六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

「どーせムリ」と教えてくれるのは誰?

2014年11月24日 | 心や命のこと

Hoping invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo

「絶滅したオオカミを、再導入して野生復帰させる?そんなの どーせ無理」と言う人がよくいます。特に、理系や、高等教育で生物系を学んだ20、30代の男性に多いようです。時には口汚いほどの罵倒の言葉を投げつけられてビックリさせられることがあります。

研究や生物教育で給料を得ている人が「どーせむり」を言う場合もあって、オオカミ再導入を口にした学生が教授から怒鳴られたという話も聞きました。「私の気持ちは中立ですが、オオカミに関わると共同研究者が気を悪くするから」という理由で、超一流の国立大学の学生が寄稿オファーを断ってきたこともあります。・・・いろいろな考え方があっても良いけど、こういう日本の学究の場って、どうなの・・とは思いますね。

ともあれ、

わたしたちは みな等しく

1回きりの人生を

ぶっつけ本番で生きている。

初めてなんだから失敗して当たり前。

失敗は、成功へ積み重ねていくデータのひとつに過ぎない。

・・その通りだと思います。オオカミをめぐるあれやこれやも、何もかも初めてのことですから。データを積み重ねていくしか道はないのでしょう。


本日のお言葉

2011年08月04日 | 心や命のこと
Whatever steps, however small, one can take towards learning to reduce the influence of the negative emotions can be very helpful.
(ダライ・ラマ14世のツイッターより)

 ・・・そうだよなぁ
 いくらこっちで悪態ついたって、面と向かってその人に「あんたの物言いムカつく!」と言う気がない限り、その人には伝わらない。
 一度は言ってやりたい~と思うが、言ったからってその人が心を入れ替えて真人間になるか?・・・あーりーえーなーいー。
 言うのと、言わないで私が呑みこんで忘れるのと、客観的にどちらが良いか?・・・圧倒的に後者である。

 結論。私が大人になるべきである。

 そう分かっているはずなのにそのことをくり返し考えて悶々とするのは、時間と血糖値(脳が一番エネルギーを使うからね)のムダ。

 そうは分かっちゃいるんだけどね。人間がデキてないから。

 何かこう、パーッと発散してスカッと忘れる良い方法(Whatever steps)は無いもんですかね。
 
 ・・え?猊下のお言葉はそういう意味じゃない?

本日のお言葉

2011年06月20日 | 心や命のこと
「この世に『雑用』というものはございません。
わたくしたちが用を雑にした時に『雑用』が生まれるのです」
  (ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子さんの言葉)

 確かにそうだなぁと思います。大事につとめる用は、『御用』ですもんね。

 そういうわけで、今日は一日「これは雑用でなく御用だ」と思って日々のことをやってみました。掃除とか片付けとか買い物とか家事とか。
 やることは同じなんだけど、何となく意味のあることをやったような気持ちになれました(単純なワタクシ

祈り~あなたたちは一人じゃない~

2011年03月20日 | 心や命のこと
 今回の震災、津波、そして原発事故に関わりのある全ての人へ。
 祈っています。みんなが、世界が。



 そういえば地震の数時間後に、私が入会しているアメリカの自然保護団体から「貴女は大丈夫?」って英文でメールがきた。その時点では、まだ宮城に住む両親や親戚、友人たち、誰ひとりとして安否の確認が取れる状況じゃなかったので、この件について外国から私を気遣うメールが飛び込んでくるとは思わなくて、びっくりした。

 世界はいつのまにか、こんなにつながっているんだね。

 みんなが、見ている。見守られている。だから頑張れ、辛いけどがんばれ!この国はきっと大丈夫。

 

罪人はいません

2009年08月14日 | 心や命のこと
 つまみぐいの理解なので、今日のエントリーは、専門家や玄人はだしの方は鼻で笑ってスルーして下さいね(庶民は日々の生活で忙しいから表面を撫でる理解で充分だと思うの・・予防線はりはり

 今年の大河(一部意見では泥河)のメインキャラである上杉景勝は、幕府からキリシタン処罰の命令が来た時「我が領内にはキリシタンは一人も御座らなく候」って言って領民を守ったそうな。
 かっこいーね。
 1人も御座らなくなんかねーだろって誰もが分かっていても、民草を守るために堂々と開き直る。罪はオレがかぶるからおまえたちは安心しろ、という指導者を仰ぎ見て、人々は感激し、苦難に耐え、黙々と日々の暮らしをガンバル。時の権力に遠慮して表立っては「言挙げ」しないけれども、内々に、子々孫々まで「名君」との言い伝えを残し、郷土の誇りとして胸に抱く。俺達はその地の子であると胸をはる。

