六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

今年の初・高尾

2008年02月24日 | 日々のこと
 そーゆーわけ(←前記事参照・・)で、ヨゴレた心をお洗濯すべく、高尾山に行ってまいりました~

 何となく今日は「陽の射す明るいルート」を歩きたくて、珍しく稲荷山コースを選択しました。
 登り口、祠があるあたりまでのごく短い区間に踏み固められた圧雪が残っていてつるつる滑ってちょっとやな感じだったけど、もうその先は乾いていて、予想通りポカポカ陽気、明るい山道を楽しめました。

 ・・でも、やっぱこのコースはちょっと長すぎて、飽きる・・ フィールドに慣れた誰かとおしゃべりの方に熱中しながらゆっくり散歩するには良いけど、時間を気にしながらとか、さくさくっと登りたい場合には、平坦な道がちょっと多すぎ。
 今回の職場で親しくなったコが「高尾山に行ったことな~い、行ってみた~い」と言ってて、近々案内する予定なので、このコースはとりあえずやめておこうと思う。どのくらい歩けるコなのか分からないし、登るとしたら1号路か琵琶滝コース、もしかしたらケーブル登りにした方が良いかもな・・などと思いながら、てくてく。

 山頂でとろろ蕎麦をいただいて、薬王院でお茶を買って、ケーブル駅で最近のお気に入りの「天狗焼き」を食べて、いつもは下りによく使うリフトが定期点検の日だったため1号路を歩いて下りる。

 高尾山口駅に着く頃には、午前のポカポカ陽気が嘘のように空に灰色の雲が走り、風が吹き荒れてくる。天気予報が当たったね~。春一番が吹き荒れて、寒い夕方になりました。

 でも、春はもうすぐそこだ。

天敵

2008年02月23日 | 日々のこと
 私にとって、天敵 とでも呼びたい人がいる。

 ・・別に、その人のこと、憎んでいるとかではないんです。その人から何かをされるわけじゃないし、もちろん逆に、私の言動がその人に何か影響を与えるような関係でもない。
 年にほんの1回会うか会わないか程度。顔を合わせれば(お互い大人だから)にこやかに、あたり障りのなーい世間話をして、「じゃ、どーもー」で別れれば、後は特別なことがない限り、日常生活で接点のない相手。

 なのに、こうしてうっかり会ってしまった時などは、翌日までもイヤ~な気分をひきずってしまう。会話のひとつひとつを思い出しては「・・大っキライ・・」とつい吐き捨てるようにつぶやいてしまう。

 そうなる自分が分かっているから、会ってもなるべく会話しないですむようにさりげなく行動しているつもりなんだけど。

 元来、私もお人よしなタチで。「・・もしかしてこの人とだって、いつかは分かり合えるかもしれない」という私の一方的な願望が捨てきれず、ついつい《仲良くなりたいオーラ》を出して世間話なぞしちゃうわけです。

 でも、そのオーラの焦点を結ぶ位置が、その人にとっては不愉快な位置らしく。
 突然、意図しないタイミングで、こちらの言葉じりをとらえてねじ伏せるような返答をされたりして 呆然と、返答に窮すること数限りなし。
 
 ・・ようするにアレですな、文字通り「ウマが合わない」ってのは、こういうことなのだろうと思うですよ。

 彼にとっても、私は、天敵とまでは言わないけれど(だって圧倒的に彼の方がいろんな意味で力があるから)目障りで、ついイライラッとさせられる存在なのだろうなと。
 
 そういう「歓迎されない存在である」というメッセージを私がバカ正直にダイレクトに受け取ってしまうものだから、こうして何日もイヤな気分を引きずってしまうんだよね~。

 別にその人が悪いわけじゃない。
 もちろん私が悪いわけでもない。

 いっさい私情を持ち込まず、心を寄せず、ビジネスライクな関係に徹するのがあの人のお好みなのだから、その意向に沿うようふるまえばよいだけなんだが。相手にとって私は「手前勝手にすり寄ってきて勝手に傷ついて、ウゼェ奴」なんだろうな、と思うですよ。

 でも私は、私以外の人のようにはふるまうことができない。その人に合わせてふるまいを変えようと努力はしている、けれど、その人の満足する度合いに至らないのは、自分ではいかんともし難い。第一、毎日会わなければならない相手じゃないし。

 あとはこの「位置関係」のフィーリングを、次に会うときまで忘れないようにしとく以外ないかな、と思う。あるいは、極力、同席しないように逃げ回るか。
 ・・マッタク、すみませんねぇ、ホント、人間関係に関して、物覚えが悪くて不器用な私で

口は災いの・・とはいえ

2008年02月10日 | 日々のこと
 歌手の倖田來未さんが自身のラジオ番組で言っちゃった「羊水腐る」発言。
 ・・まぁ、居酒屋のダベリじゃないんだから、公共の場では言葉には気をつけましょう、とは思いますが。波紋があまりにも激烈で、何だかな~って気分になっちゃいました。

 この話を聞いた時、35歳をとっくに過ぎて、不妊に悩んでて、まだ子を産む気満々な私でさえ、「なぁ~に言っちゃってるんだか。モノを知らないのね、この娘は」と思っただけで、何の感情も動かされなかったけどな。

 思うにコレは発言内容だけじゃなく、タレントとしての彼女自身に対する反感に、火を点ける口実を与えてしまったってことなのかもね~。彼女のCM、ネット上でかなり叩かれてたもんね。別にCMの出来は悪かないと思うが・・カワイソウに・・。

 この発言に反発を表明した手紙の中には「私は母が35歳の時に生を受けました。何か私自身がけなされたようで、哀しくなりました」とかゆーのもあったそうな。
 ???
 それって、感じすぎとちゃう?

