六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

思いつき

2006年03月30日 | 日々のこと
 そういえば、貧血が治ったってことは、もう私は健康体ってことよね? じゃ、もう献血できるのかなー。
 嗚呼~あこがれの献血手帳 (←♪憧れのハワイ航路♪のメロディでどうぞ)

春の高尾山

2006年03月29日 | 日々のこと
 昨日、ひとりで春の高尾山へ登りました。

 京王線の高尾山口駅に降り立ったとたん、遠くでコジュケイの「チョット来いチョット来い」(←《ききなし》です)という声がお出迎え。
 表参道の1号路を入るとすぐ、ヒヨドリとシジュウカラとエナガの声。ほどなくコゲラやウグイスの声も合流。地上の花々に先駆けて、鳥と木の芽は春のにぎわいまっさかりといった風情。

 えっちらおっちら登る。貧血治療のかいあってか、気持ち良く汗はかいても息切れなどのしんどさはない。でも、風邪なのか花粉症なのか、鼻がずっとスッキリしなくて、一昨日あたりからは耳までオカシくなってきた(私は風邪から滲出性中耳炎になり易い)。まぁいつものことなので、「耳痛て~・・」とつぶやきつつ、放置。しかし、同じくらいのペースで登っていた若い女性の二人連れは、ずーっとキャピキャピお喋りしながら歩き、ちっとも息が上がっていない・・こ、これって歳の差・・? いやきっと私は風邪気味だからさ、などと妙な対抗意識を燃やす。

 金比羅平へちょっと寄り道。カワラヒワの声がするので、見えるかなーと双眼鏡を手に上を見たら、空に滑空する猛禽の姿・・あれ?尾の形がトビじゃないぞ?おー ハチクマかオオタカか? 逆光でシルエットしか見えないし、見分けるポイントとかもよく知らないので、勝手に「オオタカを見た!」ことにする(笑) ゆったり2回くらい旋回して、南の方に飛び去って行くのを見送る。

 ケーブル駅の近くではメジロとヤマガラの混群がお食事中。参道を行くと、ヒガラと、やっぱり居る、ミョーな鳴き声のヒト。アナタはだぁれ? 野鳥は鳴き真似をする種類がいるので、姿を見ないと種は確定できないわけですが、この方はホント、どなたなんでしょう・・悩む。鳥に詳しい友人はガビチョウじゃないかっていうし、私も御岳山の、御岳神社の近くで目撃しているので、高尾山にいてもおかしくないとは思うけど・・うーむ。 真似っこしているオオルリだ、ていう説もある。
 高尾山頂のビジターセンターで職員の方に尋ねれば、いっぱつで答えがわかるんでしょうが、この日は奥の院までしか行かないつもりだったので、声の主の謎は解けないまま。

 ちょっと迷う事があって、そのことでダーリンとケンカもした。家の中でうじうじ思い悩んでいてもしゃーないと思って、歩き禅とでも言うんでしょうか(カッコイイ?)じっくり考えようと思って高尾山に登ったわけ。

 奥の院で線香を手向けているとき、ちょっと不思議なコトがあった。いや別に怪奇現象ではないのですけど。
 線香の束に火を移しながら、近くにいた見知らぬ一行(中学生くらいの親子数組)を見て「・・美人なおかあさんだなぁ。楽しそうだなぁ。あのおかあさん、もしかして私と同い年くらいだったりして・・」等とボーッと考え事をしていたら、消えたと思った火が突然メラメラ燃え上がって、キャー! 振っても振っても炎が落ち着かないので、焦った。

 心の中に知らず知らずに湧いた嫉妬の想いを、叱られた気がした。

 あの人にはあの人の人生があり、私には私の人生がある。それを今、ここでどうこう考えて、何か開ける道があるか? 否。
 
 「よしっ」と心を集中させ、おみくじを引く。
 結果は 『大吉』
 しかも、そこに書いてあったのは、『怠けていては、良い事など来るはずがない』という意味のこと。

 『大吉』を現実のものにできるかどうかは、私のこれからの姿勢次第というわけ。

 迷っていた。
 会社が組織変更をするにあたり、退職するか職種を変わって異動するかのどちらかを選ぶよう提示された。

 辞めるか、異動か。

 雇用をめぐる社会状況とか、自分の年齢と能力とか、今後の人生設計とか、あれこれ考えると、どちらが良いのか分からなくなってしまう。
 だから、おみくじ(笑)
 どちらが私にとって『怠ける』選択なのかを考えた。そして、決めた。

 今日、退職願いを提出してきました。 

おばさんは しぜんと おともだちよ

2006年03月23日 | 文化・社会
 megumiyazakiさまはじめ、最近、覗いているあちこちのブログでウワサの、子供向け検索サイトキッズgoo、私も試してみましたー。