 これが多分、中世以降の日本人の多数派のメンタリティ。
 
 こういう「愛と信頼」「報恩の精神」という《心の背骨》が日本人の真の強さを作り上げてきた。日本人の力の真のみなもとは、虐げられた恨みとか欠落からくる渇望といった暗いところから湧き上がるパワーではなかった。

 だから、特攻までしちゃうことができたんだと思うし、マッカーサーもそのことを理解していたから昭和天皇に手を出すことをしなかった。

 その純粋な愛と信頼のパワーを、当時の日本政府指導者たちは、最も効率よく犠牲を少なくするかたちで取り扱うことができなかった。そのことへの評価はまた別の議論。彼らへの恨みつらみはもちろん理解できる。けれども、そのダークな感情をいつまでも保持し続けることが、残された個々の人々の人生に果たして生産的なことなのかどうか、大いに疑問だと思う。

 とにかく当時はそれが精一杯だったのだと、事実は事実として、もうそろそろ「歴史」として、収めてもよいのではないだろうか。還暦も過ぎたんだし。
 是は是、非は非・・と、なぜ冷静に議論ができないのか。

 それは、現在進行形で「時の権力からの圧力」があり、それに阿り呼応することでダークなパワーを利用しようと画策する勢力があるから。

【ざっくりと時系列】 
 1937年 7月 7日 支那事変
 1941年11月26日 ハル・ノート
 同  12月 8日 真珠湾攻撃 太平洋戦争(大東亜戦争)開戦
 1945年 7月26日 ポツダム会議で降伏勧告の宣言
 同   8月 6日 広島に原爆投下
 同   8月 8日 「平和に対する罪」の項目が作られる
           日ソ中立条約を一方的に破棄しソ連が参戦
 同   8月 9日 長崎に原爆投下
 同     10日 ポツダム宣言受諾
 同     15日 終戦
 同   8月16日 ソ連軍、南樺太に侵攻。20日には真岡事件
 同   9月 2日 降伏文書調印式
 同  11月19日~翌年4月にかけて、A級戦犯(つまり、上記の「平和に対する罪」を犯したとされる人々)の逮捕
 1952年4月28日 サンフランシスコ平和条約締結(極東軍事裁判の諸判決を受け入れてね♪そんでもって日本国内の拘禁者の扱いは関係国の了解のもと日本にまかせますよ、とゆーこと。)
 同  5月 1日 木村篤太郎法務総裁が拘禁者の扱い変更の通達(国内法の受刑者と同じ扱いから「公務死」「抑留や逮捕者」へ)
 同6月~1955年までの参議院本会議にて成立した決議のもと、1956年、国際的にも、サンフランシスコ条約の手続きにもどづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯の釈放。

 ・・はい、この時点で、国内法的にも国際的にも、戦争犯罪人はいなくなりました、てことではないの???

 いわゆる元A級戦犯についての私の理解は、そういうことです。

 ついでに【ざっくり年表】を見てもらえば分かりますが、A級戦犯とされる人々が問われた罪は、そのことが起こってしまっただいぶ後に作られた事後法です。
 事後法は遡って適用されないのが世の常識。
 それができるんなら適用してやりたい犯罪なんて現代にもゴロゴロある。危険運転致死傷罪とか!ストーカー規制法とか!・・・でも、法の目的・精神は、恨みを晴らすことではない。未来へ向けてより良い社会を皆で作り上げるために、あの犠牲が法として結実したのだと思う事で被害者・関係者は涙をのみ、その恩恵にあずかる後世の人々はそのことを胸に刻む・・それが法治国家として、その国に生きる者としてのあるべき姿でしょう。
 極東軍事裁判(東京裁判)は、その崇高な法の精神すらふみにじっている、国際社会の恥かしい過去なわけです。

 その恥かしい過去をふりかざし、いまだにA級戦犯だから罪人だとか堂々と口にしちゃう民主党のオカラ。1952~55年まで国会で審議され国内法的にも犯罪者と同列ではないと決議されてるのに、そのことを知らないんじゃね?

