ADD?先生の発達障害児 教育応援サイト

ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

発達障害児は「迷惑」な存在なの?

2008-10-10 08:27:27 | 教育論
今日はLD児の漢字学習の記事を書く予定だったのですが…

ネットのアクセス解析をたどっていくつかの記事を読むうち、
発達障害児を育てる大変さは、
周囲の無理解からくる部分が大きいなぁと感じ、
前回までの記事とと同じように
うだうだ私が考えたことを書かせていただくことにしました。(漢字は次回に♪)

発達障害のある子についてヤフー知恵袋や掲示板などに書かれている意見を
読むと、
やたら「迷惑」と言う言葉が使われています。

普通教室でも、他に「迷惑」をかけるようなら考えて欲しい
発達障害児の親は、天才にしようなどズレたことを考えず、
「迷惑」をかけないようにしつけるべき

迷惑という言葉が行き過ぎて「檻に入れとけ」とまで書き込む人もいます。

こうした言葉を安易に使う人は、
一方で発達障害を持つ子を育てる親が、
迷惑をかけないようにしつけようとがんばるあまり虐待に走ってしまったり、
子どもを殺める事件にまで発展すれば、
「鬼母」とののしるのでしょう。

私はこの「迷惑」「迷惑」声高に唱える人に、いつも疑問を感じてしまいます。
日本の社会や文化や政治に目を転じて、
大きな視野で眺めてみれば、

そのマナーの悪さ、質の低下、迷惑の数々、犯罪の横行、国民の気持ちを無視した政治の政策、食品業界の不正、夜の繁華街の繁栄、

数え上げたらきりがないし、どれも自慢できるものではありません。

それらは、発達障害児が作り出した文化じゃありません。
発達障害児は全体の数パーセントなんですから…。

そうした自分達が作っている大きな「迷惑」には目もくれず、

発達障害児が成長の一時期に、
できないことを他の子よりゆっくり学んでいるからといって、
「迷惑」と言う言葉で攻撃したり、
難しい子育てにはげむ人たちを
自分がしたこともないのに好き勝手な意見を投げたりするなんて…
弱いものいじめ以外なんでもないですね。

以前テレビで、大阪の橋本知事が、「ニート」の若者達を
激しい口調でののしっていました。
確かに甘えがあって働かない人もいるかもしれないです。でも、個々に事情があり、背景には社会の無策の問題が隠れているのに、
攻撃する気持ちの良さにだけ酔って、
「迷惑」という観点からだけしか物を見ない人は、

本当いうと、一番「迷惑」な存在だったりします。

とにかく弱い相手を「自分のコントロール下に置きたい」という願望が
見え隠れしてますから…。
幼稚園の園児を軍隊的にしつけようとする先生もそうですね…

「迷惑」「迷惑」唱える言葉の裏にあるのは、
自分が「めんどくさい」気持ち、
短絡的な「いらっ」としやすい感じ方だと思います。

発達障害のある子を持った親の立場に立って、自分なら…と想像する
めんどくささ。
自分が発達障害を持って生まれたら、頑張って生きれるだろうかと想像するめんどくささ。
相手の成長速度に合わせて待つわずらわしさ。
とにかく考えるのも想像するのも、めんどくさいので、
誰にも自分の期待を裏切って欲しくないし、
コントロールできる存在でいて欲しい…

そうした自分の心の弱さを
「迷惑」という言葉にすりかえて、
他よりも努力を必要とする日々を懸命に生きている人たちにぶつけて
いるのだと思います。
一呼吸して、自分のかけている「迷惑」について想像をめぐらせて
欲しいものです

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診断名がつかない子は、発達障害がない子なの? 2

2008-10-09 15:18:10 | 教育論
診断名がついていない子が、
軽くでも軽度発達障害があった場合、
親にすれば、周囲に分からなければいい、大きな問題さえ起こらなければいい
と捉えがちです。

が、本人にすれば、
さまざまな場で、とにかく誤解を受けます。
悪く取られたり、性格がひねくれている、他人をバカにしている、聞いてない、直す気がない、反抗的、などと注意を受けます。
子どもに問題があるのなら、しつけるのは当然、叱る、謝らせる、態度を改めさせるのは当然とおっしゃる方がいます。

それはそうなのですが、問題は、「誤解」がある点なのです。

それと、大人が問題を直させようとしてするアドバイスが、発達障害の子にとっては、間違っているし、役に立ちません…

まちがった指摘をされ続けた結果、
周囲の大人も自分自身も、
本当に当てにならない信用できないものになってしまいます。

誤解というのは、こうした例で例えられます。

目が悪い子が、後ろの席で授業を受けているため、成績が下がってきたとします。
そこで、「気合を入れてがんばりなさい」と叱っても、
ノートをきちんとつけていないことで注意しても、
問題は解決しませんね。
メガネをかけるか、前の席に変えてもらい、
本人が抱えている機能の問題を解決して初めて、
やる気といった心の問題や、
ノートの取り方といった 他の子と同じ指導ができるのです。

