六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

道の上 2

2005年08月29日 | 文化・社会
本日のお言葉

 「卑怯か暴力かのどちらかを選ぶ以外に道がないならば、わたしは暴力をすすめるだろうと信じている。・・(具体的な事件のコメント 略)・・。
 けれどもわたしは、非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するより雄々しいことを信じている。宥恕(ゆうじょ)は武人を飾る。しかし、赦す側に罰する力があるときにのみ、自己抑制は赦しとなる。無力な者が寛大を装ったところで、それは無意味である。鼠は、猫に八つ裂きにされるがままになっているとき、猫を赦してはいない。・・(後略)」

 『ヤング・インディア』1920年8月11日号 マハトマ・ガンジー「剣の教義」より

 選挙の公示が近づいて、各党のいろいろな主張が耳に届いてくる。その中には、改憲、特に憲法9条をどうするかや、自衛隊の扱いについての問題も含まれている。各党の主張をよく考慮に入れて、選びたいと思う。

 それにしても、この問題を考える時、いつも「議論のベースが噛み合ってないなー」と思う。
 そもそも日本人というのは、民族の誇りを持ち、国益を考えたらすぐに、近隣国に対して領土拡大と武力侵略を始める国民なのだろうか?
 9条を変える事に絶対反対を唱える人たちは、自分達がそういう国民だと信じているように見える。

 あるいは、かつて地方の素朴な中学で起こった悲劇に対するのと、似た感覚なのかな。・・おとなしい男子生徒が、注意されたことにカッとなって若い女性教諭を刺殺してしまった事件。その時たまたま少年がナイフを持ってさえいなかったら、こんな悲劇には発展しなかった。だからコドモからナイフを取り上げよう・・
 あるいは、逆だろうか。「アイツ、おとなしそうにみえるけどナイフを持ってる危険な奴だゼ」と不良に目をつけられないように、最初からナイフは持たないでいましょう。弱虫と言われても、そういうヒトたちとはできるだけ目を合わせず関わらず、ご機嫌をとって頭のひとつも下げてやり過ごす方が、結局は利口でお得です・・ってカンジ?

 9条を変えて戦争が「できる」国にすることと、戦争を「する」国になることは、即イコールではない。さらに、戦争を「しなければならない」国になることとも、相互にイコールではない。

 たとえば、昔の武士には「切捨て御免」が認められていたけれども、簡単に鯉口を切るような人物は軽蔑されたし、武士自身、その事を他の何よりも恐れていた。「二本差し」は、「恥」と「矜持」の文化によって、横暴を抑制されていたのだ。そういう文化を思い出す方が・・「和をもって尊しとなす」民族の誇りを回復することの方が、逆に日本を平和国家という道の上から外さない最善策だと思うんだけどなぁ。
 
 むしろ危険だと思うのは、日本人自身の中に、自虐史観からくる自信のなさ、自己否定感の裏返しの「こころ不信」と「他者不信」、「物質信奉」がドロドロ渦巻いている人が多いことだ。
 自分がどんな風土の中で生命を受け継ぎ、先祖のどんな愛と尽力があっていまここに日々の安寧を謳歌しているかを見ようとせず、法に触れなければ何をやっても個人の自由と主張し、感謝や礼を忘れ、「教科書やマスコミがわーわー言ったって、どうせ社会は変わらない」と自分の怠慢・無気力・視野狭窄から目を背け、人の心はお金で動くといった価値観を披瀝してはばからない人に賛同を寄せる。(まぁ、有権者もそんなにバカじゃないってコトを広島6区の皆さんは今回の選挙で証明してくれると思いますが・・どうかな・・ちょっとドキドキ。つーか、自分がもし広島6区の住人だったらドウシヨウ・・だ、誰も選べない・・どうしたらいいんだあぁぁっっと悶絶の毎日になったと思います。・・スイマセン広島6区有権者の皆さん。私は所詮、他人事の野次馬です・・。閑話休題)
 こういうタイプの人は、他者の痛みを自らの心に感じない(または意図して感じるのを避ける)。自国を含め、個々の文化を価値のあるものと尊重しないから破壊しても平気。その場に自分自身をコミットさせないから、攻撃されてもダメージを受けない。だから、もしこういうタイプの人が暴走を始めたら、よほどの攻撃をしないと誰も止められなくなる。その余波を喰って、周囲はひどい迷惑を被る羽目になる。