 ・・・まったく嘆かわしい。

 国内には、先の大戦の罪人は、もはやひとりもいません。
 日本の文化では、ひとりひとりに宿る魂はみな善で、死んで現世の垢を脱ぎ捨てれば、人種の違いもなく、犯してきたあやまちもすべて浄化され、個々人の狭い枠が取り払われて真実に目覚め、悟りと平安をえて、今生に生きる私たちを見守る大いなる「神」の一部に溶け込んでゆきます。
 靖国神社は、そのひかりかがやく美しいものと対面する「窓」です。
 そこには遺骨や遺灰は何ひとつありません。
 ただ心を持ち寄って、大いなる心と向き合う「場」です。
 静かに佇んで、黙って自分の心と向き合って下さい。
 日本人はそういう祈り方をするんだということを、世界の人々に是非理解してほしい。

 ・・とか言ってくれる政治家がいたら、ソッコー総理大臣になって欲しいがなぁ

高尾山の親子

2008年12月08日 | 心や命のこと
 11月の下旬、会社の仲間4人で高尾山に遊びに行った時のこと。

 私たちが下山がてらお昼を食べようと一丁目茶屋に入った時には、時計の針は午後1時をだいぶ過ぎていた。その時間でもお店は満席に近く、狭い入り口には順番待ちの列ができたり消えたりしていた。

 私たちが食事を終えて店を出ようとした時のことだ。
 別のテーブルが空き、店員が、入り口にたまっていた客に「あちらのテーブルへどうぞ~」と声をかけ、2,3人のグループが店の奥へと歩を進めた。
 と、その直後に立っていた小学校の低学年くらいの男の子が、前の客の動きにつられて、ぱたぱたっと店の奥へ歩き出そうとした。すると母親がやおらその子の腕をつかんで引き戻し、周囲にもハッキリ聞こえる大声で言った。

 「行っちゃダメ!まだ順番じゃないの、バカ!」

 ・・バ、バカ?
 (その子、前の客につられちゃっただけじゃん。「バカ」まで言うか、わが子に?

 しかし彼女は、子の腕を掴んだまま怒気を含んだ口調でさらに言いつのった。
 「前の人が席について、次どうぞって言われたら座るの!・・っタク、こんなこともわからないなんて、本っ当に頭が悪いんだから

 言われた男の子は、聞こえなかったふりなのか視線をおよがせ、曖昧な笑いを浮かべたまま、大人しく佇んでいる。
 その表情と行動からは、発達障害は伺われない。
 そして、母親からつねに「バカ」「頭が悪い」と言われ続けているらしいことが一目で見て取れた。

 空腹なのかよっぽど不快なことがあったのか、子に罵声を浴びせたあとも母親の怒りオーラは収まる気配が無い。
 私はそれ以上聞くに堪えなくて(店内も混雑していたし)トレッキングシューズの靴ヒモも結ばないまま、店の外に出てしまった。

 店の外で靴ヒモを結び直しながら、同行のHちゃんに思わず言ってしまった。「・・さっきの子さぁ、5年後には母親を殴るね」

 前後の文脈がみえなくて、Hちゃんはきょとんとしている。私は自己嫌悪におそわれた。分かっているなら、私が一言いうべきは、Hちゃんにじゃなくてあの母親に、だろうに。

 無自覚な親の言動で自尊心を殺され続けた子が、小学校高学年あたりから親に対して牙をむく。身体も大きくなり、性ホルモンも影響しだす息子の荒れに直面して、困惑し、恐怖を感じ、孤軍奮闘を始める母親、焦りだして腕力に訴える、あるいは逃げに転ずる父親。
 その苦悩は、各ご家庭の「自業自得」であり、必要な試練だと、言ってしまえばそれまでだけど。
 その暴発が家庭内はもちろん、秋葉事件のような形で噴出して、社会を震撼させるとしたら・・?

 カラクリを知っている者が、ほんのちょっとだけでも、届かなくても、何かヒントになるきっかけの言葉を差し出してあげるべきではなかっただろうか、バカな母親のためでなく、あのやさしげな微笑の男の子の魂のために。

 「ちょっと間違えちゃっただけだよねぇ。大人しく待って、えらいねぇ」とか。
 「お母さん、そこまでおっしゃらなくても。いいお子さんじゃないですか」とか。

 母親の怒りオーラの激しさにたじろいで目をそらしてしまった自分の気弱さが、残念でならなかった。
 もし私に少し勇気があったら、あるいは良い意味での図太さがあったら、5年後の拳は母親には向かないかもしれないのに。