診断名がつかない子でも、
発達障害への対処法をしたとたん、
上の例でめがねや席替えをした場合と同じように、
それまでの問題行動がすっかりなくなったりします。
また、それまでずっと成績が悪かった子が、
どんどん伸びはじめたりします。

それと何度も書いているのですが、
発達障害の子には、欠点の分だけ 長所があります。
間違った指導で自信をくじかれるのではなくて、
正しい問題解決の方法を教えてもらって、ハンディーを少しでも克服して、
自分の才能を発揮していきたいはずです。

治療を受けて、良くなりたいから病院に行っているのに、
怪しい民間療法ばかり処方されたり、
心の問題ばかり指摘されたのでは困ってしまいますね。

発達障害について、まだよく理解されていないために、
ハンディーを持った子たちは、大人たちからそうした思い込みからくる
扱いばかり受けて、2次障害を起しています。

これから発達障害の問題が、多くの方に正しい理解をされる
ようになることを願っています。

もう少しくわしく、発達障害への支援と2次障害への対応について
しりたい方は☆NPO京都ハートネットワークの記事も読んでみてくださいね。

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診断名がつかない子は、発達障害がない子なの?

2008-10-09 09:16:36 | 教育論
実際に発達障害の傾向があっても
強く特徴が出ない子の場合、
診断名がつかないことは多いようです。

幼稚園で乱暴したり、集団行動ができない男の子を
ADHDではないか…?と病院に連れて行っても、
「この時期のやんちゃな男の子はみんなADHDみたいなものですよ。
まだ診断はできません。」
と言われたりするようです。
虹色教室に通ってきている高学年の子も、幼児期には診断名がつかず、
その後もはっきりした診断名がつかないまま何度か受診し、
高学年になった今となって
ADHDや広汎性発達障害という診断名がついた子や、
アスペルガー症候群の特徴を強く持っているのに、
幼児期に「ADHD」とだけ診断されていた子もいます。

いったん医者が「発達障害ではない」と診断しているのに、
それでも「発達障害かもしれない」と疑いを捨てずに保留して
何になるの???
と思う方がいるかもしれませんね。

私は自分自身が、子どものころから診断名はつかない程度に
ADDの傾向があるので、
診断名がつかないからと、発達障害という考え方をばっさり切ってしまう
ことの問題点をたくさん感じています。
子ども時代に診断名がつかず、大人になって自分で発達障害の知識を手に入れて
暮らしを整えていってる方々も、共感してくださると思います。

昨日、テレビで、アルツハイマーにかかった画家と、
脳卒中で右脳がほとんど使えなくなり、
そのために左側の世界を意識できなくなった女医さんの
暮らしの様子が報道されていました。
曜日がわからなくなったり、まさかこんなこと忘れるはずが…と自分で
捉えているものが思い出せなくて苦しんだり…
自分の衝動が抑えられなくてかんしゃくをおこしたり、
右にあるものだけ見えて、左にも世界があることをしばしば忘れて
しまったり、
社会の基本ルールが頭から抜け落ちていたり…
その症状は重くて大変です。

重い軽いや、症状そのものはずいぶんちがうのですが、
自分でも「えっ???」という事態に見舞われて
困惑する部分が、
私がこれまで感じてきたADD傾向からくる「困り感」ととてもよく似ていて、
他人ごととは思えませんでした。

アルツハイマーにかかった方が、
「今、何するんだっけ?」「今日は、何月何日で何曜日だっけ?」と、
物忘れをして困惑するシーンがテレビでありましたが、
私は子どものころから、そのレベルの物忘れがしょっちゅうありました。他の人が、日付や曜日を忘れずにいれる方が驚きで…!

