、ふと見ると、荷車をつけて車道にじっと佇むロバがいた。

 あー、何かなつかしい光景だなぁ。
 私が子供の頃は(田舎だったので)荷車を引いた馬がアスファルトの上を通っていったこともあったっけー。あの当時すでに労役をこなす馬を見るのはかなり珍しくなっていたけど、ここではまだこういう光景が日常なんだー・・

 そう思って私は何気なく、手をロバの方に差し伸べた。ボーっと無表情にうつむいている灰色の鼻面を撫でてやろうと思ったのだ。

 しかし触れるどころか、まだ「安全距離」(30~40cmくらい?)なのに、ロバは無表情のまま歯を剥いてみせた。

  ( さわるな ) 

 私はハッとして手を引っ込めた。

 噛まれる危険を感じるほどではなかった。私の手の動きは多分、私とロバしか見ていなかった。だから「なぜか歯を剥いた」事を見咎めて、持ち主の中国人はロバをどやしつけた。ロバはうなだれたまま、全くの無表情に戻った。

 ごめんよ、ロバ。
 私が手を差し伸べたせいで、よけいな折檻を受けてしまったね。

 たとえば猫と同じ布団に眠り、犬にブランド服を着せて愛情を競う。そんな平和ボケの国から来たから、私は動物が・・いや、少なくとも家畜だから、人の愛情を素直に受け入れ喜ぶだろう、という先入観を持った。それがいかに甘いかを、この出来事で思い知らされた。
 日頃どう過ごしているかを知らずに手を出した「私の甘さ」が、あのロバの「人間への憎悪」を助長したことは疑いようがない。
 
 翻って今の日中関係。
 甘アマな日本人は「貧困や圧制の鬱憤晴らし」に使われる反日感情のからくりを、正確に把握しているだろうか?天安門の写真に代表される中共政権の人権意識の低さを本当に解って対中関係を取り結んでいるだろうか?
 「日本人の甘さ」が関係悪化につながる事がないよう、しっかり相手の事を理解して問題に対処する必要があると思う。

桜雨

2005年04月11日 | 日々のこと
 この土日は、近所の公園と街路の桜が満開でした。堪能いたしました。
 
 でも実は、公園まで行かなくても、部屋の窓から花見ができるんだ~♪
 ・・去年の今頃、まだ一緒に住んではいなかったけど、ダーリンのこの部屋には毎日来てたのに。こんなお得な部屋とは気づきませんでした。
 ラッキー(^^)

 私は、咲き始めよりも満開よりも、散りかけの桜がいちばん好き。
 昨日の風と今日の雨で、散り敷き濡れた花びらが最高の美しさになっています。花びらの一枚一枚が少しずつ透き通ってきて、赤い愕が目立ってくる。そのため、樹木全体が乳紅色のガラス細工に見えてくる。
 風花のように舞い踊り空の遠くへと運ばれてゆく花びらもいいけど、明るい午後、音の無いせせらぎのように真下に降ってゆく花びらもいい。また、今日みたいに、雨で黒く湿った地面が見えないほどに散り敷く花びら・・樹上と大地に、ふたつの花盛りが現出する。

 大学生の頃かなぁ、キャンパス近辺の桜のあまりの美しさに圧倒されながら、ふと考えてしまった。
 こんなに美しい光景だけれど、年に1度しか見ることはできない。私が平均寿命まで生きるとしても、この風景はあと60回くらいしか見られないんだなー、と。
 人生は何があるかわからない。もっと早くこの世を去る羽目になるかもしれないし、そうでなくても「桜どころじゃない!」って気分で春の日を過ごす年だってあるだろう。
 そう思うと、愛でる気分でいられる時には充分堪能しておかねば!と、もう目から吸い込むみたいに桜を眺めるようになってしまった。
(^^;)貧乏症?