 いや、いっぺん殴られて目を覚ませ、とも思うけどね、あの母親は・・しかし、私をはじめ、誰もの心に芽生えるそういう冷淡さ薄情さが、めぐりめぐって、つもりつもって、今日の、説明のつかない事件の多発を招いているとは言えないだろうか。

 法にふれなければ何をやってもいいという冷淡。
 人の心は金で買えると考える浅はか。
 自己責任と目をそらす薄情。

 闇の魔物は、私たちひとりひとりの心の冥がりに棲んでいる。

 それとどう闘えば良いかを、実はまっさんがちゃーんと歌ってくれてたりする

 そう!「建具屋カトーの決心」 あれですよ。

 すでに答えを知ってる、やっぱりさだまさしは凄い・・という結論に至るのでした、チャンチャン
 

さだまさしのトークから

2008年12月07日 | 心や命のこと
 ネタバレ注意です。
 ・・ったって、35周年記念コンサートツアーは私が行った12月4日で千秋楽だったのだから、もうバラしても問題ないのかな??

 それとも、版権とかに抵触しちゃうだろうか。

 ちょっといろいろ考えてしまったので、トークの要旨だけ引用しまして、あと私の意見などを書きたいと思います。

 12月4日のコンサートの模様はwowwowか何かで放送予定みたいなので、もしそれを観るのを楽しみにしている方は、この先は読まないで下さいね~。

 ・・長々と前置きしたから、このくらいでイイ?

 さて。
 いろいろ考えてしまった「まっさんトーク」とは。

 例の、秋葉事件の犯人についてのまっさんの想い、でした。

 まっさんがコンサートの間中しつこくシツコク繰り返していたように【意見には個人差があります。】これはあくまで、まっさんのトークを聴いての私の考えです。

 まっさんはこんな内容の話をした。
 『罪は許されない、それはもちろんだけど、それとは別に。たとえば、目の前で小さな子供が流されて溺れているとする。自分が手を差しのべればその子は確実に助かる。いきなりそういう場面に遭遇した時、秋葉事件の犯人の彼だったらどうするだろう?わかんないけど、オレは、彼だってとっさに手を差しのべると思うんだよね・・甘いと言われるかもしれないけど、オレはそう信じたい。』

 私は、その意見にはうなずけなかった。どうしても。

 人の中の善を、私も信じたい。
 でも、あの犯人が『あのまま』では、無理なんじゃないかなと思った。

 いきなりそういう場面に出くわした時。
 周囲に誰かいてその場を見ていたら、彼は手をさしのべ子供を救うだろう。
 でも、周囲に彼と子供の他に誰もいなかったら? さしのべないかもしれない、と私は思った。だってそれほどの暗黒が彼の中に無ければ、あの無差別事件などおこせるわけがないもの。

 逆に。
 周囲で誰か見ていて、彼が手をさしのべて子供を救う(救わざるを得なくなる、でも良い)・・そういうたぐいの『英雄体験』が、彼の人生の中でひとつでもあればよかったのに・・と、しんみりしてしまった。

 たったひとつ、他愛ない出来事でもいい、彼が注目されて、褒められて、「うん、オレってなかなかイイかも」とほっこりできるような体験が、あったらよかったのに。そしたら、あんな事件をおこして、尊い命が失われたり、彼自身の人生が破滅せずに済んだかもしれないのに。
 そんな奇跡的な偶然に恵まれなかったのも、彼の運命だったのだろうか・・。

 あるいは、事件直前、作業服がないとキレて暴れた時なんかに「おい、ちょっと来い」と無理矢理連れだして「いいから飲め ぜんぶぶちまけろ」と言ってくれる男気のある人が、周囲にいたらよかったのに。

 罪は罪。個人の責任。
 それはそうなんだけど、その過程にもっと何か回避の手立てはあったんじゃないかと。とても些細で、個人的だけど、重要なことが。時と共に積もり積もってゆく、目に見えない、とりかえしのつかない、何か。

 それを担っている社会の成人のひとりとして、これは誰もが考えなければならない教訓。なのにそれを自らの問題として考えてみようとせずに「人間の根底の善を信じよう」と呼びかけるだけでは、やっぱ甘すぎると思う。

 また、それを社会システムの問題だ経済格差だとそっちの方向に振り向けようと騒ぐのも、卑怯だと私は思う。

 抽象的すぎる話になっちゃった。

 後日、私自身の実例をひいて、もうちょっと書きます。


断食しました

2008年08月30日 | 心や命のこと
 そういうわけで、断食しました。
 空腹ではありましたが、体調に影響するほどじゃない、楽勝な12時間でした。
 ダライ・ラマ猊下も一緒に断食なさってると聞いて、ちょっと嬉しくなってた私はミーハー?