 極右・極左の暴力に走る人々は、劣等感の裏返しの「力信奉」者そのものだと思うし、また、その暴力衝動の危険性を自らの内にリアルなものとして感じるからこそ、愛国教育を拒否する人々は世界情勢の分析からの冷静な議論をさえ危険視し、ヒステリックに反応し、理想論に逃げ込んで思考停止する。

 家庭内暴力対策とかでもそうなんだけど、劣等感由来の力の暴走をコントロールするには、より大きな力で対抗し抑え込もうとしてはダメ。より大きい暴力を誘発するだけ。
 このタイプの暴力を抑制するには、エンパワメント(力の回復)が必要だ。自尊心を回復させ、自分の成長や周囲の変化を意識させ、自分に「自身を律する能力」と「他者と関係を結ぶ能力」があることを自覚させ、責任感をもたせる。

 国も、同じだと思う。

寄り道

2005年08月28日 | 文化・社会
 あさひ素材さんの8月16日の記事「木ばかり見ている」のコメント欄を拝見して、ちょっと「ひっかかって」しまいました。
 私はしつこくてトロく、ひっかかると先に進めないタチです(損な性格・・
 そこで私もコメント欄に投稿しようかと思ったのですが、長くなってご迷惑だろうし、記事そのものでなく、寄せられたコメントに対してコメントというのはどうなんかなーとも思ったので、自分とこに書いてTBすることにしました。
 
 というわけで今回はそーゆー「ひっかかり」内容です。不快に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。あらかじめお詫びしておきます。また、あさひ素材さまご自身、ご意見の続きがあると仰っているのに、それを待たずに私見を書くのはフライングかもしれません、そこもお詫びしときます。・・そして、もひとつ(小心者なワタシ・・) ここでいう「ひっかかり」とは、私の中の主観的な違和感のことです。「そうかな~、違うんじゃないかな~」程度の事であって、「アンタの意見は間違っているわよ!」という積極攻撃的否定ではないので、「ひっかかられた」方、あまり気にしないで下さいね~。

 私がまずひっかかったのは、『自虐史観という言葉が好きではない』と仰る春海さまのご意見です。
 この方は『・・そういう教科書で日本史を学び、それに上積みした勉強を重ねてきた者としては、自分のものの見方、特に日本史の見方を「自虐」などという見当はずれの言葉で否定されている気分になるからです。』だそうですが。
 私も、同じような教科書で教育を受け、ずっと朝日新聞(!)を購読して成人しました。でも自虐史観という言葉に接して、自分のものの見方を否定された気分にはなりませんでしたね~。
 むしろ、ずっと感じていた違和感や解けない疑問の正体はコレだったのか、とヒザを打つ事が多かったです。

 ・・それにしても、本当にご自分の感覚が正しいと信じておられるならば、「自分のものの見方」を否定する人に対しては「あっそう。意見が違うのね」で去って行けば済む話ではないのかしら。どうして『鷹野様の主張をそういう意味にとって賛同します。』と人を引き入れようとする言葉遣いをされるのかしら?

 また、『やはり明治憲法下の日本は、富国強兵をテコに海外殖民政策をとり、東アジアで欧米列強にとってかわろうとしたのだと認識しています。』と書いておられますが、当時はそれが世界標準の思考パターンだった、そうでなければどの国であっても蹂躙されたということを、春海さまは考慮に入れてらっしゃるのかしら?という素朴な疑問も。
 また、『欧米列強と異なり、植民地を収奪することより、神の子孫たる天皇を戴く日本を自尊し、他の民族国家をそれに同化させようという意図の方が前面に出ていたようで・・』と言われるけれど、じゃあ春海さまは、欧米型の植民地収奪方法の方がなんぼかマシだったと思ってらっしゃるのかしら?という素朴な疑問2も。

 当時、日本と同じく世界もまた、今に比べて未熟で間違ったことが沢山あった。今は違憲でトンデモナイことでもある売春が、当時は合憲だった、のと同じように。

 ・・これは日本人だけがどうこうとかいう話じゃない。いまや世界全体が、大戦当時よりはちっとは「マシに」なってきている。あからさまな帝国覇権主義や後進国植民地化なんてナンセンスだし、まだまだ道は遠いけど南北格差是正は善で一方的搾取は悪という方向が共通理解になっている。グローバリゼーションすら、もう時代の先端ではない。
 そんな中で、「場の空気を読む」のに多分世界一長けている民族である日本人が、いまさら武力による覇権を目指すなんて、ありえね~から。

 力をもったらすぐ領土と資源獲得のために動くべし、と考える近隣の国の方たちが、自分たちの思考パターンを日本に投影し、勝手に危険な未来を仮想しているだけじゃないのか。その主張を鵜呑みにする素地が、自虐史観によって作られてるとは思いませんか?

