六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

荒川のうさぎ騒動

2005年03月07日 | 自然関連
東京・荒川の河川敷で、ホームレスが飼っていたウサギが野放しになり、増え、穴を掘るから堤防の強度にかかわると国土交通省が柵を設置した騒動。
 もうほとんど報道されなくなったけど、その後どうなったんだろう?「ウサギがこれ以上繁殖しないように、オスとメスに分けて柵内に収容する」ってのは実行されたのか。

 こういう報道に接すると、マスコミってのは全くなぁーにやってんだろねって思う。騒ぎを騒ぎとだけ伝えて、それで充分仕事をしたつもりになっているから知識無いよね。
 コメントを求められた識者や専門家も、少し考えてしゃべったらどうか。「飼いウサギの逸出」と聞いて何も連想しないなら、専門家としてあまりにもお粗末だ。

 一見無害に思える生物が、人の手によって自然の中に持ち込まれることで生態系に多大かつ不可逆的な影響を及ぼし、対応の誤りと遅れが産業や経済に損害を与え、めぐりめぐって人命を危機にさらすことすらある。その危険性が日本でもようやく注目されてきて、外来生物に対する法整備が進んでいる。
 そういう時期なのだから、専門家ならこの機会を捉えて外来種問題まで言及すべきではなかったのか。

 イギリスでは野生化したアナウサギのために田園風景が変わってしまった。在来種のノウサギが減少し、優占する植物が変わり、昆虫相も変化した。オーストラリアでは多額の予算を投じてアナウサギの駆除を試みているが、経済および希少な在来種に対する影響は多大なままだ。

 こういう例を一言付け加えるだけでも、大衆の心の中に何がしかの「ひっかかり」・・議論のための「フック」が形成できる。そうなれば、いざ他の生物で問題が切迫した時、感情論に流されずに自然科学及び社会学的な根拠からの議論ができるのだ。
 なのにそういうコメントに常日頃から接していないから、急に「ブラックバスはダメだ」「ノネコ捕獲だ」「アライグマ処分だ」と聞くとビックリして感情的に反応してしまい、結果「大衆は愚か」で片付けられてしまう。

 先を見越して知識を普及し、意見を醸成しておくのが識者や政治家の仕事なのに。

 マスコミもその知識と心構えがないから、相手がホームレスということもあって飼い主としての無責任を糾弾もせず、「可愛いうさちゃん」が里親希望者にもらわれて行って一件落着という美談でオチ、とするしかなかったんだろう。

 まったくもう。

みちびきのことば

2005年03月07日 | みちびきのことば
 きょうは おいのりをしましたか?
 おいのりは、こころによゆうのあるときにするというものではありませんよ。ないたりどなったりのかわりにするものでもありません。すがったり いばったりするためのものでもありません。

 おいのりは、こきゅうのようなものです。しようとおもわないで しているもの。しないでは いきていけないもの。
 あなたはときどき、うまくこきゅうできないことがありますね。からだはどこもわるくないのに、じぶんでいきをころし みをかたくして くるしいおもいをするでしょう。おいのりできないひは、きっとこころがそんなふうなんです。だからあせらなくていいのですよ。おちつけば だいじょうぶなのだから。からだがこきゅうのしかたをしっているように、こころがおいのりのしかたをしっています。だいじょうぶ。だいじょうぶ。

 じこけんお や こうかい のなみだを、おしんではいけませんよ。いくらでも、あふれるだけ ながしつづけなさい。あなたはいつだって いたらないのだから。あなたはいつだって ちいさくて よわくて いたらないのだから。

 じつのちちやははのほかに ちちやははをおもいえがいて、それをかみさまとよぶのはおやめなさい。なんとふきんしんなことでしょう、かみさまをなにかの だいようひんにするなんて!

 きょうはもう おいのりをしましたか?
 まだだったら、はやくいってらっしゃい、にかいの つきあたりの ろくじょうのしんでんへ。ひがしとみなみのまどはあいていますよ。むねいっぱいのなみだをこぼさないように、そうっとそうっとかいだんをのぼって、はやく、はしって、いってらっしゃい。

 かみさまは おまちですよ。