 一昨年、初めてダーリンと桜の下を歩いた時、その話をした。ダーリンは「桜を見てそんな風に考えた事がない」と言った。

 そんな風に考える私を、ダーリンはどう思っただろう?
「暗い女」とか思われちゃったかなーと、話したことを一瞬後悔した。

 その時はまだ、「来年も一緒に桜が見たいね」などとは、思っていても口にはできなかった。
 まして翌々年には同じ部屋から桜を見ることになってるなんて、想像もしてなかったよ~。
 人生、何がどうなるか予想がつかんものです(^^)

 昨日はやや強い風が吹きぬけ、雪のように花びらが舞っていました。ダーリンと歩いていると、近くにいた、仲の良さそうな親子の会話が耳に入ってきた。父親がまるで子どものように「すごいー!本物の桜吹雪だ!」と歓声をあげ「ほら見ろよ、遠山の金さん!」と子どもに話しかけている。子どもは同意の笑い声で応じるが、あの年齢では「遠山の金さん」を知っているとはとても思えない。・・きっとあの子は、家でも「何おバカ言ってるんだろう、パパはもう、しょーがないなァ」とか思いながら父親につき合ってあげているにちがいない・・微笑ましい親子でした(笑)

 道が桜色に染まり、花の下の誰もが頭に花びらを乗せて笑っている。

 平和って、こういう一日のことを指すんだと思います。

 その平和な日を今日も重ねることができたこの国に今、ダライ・ラマ14世が滞在中。すばらしい方の訪日なのに、ニュースにならないよなー・・。ミーハー的ファンの一人としては、せめて海外有名人としてでも「今日はどこそこを観光されました」くらいは報じてほしいなーと思います。

早く来い来い コウノトリ

2005年04月07日 | 心や命のこと
 谷山浩子の「デザートムーン(私のカラオケの十八番さ!^^)」じゃないけど、言葉の上では「愛」などわかっているつもりでいたし、好きだと思った人もいた。

 けれどダーリンに出会って、初めて湧き上がってきた感情があった。自分の中にこんな想いが存在していたなんて、心底おどろいた。
 ( このひとだ このひとのこどもが うみたい )

 そんなバカな、と最初は思った。なんだコレ?この感情は?
 絶対あたし、何かカンチガイしている。おかしいぞ、冷静になれ、と自分に言い聞かせて、何日間かはパニックだった。

 私は相当な「頭でっかち」である。頭で考え理屈で納得しなければ、行動できない性格(だから反射神経で動かなければならない球技なんかは大の苦手 ^^;)

 私は両親に問題アリの機能不全家族で育ったAC(アダルトチルドレン)だったし、兄が亡くなっているから実家も墓もゆくゆくは私がすべて引き受けなければならない。いずれは地元に帰らなければ・・理屈で考えれば私は、条件悪すぎな女。ダーリンは果たして、これらをクリアできる力量のある人物か?
 いやいやそれよりも先に、もっと大きな問題がある。ダーリンは私が考えていた「好きになるタイプの人」とは全然違っていたのだ・・!
 私が好きになるのは、外見も志向も行動も、こういうタイプの人じゃなかったはず・・頭が、理屈が、私を押しとどめる。
 ちがうだろう?  この人じゃないだろう?

 でも、何と言うか、体中の細胞が、ダーリンと出会ったことを喜んでいっせいに歌い出したみたいなのだ。まるで「白雪姫」の小人がいっぱいいっぱいいるみたいに、朗らかに、暢気に。
 ( わーいわーい このひとだ このひとだ このひとだ・・)

 それは性欲ではない。
 もっと体幹的でニュートラルな快感覚・・そう、ストレッチで全身が気持ちよく伸びた時の感じに似ている。あるいは、温泉に入ってノンビリした時のような。

 こういうのを、松田聖子は「ビビビ」と表現したのか?(笑)

 こんな体験は初めてだった。
 私はそれを信じてみることにした。

 ところで、私は美味しいもの好き。外食しまくるタイプのグルメではなく(貧乏だもん・・涙)スローフードを基本とする”素材グルメ”(^^)
 けれど365日3食つねに美食・健康食なわけではない。
 体調や精神状態によっては、不味いし身体にも良くないと分かっていながらジャンクフードやスナック菓子で腹を満たすことがある。
 そういう、アタマ(理性)とカラダ(感性)が一致しない時は大概、自分にとってはあまり良くない状態の時だ。「回復のためにはまぁしょーがない、たまにはいいサ」と自分で自分を騙し甘やかす、丁度「方便としての嘘」みたいな状態。

 だからダーリンと出会って、カラダの細胞がアタマ(理性)と全く逆のことを喋りだした時も、私は自分が良くない状態なんだと思った。こんなのを信じてはいけない、とアタマがささやく。私は間違っているんだ、きっとカンチガイしてるんだ、好きになるのは、こういうタイプの人じゃなかったはずだもの・・。