 かつての柳沢厚生労働大臣の「産む機械」発言もそうだけど、前後の文脈を捉えず、抜き出した部分(単語)だけに脊髄反射的に反応してバッシングを展開する、そういう「言葉狩り」的な、底の浅い激しいリアクションが目について、気になる。社会全体がキレ易くなってる、みたいな。「謝罪力」とかゆって、謝り方まで評価するけど、そもそも「怒り」また「許す」側自身は、人としてどうなのだ・・という内省的な志向は、そこにあるんだろうか。疑問だな。

映画「ラスト、コーション」

2008年02月05日 | 映画
 先日、ダーリンが出張でいなくてヒマだったので、公開されたばかりの映画「ラスト、コーション」を見てきました。

 日本占領下の上海・・その時代背景、ファッション、風俗、雰囲気などなど。全く無縁のはずなのに、なぜか私はとても心惹かれるですよ。何でだろう、あの混沌とした感じ、爛熟と猥雑とあやうさと虚構に充ちた煌めき・・あの嘘っぽく俗悪なほどの成金趣味やら倦怠やらも、突き詰めれば至芸だ、みたいな感覚をもって眺めてしまう。決して憧れも肯定も感じないけれど。

 そういうわけで、行ってみました。

 この映画、何か宣伝では愛とかR18がウリな映画みたいに扱われているけれど。観る自分が他でもない「日本人」なら、もっと違うテーマの映画だと感じた方が良いんじゃないかと思った。

 若き主人公の女性がなぜ、このような濡れ場に至るか、そのそもそもの動機・きっかけは何かってこと。
 「抗日」
 彼女はそのために、ここまでやる。

 若くういういしく、良家の子女っぽい聡明な生娘が(・・って、中国の「女性の純潔」に対する価値観がどの程度なのか、いまひとつ分からないけれど。映画「ラ・マン 愛人」を観た時も、どうも愛人というあたりの感覚が理解できなかったのだけれど。当時の日本社会がもっていた倫理観と同じくらいの感覚と仮定すると)ここまでやるのは、相当なことだと思う。

 もちろん、熱く抗日を語る青年への思慕や憧れもあったかもしらん。でも(本当の日本との関係はともかく)「抗日」という当時のスローガンのもつ熱狂とか正当意識とか、そういうものを、ひしひしと感じたですよ。

 その流れの上に、現代がある。
 日本人なら、戦争に無縁の世代でも心の底にほぼ確実に、ヒロシマ・ナガサキが、特攻隊員が、東京をはじめとする大空襲の記憶が、息づいている。
 多分それと同じように。中国の人々の血の中に「抗日」という熱狂が流れていることを実感する。
 そしてその流れの先に、数年前の、自衛隊員とか大使館員が嵌められたハニートラップがあるんだろうなと。

 こういう精神的な近代史の流れを、日本人としてはきちんとおさえるべきなんじゃないかとつくづく思いました。
 背景には列強の利権争いと中国国内の内紛があったにせよ、あの時代、あの地は表面的には「親日・抗日」で彩られていたわけで。嘘っぽいブルジョア生活と、それ以外の困窮した現実生活とのギャップの描写も見事でした。その全てを日本鬼子の悪事とされればぐうの音も出ない、そういう事態にまんまとひきこまれてしまった当時の日本の迂闊さ、見通しの甘さ、傲慢さを戒める意味で、特に自衛隊員と大使館員と中国進出企業家にはぜひ観て欲しいなぁと思いました。

 そういう意味で、怖い映画だったよ。

 あと、観客層がイマイチばらばらで、ヘンな感じがした 若いカップルもいれば、5,60代のオバサンがお一人様していて、「こういう映画に?」と違和感を感じるような年配男性もいて。・・もしかして彼は日本占領下の上海にゆかりがあって、上海の風景を懐かしもうと来てたのかなぁ・・。

最近のお気に入り

2008年02月03日 | 日々のこと
 ちかごろ何となく気に入ってるもの。

☆一青窈の「ハナミズキ」
 ヒットした当初は、正直、歌詞がピンとこなくて、全く良いと思わなかったのに。
 去年の紅白で聴いたら、急に「キテ」しまいました。いい曲だねぃ・・
 カラオケでも歌ってみたが、残念なことに私の声質には合わない・・聴くオンリーです。

☆フジテレビの「鹿男あをによし」
 何となく見始めただけなのに、きっと次回も見てしまうでしょう・・
 ・・実はあたしって、鹿が好きなのかもしれない。画面に鹿が映るたび「可愛ぇ~・・」とつぶやいてしまう。
 このドラマを見るだけで、大好きな奈良を行かずに観光できちゃうお得感もある。

 本当は私、数年くらい奈良に住むはずだった。社会人から大学に戻る年、奈良の大学の学士編入試験にも合格してたのだ。
 奈良という地が好きだったし、編入先が憧れだった「理学部」というのも魅力だった。
 でも結局、東京の研究室を選んだ。学びたい分野に一番近かったからだ。その選択が人生において正解だったかどうかは、今の時点ではまだ分からない。

 しかし、このドラマを見ながら「わぁ~い奈良だぁ」と「苦い想い無し」で楽しめるってことは、奈良行きをキャンセルしたことに後悔が無いということ。これで良かったのだと、私の潜在意識が言っているということ。

☆やぶきたブレンドのCMの嫁姑
 コメントは不要でしょう(笑)この二人の幸せそうなバトル、大好き~!ソフトバンクの白い犬のお父さんと同じくらい好き~