六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

男と女の間には冥くて深い川が・・

2005年03月12日 | 心や命のこと
 先日は久々に、ダーリンと議論になった。
 双方、主張に譲れないものを感じていたテーマだったので、途中で議論を打ち切ることができず、気づけば深夜になっていた。

 テーマは「ジェンダーフリー教育の背景について」。

 社会によって上塗りされたり装飾誇張されたりして人を苦しめる「性役割期待」と、社会的価値の評価という「報酬の多寡」。
 歪んだそれらによって、一部の才媛と「家族という名の環境」に恵まれた人を除く多数の女たちが、いかに苦しんできたか。
 今の行き過ぎたジェンダーフリー教育の背景には、そういう男性性優位社会に対する女たち(および女性性優位の価値観を支持する人々)の抗議の思いがある、その経緯(警告)を汲んで考えるべきだと私は主張。
 しかしダーリンは、将来の社会を担う者の教育を考えるにあたり、ジェンダーフリー教育の旗手たる女性たちの根底にある「価値破壊の志向」が許しがたい、と言ってゆずらない。

 ・・ウーン、ここが難しい。

 たとえば野党の主張を、今の世界情勢で現実に起きている様々ないざこざに照らして考えると、とんでもなく国益を損ねていると感じる。そういう時代にあって、内憂を助長するような「既存の社会体制の破壊を志向する教育」がそぐわない、というのは判る。

 でもだからといって、既存の価値観でガチガチに固められた社会は、女こどもの日々の生活やいのちには苦しい。だから少子化と環境破壊が止まらないのだ。過労死などで男の命さえ奪っていく。

 社会に対する「破壊」の志向は、それが「再生」への最短距離だと思ってしまうからだ(女たちは「破壊」は望んでも「崩壊」は望んでいない)。

 だからせめて、今のような、過剰に男性性優位な社会を作っちゃった人たちに反省の気持ちがあればね。

 と言ったらダーリンはふくれた。

  反省してるよ、だから、体育の時間に同じ部屋で着替えるような間違った教育が、こんなにも広く浸透してしまったんじゃないか。

 ・・あ、そうね。
 男は男なりに、不器用なりに、考えている。いのちについて。それを守り育む「場」について。

 「2」へ続く。

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