 初めてダーリンに出会ったのは、たしか付き合い始めるより2,3年も前だ。
 実は初対面を覚えていない・・(- -;)。ダーリンは私にとって、それほど印象が薄い人だった。
 それには理由がある。一緒の場で同じく初対面だった誰かと混同したのだと思うが、私はダーリンを既婚者だと思い込んだのだ。この人には妻がいて、ひょっとすると娘の一人くらいいて・・だから「つき合う男性として吟味する」対象には最初から入っていなかった。

 ・・女性は大抵そうだと思うけど、男性が独身か既婚者かって結構ワカルよね。男性のまわりに漂う「女の気配」とかも。
 こう、何というのかな、独身男性って「オレどう?オレどう?」みたいな雰囲気がある。既婚者にはそれが無くて「オレはいいや」みたいな、充足感からくる余裕みたいなのが漂っている。
 年齢もさることながら、ダーリンにはそういう「独身男性っぽくない雰囲気」があったので「妻と娘」というイメージが私の中ですんなり結びついてしまったのだ。

 後日、独身でフリーと知り、付き合い始めても、数ヶ月は「私の他に女性がいない」事が信じ難かった。
 ダーリンのふるまいが不誠実だったという意味ではない。
 彼は「オレどう?オレどう?」と私に寄りかかってこないのだ。余裕で「ひとりでそこに」立っている。

 そして過去に私が知る限り、《「オレどう?オレどう?」と寄りかかって来ない人》=《私を「女として」は見ていない人》であり、《私を必要としていない人》《私に関心が無い人》だった。
 だからこれはカンチガイだよ、とアタマ(理性)が警告を繰り返す。私が一人で勝手にのぼせているだけだ・・。

 でもダーリンは、ずっとそこに立っている。
 関心が無いなら「じゃあね」と去っていくはずなのに、いつまでも立ち去る気配がない。

 ・・どゆこと? 

 不思議でしょうがなかった。
 この人はどういう人なんだろう?何を考えているんだろう?

 初めて出会うタイプの人。友人知人にも、サークル活動やパーティやお見合いで出会った中にも、こういうタイプの男性はいなかった。

 ちょうどその頃、槇村さとるの「イマジン」や「二人歩きの設計図」を読んでいた。あと岩月謙司とか。

 よし。
 相手が「今まで出会ったことのないタイプ」なのだから、私も今までとは違う人間関係に、いっちょチャレンジしてみるか。・・と、持ち前の好奇心に火がついた(笑)

 ダーリンを相手に、パワーゲームはしない。
 私はまず真っ先に、この課題を自分の前に置いた。
 ACは「好きという気持ち」を支配や隷従の手段・口実に用いてしまいがち。「私を好き?好きならコレコレをやって。」「要求を聞いてくれないのは、私を好きじゃないのね?」「好きだから、不本意だけど従うわ」・・
 こういうのは、厳禁。

 また「安易に自分で傷つく」のも止めることにした。
 たとえば気持ちが伝わらなかった時「やっぱり私はダメなのね」とか「ダーリンは私を見ていない」とは解釈しない。そこにはただ「伝わらなかったという事実」が在るだけだ、挫けずにまた伝えればそれでオッケーなのだ、と自分に言いきかせた。
 身体が別で、育ち方も性別も違う、別な人格なのだもの、伝わらないのが当然・・。
 
 「ふつう」の人ならこんなこと、アタリマエだと思うだろう。でもAC育ちの身には、わくわくするような「新しい体験」だった。

 「そんなコトしてたら、ダーリンが私を見捨てて去ってしまうのではないか」と辛い時期もあった。でも「それなら所詮、それだけの関係だったと思うしかない」と開き直った。
 手を抜かずに、全力で大真面目に「レンアイ」する。それで破れても、ダーリンに出会う前に戻るだけだもの、何もコワイ事はない。私からは何も失われない。

 当のダーリンは、そんなふうに肩肘張って「レンアイ」している私の気持ちを知ってか知らずか、いつもマイペースで飄々としていた。

 そうして紡いできた日々。思うさま全力で「レンアイ」ができて、余は満足ぢゃ(笑)
 だから、思い残した感情を託す「分身としての娘」は、欲しいと思わなくなっていた。
 
 「思い残し」が無いから、もう「わが子に侵入」することは無い。根拠は無いけど(汗)そう確信できた。
 だから逆に、もう安心して子どもが持てるゾ(^^)
 はやく来い来い、コウノトリ!