 そして、ひっかかりの2つめ。mori夫さんのご意見。

 『それとももっと大きな、未来志向的な視点で、アジア人として、あるいはもっと世界市民として、30年後、50年後、100年後には、国境などすべてなくなって、自由に旅行したり住んだりできるようになるのが理想という立場で見るのか。(この場合、伝統的な日本国は消滅します。)
 おそらく歴史は三つ目の思想で進行していくと思いますが。』

 国境なく自由な往来ができる理想と、伝統的な日本国が消滅するのが、なぜ一致するのでしょう?飛躍しすぎではないでしょうか。「それが未来志向だ」という点の違和感はおいといても。

 所得格差とか環境無視の自国最優先主義といった、いま現在の国境を基準にした搾取の構図と硬直した思考は、ぜひ消滅して欲しい。その理想は私も賛成です。
 でも、それぞれの国や地域が伝統を忘れ、均一の(グローバリゼーションというやつ)のっぺりした、どこまで行っても同じような風景、同じような個性の人々のいる世界が、理想の未来とは私は思えません。
 歴史も、そういうふうには進行しないと思います。だって最近、ようやく、伝統文化の価値が見直され、自然にしろ文化にしろ、多様性の重要さが評価されるようになってきたし。

 「未来志向」「争いのない理想像」と「日本人の伝統を捨てること」が説明なしにするっと結びついて提示されてしまう、そのことに私はひっかかりました。無意識に「日本人の伝統的精神=悪い面がいっぱいある」と、刷り込まれてはいませんか?それこそが自虐史観教育の賜物だと思うのですが。

スゴイぞ、アキバ系!

2005年08月25日 | 日々のこと
 昨夜はダーリンが同僚に突然拉致られて飲みに行ってしまったため、ヒマになった私は、見るともなしに「トリビアの泉」を見ていた。

 昨日の新聞のテレビ欄、番組解説には「大検証 実録《電車男》・・エルメス美女が絡まれた時 秋葉男は本当に助けられるのか?」とあった。

 正直に告白します。私は全っ然期待してなかった。

 ・・まぁ、いくら秋葉原とはいえ、いわゆるアキバ系でない男性もショッピングに来るだろうから、助ける男性が皆無とは思わないけど、それでも確率的に言って、せいぜい2~3割がいいとこだろうと思っていた。

 ところが!
 調査した100人中69人! 何と7割近くの男性が、美女を助けようとしたのだ! それも、典型的アキバ系に見える(失礼!)男性が、がんばっているではないか!!

 しかも、男性たちは、美女に絡んでいる酔っ払い役の《悪者》に対し、無闇につっかかっていったり高圧的に向かっていく人は少なくて(中にはちょっとハラハラする態度の男性もいたが・・)周囲の状況をよく見、慎重に判断し、美女と自分の安全を確保するのに最善の方法を短時間で懸命に考えながら、勇気を振り絞っているのがありありと見てとれた。
 彼らの対応は、マンガやドラマで見るようなスマートなものではなかった。むしろ不器用な印象で、必ずしも格好良くは無かった。
 でも、無我夢中で必死になっている姿・・慢心や自己陶酔とは対極にあるその姿は、《カッコ良かった》。『ドブネズミ~♪みたいに~美し』かった。ちょっぴり涙が出そうなくらい、感動的だった。
 こういう姿に惚れる女は、案外多いと思う。

 また、助けられずに逃げてしまった男性も、《見て見ぬふりで無表情に通り過ぎ》たのではなかったし、あとで事情説明とインタビューに応じて「怖かったです・・ボクには無理と思った」と告白しているアタリ、ちゃんと《他者を感じる心》を持ち、自分をその場にコミットさせていることが分かる。こういう男性は、人生経験を積んで勇気をもつことさえ出来れば、いい男に変身する可能性がある。

 どの男性も、けなげで、可愛かった。

 そして、恥ずかしくなりました。
 私も、アキバ系というだけであるイメージを抱き、そこから男性を色眼鏡で見て、予断で過小評価していたんだなぁと。 凄く反省しました。

 見直したゾ、日本男児!

