畝傍駅
2019-04-04 | 駅


一連の退位に向けた動きの中で、4月1日には新元号が発表されましたが、両陛下はそれに先立って、3月26日に両陛下は橿原神宮の北にある神武天皇陵の参拝されました。
伊勢神宮には数年おきに両陛下や皇族方は参拝されていますが、神武天皇陵は即位や婚礼など節目に参拝されています。そのため、それほど頻繁に皇室関係の利用があるわけではありません。
新幹線開業後、伊勢や奈良方面への参拝は、近鉄を利用されていますが、かっては国鉄を利用していました。
桜井線畝傍駅は橿原神宮及び神武天皇陵の国鉄の最寄り駅のため、かってはお召し列車が発着し、現在も貴賓室を持つ大きな駅舎が健在です。

通常の出入り口とは別に貴賓室への出入り口があります。


このホームから駅舎への階段も広く、ここが重要駅だったことを忍ばせます。

ところで、この駅には1924年から1952年まで吉野鉄道(→吉野線→小房線)が乗り入れていました。その後、吉野鉄道の橿原神宮前(旧駅、久米寺と統合)まで、橿原線(当時は大阪電気軌道)が建設され、さらに久米寺(現橿原神宮前)にて、大阪鉄道(現南大阪線)と直通運転をしたため、吉野鉄道の乗客はそちらに流れ、畝傍御陵前駅から畝傍駅の間は廃止されました。
吉野鉄道の畝傍駅のホームは現在の桜井線ホームの南側にあったそうで、現在は住宅となっています。
吉野鉄道と大阪鉄道が直通運転を開始した直後、大阪電気軌道は吉野鉄道を合併したのですが、合併前の契約で大阪鉄道と吉野線の直通は継続されました。根本的問題として、吉野鉄道と大阪鉄道は1067mmの狭軌で直通できましたが、橿原線は1435mmの標準軌で直通は困難でした。
吉野線と橿原線の接続駅は、橿原神宮前(旧駅)で、大阪鉄道と吉野線の接続駅の久米寺(現橿原神宮前)の1駅北になります。そこで2度の乗り換えを避けるため、久米寺と橿原神宮前の間は三線軌条だったそうです。当時大阪鉄道と吉野線は直流1500V、橿原線は600Vだったのですが、この三線軌条の間の電圧が一体どうなっていたのかよくわかっていません。
戦争中になると、大阪鉄道が大阪電気軌道に合併して、現在の近鉄の外形ができます。この時期に、狭軌での大阪名古屋の直通が計画され、阿倍野橋から久米寺までは南大阪線を走行して、久米寺から畝傍までは吉野線(小房線)を使用、畝傍から桜井までは国鉄桜井線を借用、桜井から伊勢中川までは標準軌から狭軌に変えて、名古屋線に乗り入れる計画でした。
この計画、どこまで現実味が有ったのか疑問ですが、当然、戦局の悪化で中止されました。
ところで、畝傍駅の最後の皇室関係の利用は1959年と言われています。
撮影 2019年3月16日