>キッズgooは、インターネットを安全(あんぜん)、便利(べんり)に使(つか)えて、 さらに、役(やく)に立(た)つサービスを提供(ていきょう)しているよ。たとえば
1.フィルタリングサービス <安全(あんぜん)>
キッズgooの検索(けんさく)サービスには、フィルタリングという機能(きのう)がついているんだ。 43億(おく)ものデータの中(なか)から、安全(あんぜん)なページだけが出(で)てくるように 検索(けんさく)した時(とき)にチェックしてるよ。


 ・・だそうです。そんでもって「六畳の神殿」は・・
「ごめんね。ページがひょうじできませんでした」

 ・・お、おいらも安全じゃないのか・・

 でも、検索結果の中からたどっていけば、このサイトに来ることはできました。「知床」と「高尾山」の話題から。

 「そうよ、おばさんはしぜんとおともだちなの。それってあんぜんだとおもわない?」

 ・・まぁ、私のページに限らず、ITの扱いに慣れて、かつ関心のある子供は、フィルタをかけても行っちゃうとこには行っちゃうでしょうけどねー。

 このフィルタリングって、思うに、電話の着信拒否機能みたいに、登録モノなんじゃないのかな?・・いや、根拠はありませんが。 こう、100組くらいのモニター親とかが居て、おススメのキーワードやサイトを登録し、それ以外の個人のサイトは検索できても表示されない・・いや、そんな処理は無理か
 それともアレか、レンタル形式のブログとかは、匿名性が高いからとハネられるだけの話かな。だって、知人が個人でやってるHPは、どれも表示○だったもの。

 それにしても、どういう基準でフィルタリングをかけているのか、興味が湧きますねー。創価学会HPは○で被害者の会は×、アーレフのHPは×だけど広報部は○、抗議系はダメなのかと思えばモノによっては大丈夫で賛否両論が読めたりもする・・ハテ??

 とりあえず私が所属している自然系の団体はどれも「あんぜん」みたいで良かったです。応援しているそれらのページさえ見てもらえれば。私自身のこのページなんか別に見られなくてもいっかー、てなもんで。
 「よいこのぼくたちわたしたち、いっぱい見にいってね」


  追記 
 キッズgooはじかれサイト同盟なるものがあるそうで。いや~オレも甘酸っぺぇ~(笑)
キッズgooはじかれサイト同盟


「何バトン」なの?

2006年03月18日 | バトン
 megumiyazakiさんから、新しいバトンです。
 これ、タイトルが無いようなんですが。「自分語り」バトンとでも云うのでしょうか。

 設問は以下の6つです。
■ バトンを回してくれた人の印象
■ 周りから見た自分はどんな人
■ 好きな人間性を5つ
■ 自分がこうありたいと思う理想像
■ 自分を慕ってる人に叫んでください
■ バトンを渡す相手
 では、いってみようと思います。

■ バトンを回してくれた人の印象
megumiyazakiさんの印象は、「元気な人」!
 《元》々持って生まれた《気》が、イキイキぴちぴちしてるタイプの人、という印象があります。魅力的です。
・・実はブログを拝見し始めた当初、megumiyazakiさんの、時事問題への冷静な分析眼や小気味良い切れ味の文体から、書いているのは男性だと思い込み、ちょっとトキめいてしまったことはダーリンには内緒です。

■ 周りから見た自分はどんな人
 よく言われるのは「外見と内面にギャップがある」ってこと。高校時代に、親友が私の紹介文として書いてくれた言葉も「ネアカでネ○ケベ・・深くつきあおう!」でした。
 最近は皆さん言葉を選んで下さるんですが、どうも意味するところはー、・・「見かけだおし」フォー☆(←HG風^^;)

■ 好きな人間性を5つ
 ほがらか。まじめ。おひとよし。ひたむき。おおらか。

■ 自分がこうありたいと思う理想像
 これは具体的な「あこがれの人物」を挙げるのでしょうか?
 ぱっと思い浮かぶのは、今なら・・そうね、ダライ・ラマ14世と櫻井よし子さんと向井千秋さん。

 理想の自分像なら・・(ちなみに、「理想」の対義語は「現実」ですからね・・)。
 『他人の目など気にせずに、自分が信じた研究に没頭する。すると、それを評価してくれる人が周囲に集まってきて支えてくれ、贅沢はできなくても日々のおまんまの心配はせずに済むくらいになる。なのでさらに勤勉に研究に邁進する。研究資金だけは潤沢にある。興味のある人がごくたまに話を聞きにきてくれる。少数の理解者は私のそんな生活を我が事のように喜んでくれ、多数の人々は「何がそんなに楽しいんだか理解し難いが、まぁ面白いんだったら良いんじゃないのー?」と微笑ましく見守ってくれる・・・』
 いいなー。そんな半分仙人みたいな生活、したいなー。