ちがうのは、
記憶力を測るテストで、スプーンや腕時計などを机に並べて
布をかけ、何があったか当てるテストの方は、私の場合、
むしろ一般的な人より
得意なんじゃないかとも思いました。

ある面で記憶力良いかと思えば、一方では3歩歩けば全て忘れる「鳥頭」な
もんですから、
何か忘れるたびに、「わざと…」「なまけ」「ルーズな性格」と、
責められていました。
私としては大真面目に、忘れ物やミスをしたくない!と年中気にしていて、
いろんなアドバイスを取り入れてもいるのです。
が、うまくいかないどころか、かえって失敗が増える始末…。

が、大人になって
発達障害の知識を手に入れたとたん、思いも寄らなかった
記憶できなかったりミスが多かったりする原因がいくつかわかり、
それまで何が降りかかってくるかわからない不安定だった世界が、
コントロール可能なものに変りました。

記憶できないものにいくつかパターンがあるのです…
耳で聞いた記憶はダメとか、
書類やカレンダーもADDやADHDの人はここが認知しずらく見落としてしまう…
とかいったことで、
カレンダーや時計を適したものに買い換えただけで、
それまで悩み続けていた問題がすっ~と解決したりするのです。

問題の解決には、
たくさんの気合よりも、たったひとつの発達障害の知識!!!…です。

ちなみにADDの障害を持った人々は 以下の部分のみ 正常に機能しないそうです。
やりかけた仕事を 確実に続ける
先を読んで 手順を考える
雑多な用事の 優先順位をつける
それが、↓
本業が出来るのに雑務が出来ない。
仕事は出来ても 家事が出来ない。

となるのですが、
ADDに対応する知識がない場合、努力しても仕事はできても困った人とならざるえないところ、きちんと知識を学びながら、対応していけば、
雑務や家事もうまくこなせるようになるし、ADDの長所を生かして仕事がしていけるのです。
実際、ADDもADHDも長所はたくさんあるのです。(が、欠点でつまずいて先にいけない人が多い…)
プライドを取るか、社会人としての自立を取るかなら、私は後者を取ります。
自分が発達障害かもしれないと考えるのがイヤだからという理由で、
いつまでたってもあれもできない、これもできないと挫折ばかりして、
人生で実現できることの幅を小さく設定してしまうのはつまらないので…。

いつもだらだら取り留めない文章となっていますが、次回に続きます。

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福岡・小1殺害事件と軽度発達障害児の母親への支援の現状 2

2008-09-24 08:15:10 | 教育論
前回の著書についての話は次回に書かせてくださいね。

育てにくい子を抱え育児に悩む母親に
「お母さん、お子さんのことをもっとわかってあげてください。
愛情を注いであげてください」とアドバイスする方がいます。
それは正しいアドバイスではあるのです。

でも、私は軽度発達障害を持つお子さんと親御さんに接すると
自分のわかる範囲内のことや子どもに教えやすくなるコツを伝えるだけで、
それ以外「お母さん~こうでありなさいね」といったアドバイスは
とてもかけることはできません。

難しい子を育てているお母さんは、
たとえ「もう子どもを殺していっしょに自分も死んでしまいたい」と
こぼしている時でも、
毎日叱りすぎてしまう…と悩んでいる時でも、


リアルに生の現実に向き合っている分

知識でだけわかっている私などより 何十倍も
「わかっている」からです。

とりわけ、自閉症スペクトラムに属する子、多動が激しい子は、
たった2時間私の教室で過す間にも
目が回りそうな勢いで危険なことをし、散らかし、
将来への不安を掻き立てます。

たった2時間に圧倒される私に対し、
親御さんはこれまで、子どもの成長の遅れへの不安と戦い、
周囲のまなざしに傷つき、
祖父母から身内ならではの理解のない言葉に傷つき、
夜泣きやトイレトレーニングの難しさと向き合い、多動に付き合うため身体は疲労し、家事ははかどらず、自己肯定感を失い、
スムーズにいかない子への知的な働きかけに苦しみ、
子どもを喜ばせようと連れて行った外出先で悲しい思いをし、

それほどの努力の見返りに、
「お母さん、子どもさんに愛情を~」とまるで、それまで
ぐうたら子育てを怠けてきたようなアドバイスを受けることが多いのです。
またこうして無理を重ねるうちに、
知らない間に「うつ病」にかかってしまい
自分の意志とはちがう「病いからくる歪んだ思考」が
しらずしらずのうちに子殺しや自殺の願望を抱かせてしまうことも
あるのです。

子どもを殺してしまった母親の肩を持つわけではないのです。
ただこうした痛ましい事件をふせぐには、
親が過労や心労から
考える力や判断力を失ってしまわないように
軽度発達障害児とその親への支援を充実させることだと思います。
また親の体調や心の変調に
即座に対応できるシステム作りが必要だと思います。

しかしそんな支援よりも何より母親を追い詰めるのは
外出先の見知らぬ人たち、学校関係者、地域の人、身内などの
冷たいまなざしです。
自分が同じ立場なら一週間と持たないかもしれないのに、
上から発言するようなアドバイスも心を追い詰めるものでしょう。