 ティータイムにいただいた白湯のそれはそれは美味しいこと。

 安全で美味しい水を、欲しい時に、好みの温度でいただける贅沢。

 ふだんの生活だけだと、そういうありがたさにも気づかないで不平不満ばかり。人と比べて自分だけがこんなにタイヘン、こんなにカワイソウ・・と思いがち。
 断食すると、その考え方の誤りにソッコー気づくことができる。

 たまに、断食、良いですね。

 もちろん、体調と要相談で、どんな方にもおススメできるわけじゃないですが。

 「食=生命をいただくこと」。だから、少食や断食、肉食を避けて野菜食にメニューの中心をシフトすることは、犠牲にしなければならない生命をなるべく少数で済ますこと。手軽にとりかかれる「慈悲の実践」。
 そう教えて下さった甲田光雄先生はこの夏、鬼籍に入られたそうです。
 ご冥福を祈り、感謝の念を捧げつつ・・

断食します

2008年08月26日 | 心や命のこと
 「平和のための断食法要」 於大本山護国寺

 来る8月30日午前7時~午後7時まで12時間の断食です。

 私は前夜から神社の宿坊に泊るイベントに参加中の予定なので、護国寺へは行かず、居る場所で自主参加しますです。

 趣旨説明は、こちら

 この断食の目的として、a)~f)まで・・悪行を浄化し善いカルマを積み重ねるとかダライ・ラマ猊下の健康長寿とか、弾圧下にある人々の苦しみを取り除き、圧制者の心から憎しみを取り去る・・等々が述べられていますが。
 私はそれに加えて、g)五輪の熱戦をついつい観ちゃった自分への反省の想いもこめようと思います・・。

モンスターの出自

2008年08月22日 | 心や命のこと
 個人情報の流出になるとマズイので詳細は書けないのが残念なのだが。今週、仕事上の会話で似たような状況が2回あって、考え込んでしまった。

 いずれも相手は、20代~30代の顧客の母親で、推定60代半ば。
 顧客の代理と称して問い合わせをかけてきて、常識ではとても考えつかないような要求を述べ、それは通らないものか?と質問してきたのだ。
 常識で考えろよ・・と答えるわけにはいかないので、懇切丁寧に筋道をたてて説明すると、ひとしきり親の情を訴えた後で「やっぱり無理ですよね」とおとなしく引き下がってくれた。

 ・・つーか、無理難題と分かっていて問い合わせをかけてきたってか

 今、モンスターペアレントと呼ばれるヘンな若い親が多いと言われるけど、その上の世代がそもそもこーゆー「世間の常識は常識、でも自分のルールはルール」って感じの人が多い気がする。
 そゆ人たちは、一歩外に出れば一応常識は知っているから、マトモな振舞いはできる。マトモに見られる。でもきっと、自分ちの中では《自らルール》全開なのだろう。
 その家庭で育った子は、それがアタリマエと思い込んで育つ。その世代がいまモンスターとして世間に姿を現しているんだろうな~と。
 
 となりの席の働くシングルマザーにそのことをぼやくと、「そうなんだよね」と頷く。

 最近のお母さんの傾向。
 たとえば自分の子供が、学校で配られたお知らせプリントを、母である自分に見せなかったとしよう。
 彼女は言う。「・・私たちが最初に疑うのは、子供が机とかランドセルとかの中にプリントをクシャクシャッと押し込んでしまってるんじゃないかとか、いらない紙と混同してお絵かきしたり紙飛行機でとばしてしまったりしたんじゃないかとか、だよね? でも今のお母さんたちは違うの。《うちの子だけ、プリント配ってもらえなかった?》って思うんだよ、ホント!・・どこからそんな発想が?って首をかしげちゃう」

 そういわれてみれば、私が今週話した顧客の母も、憤懣やるかたない口調で訴えていた。
 「今は本当にみんな不親切。病院だって、私たちが娘の年の頃は20~30日くらいはゆっくり入院させてくれた同じ病気を、今は10日前後で放り出すんですよ!」

