超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

自由平等博愛という妄想の結果

2007-10-31 05:28:06 | Weblog
出来ないこともすることが出来る。
これが泥棒だ。

やってはならないこともすることが出来る。
これが強盗殺人だ。

これはパラドックスだし、ダブルバインドでもある。
パラドックスは神が作り、ダブルバインドは人が作った。

出来ないこととやってはならないことを除いて、
人のやることに、
それらは入るか。

人は自由である。
それではいい気持ちに成ることが一番いいことではないか。
すると金と権力を通した歓喜、これが一番だ。

*。
金と権力、対偶は、性と食。
それは事実だ。

結局、大金持ちと性の快楽を知っているもの。
これが人類の支配者だ。
それは事実だ。

だが殆どの人はこれにありつけない。
大金持ちは殆どいないし、
性の極限的快楽を知っているものは一握りだ。

殆どの人は、金と権力、性と食では生きられない。
それにこれは下手すると、人も社会も壊してしまう。

*。
殆どの人はただ生きるしかないのだろうか。
沢山の小さい喜びの大規模集積、
これも妄想かも知れない。
だがそれしかない。

おそらくこれが悟りかもしれない。
だがそれが金と食やファッションに集中した。

かくして人も社会も環境も荒廃した。
これは自由平等博愛追求の結果でなかったか。

いいことを追って、いい世界は出来なかった。

*。
この経験から学ぶ段階だが、
殆どの人がこの能力をなくした。

自分の外に見た、金と権力、性と食に噛み付き、
自分が持っていた生きる満足の本能を捨ててしまった。
あの犬の放しだ。

だがこの荒廃にこそ、真実の喜びが得られる!
荒廃した人々を愛し、喜びを共にする。

霊能ブーム、
創造的なことははじめあまり異質なので馬鹿にされる。

霊とか魂とか、心とか人格や人間性に、生き甲斐を求める。

金や権力に満足を求める方が余程いかれているのではないか。

慣れたことが正常となり、慣れていないことを異常に感じる。
ただの錯覚現象ではないか。

*。
喜びを求めて作った喜びは贋物、
苦しみに作った喜びは本物。

自分で自分に鶴の花嫁をやる時代になったのではないか。

自分の中のよき部分が、自分の中の貧しき部分を愛す、
そして二人の自分が喜びを共にする。

これを自己実現といっているのではないか。

新しいことはなかなか理解されない。
やっているにも拘らず。

*。
これを越えるスーパー理性、
理論理性はその設定に中の現象しか見えない。

理論理性を見ることが出来るスーパー理性だ。
即ちGёdel合理性。

知の顕微鏡にして望遠鏡、
北極星にして羅針盤、レーダーにして電子顕微鏡。

Gёdelの不完全性定理Ver7.10.31、
第一定理は顕微鏡、
第二定理は望遠鏡。
これで知性、即ちスーパー理性が開かれた。

新しい酒は新しい皮袋に、
現代世界はスーパー理性にしか見えない。


コメントを投稿