話が長くなったので次回に続きます。


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福岡・小1殺害事件と軽度発達障害児の母親への支援の現状

2008-09-23 09:19:51 | 教育論
福岡で小学1年の男の子が殺害され、母親が逮捕されるという痛ましい事件が起きました。

男の子の母親は、「育児に悩んでいた。自分の病気のこともあり将来を悲観し、子供を殺して自分も死のうと思った。衝動的にやった」などと供述しています。

関係者によると、この男の子は一つのことに集中できなかったり、突然走りだすなど予想できない行動を取ったりすることがあり、通学先の小学校では特別支援学級に在籍。登校をいやがることもあり、
母親は自分の体調不良もあって悩んでいたようです。


本当に辛い痛ましい事件です。

朝起き上がるのも辛い自分の体調不良をかかえ、
一般的な成長をしている子でも手のかかる低学年の時期に
その何倍も手のかかる子の面倒を見なくてはならなかったら…

当たり前のようにみながしている「学校へ子どもを登校させる」というだけのことが難しい状況だったら…
周囲からの冷たい視線や厳しい忠告で心が傷つき続けたら…

子どもの様子を見るたびに将来への不安で心が混乱したら…

殺された子を思うと本当にかわいそうではありますが、
もしこの母親と同じ立場に立てば多くの母親が
一度は「子どもを殺して自分も死んでしまいたい」という思いが頭を
かすめるのかもしれません。

それを押しとどめ、がんばって育てていこうと心を立て直すには、
周囲の手助けや行政の母親の立場に立った支援が
必要なのかもしれません。

私は、このブログをするようになって
軽度発達障害児の発達を支援するために書かれた
さまざまな著書に目を通すようになりました。
その時感じるのは、
「男性の児童精神科医の先生の書かれた本は
とても役に立ち、正確な情報が書かれている。
しかし、母親の気持ちに寄り添うとなると、やはり女性の手によって
書かれた著書が大事な急所をついているのではないか?」
と言うことです。

ジャーナリストであり東京大学先端科学技術研究センター強力研究員他さまざまなご活躍をされている河原ノリエ先生(軽度発達障害を持つお子さんをお持ちです)の

「ややこしい子」とともに生きる

という著書を読むと、日本の軽度発達障害児への支援のあり方が、
いかに母親の心に配慮されていないか、
母親の苦しさやとまどいを無視したものであるか、
がよくわかります。

長くなったので次回に続きます。
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可能な限り子どもの言うことをきいてあげると、良い子になると聞いたけれど…2

2008-09-03 18:13:53 | 教育論
前回の続きです。
佐々木正美先生の、「可能な限り子どもの言うことを聞いてあげなさい」
というアドバイス…いかがでしょう?

人によっては子ども全体に向けたものと勘違いして、
「そんなに甘やかしたら、とんでもないことになる」と
憤慨なさるかもしれません。
でもこれは乳幼児が、「親への確かな愛着を形成するまで」
「感情をコントロールする力を獲得するまで」という期限付きの
アドバイスです。
(佐々木先生も別の著書では、
しつけの大切さも説いておられます。)
大人同士では、一方が相手の言うことを聞いてばかりだと、
偏った人間関係が生まれます。

けれど、乳幼児の場合、
十分すぎるくらい相手に自分の欲求を聞いてもらってはじめて、
相手に愛着を覚え、相手を喜ばすために、
自分の要求をがまんすることを覚えていく…
という形で心が成長していきます。

ですから、このアドバイスは本当に大切な子育ての基本
ではあるのですね。

しかし、実際にはいろんな子がいます。いろんな場面があります。
アトピーの子にお菓子はあげられませんし、
危険なこと他人に迷惑をかけることは放っておけません。

こうしたアドバイスをあまりに言葉通り受けて守ろうとすると、
子どもを叱れなくなったり、
わがままを聞きすぎて毎日お菓子食べ放題…なんて
困った状況になったり、
自閉症の子に後々まで響く悪い癖をつけてしまったりと
困った問題を生むこともあると思います。

こうしたアドバイスは、幼児への一貫した姿勢とか方向性として
理解して、
この子抱っこして欲しそうだな…と思えば、
できるだけ抱いてあげるとか、
「ママ、手伝って~」と言えば、
「自分でしなさい」と言いたいところ、できるだけ手伝ってあげるとか、
自分でも十分許容しやすい部分で努力して、

こんなわがまま聞けないと思うものは例外として、ダメよとはっきり言うことを恐れないことが大事だと思っています。

それより、
こんなわがまま聞けないでも佐々木先生が言ってたし聞いてあげなきゃでも叱っちゃった自分は悪い親だ

という悪循環の中で、子育てに自信を失ったり、子どもが可愛く思えなく
なる方が心配です。

ただ、そうした例外を自分にこころよく許すには、

普段は愛情をケチケチしない

と心に決めておくことが大事です。
あげれるもの…
優しい言葉や、いっしょにふざけて遊ぶ時間や、
「あ~子どもって可愛いな」と心から感じること
は、
大金持ちになったつもりでケチケチせずにあげまくることが、
子どもの問題行動を減らすことに
つながると思います。