 ・・「放り出す」って・・ 20~30年前と今とでは医療水準も格段に違うし、だいいち早く治してもらえるののどこが不親切なんだか、私には正直、理解できないんですが。

 「ありがたい」「もったいない」の感覚などなく、自分の権利はぬかりなく主張し、要求はダメもとで大声で喚き、悪いのは相手だと思う。
 そんな思考がモンスターの苗床。

【天敵】考

2008年07月18日 | 心や命のこと
最後に振り返ると、あなたにも解るはず
結局、全てはあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。

マザー・テレサ


 なぜ彼が【天敵】なのか。
 
 よくよく冷静に考えてみれば、彼は単に「面白くない年下の男」にすぎない。
 そこそこ頭が良い(バツグンに明晰というわけではないのは、周囲の皆も同意するところ)だけの、社会人としての配慮に欠ける、権力志向と自己顕示欲が強くて自己正当化が激しいだけの人物。

 クセがあってつきあいづらい、御しがたい人物など、世の中には山ほどいる。私の周囲にも事欠かない。
 その中で、なぜ彼だけを私は【天敵】と認識してしまうのか。

 それは、彼と対面した時に自分の中に湧き上がる【ダークサイドな感情】が、非常に苦痛でイヤなのだ。

 彼の近くにいると、私の中にある朗らかさやのどかさ、落ち着き、寛容さや基本的好意(愛想)といった要素が消えていってしまうのだ。イライラして、神経質で、生意気で許容量の乏しい、卑屈で気弱で尊大な自分しかいなくなってしまう。

 そんな自分が、イヤなのだ、結局は。
 彼の存在そのものがどう、ということではないのだ。

 だからこれは修行なのだと思う。
 私という人間が、人間的に成長するために、天が配した人材。

 だから【天敵】。
 
 中1の時も、クラスにこの【天敵】がいた。
 あの頃の私はコドモだったから、ムキになって彼より優位に立とうとした。しかも悪い(?)ことに、私は正義感の強い子供だったので、いじめるとかいやがらせをするとかそーゆー手段を使うことは潔しとしなかった。つまり理屈と正当な競争(成績とか)で彼を負かそうとしたのだ。
 理屈を戦わせる=いっぱい口喧嘩する=会話が多い・・という構図になり、「風野とアイツは仲が良い。デキている」ということになってしまった。
 ・・なんでそーなる・・

 中1の天敵君は、私とウワサになって存外嬉しかったのかもしれぬ。ちょっと変わった子で周囲から浮いていたので、怒りながらにしろ無視せずマトモに相手してくれる私に、好意を抱いていたのかもしれぬ。
 でもそんなことは私のあずかり知らぬこと。
 この天敵君とのウワサは、立てる人にとってはただのネタだが、当人にとっては深刻なトラウマになった。
 他の誰とウワサになるよりも、大っ嫌いで顔見るだけでムカつく相手と「デキてる」と言われる辛さ。「あんな奴キライだ」と、言えば言うほど「まぁたまた~(ニヤニヤ)」「意識しちゃってぇ」と、まともに取り合ってもらえない淋しさ。
 私が、恋愛恐怖症にも似た男性嫌いになったのは、この天敵君とのウワサが本当に大きい。
 下手すると今でも、中学の同窓生がたまに顔を合わせると、私と天敵君のネタが蒸し返される。蒸し返す方は悪気はないんだけど、まったくもって不快。「次に蒸し返す奴がいたら公衆の面前でマジ泣きしてやろうか」と企んだことすらある。

 今はもうダーリンときちんと恋愛ができて幸せだから、余裕で「あの頃はコドモだったなぁ」と笑えるけれど。

 ・・今の【天敵】氏との関係も、いつか笑って思い出として語れるような「器の大きい人間」に成長したいものだのう・・
 

本日のお言葉

2008年07月17日 | 心や命のこと
人は、不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとする時、邪魔だてする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良なものを、世に伝えなさい。
蹴り返されかも知れません。
でも、気にすることなく、最良なものを与え続けなさい。

マザー・テレサ


 天敵が、学士会の会報に寄稿した文をみつけた(・・つーか、実家に届いた会報を見て、わざわざ両親が付箋を貼りつけて郵送してきた)。
 同じ研究室にいた時分、私が支持する論理や概念をさんっざんバカにしてたくせに、何だよこの文は。まるで初めから支持していたと言わんばかりの文体。彼自身のオリジナルな発想は何ひとつ無いくせに、文末の結びに「筆者はこう考える」って何度も何度も。この【手のひら返し】には唖然とする。おまけに、動物種によって異なる生存戦略のうちのひとつの包括適応度について知らないのじゃないの??(まさか理系生物系の教員でそれはあるまい??)って感じで、情緒論でまとめてくる始末。
 男としても研究者としても、内実はダメダメじゃん。