父母の言葉

2005年08月24日 | 心や命のこと
 私、ダーリン、私の両親の4人で、顔を合わせたことが2回ある。
 そのどちらもで、出なかった質問。

  1)「君はウチの娘を、どう思っているのかね?」
  2)「お前は、彼のどんなところが好きなの?」

 ・・私ってドラマの観過ぎかなぁ。
 こういう「ご対面場面」で、親が真っ先に訊かなくちゃいけない・・訊かれるべき大切な質問のうちの2つが、コレだと思っていたんだけど。

 訊かれませんでしたね~。
 フツーは訊かないもんなのかなぁ?

 私とダーリンの仲を反対してるなら尚更(言質を取るためにも)訊くものだと思うけど。

              

 そして先日。ダーリンのご家族とお会いしました。

 私、お義父さまからシッカリ訊かれましたよ、上記の2点に近い質問を。
 もちろん、他にもいろいろ訊かれましたけどね。でも、以下の2点は、他の軽い話題とはちょっと違う、真剣モードの声で尋ねられました。

 「貴女は、ウチの息子のどういうところが良いと思ったの?」
 「貴女は息子(=ダーリンのこと)を、愛していますか?」 

 ほらー、やっぱりこれらは《親として押さえておくべき》《お約束》の質問なんじゃん。

道草(笑)

2005年08月14日 | 日々のこと
 夏休み帰省のため、明日から更新はしばらくお休みします。

 前のエントリー「道の上」には続きがあるんです・・書きたくてウズウズしている。また、知床と野生動物についても書きたいことがあるし、スターウォーズのことも書いてない。『亡国のイージス』も観たから、その感想も書きたい・・

 書きたい事いっぱい。にもかかわらず、今月かなり更新が滞っております。

 それには理由がありました。

 今月の初め、ダーリンが急にさそってくれたんです。
 「今年のお盆は、うちの墓参りに一緒に来る?」

 それってつまり、仮にせよダーリン家の、一員みたいな扱いよね?よね?

 ・・う・・嬉しいよぅ 

 その流れで、ご家族にも紹介してもらえる運びに。
  ☆*◎♪▼※~~/(^ ^)/~~(←喜びの舞)

 ・・でもその一方、当然のことながら不安も。「気に入ってもらえるかしら」とか「今の半端な同棲状態を、どう思われるかしら」とか「果たして仲良くやっていけそうなご家族かしら」とかイロイロ・・

 それで今月初めから気もソゾロで、更新がなかなか出来なかったですよ。

 でも、それらの不安は杞憂でした。
 とてもあったかくてやさしいご家族 。さすがはダーリン家、と思いました。
 ・・ま、あたりまえですよね。ご家庭というのは、私が好きになった人の『基』が、ある場所。気に入らないはずがないのでした(ノロケ?)

 ・・じゃあ、私はナゼ、実家とうまくいかないんだろう。親達が、狸親だから?

 今回の帰省では、そんなことを考えながら、自分ちを客観的に見てこようと思います。

 では、また。

道の上

2005年08月13日 | 文化・社会
 私は、ガンジーを尊敬しているとは言っても、本を数冊読んで映画を観ただけのシロウトなので、彼の思想を正確に理解しているかどうかは、正直、自信がありません。

が。

 彼のいう《非暴力》主義とは、たとえば「やられてもやり返さず、心の中で相手を憐れんであげましょう」といった個々人の処世訓ではなく、ましてや、隣に立つ同胞の武器を下ろさせて侵略者をスムーズに迎え入れ同化すれば、暴力とは無縁でいられる、みたいな考え方でもない。

 もっと積極的に、相手の暴力を封じ、武装解除を迫るようなもの。

 私たちの生活は実は、いろいろな意味での《暴力》と無縁ではありません(犯人を押さえつけない警察官や、扉を蹴破らない消防士、ただ船に乗ってるだけの海上保安庁はありえない・・)。
 そう考えると《暴力》と《非暴力》は、国という車を《平和という道》の上に走らせる両輪のようなものかもしれません。

