六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

本日のお言葉

2005年03月22日 | 心や命のこと
 本日のお言葉は、がくほうさんの日記 http://www2.diary.ne.jp/user/121029/ から。

 『私が無駄に過ごした今日は 昨日死んだ人が 痛切に生きたいと願った一日』

 本当にそうだなと思います。
 ちょっとくらい切なくても、辛くても、「精進せねば」という気持ちになります。

 春の気配が肌をなでていくみたいに立ちのぼるこんな日。昨年の11月に亡くなった伯母を思い出します。
 伯母は華道の師範でした。花菖蒲のような女性でした。
 私の祖母は70歳前に亡くなったので、幼かった私はあまり覚えておらず、私にとってはこの伯母が「若い祖母」のような存在でした。

 亡くなる半年ほど前。
 ダーリンとの事を伯母に相談しました。両親と、私と、伯母と、伯父と伯母と(親戚が多いぞ・・実は他にももっと居るのだ ^^;)6人で話し合い、伯父伯母は皆、私の味方になってくれました。「好きな人と添わせるのが一番だ。たとえどんなに条件が良い相手でも、好きでもない人との結婚生活なんてみじめなだけだ」とその場で両親を説得してくれました。

 もちろん、両親は頑として受け付けません。
 両親の性格をとてもよく知っている伯父伯母は、顔を見合わせて、やれやれとため息をつき、話し合い終了。

 でも私にとってはこれで充分ありがたかった。
 披露宴って結局は、こういうお世話になった親戚などへのご報告の意味もあるわけでしょう?だから話し合いの場にいてもらえれば「なぜ私が正式に結婚できないでいるか」を理解してもらえる。それでいいや、と思ったの。

 両親が帰る支度をするため席を外した時、伯母は私に言った。一言だけ。

 「おばさんは、わかってるからね」

 ・・うん。ありがと。

 その後、伯母は口腔内に癌ができ、痛みで喋れなくなった。亡くなるまでの数ヶ月の間に、帰省して何度か会ったし筆談もしたけれど、結局、何気なく言ってくれたこの一言が、私とっては遺言になった。

 おばさんは、わかってるからね。

 遺された者にとって、こんな幸せな遺言が他にあるだろうか。

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