狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

2008-02-10 01:14:55 | ひとりごと



橋・・人間が一番最初に架けた橋はどんな橋だったのだろう
勇気ある人間がツタかカズラなどにぶら下がり谷を越えたり
川を越えたりしたのが始まりだろうか。
運良く、倒木が谷と谷を結んでくれたのが始まりかも知れない。



橋の殆どが川や渓谷に架けられたものだろうが、今は海を跨ぐ橋も
多く架けられている。その目的は「人」だけではなく、車だったり
列車だったりする。「戦場に架ける橋」という映画を若いときに観た
事があるが、あれは戦争のための橋で、出来たら願い下げである。



橋について今思うことは「心の架け橋」についてで、人と人とを結ぶ
橋は、相手が架けてきたり、自分が架けたりして結ばれる。昔は、いや
いまも有るだろうが、仲人なる人が架けてくれる場合もある。



僕はどちらかというと架けるのが遅い。時間がかかるが、一度架かると
長く続く。補修をしたりペンキを塗ったり土台の補強をしたりして。


昔はその橋を渡って心をつなぐものは「手紙」だった。
後に「取り次ぎ電話」に代わり一家に一台の時代となり「ポケベル」から
「携帯電話」と進化してきた。パソコンだって同じ事である。
リアルタイムに顔を見ながら話が出来る。夢・・と言われたTV電話だ。



携帯だって同じようなことが出来る。僕らの世代の人間は、いや僕だけ
かも知れないがTV電話は苦手かもしれない。コレ・・という理由はないが



この「橋」を人間は何本も持っている。恋人・友人・家族・夫婦・子供達
の間に無数に架かっている。出来ることならそれらの橋は自由に渡りたい
何時も何時までも。


前にも書いたけれど、人は人によって生かされている。
人は生きているだけで、無数の人の手を煩わせて生きている。
だから出来るだけ迷惑をかけないように生きてきた。


僕の為に人を不幸にしてはならない。いま架かっている橋を自ら
壊すべきか迷い悩んでいる。僕と誰かを結ぶ橋を壊すことが一番
良い方法なのか、今がその時期なのか・・・と。



時間は余りない。
このまま架け続けていたら、何れその橋は誰かに見つけられ、悲劇の
原因となるだろう。いや、見つけられないかも知れない・・イヤそんな
事はない、何れ見つかる。



「・・・だよ」は何れ「・・・だった」に変わる。
その変わり目を自らが決断しなくては・・・
決断までは、残された時間を大切に生きるしかない。






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