 ・・そしてダーリンは「謎の人」のまま・・(笑)
 「オレはいいや」的余裕の理由や、妻と娘をイメージさせるほど濃厚に漂っていた女性の気配は何だったのか・・今も私は知らない。

 何度かダーリンに、過去を訊ねたこともある。
 でも決して口を割ろうと(^^;)しない。

 ものの本によれば、女性よりも男性の方が繊細で、「過去」や「過去の恋愛」を大切にし続けるそうだし、言いたがらない事を無理に訊いても良い事はない。もう訊くのはやめた。

 これでもし仮に私が、いわゆる「騙されて」いた状態だとしても、「いま、ここ」で私が感じるダーリン由来の幸福感は、ゆるがない。過ごしてきた日々の体験は、消えて無くならないもの。それだけをとってみても、ダーリンには感謝してもし尽くせないほどだ。

 第一、もうこの歳だもの、もし「まんまと騙されて」いたとしたら、それは自己責任っしょ(笑)

名付けることの功罪

2005年04月06日 | 心や命のこと
 「自我」という概念を意識する思春期。自分とは何ぞや、かくありたし、という思考(または衝動)を手っ取り早く表現する手段のひとつに、自分にペンネームをつける、というものがあった。

 あまりに恥ずかしいので書いてしまうが、私が自分に最初につけたペンネームは「涙」と書いて「ルイ」と読ませるものだった。
 姓の方は、好きな響きや興味のある事物に漢字をあてはめたもので、半年もすれば飽きる(笑)ので、3,4回変えたかな。でもファーストネームは常に『涙と書いて「ルイ」』。

 男の子と缶蹴りやドッジボールを楽しみ、意見はハッキリ言い、女の子グループからは浮き気味だがイジメの標的になるほどバリバリ強くも弱くもなく、いつも半端な位置でのほほんとしていた子・・それが私。

 でもかなり幼い頃から、胸の中には涙の池があって、いつもたぷんたぷんと水音が響いていた。
 なぜかはわからない、でもいつも哀しかった。
 そしてそれが普通の状態なのだと、ずっと思っていた。だから自分の「本当の名前」は 涙(ルイ)なのだ、と。

 成人してから「アダルトチルドレン(AC)」という単語に出会った。
 普通の家庭だと思い込んでいた自分の家庭が「機能不全家族」だったと知った。
 なるほど、と膝を打った。
 そのころの私にとって日々は、時間は、まるで、ギシギシと音を立てて回る巨大な歯車のようだった。あらがいようもなく巻き込まれ、止まりたくても運ばれていく。向きを変えようとすると身が引き裂かれるように痛く息苦しく、毎日がとても辛かった。
 ACという単語は、その状態から一歩離れて自分を客観視できる「自己同定の魔法の言葉」だった。

 でも魔法には、効き目がある分、毒もある。

 「機能不全」な家族、と言う表現があるからには「機能の健全な家族」というのもあるに違いない(そりゃーきっとあるに違いない)。ではなぜ、それが我が家でなかったのか?・・そこに私はひっかかってしまった。
 
 「なぜ」なんて理由を考えても仕方がない、そういう家庭に生まれてきてしまった偶然というか運命というか、事実があるだけだ。なのに「理由」を探し求め、それを何とかしようとかなりの時間と労力を費やしてしまった。

 「名付ける言葉」は用意されても、その魔法を各人でどう使うかのマニュアルは無い。あるのかもしれないが、きっと単一のものじゃない。

 ダーリンは、私の親もまた父母ともにACで、私も兄もサラブレッド的AC二世(笑)として育ったことを理解してくれたが、ある時ふと私に尋ねた。
 「そういう育ち方をしたわりには、君はマトモだね。なんで?」

 ・・ん? そういわれてみれば。男性恐怖症だったりとか多少の歪みはあるにしろ概ねフツーに生活できるのは、なんでなんだろう?