 戦時中は当然のことながら、片方の車輪がおさえつけられて、軍事力という《暴力》の片輪だけでどんどん走ってしまった。結果、車体は傾いてコントロールを失い、クラッシュした。

 その後、日本という車は、逆の車輪片方だけで走り、もう一方の車輪は、アメリカの台車に載せたまま。
 この状態は、いかにも不自由。行きたいところにも行けない。行きたくないところにも運ばれていってしまう。

 これで、いいのか?
 もういいかげん、借り物の平和から、本当の平和の道を自力で走りたい。戦後60年の今、皆がそう考えるようになったのではないでしょうか。

 そのためには、封じていた片輪のことを、皆できちんと考え、話し合わなくては。

 改憲を考え軍事を語ることが即、戦争肯定だ、と決めつけるような今までの風潮が、本当はおかしかったのではないでしょうか。

長崎 原爆の日

2005年08月09日 | 文化・社会
「本日のお言葉」

 平和への道はない。 平和こそが 道である。    
                (マハトマ・ガンジー)
 

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 夏は嫌い。8月は、とりわけ辛い月だ。
 私は暑さに弱い体質でもあるし、食べ物はすぐダメになるし、虫は多いし。

 何より、照りつける陽光の下で、生命のどよめきのなかに死の気配が満ちる・・その幻の屍臭が、胸に苦しい。
 6日、広島。9日、長崎。12日、御巣鷹山。15日、終戦記念日。いのち、心、今の自分を、いやがおうでも考えさせられる。

 私にとって8月は、兄の命日がある特別な月だ。
 また、数年前、14年間私の心に寄り添ってくれた、初めての《まな娘》=愛犬の、死をみとるまでの1ヶ月でもあった(犬が衰弱して死んだのは9月2日)。

 8月はいつも 死 について考える。

 私は、死は「生」や「愛」と対置する概念ではないと思っている。人間が社会性の動物である以上、死=「無に還ること」ですらないと思っている。
 国語的には、「生」の対義語は「死」かもしれないし、死が愛を引き裂くというのはとても分かりやすい図式。
 でも、果たしてそうなんだろうか。

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 ガンジーは、誰をおいても真っ先に私が名前を挙げたい「心の師」のひとりだ。彼は非暴力・不服従運動で、イギリスによる植民地支配からインドを独立させる道筋をつけた。
 しかし当初から彼の《非暴力》主義には批判があった。暴力の前に、非暴力という思想はどのくらいの力をもつのか。彼自身が暗殺という暴力によって、その生涯を閉じてしまったし。

 《非暴力》は、暴力の前には無力なのか?

 日本がいま国是として掲げている平和主義は、核をはじめとする武力による恫喝の応酬の中にあっては、何の説得力も持たないのか?

 そんな迷いを感じる時、心のなかに、本日の言葉がよみがえる。
 勇気が湧いてくる。

 「平和」は、どこか手の届かない未来にあって、皆が祈り願えばいつの日かボタ餅みたいに誰かから与えてもらえる恩寵、といったものではない。
 いま、この、1分1秒に「平和」が降り積もっているのだ。私たちの日々の生活の足元に、まるで雪のように・・あの神社の境内の、桜の花びらのように。
 それを知らずに踏みしめながら、私たちは生活している。

 その、はかないひとひらひとひらを、見つめようと思う。迷ってもいいんだ。日々迷いながら、最善をさがして今日もまた、努力をしていこう。仮に明日戦争が始まっても、今日の平和は事実として残る。それを勇気と確信の糧としよう。事実、この60年間、日本人はそうやって生きてきた。
 戦争という暗い明日がこないようにするためにこそ、今日という時間が、今という生が、私たちに与えられている。失望せず、あきらめず、焦らず、驕らず、目をそらさずに、智慧をしぼって、平和という道を一歩一歩踏みしめよう。

 8月。私は大切な者たちを鬼籍に送った。
 今も、喪失は悲しい。腸がひきちぎられるように、肉が絞られるように、辛い。
 でも、重ねてきた過去を思う。
 喪失の瞬間はいっとき、よりそった時間は心に永遠。私とかれらの間にふりつもった1分1秒は、意識には上らなくなっても、私の記憶の中に沈んで、土台となって、今の私の足元を支えてくれている。
 私が、元気で笑って、幸せに生きているうちは、大切な者たちの生は、続いている。

