六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

正体見たりホリエモン

2005年03月24日 | 文化・社会
 「冒涜」=神聖・尊厳なるものをおかしけがすこと(広辞苑) 

 昼のワイドショーの単独インタビューで。
 世間の批判や、自分に対する評価が過少だと憤慨して彼は繰り返し言った。「それはボクに対する冒涜ですよ!」

 ・・アンタは神か。神聖なのか。

 たとえば「それってボクに失礼じゃないですか?」とか「過小評価が過ぎますよ」「暴言ですよ」と言うならまだ分かる。「冒涜」って言葉を選ぶあたりに心根が見えるね。

 もっともダーリンは「こいつは日本語を知らないんだ」とコメント。
 そうかも。

 さらに、今後どんな事をやっていきたいか、という話をしていて「ボクは知的好奇心が旺盛だから、いろいろ興味があるんですよ。やってみたい事がいっぱいある」と言っていたが、とうとう最後まで《こういうことをするからきっと皆さん喜んでくれますよ》とか《社会にこういう貢献がしたい》という表現は全く出てこなかった。
 キャスターがくりかえし「周囲に理解されるためには説明が必要ですよ」と言ってるのに、「何で説明する必要があるんですか」と切り返したあげく、「ボクのこと、そんなに理解されていないと分かってなかった」と答えた。

 もしかしてホリエモン、頭悪い?

 ・・ま、頭良ければ、「東大には、合格する事が目的だった」なんて「学問への志なき自分」をさらけ出すような恥ずかしいこと、絶対に口にはしないわね。

 さらに彼は言った。「欲望は無限に拡大する」。それが、ホリエモンにとっての真理であり、自己正当化のなによりの根拠らしい。

 本当に分かってない。京都議定書で愛知万博な今現在の日本にいるのかホリエモン!地球は21世紀を迎えているんだぞホリエモン!そんなバブル期みたいな人間観を、経済社会観を、まだ引きずっているとは!

 人間の欲望の拡大に沿った、成長を前提とする経済活動や社会構造はもはや限界目前だ。だから地球規模の環境問題解決の道を、さまざまな人々が模索している。
 そういう時に、違法じゃないからと不備をすりぬけ自分だけがオイシイ思いをするのをひけらかして、大衆の無限の欲望を煽るのがどういう行為か、自覚のないのが本当に腹立たしい。煽った責任感なんて皆無だろうし。

 また、彼は言った。「お金お金って皆さんボクに言うけど、もっとみんな、金に敬意を払うべきですよ。ボクが帰宅してくつろぐ部屋も、眠るためのベッドもみな金で買うんです。それ、あたりまえの事でしょう?」

 ・・はぁ? 

 言いたい事はわかるけど、もしもし?

 金も、部屋もベッドも、「物質」だよ。それに「くつろぎ」がくっついているわけじゃないよ。
 まして「敬意」を払うって、そんな価値、もともと「物質」には付随してない。

 すべては「人の心」が、評価するのに。

 さるさる日記の2月8日に書いた。もう一度書く。

 女性性優位の事業である、有機的存在の健全維持(自然保護も含め)とその再生産無しには、人間社会は存続できない。いくら科学技術が進んでも、人はひとかけらの生命も生み出してはいないのだ。その事を忘れ、あるいは意図的に無視し、自らが再生産できる無機物(=物質=金)の多寡と再生産能力で社会的地位と評価を決める。そういう「男性性優位」の近視眼的社会が、政治が、いま国そのものを、人類そのものを、存亡の危機に陥れている。

 そういう視点をちょびっとでも持ちたまへ、ホリエモン。