かなり大きくなった子でも、このケチケチしないという態度は効果があります。

虹色教室には、自分のやりたい勉強しかしたくない、反抗し始めるととまらなくなる…という5年生の困ったくんがいました。
勉強中、喉が渇いたので、ジュースが飲みたいと繰り返すので、何度かジュースを出したことがあります。
が、ADHD傾向のある子ですから、悪気なくそれをひっくり返してしまう
ということが、1回2回ではなく、
それは何回も起こりました。

その子の勉強態度や、反抗をやめないことに対しては
私は強く注意はしていたのですが、
ジュースについてはわざとではないし、本人も悲しいだろうと
毎回黙って拭いてあげて、またジュースを入れなおしてあげていました。

すると、そうした出来事を繰り返すうち、
次第に勉強態度が向上し、反抗することもなくなってきたのです

「甘やかしかな?」と思えても、愛情を伝えられる部分では、
しっかり愛情を伝えていくことは、
叱るところで厳しく叱っても、
素直に受け止めてもらえる関係作りのために
大切なことと思っています。

わが子の子育てでも、目をつむる部分(子どもの弱点など)は、
子どもの心に伝わるほどいさぎよく、一言もそれについては言わない、
という態度を貫くと、
別の場面では、自ら進んで、こちらが望む以上のことを
成し遂げてくれています。

話がわき道にそれましたが、
大切なのは何より「良い関係作り」なのですね♪

ひとつひとつの具体的な出来事や、アドバイスの言葉を守ることに
振り回される必要はないと思います。

自分にできることで、ケチケチせずに愛情を伝えていけば、
子どもほど そうした愛情にこたえてくれる存在はいないはずですよ。
NPO京都ハートネットワークのkyoto先生のブログで
発達障害児をお持ちの親御さんにぜひ読んでいただきたい記事を見つけました。
教師をされている方も、ぜひ読んでくださいね。

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可能な限り子どもの言うことをきいてあげると、良い子になると聞いたけれど…1

2008-09-02 17:05:45 | 教育論
児童精神科医の佐々木正美先生の著書

「育てにくい子」と感じたときに読む本
の中で、あるお母さんが、

3歳半の息子がささいなことで泣きわめいて困ります…と相談していました。
「家に帰ったらアイスが食べたい」と言うので、
「これから昼ごはんだから、ご飯を食べてからアイスを食べようね」と
言うと、「アイス!アイス!」と泣き叫びます。

…私だって怒りたくない。大きな心で接したい。
…このままでは社会に適応できない子になるのではないかと不安がつのり、
たたいたこともあります。…

その相談に対する佐々木先生の答えは、

お母さんもつらいでしょうけれど、いちばん苦しいのはこの子なのです。
救えるのはお母さんだけですよ。

子どもは、母親と、喜び、悲しみ、感動を分かち合う体験を積み重ねる
ことから、「感情をコントロールする力」を身に付けていきます。
「子どもが喜ぶことをしてあげることが親の喜びなのだ」ということが
伝わっている子は、早い時期から感情のコントロールができるようになるようです。
このお子さんは3歳ですが、まだ遅くはありません。可能な限り、子どもの言うことを聞いてあげましょう。

アイスが食べたいのであれば、食べさせてかまわないと思います。
アイスをおいしそうに食べる子の笑顔を見て、お母さんも幸福を
感じられたらいいですね。それが「喜びの共有」になります。
イヤイヤ食べさせるのでは意味がありませんよ。
それを数日続けてみたら、今度はお母さんを喜ばせてあげたくなって
「アイスはごはんのあとでいい」と言うようになるかもしれません。

この佐々木先生のアドバイスを読んだ時、
この答をもらったお母さんは、やっぱり困ってしまうんじゃないかな?
とまどうのではないかな?
とも思えました。

佐々木先生は児童精神科医の先生ですから、このお答えのあと、
ADHDなどの発達障害も視野に入れて特別な
注意をはらってあげることをすすめています。

そうしたことも考えて…
でもやっぱりこのお母さんは、
子どものわがままが過ぎたとき、どこまで聞き入れていいのか
悩んでしまうかもしれないなぁ…と思いました。

私もこうした「ささいなことで泣きわめく」子をボランティアでお預かりした
ことが何度かあるのですが、
アイスを1本食べさせると「もう1本~もう1本!!」と泣きわめく。
おもちゃやさんの前を通ると、高価なおもちゃにへばりついて離れない。
がちゃぽんくらいでごまかそうとしても聞き入れない。
かんしゃくをおこして、頭を床に打ち付ける。