 平和もきっと、そんなふうなものなんじゃないかな。

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広島 原爆の日

2005年08月06日 | 文化・社会
今日も真夏日。朝から暑かったです。8時15分も、もうすでに暑かったです。1分間の黙祷をしました。

 先日、記念碑の「やすらかに眠って下さい あやまちは くりかえしませぬから」の「あやまち」の部分を削って傷つけたバカがいた。

 あやまちをあやまちと認められない狭量さが、情けない。
 たとえばあの原爆投下が戦争を早く終わらせたという説を、無邪気に信じている人々と同じく、恥ずかしい。

 先日のNHK「その時歴史が動いた」では、終戦直前の米英とソ連の密約や連携、ソ連の対日参戦の経緯などが描かれていた。コンパクトにまとまっていて、とてもわかりやすい番組だった。
 それでも、NHKの描き方は『決定的なミスは「大本営」の参謀次長(だったかな?)の希望的観測とおひとよしが招いたもの』みたいな流れで。いずれにしろ当時の指導部の甘さや独善を、やっぱり断罪しておかなくちゃ、みたいな文脈だった。

 しかし、諸君!を見ると、実はこの大本営の判断ミスさえも、米英側に仕組まれさそいこまれたもので、日本はそもそも情報心理戦にさえ負けていたのだと分かります。

 こんな冷徹悪辣な人々を敵に回して、当時の日本人は真っ向から精神力だけで立ち向かった。そのけなげさ、純朴さには、哀しささえ覚えます。

 米軍は、ソ連への誇示と議会説得のために、是が非でも原爆を実戦で落としたかったし、ソ連は日本の割譲のおこぼれにあずかろうとばかり考えていた。
 双方とも、あのキノコ雲の下で何が起こっているかなど、これっぽっちも想像しなかったし気にもかけていなかったんだなぁと、身に沁みて、つくづく、分かります。

 他でもないその人たちが、短期間で作り上げた日本国憲法の前文。その中の「・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
 この部分がいかにうそっぱちであるか。

 そんなうそっぱちのまやかしにすがりついて、希望の光を見ようとするほどに、当時は絶望的な状況で、みんな疲弊しきっていたんだろうなぁ・・(涙)

 それにしても、60年後の今日に至ってさえ、『平和を愛する諸国民』にとってキノコ雲の下は、歴史から消されて《無いもの》になっているのですねぇ・・。http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050806AT1G0600106082005.html

ラブバトン

2005年08月06日 | バトン
 あさひ素材さまから回ってきました。ラブバトン。


 何となく面白そうって理由でのご指名なんですが・・いや~、機能不全家族に育って、男性恐怖症で、恋愛下手だった私に、この種のネタをふる方が現れるとは・・。人生って、つくづくわからないもんです

 では、回答です。

■ 1:初恋はいつですか?
中1です。ちょっと詳しく知りたい方はさるさる日記 六畳の神殿 6月27、28日をどうぞ。

■ 2:今までに付き合った人数は?
「付き合った」の範囲をどこまでにするかで人数が変わるので・・ノーコメントの方が無難ですな。

■ 3:好きな人とデートしたい場所は?
自然の中で二人きりに近い状態になれるところ。たとえば天然林の中の、渓流沿いのなだらかな山道。あるいはモンゴルの草原。小笠原の海。晴れたノルディックスキーのコース。マウイ島かガラパゴス諸島。南極。

■ 4:好きな人と見たい映画は?
近いところでは「亡国のイージス」と「星になった少年」と「容疑者 室井慎次」は見る予定になっています。

■ 5:好きな人に言われて一番嬉しかった言葉は?
プロポーズの言葉ですね。

■ 6:好きな人はいますか?その人の好きなところは?
います。好きなところは、自分なりの美学を持っているところ。

■ 7:こんな人は絶対に無理っていう人は?
自己正当化して、自らの誤りを認めない男。

■ 8:浮気は許せますか?許せるならどこまで?
浮気は許せない。
でも、本気ならば、許して、去ってゆくことを認めます。

■ 9:同棲してみたい?
同棲中です。

■10:あなたが愛を感じる行動は?
照れてるのを隠す表情。

■11:愛と恋の違いは?
恋は「おなかすいた」に似た気持ち。
愛は「おなかいっぱい」に似た気持ち。

■12:一番長く続いた恋愛は?
今。
(ちなみに、マーク・ハミルには10年くらい、カイル・マクラクランには7年くらい恋をしていた・・って、コレは「恋愛」じゃないか・・)

