六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

専門化(細分化)社会の弊害

2005年03月14日 | 文化・社会
>・・つーか、ホリエモンを支持する人たちは、この問題がそういう議論につながるんだと、絶対意識してないと思うなぁ・・

 これと似たような感想を持ったのが、「青色発光ダイオード」の訴訟だ。
 発明者の教授がサラリーマン時代に発明した、青色発光ダイオード。おかげで私たちはセンスの良い青いクリスマスディスプレイを楽しむことも可能になったし、逆光に信号が見えなくて怖い思いをすることも無くなった。
 この世紀の発明に対する対価として200億円だかを認められたけれども、そんな大金払ったら訴えられた会社が潰れてしまう、また、似たような訴訟が次々に起こされたら傾く企業が増えて経済界にダメージが及ぶ、と和解が勧告され、8億円だかで決着させられた。
 教授は声を裏返して「信じられない!」を連発。減額の根拠も不明なまま金額を提示され、それを呑めと要求されるとは、個人の才能をこの国は何だと思っているのか、と。「才能のある人はアメリカへ行きなさい」と彼は言った。「才能の無い人はダメですよ、でも、ある人なら正当に評価され対価を受け取れる国へ行きなさい」と。

 経済界の人は、経済のことを考えるのが仕事。
 しかし、同じく才能が決め手であるプロ野球選手なら億単位の年収も夢ではないこの国で、「100年に一度」の発明をした頭脳についた値段が、8億円とは。

 今回の結末によって、頭脳の国外流出のリスクがさらに高まったこと、若い世代に「この国では、勉強してても稼げないからな」とメッセージを送ってしまったことを、経済界も、和解勧告を判断した司法も、わかっているのだろうか?
 
 絶対、考えもしていないに違いない。「学力低下は教育界が考える仕事だ」と思っている。
 
 「学んで行き着く先」に夢を持てないから・・大人が、子どもに対して語るべき言葉を失ったから、子どもはそれに素直に反応して学力が低下してるんじゃないの?


見えないものを

2005年03月14日 | 文化・社会
 昨日の「男と女の、倍率の違う接眼レンズ」について、もうちょっと。

 そのこと自体は、仕方の無いことだと私は思っている。だって脳の構造からホルモン分泌から社会的文化的立場から違うのだもの。
 「お互い、それぞれに見えにくい次元がある」。
 それはそのまま受け入れるより他に方法がない。

 問題なのは「その事実」ではなく、それに対する「態度」や「対処の仕方」の方だ。

 自分の目には見えないものを、「在る」と思うか「無い」と思うか。
 それによって人の態度は変わる。

 たとえば一昔前に流行った「亭主元気で留守が良い」というキャッチコピー。あれは、既婚女性を揶揄しているようでいて実は、「女の知恵」を良く現していると思う。
 女は、男が「女には見えにくい次元のものを見ている」と知っている。
 見えない次元のものは、「ある」と思っている。
 そして、見えにくいため参画するのが困難だから、「留守がいい」と口に出して自らを能動的に切り離すことで、精神の健康を保つ。
 それは生活の知恵だ。そうすることが結果的には、自分にも周囲の人にもメリットのあることだと分かっているから。

 一方男は、目に見えないものは「無いものだ」と思いがちではないだろうか。あるいは、見えにくいから「小さいことだ」と判断し「取るに足りないことだ」と評価する。

 たとえばホリエモン。
 あの人は、自分の倍率で見えるものしか「無い」と思っている。そして他の人もみな同じ倍率でものを見ていると思っている。さらに、違う倍率を持っている人のことは「眼中に」無い。
 焦点深度の浅い人。
 そんな人に、既存メディアが扱えるのか。

 それとも既存メディアは役割を終えたと切り捨てられる時期にきていて、そこに付随する「ささやかな人々」もまた切り捨てられて仕方ない時代だと考えられているのか。

 それでいいのか。

 ・・つーか、ホリエモンを支持する人たちは、この問題がそういう議論につながるんだと、絶対意識してないと思うなぁ・・