六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

見えないものを

2005年03月14日 | 文化・社会
 昨日の「男と女の、倍率の違う接眼レンズ」について、もうちょっと。

 そのこと自体は、仕方の無いことだと私は思っている。だって脳の構造からホルモン分泌から社会的文化的立場から違うのだもの。
 「お互い、それぞれに見えにくい次元がある」。
 それはそのまま受け入れるより他に方法がない。

 問題なのは「その事実」ではなく、それに対する「態度」や「対処の仕方」の方だ。

 自分の目には見えないものを、「在る」と思うか「無い」と思うか。
 それによって人の態度は変わる。

 たとえば一昔前に流行った「亭主元気で留守が良い」というキャッチコピー。あれは、既婚女性を揶揄しているようでいて実は、「女の知恵」を良く現していると思う。
 女は、男が「女には見えにくい次元のものを見ている」と知っている。
 見えない次元のものは、「ある」と思っている。
 そして、見えにくいため参画するのが困難だから、「留守がいい」と口に出して自らを能動的に切り離すことで、精神の健康を保つ。
 それは生活の知恵だ。そうすることが結果的には、自分にも周囲の人にもメリットのあることだと分かっているから。

 一方男は、目に見えないものは「無いものだ」と思いがちではないだろうか。あるいは、見えにくいから「小さいことだ」と判断し「取るに足りないことだ」と評価する。

 たとえばホリエモン。
 あの人は、自分の倍率で見えるものしか「無い」と思っている。そして他の人もみな同じ倍率でものを見ていると思っている。さらに、違う倍率を持っている人のことは「眼中に」無い。
 焦点深度の浅い人。
 そんな人に、既存メディアが扱えるのか。

 それとも既存メディアは役割を終えたと切り捨てられる時期にきていて、そこに付随する「ささやかな人々」もまた切り捨てられて仕方ない時代だと考えられているのか。

 それでいいのか。

 ・・つーか、ホリエモンを支持する人たちは、この問題がそういう議論につながるんだと、絶対意識してないと思うなぁ・・

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