など、そうしたアドバイスが頭にあっても、
どうすればいいの~???
と言うことを聞いてあげるって、そんなの不可能…だけど…。
という場面がいあっぱいあるんですね。
将来のことを考えたり、周囲に気を使ったりする
親と言う立場なら、困る場面はもっと多いことでしょう。

それに他のしつけの本では、「子どもの言いなりにならない」と
あったのに、「今度はできる限り聞いてあげる」って、
混乱してわからなくなってきた!!
という方もいますよね。

年齢が幼いときは、聞いてあげたらいいのでしょうか?
最初からダメはダメと教えた方がいいのでしょうか?

私が経験の中で得たひとつの答えは、次回に書かせてもらいますね。

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学校環境に適応できない子…昔はどんな職業に就いていたの?

2008-08-31 15:28:26 | 教育論
少し古い本になりますが、「無気力症」井上敏明 (朱鷺書房)
という神戸税関長賞を受賞した心理カウンセラーの先生の著書の中で興味深い話を
見つけました。


『生徒指導』(学業出版)という月刊雑誌(昭和五十二年四月号)の中で
下村哲夫氏が、教え子の二十年後を追跡調査した、
かつて三重県にある村立小学校に奉職しておられた篠塚安久教諭の
発表内容を、こう書いておられる。

「小学校を卒業してから20年、幸い子供たちはひとりも
欠けることなく、すでに33歳を迎え、
社会の中堅として活躍している。
驚いたことに、いわゆる社会的成功を収めていたのは、
篠塚安久教諭がひそかに期待されたであろうような学校秀才ではなかった。
農業・工業などの独立経営者が23人(67.6パーセント)を
占めていたが、
小なりとも社長と呼ばれていた5人は、
いずれも学力5段階評定が2と3の者ばかりであった。

分数はむろん、四則計算すら満足にできなかったK男は、
十数人の行員を使う鉄工所を経営し、設計、見積もりから施工までを
こなしている。
学力評定が一で、九九がどうしてもいえず、どもりで気が弱く、
教師の前では口もきけなかった男は、
洋服屋にでっち奉公に入り、
現在では服地問屋の敏捷な販売部長である。

それにひきかえ、学力評定の高かった者は、もちろん
それなりに努力はしたのだろうが、少なくとも
20年後の現在ではあまりはかばかしい成功をしるしていない。
本人も教師も適職と認めた職業を選んだにもかかわらず、
その後の転職が多く、
学力評定 5の者の平均収入は9.3万円で、
学力評定 3の者の平均収入 20.4万円の半ばにも満たない

この結果…!!
やっぱり昔…今から、30年近く前の世の中では、
学校での成績に関わらず、
だれもが働くチャンスがあり、そこでがんばっていく道が開かれていたんですね。
もちろん就職差別や貧富の差は今以上に厳しい時代なのでしょうが…。

こうした話を読むと、
学校時代に成績がどんなに悪い子も、
一生をかけて成長し続け、自分の能力を開花していくことが
可能なことがよくわかります。
ただ、現代の社会は、
スタート地点で人をふるいにかけて、
最初から努力すらできないシステムになっていることが、とても残念です。
社会が少しずつ良い方向に向かっていくことを願っています
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ルールや約束を守らない子、うまくいかない親の心の態度

2008-08-26 10:52:21 | 教育論
ルールや約束を守らない子
反抗的で言うことを聞かない子
育てにくく問題行動の多い子

は、軽度発達障害のように子ども自身が社会性を身につけることが困難であることが原因であることも多いです。
しかしそうした問題がゆるやかにでも良い方向に向かうのではなくて、
日を追うごとに困ったことが増えているような気がするなら、
親御さんの心のあり方に問題がないか、よく見直してみる必要もあるようです。

「S・T・E・P 子育て法」の著者、柳原さかん氏によると
わが子を賢く健康で、のびのびした個性を持ち、
自立心とやる気を持った子に育てたい
と願うなら、
「子育てがうまくいかなくなる方法」(敗北的な親のパターン)にしがみつくのを
やめるようにアドバイスしています。

誤った考え方
地域社会、近所のすべての人から愛され、認められなくてはならない。
他人から個人として価値ある人だと評価されるためには、
子どもを完璧にしつける親でなければならない。
思い通りことが成就しないと自分はもう駄目だと思い込む。

子どもが自ら生き方を学んで行くには、親以上に
時間が必要です。親戚や隣近所の人々や社会からの
「いい親」はこうすべきであるという圧力や
「親の顔を見たい」というような批判をはね返す強さが必要なのだそうです。

