狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

黎明

2008-02-10 07:07:15 | ひとりごと


「黎明」という字を辞書引きすると

1 夜明け。明け方。

2 新しい事柄が始まろうとすること。また、その時。・・とある。


福岡の今日の日の出は「AM7:08」今の時間が6:09分。
①の黎明というには少し早すぎるが②の新しい事が始まろうとする
こと、また、その時・・・に当てはめられる時間かな。
・・で、何が始まろうとするのだろう。
何を始めたら良いのだろう。



近頃の僕は余りいい顔をしていない。鏡に写した自分の顔をみて
自分ででも「張りがない顔」だと感じている。何故?


原因は幾つか思い当たる。

四年越しの甥とのトラブル。
思い通りに動かない弁護士。
警察の来訪。

長男夫婦


それら全てが僕の肩に重くのし掛かっている。
一家を支える男なら、僕に限らず全ての家長に同じ事が言える。
今は亡き父母の事を思い出す。矢張り、今の僕と同じように悩んで
いたことだろうな・・・と。



晩年は、親の悩みの大半は僕が肩代わりをして担ってきた。
静かな余生を送らせたい・・そう願っての事だった。
それでも矢張り悩みは有っただろう・・な・・と、思う。



お金で解決出来る問題なら、どうにかして作ればいい、働けばいい
・・が、問題の全てが、そうではない。


「なるようにしかならない」・・と、頭で分かっていても明鏡止水
の心に至らない。ざわざわと揺れている、凡人なのです。


今を「黎明」の時にするにはどうしたらいいか。
人間の顔を見て、その運勢を占う人がいます。
顔にはその人の生き様が現れるものです。僕が自分の顔をみて
「張りがない」と分かるように、その道を究めた人ならば一目瞭然
なのでしょう。



「張りがない顔」は、やがて声にも現れます。
「なるようにしかならない」その一点に「明鏡止水」の心境を
得られたらならば・・・やがて穏やかな顔を取り戻せるのです。



先ず、明るい声で「お早う」の挨拶からやり直そう。
それが「黎明」につながると信じて・・・・。


お早う!

お早うございます!

お早う!


そうそう、その心構えだ。


東の空が白んで来ましたね。まさしく「黎明」の時です。




2008-02-10 01:14:55 | ひとりごと



橋・・人間が一番最初に架けた橋はどんな橋だったのだろう
勇気ある人間がツタかカズラなどにぶら下がり谷を越えたり
川を越えたりしたのが始まりだろうか。
運良く、倒木が谷と谷を結んでくれたのが始まりかも知れない。



橋の殆どが川や渓谷に架けられたものだろうが、今は海を跨ぐ橋も
多く架けられている。その目的は「人」だけではなく、車だったり
列車だったりする。「戦場に架ける橋」という映画を若いときに観た
事があるが、あれは戦争のための橋で、出来たら願い下げである。



橋について今思うことは「心の架け橋」についてで、人と人とを結ぶ
橋は、相手が架けてきたり、自分が架けたりして結ばれる。昔は、いや
いまも有るだろうが、仲人なる人が架けてくれる場合もある。



僕はどちらかというと架けるのが遅い。時間がかかるが、一度架かると
長く続く。補修をしたりペンキを塗ったり土台の補強をしたりして。


昔はその橋を渡って心をつなぐものは「手紙」だった。
後に「取り次ぎ電話」に代わり一家に一台の時代となり「ポケベル」から
「携帯電話」と進化してきた。パソコンだって同じ事である。
リアルタイムに顔を見ながら話が出来る。夢・・と言われたTV電話だ。



携帯だって同じようなことが出来る。僕らの世代の人間は、いや僕だけ
かも知れないがTV電話は苦手かもしれない。コレ・・という理由はないが



この「橋」を人間は何本も持っている。恋人・友人・家族・夫婦・子供達
の間に無数に架かっている。出来ることならそれらの橋は自由に渡りたい
何時も何時までも。


前にも書いたけれど、人は人によって生かされている。
人は生きているだけで、無数の人の手を煩わせて生きている。
だから出来るだけ迷惑をかけないように生きてきた。


僕の為に人を不幸にしてはならない。いま架かっている橋を自ら
壊すべきか迷い悩んでいる。僕と誰かを結ぶ橋を壊すことが一番
良い方法なのか、今がその時期なのか・・・と。



時間は余りない。
このまま架け続けていたら、何れその橋は誰かに見つけられ、悲劇の
原因となるだろう。いや、見つけられないかも知れない・・イヤそんな
事はない、何れ見つかる。



「・・・だよ」は何れ「・・・だった」に変わる。
その変わり目を自らが決断しなくては・・・
決断までは、残された時間を大切に生きるしかない。