 この男を、両親は「結婚相手として良いんじゃないの?」とアピールしたくて、付箋つけて送ってくるのだ。
 ・・メイワク。

 誠実でやさしいダーリンを気に入らず、こんな自己顕示欲丸出しのダメ男を薦めてくる親、その動機はひとえに天敵の職業が「大学の教員」だからだ。人柄なんか「そんなの、気にならなくなるわよ」と言う。

 やめてくれ。

 第一、天敵は妻帯者だ。両親はそれも知ってるはずだが?ボケて忘れたか?

 ・・でも。
 まぁ、学士会報の寄稿文については、いいや。
 彼は自らあの理論の広告塔になってくれたと思えば良い。せいぜい派手にパフォーマンスして、役立ってくれぃ。

 この理論・概念の実現は、私自身の手柄になんかならなくて良いんだもの。だれの手柄となっても、結局、将来の日本の自然と、それを享受する子々孫々たちのためになれば、それでオーケー。

 だいいち、誰の手柄とみなされようと、そんなのは百年もすればみんな忘れ去られる。
 そして、みどり豊かな山河だけが残る。

 それで、良いのだ。

中共の謀略

2008年05月05日 | 心や命のこと
 関東ではこの番組はTVでは見られませんが、ネットでさがせば見れるようにしてくれた方がいます。いい時代になったものです。

     

 日々暮らしている中で、些末なことから人生を左右することまで、いろいろな苦難や悲しみ、理不尽、不公平が襲ってくる。不正が横行し、義はないがしろにされる。「何で私だけ・・」みたいな悲しみは、世の中にあふれかえっている。
 そんな現実を、どう解釈するか。その中に生きる自分の生を、どうとらえるか。

 エハラー(笑)な私には、スピリチュアルな観点からの解釈がとてもしっくりくるもののひとつだ。
 つまり、魂にとって、今生を含む現世は簡単に言えば「修行の場」であるということ。あるいは「学校である」とも言って良い。

 人は一生をかけて、現世という修行の場で魂を磨く。・・もちろん、磨かなくても良い(笑)どんな人生を選ぶかはその人次第だから。ただ「今生ではこの課題をこなしなさい」みたいな感じで、逃れようの無い運命(たとえば、生れ落ちる国とか、先天性の病気とか、天災とか、ヘンな両親とか、犯罪に巻き込まれるとか)を各人が与えられている。それを引き受けて、魂は修行に励む(あるいは自暴自棄になってヘタレ人生を歩む選択をする人もいる)。そして時がきたら皆「死」という形で学校を卒業する。
 どんな「卒業生」になるかによって、次の転生が決まる。ヘタレ人生の魂は「単位が足りん!もう一回!」って同じような境遇を与えられるかもしれない。まぁとにかく、そうやって「人生というのは一生をかけて、より高い人格を目指して頑張るものだ」・・というスタンスが、私は好きだ、という話。

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマは、観音菩薩の生まれ変わりとされる。
 菩薩とは、本来ならばもう現世という修行の場に戻らなくてもよい徳の高い魂が、まだ修行中の魂たちを導くためにわざわざ肉体(ボディ)に宿って現世に戻ってきた存在であるとされる。
 未熟でアホっぽくて不具合と未完成と試行錯誤に満ちたこんな世の中に、好き好んで戻ってきて下さる魂。なかなか学ばない、成長しない我々の存在を、愛しく思って導くために。
 その「愛の深さ」を思うと、生きる勇気が湧きます。よし、今の自分の境遇、自分の生を、自分の守備範囲だけは何としても頑張ろう、と思える。多分このあたりの感覚は、キリスト教徒が十字架にかかったイエスに寄せる思いに似てるんじゃないかな。

