つまみぐいの理解なので、今日のエントリーは、専門家や玄人はだしの方は鼻で笑ってスルーして下さいね(庶民は日々の生活で忙しいから表面を撫でる理解で充分だと思うの・・予防線はりはり)
今年の大河(一部意見では泥河)のメインキャラである上杉景勝は、幕府からキリシタン処罰の命令が来た時「我が領内にはキリシタンは一人も御座らなく候」って言って領民を守ったそうな。
かっこいーね。
1人も御座らなくなんかねーだろって誰もが分かっていても、民草を守るために堂々と開き直る。罪はオレがかぶるからおまえたちは安心しろ、という指導者を仰ぎ見て、人々は感激し、苦難に耐え、黙々と日々の暮らしをガンバル。時の権力に遠慮して表立っては「言挙げ」しないけれども、内々に、子々孫々まで「名君」との言い伝えを残し、郷土の誇りとして胸に抱く。俺達はその地の子であると胸をはる。
これが多分、中世以降の日本人の多数派のメンタリティ。
こういう「愛と信頼」「報恩の精神」という《心の背骨》が日本人の真の強さを作り上げてきた。日本人の力の真のみなもとは、虐げられた恨みとか欠落からくる渇望といった暗いところから湧き上がるパワーではなかった。
だから、特攻までしちゃうことができたんだと思うし、マッカーサーもそのことを理解していたから昭和天皇に手を出すことをしなかった。
その純粋な愛と信頼のパワーを、当時の日本政府指導者たちは、最も効率よく犠牲を少なくするかたちで取り扱うことができなかった。そのことへの評価はまた別の議論。彼らへの恨みつらみはもちろん理解できる。けれども、そのダークな感情をいつまでも保持し続けることが、残された個々の人々の人生に果たして生産的なことなのかどうか、大いに疑問だと思う。
とにかく当時はそれが精一杯だったのだと、事実は事実として、もうそろそろ「歴史」として、収めてもよいのではないだろうか。還暦も過ぎたんだし。
是は是、非は非・・と、なぜ冷静に議論ができないのか。
それは、現在進行形で「時の権力からの圧力」があり、それに阿り呼応することでダークなパワーを利用しようと画策する勢力があるから。
【ざっくりと時系列】
1937年 7月 7日 支那事変
1941年11月26日 ハル・ノート
同 12月 8日 真珠湾攻撃 太平洋戦争(大東亜戦争)開戦
1945年 7月26日 ポツダム会議で降伏勧告の宣言
同 8月 6日 広島に原爆投下
同 8月 8日 「平和に対する罪」の項目が作られる
日ソ中立条約を一方的に破棄しソ連が参戦
同 8月 9日 長崎に原爆投下
同 10日 ポツダム宣言受諾
同 15日 終戦
同 8月16日 ソ連軍、南樺太に侵攻。20日には真岡事件
同 9月 2日 降伏文書調印式
同 11月19日~翌年4月にかけて、A級戦犯(つまり、上記の「平和に対する罪」を犯したとされる人々)の逮捕
1952年4月28日 サンフランシスコ平和条約締結(極東軍事裁判の諸判決を受け入れてね♪そんでもって日本国内の拘禁者の扱いは関係国の了解のもと日本にまかせますよ、とゆーこと。)
同 5月 1日 木村篤太郎法務総裁が拘禁者の扱い変更の通達(国内法の受刑者と同じ扱いから「公務死」「抑留や逮捕者」へ)
同6月~1955年までの参議院本会議にて成立した決議のもと、1956年、国際的にも、サンフランシスコ条約の手続きにもどづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯の釈放。
・・はい、この時点で、国内法的にも国際的にも、戦争犯罪人はいなくなりました、てことではないの???
いわゆる元A級戦犯についての私の理解は、そういうことです。
ついでに【ざっくり年表】を見てもらえば分かりますが、A級戦犯とされる人々が問われた罪は、そのことが起こってしまっただいぶ後に作られた事後法です。
事後法は遡って適用されないのが世の常識。
それができるんなら適用してやりたい犯罪なんて現代にもゴロゴロある。危険運転致死傷罪とか!ストーカー規制法とか!・・・でも、法の目的・精神は、恨みを晴らすことではない。未来へ向けてより良い社会を皆で作り上げるために、あの犠牲が法として結実したのだと思う事で被害者・関係者は涙をのみ、その恩恵にあずかる後世の人々はそのことを胸に刻む・・それが法治国家として、その国に生きる者としてのあるべき姿でしょう。
極東軍事裁判(東京裁判)は、その崇高な法の精神すらふみにじっている、国際社会の恥かしい過去なわけです。
その恥かしい過去をふりかざし、いまだにA級戦犯だから罪人だとか堂々と口にしちゃう民主党のオカラ。1952~55年まで国会で審議され国内法的にも犯罪者と同列ではないと決議されてるのに、そのことを知らないんじゃね?