 元来の、のほほんとして空想好きな性格が幸いしたのかもしれないし、それが許容される環境だったことも幸運だった。「いい子」である限り家族内に破綻は無いわけで、その枠内での「自己肯定感」もエンパワメントの「足し」にはなったと思う。不本意ではあったが大学で心理学を専攻し「心に向き合う」訓練をしたことも役に立った(初めてパニック発作にみまわれた時「ああ、これがそうか」と落ち着いて対処でき、持病として抱え込まなくて済んだし)。

 でもやはり一番大きいのは「私を取り巻く人々のおかげ」だ。

 「おかげ」というのは、直接的に恩恵を被ったわけではないという意味。相手もそのつもりはないし私もそのつもりがなくて経験した事が、結果としてとても大きな「勉強」になった、そんな例がいくつもある。

 たとえば、友人同士の喧嘩。AちゃんとBちゃんがトラブって、周囲にいる皆が巻き込まれた。AちゃんもBちゃんもそれぞれAC的背景があったため「あの子にこんなに傷つけられた、あの子は酷い!」「友だちなら私の事、理解してくれるよね」的な泥沼のパワーゲームに発展。巻き込まれた一人として「双方の気持ちはわかるけどさー、どーすりゃいいかねぇ」と嘆息する私に向かってCちゃんは言った。「放っとけ放っとけ。あの子たちは不幸自慢をしてるだけ。不毛。」

 そして笑って付け加えた。「不幸自慢なら私だって負けない」

 ハッとした。
 そう思って周囲を見れば、男女問わず、程度の差こそあれ様々な「不全」を抱えた家庭に育った友人の何と多いこと。

 機能不全家族、という表現があるからには「機能の健全な家族」というのもあるに違いない。なぜそれが我が家でなかったのか?理由など無い、そういう家庭に生まれてしまった偶然というか運命というか、事実があるだけ・・
 それを黙って受け入れ、かつきちんと魅力的に生きている沢山の友人たち。Cちゃんの言葉は、それを私に気づかせてくれた。

 彼らの姿が私を勇気づけ、彼らへの尊敬と憧れが、導いてくれる標の光になった。

 我以外すべて我が師。皆が、教えを下さる神さま。彼らとの出会いの偶然が、いまの私を作っている。

私も、産みたい

2005年04月01日 | 心や命のこと
 寝起きのボーっとした頭で読んだので、見事ヤラレまひた・・↓
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050401/mng_____tokuho__000.shtml

 さて、昨日のつづき。
 こどもが欲しい、ということについて。

 私は萩尾望都の愛読者。「トーマの心臓」は私の「バイブル」・・あの日あの時あの場所でこの作品に出会わなかったら、きっと私の人生は変わっていただろう、そんな作品だ。

 その中に、私が衝撃を受けたシーンがある。
 《死ぬ前日。トーマは、それまでつけていた日記を全て燃やした》・・

 なぜ? 信じられない、自分で自分の軌跡を、過去を、全部燃やして消してしまうなんて・・
 でも心のどこかで、おぼろげに理解してもいた。トーマは、自身が「そこにもここにも」在りたいとは思わなかったのだ。ただひとつ、ユーリの心の中に像を結ぶ姿だけが自分なのだと、言いたかったのだろう。

 それほど深く愛する人が、私にはあるだろうか。将来、現れるだろうか。

 十代の私には気の遠くなるような、大きな「人生の課題」をもらった気分だった。

 私はその時すでに、毎日ではないけれど日記を書いていた。
 今はまだ燃やせない、と思った。

 では、もし私なら、書き残した日記は誰に読んで欲しい?
 すぐに思い浮かんだのは「自分の娘に読んでほしい」ということ。
 でもそう考えるといつも、頭の片隅で赤信号が明滅するのも感じていた。
 それは違うぞ。私は間違っている。何かが違う、何かがおかしい・・

 大人になって子どもに関わる仕事をし、周囲から「先生」と呼ばれた。きちんと仕事をしたので評判は良かった。「え?先生はお子さんをお持ちじゃないんですか!子どもの扱いがうまいから2,3人は育ててらっしゃると思ってました」とよく言われた。
 ニッコリ笑って謙遜しながら、私はいつも心の中にヒンヤリ流れるものを感じていた(・・そう見えるでしょうけれど私、子どもができたらきっと殴ってしまう気がする・・)

 そう。私は間違っていた。知らず知らずのうちに、まだ生まれてもいないわが子に「侵入」をやらかしていたのだ。
 「私をわかって欲しい」
 そんなエゴ押し付けの対象として、私は漠然と「息子よりは娘を」と考え、「旦那はいらない、シングルマザーでいい」とさえ思っていたのだ。

 まぁ、空想止まりでしたけどね。危うかった~