 今回のラサ暴動から聖火リレーの混乱に関して、ダライ・ラマ14世猊下が「これ以上暴力が続くなら退位する」と語ったと聞いた時、私は冷水をかけられたような思いがした。

 ダライ・ラマは生まれ変わりである。存在そのものが生き仏である。

 その人の「退位」など、あり得ない。

 そんなことがあるとしたら、それは「今生からの撤退」を意味するのではないか(暴力の応酬を止めるためにハンガーストライキをしたマハトマ・ガンディが脳裡に浮かんだ)。

 後日、どうもあの「退位」発言は、亡命政府の代表をおりる的ニュアンスであると知ってホッとしたのだけれど。

 でも、中国政府はもう将来に向けた布石を打っている。
 噴飯モノなのだが、宗教とは相容れないはずの共産党政権が、この「転生」に関して法律を作った(上記の番組でも語られているけど)。
 そして、当時6歳だったパンチェン・ラマの生まれ変わりの少年を、両親ともども拉致監禁し、別の少年をパンチェン・ラマの生まれ変わりとしてその座にすえている。
 ダライ・ラマ14世猊下が亡くなった後、次の15世選びに関して大きな力をもつパンチェン・ラマを、中国政府は実質「押さえて」しまっているわけ。宗教に土足で踏み込むようなことをして平気でいられる面の皮の厚さは、驚くばかりだ。

 当時6歳だったニマ少年。生きていれば先日19歳になったはず。中共の謀略のために、この長い年月をどこでどう過ごしているのか。

 こんなめちゃくちゃなことをして、でも絶対に自らの非を認めない国。
 その困ったお隣さんと、どうつき合っていけば良いのか、本当に頭が痛くなる・・

極めて真っ当な判断

2008年04月22日 | 心や命のこと
 その1本日の広島高裁の判断
 山口県光市で99年4月、母子を殺害したとして殺人と強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(27)に対する差し戻し控訴審の判決公判が22日午前、広島高裁であった。楢崎康英裁判長は「強姦の目的や計画性も否定できない」として、求刑通り死刑を言い渡した。元少年が差し戻し審になって新供述を展開したことを「不自然不合理」とし、弁護側が主張した情状面について「斟酌(しんしゃく)する理由はみじんもない」と述べた。
 この判決は本件だけでなく、今後の司法制度全体、さらには国民の司法に対する信頼にまでかかわるものだっただけに、真っ当な判断が下されて、ひとつホッとした感じ。
 でも弁護団はまた上告するのね・・

 それにしても、記者会見での本村さんの言葉、その洞察の深さには本当に尊敬の念を禁じえない。「人間としての器の大きさ」に圧倒されます。
 スピリチュアルな言い方をすれば。人間の生の中でおそらく一番といえる苦悩を宿命として与えられた彼の姿が「人は苦悩とどう向き合うべきか」ということを身をもって教えてくれている気がします。現実から逃避せず、目をそらさず、あきらめずに真正面から全力で取り組む。その崇高な姿は、まるで菩薩様を見るようだ。

 その2長野・善光寺の、聖火リレー出発式の会場提供辞退

 出発地のボイコットについて、TVでとりあげられる長野市民はみな口をそろえて「仕方ないですね」みたいな言い方をなさる。後ろ向きの微苦笑で。「残念ですね、出発地点として善光寺を世界にアピールできる絶好の機会だったのに」とかいうコメントもあったけど。ホントに長野の皆さんはそんな気持ちなの?そんな理解なのマジで?
大丈夫!もう充分、善光寺は世界にアピールしましたから!
>「善光寺が発した静かな怒りは、世界の全仏教徒のみならず宗派を超えた宗教指導者が身を切るほどの警告となった」@CNN(アメリカ)

>「ZENKOUJIは一滴の血も流さず、一個の石(投石?)も用いずに最大級のデモンストレーションを成し遂げた」@NBC(アメリカ)

>「日本の対中外交の勝利をもたらしたのは、政治家ではなく若き僧侶だった」@F2

>「2000年の時を越えて、遠い東の国にBuddismの精神が変わらず受け継がれていることをZenkojiはこれ以上にない方法で示した。我々は、我々と同じ価値観を共有する日本国民と日本の仏教界に強い尊敬と親しみの念を覚える」@IDN(インド)

>「物静かで政治的な主張をしないことで知られる日本が動いた。拡声器もプラカードも用いないその静かな抗議の声はしかし、どんな喧騒よりも深く強く世界の人々の心に届くに違いない」@BBC(イギリス)

>「聖火リレーのボイコットを表明したその日も、Zenkojiは静かだった。その日、Zenkojiの境内で取材を続ける私は、全身にしみこむ鐘楼の深く低い音に思わず立ち尽くした。憎しみや悲しみを洗い流すこの聖なる音色が1300年にわたり受け継がれていることは世界の奇跡である。」@AE通信(オーストラリア)


 善光寺は、世界遺産推薦に値する、名実ともに日本の宝です。今回のことで、もっと尊い宝になりました。