・・・まったく嘆かわしい。
国内には、先の大戦の罪人は、もはやひとりもいません。
日本の文化では、ひとりひとりに宿る魂はみな善で、死んで現世の垢を脱ぎ捨てれば、人種の違いもなく、犯してきたあやまちもすべて浄化され、個々人の狭い枠が取り払われて真実に目覚め、悟りと平安をえて、今生に生きる私たちを見守る大いなる「神」の一部に溶け込んでゆきます。
靖国神社は、そのひかりかがやく美しいものと対面する「窓」です。
そこには遺骨や遺灰は何ひとつありません。
ただ心を持ち寄って、大いなる心と向き合う「場」です。
静かに佇んで、黙って自分の心と向き合って下さい。
日本人はそういう祈り方をするんだということを、世界の人々に是非理解してほしい。
・・とか言ってくれる政治家がいたら、ソッコー総理大臣になって欲しいがなぁ
今年の大河(一部意見では泥河)のメインキャラである上杉景勝は、幕府からキリシタン処罰の命令が来た時「我が領内にはキリシタンは一人も御座らなく候」って言って領民を守ったそうな。
かっこいーね。
1人も御座らなくなんかねーだろって誰もが分かっていても、民草を守るために堂々と開き直る。罪はオレがかぶるからおまえたちは安心しろ、という指導者を仰ぎ見て、人々は感激し、苦難に耐え、黙々と日々の暮らしをガンバル。時の権力に遠慮して表立っては「言挙げ」しないけれども、内々に、子々孫々まで「名君」との言い伝えを残し、郷土の誇りとして胸に抱く。俺達はその地の子であると胸をはる。
これが多分、中世以降の日本人の多数派のメンタリティ。
こういう「愛と信頼」「報恩の精神」という《心の背骨》が日本人の真の強さを作り上げてきた。日本人の力の真のみなもとは、虐げられた恨みとか欠落からくる渇望といった暗いところから湧き上がるパワーではなかった。
だから、特攻までしちゃうことができたんだと思うし、マッカーサーもそのことを理解していたから昭和天皇に手を出すことをしなかった。
その純粋な愛と信頼のパワーを、当時の日本政府指導者たちは、最も効率よく犠牲を少なくするかたちで取り扱うことができなかった。そのことへの評価はまた別の議論。彼らへの恨みつらみはもちろん理解できる。けれども、そのダークな感情をいつまでも保持し続けることが、残された個々の人々の人生に果たして生産的なことなのかどうか、大いに疑問だと思う。
とにかく当時はそれが精一杯だったのだと、事実は事実として、もうそろそろ「歴史」として、収めてもよいのではないだろうか。還暦も過ぎたんだし。
是は是、非は非・・と、なぜ冷静に議論ができないのか。
それは、現在進行形で「時の権力からの圧力」があり、それに阿り呼応することでダークなパワーを利用しようと画策する勢力があるから。
【ざっくりと時系列】
1937年 7月 7日 支那事変
1941年11月26日 ハル・ノート
同 12月 8日 真珠湾攻撃 太平洋戦争(大東亜戦争)開戦
1945年 7月26日 ポツダム会議で降伏勧告の宣言
同 8月 6日 広島に原爆投下
同 8月 8日 「平和に対する罪」の項目が作られる
日ソ中立条約を一方的に破棄しソ連が参戦
同 8月 9日 長崎に原爆投下
同 10日 ポツダム宣言受諾
同 15日 終戦
同 8月16日 ソ連軍、南樺太に侵攻。20日には真岡事件
同 9月 2日 降伏文書調印式
同 11月19日~翌年4月にかけて、A級戦犯(つまり、上記の「平和に対する罪」を犯したとされる人々)の逮捕
1952年4月28日 サンフランシスコ平和条約締結(極東軍事裁判の諸判決を受け入れてね♪そんでもって日本国内の拘禁者の扱いは関係国の了解のもと日本にまかせますよ、とゆーこと。)
同 5月 1日 木村篤太郎法務総裁が拘禁者の扱い変更の通達(国内法の受刑者と同じ扱いから「公務死」「抑留や逮捕者」へ)
同6月~1955年までの参議院本会議にて成立した決議のもと、1956年、国際的にも、サンフランシスコ条約の手続きにもどづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯の釈放。
・・はい、この時点で、国内法的にも国際的にも、戦争犯罪人はいなくなりました、てことではないの???
いわゆる元A級戦犯についての私の理解は、そういうことです。
ついでに【ざっくり年表】を見てもらえば分かりますが、A級戦犯とされる人々が問われた罪は、そのことが起こってしまっただいぶ後に作られた事後法です。
事後法は遡って適用されないのが世の常識。
それができるんなら適用してやりたい犯罪なんて現代にもゴロゴロある。危険運転致死傷罪とか!ストーカー規制法とか!・・・でも、法の目的・精神は、恨みを晴らすことではない。未来へ向けてより良い社会を皆で作り上げるために、あの犠牲が法として結実したのだと思う事で被害者・関係者は涙をのみ、その恩恵にあずかる後世の人々はそのことを胸に刻む・・それが法治国家として、その国に生きる者としてのあるべき姿でしょう。
極東軍事裁判(東京裁判)は、その崇高な法の精神すらふみにじっている、国際社会の恥かしい過去なわけです。
その恥かしい過去をふりかざし、いまだにA級戦犯だから罪人だとか堂々と口にしちゃう民主党のオカラ。1952~55年まで国会で審議され国内法的にも犯罪者と同列ではないと決議されてるのに、そのことを知らないんじゃね?
・・・まったく嘆かわしい。
国内には、先の大戦の罪人は、もはやひとりもいません。
日本の文化では、ひとりひとりに宿る魂はみな善で、死んで現世の垢を脱ぎ捨てれば、人種の違いもなく、犯してきたあやまちもすべて浄化され、個々人の狭い枠が取り払われて真実に目覚め、悟りと平安をえて、今生に生きる私たちを見守る大いなる「神」の一部に溶け込んでゆきます。
靖国神社は、そのひかりかがやく美しいものと対面する「窓」です。
そこには遺骨や遺灰は何ひとつありません。
ただ心を持ち寄って、大いなる心と向き合う「場」です。
静かに佇んで、黙って自分の心と向き合って下さい。
日本人はそういう祈り方をするんだということを、世界の人々に是非理解してほしい。
・・とか言ってくれる政治家がいたら、ソッコー総理大臣になって欲しいがなぁ