子どもを勇気づけやる気を育てるに
完全主義はよくありません。しかし実際、学ぶ、育つという営みは、
進んだり後もどりしたりの繰り返し…
失敗を恐れないことが大切なのですね。

子どもに多くの不満を持つ親は、
実際には自分自身に満足していない
ことがよくあるそうです。

親が自分の生活に満ち足りること
自分のあり方に自信を持つこと
が、子育てには何より大切なんです。

子どもの成績が良いことこを自分の成功の証にする。
いい子の親であると評価してもらわなければ、安心して人と付き合えない…
という気持ちは危険です。
子どもを自分の社会的シンボルに利用する親の姿勢は、
子どもに対する強い抑圧となり、
抑圧を受けている子どもは、

いつかどこかで反発するか、
自分を失っていくそうです。

敗北的な親のパターンには、次のようなこともあげられています。

子どもが自分に従わないのは、いい親である自分への挑戦である。
個人の力には限界がある。なにごとも環境のせいにする。
これまでの育て方が現在の子どもを作っているのだから、
いまさら変えるのは無理だ。
子どもが言ったりしたりすることの責任は親にある。親さえ
いい人間であれば、子どもは悪い言動をしないものだ。

こんな風に考えている限り「自分は駄目な親だ」という気持ちから逃れられなくなります。
楽天的な心で、親が友達と付き合う時のように、
相手を尊重する気持ちを失わずに子どもに接していれば、
お互いに尊敬が生まれます。
その信頼が、困難に直面した時、
いっしょに乗り越える力となるそうです。

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ゆっくり脳が発達するといっても、いつまでも他の子に追いつかない気がします

2008-08-23 09:46:07 | 教育論
脳がゆっくり発達する話を書きましたが、
それはほんの一部の才能のある子の話であって、
大多数の子は、一度遅れだしたら、ずっと追いつけないのじゃないの…?
と感じておられる方もあると思います。

それは正しいとも言えるし
間違っているとも言える気がします。

日本の教育システムや学びの形は、視覚や手を使った試行錯誤によって、
学ぶ子たちには、非常に学習しにくい形を取っていると思えるからです。
日本の教育といわず、エジソンにしろ、もし学校を落第しなかったら、
既成の教育で
天才になれていたかどうか怪しいのです。
そんななかでも日本の教育は、「社会性」を求めるにしても、
発達障害のない外国の方が、「それは社会性とは呼ばない、行き過ぎた
社会性…気の使いすぎとも言える」と言いそうなものを求めてもいるので、
こうした発達のゆっくりした子にとって、
特に学びにくい世界と言えるのでしょうね。かつて↓の記事を書きました。
☆ 日本の教育は 独創的な子 探究心のある子を無視してる??


虹色教室には、漢字を5問、練習させるだけで、1時間近く抵抗するので、
いっこうに学習が進まず、学校や親御さんが手を
焼いておられる小5の☆くんがいます。
(親御さんが困って、「庭の草むしりと漢字5問とどちらがいいの?」とたずねると、この真夏にがんばって長い時間草むしりをしたそうです
このエネルギー良い方向に使いたい…という親御さんの嘆き…わかります。)

私は夏休みの間、自由研究と「数学検定」苦手な地理の暗記
の3つを通して、学ぶ姿勢を身につけさせたいと
考えていました。
数学検定は7級が小学2~4年と小学5年程度の学習を含むので、
5年の☆くんの場合、習ってない計算も含むけれど、
そこは学習してすれば良いと思い
「7級」を学んで、11月に試験を受けることをすすめました。
すると激しい抵抗にあい、お互いの話し合いの結果、
「7級の学習はするけれど、試験は受けない」という形で
学ぶこととなりました。

夏も半ばになって、私は☆くんが7級のなかでも難しい応用問題なら集中して
面白そうに解いていることに気づきました。
そこで、☆くんの好みそうな5級の問題をさせてみました。
5級は中学1年程度の学習を含むので方程式や複雑な文章題を含みます。
すると、☆くんはこちらの問題なら、どれも少しの説明でマスターし、
熱心に解いていったのです。
☆くんは喜んで解いただけでなく、あれほど嫌がっていた試験を
「5級なら受けてもいい」と納得しました。

5級の学習をする場合、基礎の計算(大きな桁の割り算など)の練習が
少なくなるので、それは少しずつ練習させることにしました。
7級をきちんとできないのに、5級が解けるというと、
奇妙に思えるかもしれませんが、
算数が苦手で数学は得意という子は、
ゆっくり成長するタイプの子ではめずらしくありません。
計算のような作業を続ける根気はないけれど、
数学的センスにめぐまれている子たちです。
そこで大人が、計算練習ばかり無理強いしていると、
こうした子の才能は枯れてしまう気もします。