■ 自分を慕ってる人に叫んでください
 「ごめんなさーい!こんな私でごめんなさぁーい、お恥ずかしいでぇーす!でも慕ってくれてありがとう、大好きだよ~ぅ」

■ バトンを渡す相手
 自主受け取り歓迎です。
 あ、でも、新しいオトモダチ開拓?ってことで、もしまだお読み頂いていたら、TB頂いた方の中から直近のお三方、
七五白書さま
ジュンさま
局の独り言。さま
いかがでしょう?よろしければご検討下さい。もちろん、気がすすまなければスルーの方向で。


本日の「さよならそしてありがとう」

2006年03月16日 | 日々のこと
 「さよなら そして ありがとう」と言いたい話題ふたつ。

 ひとつは、日テレの連ドラ「神はサイコロを振らない」。本日最終回でした。

 今まで、毎回うるうる観てたわりに、最終回は何か淡々と観てしまいました。物語展開の方が気になって、感情移入の方にはあまり注意が向かなかったせいかな。

 《その瞬間》の、突き刺さるような冷たい胸騒ぎが、リアルで胸に痛かったです。喪失の衝撃。二度目の、分かってはいても、残酷な瞬間。起きなかった奇跡。
 ・・でも、それぞれに何か温かいものを残した、どこか穏やかな別れ。

 誰の人生も、ほんとは、こんな感じのものになるはずなのにね。
 人はいつか必ず永遠に別れる。そのことを常に胸に置いておけば。
 ささいなことで諍いあうことも、もう少し減るかもしれないのに。突然の別れでも、後悔の苦悩は少しは和らぐかもしれないのに。人はそんな自明なことさえも、すぐに忘れてしまう、愚かな生き物。

         

 「さよなら、そしてありがとう」のふたつめ。

 スキージャンプの原田選手、今期限りで引退だそうです。
 ・・う~ん、何とも言葉がありません。もう一度あのハッピースマイルを見たかったような、でも現状を考え合わせると、それを期待するのはかなーりキビシ過ぎのような・・
 いろんな意味で、彼のことは大好きでした。ずっと応援していたい人物でした。だからこそ、彼の決断を受け入れようと思います。
 お疲れさまでした。忘れられない感動をありがとうございました。


泣きたい夜

2006年03月13日 | 自然関連
 本当に偶然なのだが、先週末、2日連続で 哲学者の内山 節 氏の講演を聴く機会があった。

 初めの日は、環境省の役人さんとか小池大臣とかも喋った、大々的な講演会だったので、私のような自称ナチュラリストが修士レベルの知識で質問に手を挙げるような雰囲気でもなく、胸にモヤモヤを抱えたまま会場を後にした。
 ところが、翌日の講演会は、小規模で、会場からの質問が議論に発展するような活発なタイプのものだったので、私の気分もほぐれていた。質問しようかなぁ、とグズグズためらっていたら当然のことながら時間切れ。会はお開きとなった。しかし、帰りがけのトイレの前で、内山氏を発見!思わず、大胆にも呼びとめて質問をしてしまった。
 (お時間とらせて、申し訳ありませんでした って、この場で謝っても仕方ないが・・)

 質問の内容や内山氏のお答えは別な機会に譲るが、とにかく、短時間でかなり深遠なテーマをぶつけてしまったので、内山氏もかなり直截に答えて下さった。共通認識を得て、前日の私のモヤモヤは晴れたものの、その思考の霧の向こうに現れた、事実の重さや現実世界への絶望に、本当に泣きたくなって、ひとりトボトボ帰路についた。

 湿り気のある春の夜の中を歩いて、ビルに囲まれた公園にさしかかると、闇の中に、梅の香りが充満していた。
 何かすごく、意味もなく、運命的な気がした。
 それから「私は哲学者には成れない・・」とつくづく思った。いや、哲学者を志した事はないが、それにしても、こんな《世界への絶望の思い》に日々向き合うことを生業とするなんて、弱い私にはとても無理だと思った。

本日のお言葉

2006年03月11日 | 日々のこと
・・つか、先日のお言葉だ(汗)TV「神はサイコロを振らない」から。

 「神はサイコロをふらないが、きみはサイコロを振れ。自分の人生のサイコロは、自分で振るんだ」

 人生には、自らの意志で《賭けにうって出る》必要のある瞬間がある。
 確かに、ある。