■13:お付き合いしたい有名人・芸能人は?
最近はあまり心が動く人がいないなぁ・・。お茶の間で見てる分にはいいけど、お付き合いとなるとタイヘンだったり、すぐガッカリしそうな人ばかりだ。・・あ、石田純一とは、ハニカミデートを1度くらいはしてみたい。場所は横浜か鎌倉限定

■14:究極の選択!!一生人を愛せなくなる or 人から愛されなくなる どっちを選択する?
『愛されなくなる』方がマシ。人を愛せない苦しさを想像すると、吐きそうなくらいゾッとします。

■15:このBATONを誰に廻しますか?
デリケートな問題 のmegumiyazakiさん。それから、ひそかに応援してて、突然でおそれおおいですが、コリアン・ザ・サードの、らーさん。らーさんは、こういうネタに乗ってくれる方かしら・・ドキドキ。

 いつもブログを見ている西村幸祐さんが、かつて、ミュージカルバトンを受け取ってらして、「へぇ、こういう方も、こういうのに乗ったりするんだぁ♪」と親しみを感じたものですが・・きっと親しい方から回ったものでしょうし、今回スルーされても、それはらーさんのせいではありませんから!

 また、お二人以外にも、自主受け取り歓迎します~。TBして下さいね。



靖国問題

2005年08月05日 | 文化・社会
 ダーリンが小林よしのりの「靖国論」を買ってきたので、先にパラパラっと覗かせてもらったら、7ページ5コマ目に、こんなことが書いてあった。
 中国の学者に対して小林よしのりが言った台詞。

 「中国共産党は唯物論のはずでしょう。中国人民には『あんな所(=靖国神社)には遺骨も位牌も何もないんだ。日本人はありもしない霊というものを信じてる連中だ。放っておこう』と言っておけばいいじゃないですか」

 あはは その通り。

 8月15日に、総理が靖国に公式参拝すると、近隣国の民の心を傷つけることになるから止めろ、という議論がある。
 それに対し「日本人の宗教観をもっと説明して近隣国に理解してもらえば」という意見もある。

 う~ん。

 前回の記事の、山登りの喩えで言うとね。分かり易いと思うのね。

 平原に住んで、山に登りたがらない人が、山を登る人に対し「登るな!」と要求する。「私には、山を登る必要があるとは思えないから、やめろ!それに、登られると上から見下されるから不快だ。見下ろされた過去も思い出すし」と。
 登る人はとまどう。別に見下すのが目的で登るわけじゃないし、平原の人から登るのを止められるいわれもない。(でも、あんまり騒いでっから、五月蠅いな~やめとくかな~・・って気にもなる)
 一方、山の魅力を語って理解してもらえれば、平原暮らしの人も、登る気になるのではないか?少なくとも、黙ってくれるのではないか?と考える人もいる。

 ・・何というか、どちらもお互いに《余計なお世話》じゃない?

 山には、黙って登ったらいい。

 登りたがらない人を、無理に登山に誘う必要もない。
 また、平原の人が「登山道から見下ろされた!」だの「それで自尊心を傷つけられた!」だのと騒いでも、そんな内政干渉はサックリ無視して、言わせておけばいい。

 平原の人からは見えない景色が、山腹からは見える。でもその風景は、平原の人にとっては《存在しない幻》なのだ。

 平原に暮らすことは、尊重すべき選択であって、登山者の方からとやかく言う事でもないし。

 お互いに、平原と山で棲み分ければ、こんなの何の問題にもならないのに。
 こうして国際問題めいてしまうのは、本質とは違う部分で意図を持っている一方が、わざと騒ぎたてているから。その意図を、冷静に見きわめる必要がある。 

