道の駅南濃では岐阜県南部特産のみかんの販売が行われていて、売店では地元の農家ごとに分けられておいてあります。
これ以外にも、みかんの関連商品がいろいろあります。

その極めつけが、このみかんラーメン。見ての通りラーメンに輪切りのみかんが入っていて、さらに麺の中にみかん果汁が練りこんであります。
みかんの風味があり、塩ベースのあっさりしたラーメンです。
これ以外にも、みかんの関連商品がいろいろあります。

その極めつけが、このみかんラーメン。見ての通りラーメンに輪切りのみかんが入っていて、さらに麺の中にみかん果汁が練りこんであります。
みかんの風味があり、塩ベースのあっさりしたラーメンです。



美濃市内の長良川にかかっている美濃橋。1916年(大正5年)製で現存する最古の近代吊橋と言われており、2003年には国の重要文化財に指定されています。
1956年(昭和31年)に300m上流に新美濃橋が建設されて以降は、歩行者自転車のみの橋となって、現在に至るようです(それ以前は車で渡れたらしい)。
綺麗に手入れされていますが、さすがに古くなってきているので橋の両端には20人以上わたらないように、看板が立っていました。
本州で最も寒いと言われているのが、荘川村(現高山市荘川町)六厩地区。近年ニュースなどではよく報道されるようになりました。
地形的には盆地で、冷気がこもりやすいこともあり、冬場は放射冷却の影響もあって、最低気温が氷点下20度になることも珍しくないとか。

この寒さの要因はやはり1,015mという、その標高の高さです。集落の近くを東海北陸道が通っていますが、旧荘川村と旧清見村の境界にある松ノ木峠は、標高1,085m、日本の高速道路の最高点です。
これだけ寒い六厩地区ですが、決して限界集落というわけではなく、国道沿いの比較的交通の便のいい方に属し、集落内にバス停もあります。もっとも、本数そのものは少ないようです。
さて六厩ですが「むまや」、「むまい」の2つの読み方があるようです。
集落の中心にあった、石碑には「むまや」と書かれています。
庄川の支流である、六厩川が流れていますが、この看板には「むまい」とローマ字で書かれています。
どうも「むまい」が古い呼び方で、新しいものが「むまや」のようで、ニュースなどでも「むまや」と呼ばれています。
撮影 11月13日
地形的には盆地で、冷気がこもりやすいこともあり、冬場は放射冷却の影響もあって、最低気温が氷点下20度になることも珍しくないとか。

この寒さの要因はやはり1,015mという、その標高の高さです。集落の近くを東海北陸道が通っていますが、旧荘川村と旧清見村の境界にある松ノ木峠は、標高1,085m、日本の高速道路の最高点です。
これだけ寒い六厩地区ですが、決して限界集落というわけではなく、国道沿いの比較的交通の便のいい方に属し、集落内にバス停もあります。もっとも、本数そのものは少ないようです。
さて六厩ですが「むまや」、「むまい」の2つの読み方があるようです。


どうも「むまい」が古い呼び方で、新しいものが「むまや」のようで、ニュースなどでも「むまや」と呼ばれています。
撮影 11月13日
東海地方ではわりとメジャーな心霊スポットである伊勢神トンネル。このトンネル、調べるとうわさの根拠が有ることには有るのですが、どこかで話が摩り替わったとしか思えない状況になっています。


このトンネルの怪談を始めて耳にしたのは1980年代で、新しいトンネルを通ったトラックドライバーの話として紹介されていました。
たしか、ヒッチハイクの女性を伊勢神トンネル付近で深夜に乗せたら、女性が消えていたという怪談としては定番の話だったと思います。いつ頃の話なのかは不明ですが、1960年代でははないかといわれています。
国道153号線の旧道のトンネルが狭いため、1960年に伊勢神トンネルは開通したのですが、聞くところによると、その工事の最中の1958年、伊勢湾台風が来襲して、伊勢神トンネルの建設現場付近で土砂崩れが起きて、建設作業者に犠牲者が出たそうです。
となると、心霊スポットとしては1960年に開通した新伊勢神トンネルとなるはずなんですが、いつの間にか戦前からある旧道の旧伊勢神トンネルの方が心霊スポットになってしまっています。どこで話が摩り替わったのかは、よくわからないのですが、旧道の方のトンネルは確かに出そうな雰囲気はあります。
普通、峠に新道が開通すると旧道は閉鎖されて通れなくなるのですが、伊勢神トンネルの場合、峠から分かれる道あるため、いまだに若干の交通需要があるようで、閉鎖になっていません。そして貴重な石造りのトンネルということもあり、2000年には国の登録有形文化財に指定されています。
ところで1960年に開通した新伊勢神トンネルですが、開通から50年が経過して、今となっては古い部類のトンネルになっています。高さが3.5mに制限されており、車高の高い大型車の通過が厳しく、また歩道もないため、時代遅れになっています。国道153号線の交通量は昼夜問わず多いのですが、最新のトンネルと比べると照明も暗く、いずれは新しいトンネルが整備されるかもしれません。


このトンネルの怪談を始めて耳にしたのは1980年代で、新しいトンネルを通ったトラックドライバーの話として紹介されていました。
たしか、ヒッチハイクの女性を伊勢神トンネル付近で深夜に乗せたら、女性が消えていたという怪談としては定番の話だったと思います。いつ頃の話なのかは不明ですが、1960年代でははないかといわれています。
国道153号線の旧道のトンネルが狭いため、1960年に伊勢神トンネルは開通したのですが、聞くところによると、その工事の最中の1958年、伊勢湾台風が来襲して、伊勢神トンネルの建設現場付近で土砂崩れが起きて、建設作業者に犠牲者が出たそうです。
となると、心霊スポットとしては1960年に開通した新伊勢神トンネルとなるはずなんですが、いつの間にか戦前からある旧道の旧伊勢神トンネルの方が心霊スポットになってしまっています。どこで話が摩り替わったのかは、よくわからないのですが、旧道の方のトンネルは確かに出そうな雰囲気はあります。

ところで1960年に開通した新伊勢神トンネルですが、開通から50年が経過して、今となっては古い部類のトンネルになっています。高さが3.5mに制限されており、車高の高い大型車の通過が厳しく、また歩道もないため、時代遅れになっています。国道153号線の交通量は昼夜問わず多いのですが、最新のトンネルと比べると照明も暗く、いずれは新しいトンネルが整備されるかもしれません。