
翌朝、小郡を過ぎると沿線にはカメラの砲列が。

今回は下関で下車。8時55分発の山陰本線の小串行きに乗車。車両はキハ47の2両編成で、下関近郊という事もあって、かなりの乗客数でした。小串で接続の長門市行きは、キハ40の単行。乗り継いだ半数は同業者でした。途中には、かの難読駅名「特牛」も。

つづく
前編からの続き
このあとの予定もあるので10時30分頃には、会場を出て新利府へ。ところが一向に電車が来ません。ようやく来たと思って乗り込んだら、東仙台駅で停車。地震の影響で、徐行運転が続いていて、ダイヤが乱れて仙台駅のホームが塞がっているようでした。結局仙台駅に着いたのは11時30分頃。
仙台駅で昼食を取り、そのあとのスケジュールを考えることに。東北本線小牛田一関方面は地震の影響で、徐行運転続いており、遅れが発生していました。小牛田から陸羽東線で新庄まで乗車の予定でしたが、ダイヤが乱れており、平常運転の仙山線から奥羽本線で山形新庄と乗車することにしました。
12時45分発の仙山線山形行きに乗車。仙山線は前回、陸前白沢で強風のため、運転打ち切りになっているため、そのリベンジも兼ねています。
山形からは奥羽本線で、新庄まで乗車。
ここから、さらに奥羽本線で横手秋田と乗車するか、それとも陸羽西線で余目酒田と乗車するかは最後まで決めかねていて、帰りの夜行列車にも影響するため、直前までサイバーステーションを見ていたのですが、陸羽西線経由に決めて、16時14分発の新庄発酒田行きに乗車しました。
陸羽西線は最上川に沿って走り景色が良く、久々に乗って良かったと思える路線でした。清川という駅には、かの新撰組の創始者、清河八郎出身地であることをPRするのぼりが立っていました。
余目の手前では、滅多に全貌を表さないと言われている、鳥海山がよく見えました。
余目からは羽越本線に乗り入れ酒田へ。途中、最上川の鉄橋の手前では、羽越本線の脱線事故の慰霊碑が見え、思わず黙祷。
酒田には17時15分着。当初はこのあとさらに秋田まで北上して、日本海で敦賀まで乗車というのも考えたのですが、陸羽西線経由にした時点で、きたぐにに乗車することに決めていました。
目の前には17時22分の新津行きが停車していましたが、うろうろしている間に見送り、結局18時ちょうど発のいなほ14号に乗車しました。
ここで、新潟までの自由席特急券と、ついでに羽越本線、白新線、信越本線、北陸本線、東海道本線経由という乗車券を購入。
余目までは今来た線路を戻り、鶴岡の先までは庄内平野を走り、そこからは海岸線出でて海を眺めながら過ごしました。羽越本線は昭和40年頃から複線化が進められましたが、複線化が完了する直前に、国鉄の財政再建で計画が凍結されています。小岩川~あつみ温泉は山側に複線トンネルを掘って、完成したのですが、レールを引く前に計画が凍結されて、未成線状態になっています。また勝木~府屋は複線トンネルが完成した物の、単線状態のままで、複線化は凍結されています。
また新潟平野や庄内平野の区間でも多くの区間は複線化の用地取得済みのようです。
村上の手前のデットセクションを通過して、新潟には20時07分着。みどりの窓口で聞いてみたら、あっさりきたぐにのB寝台下段が取れ、きたぐにに米原まで乗車して帰宅しました。