六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

ブランド力

2010年12月05日 | 自然関連
"オオカミでシカを減らせ"


 微妙にニュアンスのズレはある(里山の獣害対策の切り札なだけでなく、天然林や高山帯などの自然全体の保護のためにはオオカミが要るんだと、丸山名誉教授は主張しているんですが ^^;)けれど、報道としてはまぁまぁ及第点かなと思います。

 とある会社の社長さんがオオカミ復活推進派なのですが、この放送直後に「オオカミなんて社長さんの酔狂、半分トンデモ話だと思ってお聞きしてましたけど、まじめな話だったんですね」とメールが10通くらいきたと苦笑していました。
 いろいろ問題があるとはいえ「NHKのブランド力」は、やはりスゴイです。

 そうです。絶滅種の再導入による復元は、まじめな自然保護の手法なんですよ~。トキ、コウノトリにつづいてはオオカミ。カワウソも、その日を待ってます。

 環境省は「当面は」狩猟の強化で対応を続けるそうです。
 でも「当面」っていつまで?
 早くオオカミ復活を決断した方が、未来に遺す傷が浅くて済むよ~。

書籍紹介

2010年12月01日 | 自然関連
 まずは、この本を見つけ、翻訳し出版すると決めた関係者の慧眼に賛辞を贈りたい。
 いま日本の自然は捕食者のオオカミを欠き、ヒトによる狩猟圧も激減して、増える一方であるシカによって農林業地も天然林も、高山や河川や沿岸までも、声なき悲鳴をあげている。「食害列島」とでも呼びたいこの国の現状に、これほどタイムリーな本はない。

 本書を読むと、生態系に捕食者オオカミを取り戻すことがもたらす「効果」は、直接の捕食(物理的な獲物の量)だけにとどまらず、その存在がもつ心理的効果もまた自然界にとっては非常に重要であることに気づくことができる。

 著者ソウルゼンバーグは長年サイエンスライターとして自然保護にかかわり続けている人物だ。その経験から、世界中のさまざまな自然(山、海、熱帯のジャングル)が人間のせいで頂点捕食者を失い、その結果おそろしい危機に直面している実例を紹介し、そこから問題の本質を一般読者にもわかりやすい筆致で説き起こしてくれる。 

 自然の多様性は《食物連鎖》つまり「食う-食われる」の関係の中から進化してきた。捕食者はよりうまく獲物を捕え、より永く繁栄しようと努力する。一方、狩られる側は何とか攻撃をかいくぐり生き延びようと驚くほどの工夫を見せる。その緊張に満ちた相互関係の加速がカンブリア紀に爆発と称されるほどの生物の多様さを生みだし、その祖先たちが繁殖のしくみや社会構造といった生き残り戦略の試行錯誤を重ねた結果、何億年もの時間をかけて今日の地球の姿が成立している。人類の生存は、この仕組みの外にはありえない。
 だが人類は愚かにも、その「捕食-被食」関係のもつ意味を考えもせず、ただ自らの都合だけで進化の結晶である頂点捕食者を迫害し、各地で絶滅に追いやり、わずかに現存するものたちの存続すらも人間社会の価値判断のもとに決めようとしている。その軽率さと傲慢に一刻も早く気づき、生態系の「食う-食われる」関係の修復に乗り出すかどうかが我々自身の未来を左右しているのだ、と筆者は警告する。

 日本の科学者たちにも、一日も早くこの悪夢のような未来予測から目をさまし、我が国の生物多様性を根本から回復させる取り組みに真剣に向き合って欲しいと願わずにはいられない。

 この本はまた、若い人たち、特に生態学の研究者を目指す学生にぜひおすすめしたい。研究の最前線での論争や概念に触れることができるからだ。栄養カスケードなどは絶対に押さえておきたい知識であるし、巻末の引用文献も貴重な情報源だ。これを手がかりにぜひ原著論文にふれ、まだ思考が柔軟なうちに(この本の表現を借りれば、ボトムアップ理論という大理石の殿堂に安住してしまう前に)ぜひ自由な視点を会得して欲しいと思う。

 また、第7章を読めば、日本へのオオカミ再導入の懸念材料として「ハブ退治のマングース」の例をあげることがいかに「的外れな議論」であるかが理解できる。ポイントは、対象動物が「頂点捕食者(トップ)」か「中間捕食者(二番手)」か、ということだ。マングースは本来それが生息していた生態系の中での「トップ動物」ではなかった。二番手がトップの制約から自由になったとき生態系にいかに深刻な影響を及ぼすかがここに書かれている。この1点だけとっても、「日本でもトップ動物を復活させようじゃないか」という提案に対し「二番手を入れたのは失敗だったろう?」と答えるのがいかにかみ合っていない議論か、よく分かる。 (だから高槻先生が巻末の「解説」でなぜこの事を挙げたのか、正直、首をかしげてしまった。高槻先生・・・ソンケーしてるんですけどぉ・・・ orz )


 では人類は果たしてトップ動物だろうか、と著者は問いかける。我々は、頂点捕食者が進化の中で果たしてきた役割のすぐれた代替者たりえるのか。無理をしてトップ動物の責任をすべて担おうとするよりも、トップ動物に戻ってきてもらうための環境整備(トラブル回避を含む)に叡智をかたむける方がむしろ容易で、理にかなっているのではないか。いや、むしろ、自然のためにも、生物多様性を財産として子孫の世代へ残すためにも、それが我々に残されている唯一の手段ではないのか。

 我々は時を止められないから「現在・ここ」にとどまることはできない。いやおうなく踏み出さねばならない未来は、これまで地球が進化の結果としてたどってきた地史レベルの時間軸の直線の先には、もはや無い。人類はそういう地点まできてしまっているのだ。選択肢は「現在・ここ」から多方向へ伸びている。破滅か存続か、希望か絶望か・・・どの未来をあなたは選びたいのか?選ぶべきなのか?・・・と問いかけてくる、この本はまるでハブ空港のような1冊である。