宗教とは 神さまとは

2005年08月04日 | 心や命のこと
 本日のがくほうさんの日記にある、イエスの夢の話、いいですね~。

 似たような内容の石碑が、とあるお寺の敷地内にあったんです。正確な語句は忘れたけど。

 「あなたが苦しんで、
  この世に神も仏もあるものか、と思っているとき
  みほとけは
  あなたをみつめて 涙ぐんでおられる」

 過去に 《この世に神も仏もあるものか、と思う苦しみ》を味わったことのある人には、この慈愛の言葉は、タマランですね(^^)

 宗教の真髄、信仰の思いは結局、宗派教義を問わないものなのかもしれません。

 宗教っていうのは、ひとつの山のようなものだと思います。

 さまざまな入山口、さまざまな登山道がある。ヤブを漕いで、だれも登らないルートを開拓・直登するのだって、有り。

 どこから入山しても、登りつめればひろびろと素晴らしい眺望が約束されている。
 そして、頂上の広場で、皆が顔を合わせる。紅潮した笑顔で、晴れ晴れと、お互いの選んできたルートの思い出、歩みの数々、その健闘を讃えあうことができる。

 神さまは、そういう登山客たちを黙ってニコニコと迎える、寡黙な山小屋のオヤジなのかもしれません・・

靖国で「同期の桜」

2005年08月02日 | 文化・社会
 靖国神社の境内の特設会場で行なわれた野外劇「同期の桜」を観てきました。

 ホントはちょっと腰がひけてたんだけど。そのヒソカなためらいは、単なる先入観でした。観てよかったと思います。

 この作品を見ると、「無宗教の追悼施設を新たに作って分祀」というアイディアが、いかにトンチンカンなものかが分かります。そんなアホなことを大真面目に言ってる国会議員は後日、ちゃんとチェックして嗤ってやろうと思いました。そういう政治家こそ、平和友好主義者の皮を被った、近隣国に阿るだけの戦争肯定者かも。危険。

 また、どこの街にもいらっしゃる、街宣車で騒いでいく人たちもまた、ちがうんじゃないかなぁと思いました(笑)

サッカー東アジア選手権

2005年08月01日 | 日々のこと
 試合開始に先立ってアナウンサーが言う。「北朝鮮チームは、選手を大幅に入れ替えてきました。監督は新しい***・・」
 えー、もしかして、ワールドカップ予選の時ガンバッたせんしゅもかんとくも、もうどこかの施設に送られちゃったの~・・?早! どわはははー。
 ・・とか冗談言っていたら、日本、負けました。

 不謹慎でしたすいません。反省。
 国際試合だもんね。国を背負って真剣に闘って勝つために、人選してくるんだもんね。それが功を奏したってこと。
 つ-か、何負けてんだ日本!負けちゃいかん相手だろう、しっかりしろ!

 北朝鮮のキーパーの顔が、川口にちょっと似てた(笑)

火星の氷塊

2005年08月01日 | 日々のこと
こんな美しい写真は、久しぶりに見た気がします。

 いろいろな意味ですごい写真だと思うんだけど。朝刊一面トップに値する写真だと思うんだけど。どうして新聞各社とも小さい扱いなの??
 火星だよ火星。しかも氷だよ?ドライアイスじゃなく。 きっと在るといわれていたものの実像だよ? ねぇ感動しない?

 そして、氷は『青い』よ?白じゃなく。

 ・・NASA・火星陰謀説ってあるよね、ウヒヒ

 かつて、バイキング(だったかな?)から電送され、最初に発表された火星の写真。空は、淡い水色に写っていた。地球の花曇りのような。
 これはつまり、火星の大気は予想より成分が地球に近くて、将来の移住にもよろしい、みたいな期待を抱かせた。
 ところが、NASAはすぐ、その写真を訂正した。送信された電波の置換の色調がマズかったとか何とかで、正しく画像にしたのはこれです、と発表し直された写真の火星の空は、ピンク色になっていた。

 この一連の動きは、NASAが火星の正確な状態を隠すためではないか? 隠しておいて、いざ地球が危機に陥り火星移住が必要になった時、アメリカ人だけが真っ先に移住できるように、他国には「火星は住むのに不利ですよ~」と情報操作しているのではないか? いやいや、もうすでに火星移住はひそかに始まっているのだ、高名な科学者が既に何人も行方不明になっているのはそのためだ・・!
 ・・って陰謀説。

 好きだな~こういうの(笑)

 氷が青く見えるのは空を映しているからで、やっぱり火星の空は青いのだ!!
 ・・って、どう?