脳がゆっくり成長する子達を育てることは、
柔軟で丁寧な対応が必要です。
とても難しいことですね
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不注意な子、見通しが立てられない子も落ち着く学校 1

2008-08-15 15:17:18 | 教育論
環境を「構造化」するという考え方があります。
「構造化」というのは、多くの情報を同時にしるされると混乱する子に、
情報を整理して、枠作りをすることです。これは発達障害のない子にも
役立つ方法です。


学校なら
席の配置を工夫し、
やるべきことを明確にして、それらを目に見えるかたちでしるします。
棚やロッカーに絵や写真を貼って置き場を決めます。
教科ごとにケースに入れてプリントなどもなくならないようにする。
手順をイラストつきで描いて、黒板に貼っておく。
余分なものを片付けてすっきりさせる。
カーテンを少し閉めて気が散らないようにする。
終わりを予告する。

家庭の場合も、環境を見直し、スケジュールを立てて
生活のリズムをつけると良いようです。

最近よく耳にするTOSSという教育法も、こうした「構造化」を「教室環境」から
「学校の運営」から「授業の内容」に至るまで広げていった方法と考えられるでしょうか?

それは良い!多くの学校で最低限の「構造化」がされていたら、
発達障害児の問題行動が減るだろうに…と思う反面、
行き過ぎると怖いなぁ…という気もしています。

環境を構造化するまでは良いけど、日々のスケジュールや授業の進行までが構造化されると…
確かに子どもの問題行動は減るかもしれないけど…
それってなぁ…簡単にどんどん進めて良いのかなぁ?

私の子どものころを思い返すと
「不注意で見通しが立てられない子」という
言葉のまんまでした。
考えたり空想したり、思いつくままに行動したりするのが好きなので
自分の手持ちの時間のほとんどをぼんやり考え事をすることに
使っていました。そのせいで、失敗も多かったので、
確かに学校や家で少しこの「構造化」されている部分があると
もう少しきちんとやれていたようにも思うのです。

でも、私は、周囲の人が子どもにはこのくらいぼんやりする時間が必要!と考えるよりずっとたくさんの、
自由にぼんやり考え事をしたり
読書をしたり、思いつきで行動したりすることが、
必要だった気がするのです。
誰かにすることを決められて、それに沿ってテキパキと物事をこなしていく
となると、それがある一線を越えたあたりで、
欝っぽくなったり、生き生きした自分らしい
良いところがなくなっちゃう気もするのですよ。

わが子にしても、娘は見通しを立ててキチンキチンとしていくタイプですが、
息子はムラが多くてのんびりだらだら…思いつくままに好きなことをしている時間が多い!!です。
ただ息子のこうした自由さは、
創造性ややる時には死に物狂いでやるエネルギーや
遊び心のある学習にも結びついてもいるのです。
ですから私は、学校が忙しい分、家では自由~にさせてます。

ただ、そこで、だらだらと遊んでばかりの生活に傾いていっても困るので、
信頼していることをしっかり伝えたり、自己肯定感を高めるような会話を心がけて、
外から縛るのでなくて、
内からやる気を起させように気をつけています。

やっぱり人を動かすのは、心ですよね。

「構造化」は良い方法ではあるけれど、
子どもの心や個性を無視して行きすぎると、
子どもが自分の頭で考えることをやめてしまう窮屈な学校や家庭を作って
しまう気もしています。
何でもほどほどが大事です…

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生活が不規則で、反抗的で、遅くまでテレビを見る中学生~

2008-08-14 08:38:00 | 教育論
最近、どうして子どもがこんなにも育てにくく
なったかというと、
臨床心理士の河合隼雄氏によると、

現代人は物事を好きなようにどんどんコントロールできるということを、
やってやってやりすぎて、
それを自分の子どもにまでやろうとしても、そうはいかない、
ということが起こってきています。

と、子ども自体はかわらないが、この暑さでも寒さでも遠距離でも病いでも、
コントロールできちゃうこの現代の進歩が、

コントロールできないものに対するイライラ感を高めている

状況があるのだそうです。
昔の子はいい子…と思われていますが、私の母の話を聞くと、6歳くらいまで
親のおっぱいを飲んだりしている子や、
近所の畑から物を盗ってきたりする子らが、当たり前にいたようで、
昔の子はゆっくり成長することが許されていたのがわかります。
親もそんなこと気にかけてなかったんですね。

( 話は脱線しますが、
昨今の公教育に対する不満も、
塾でも何でも選んだりやめたり、注文をつけたりが自由な今日このごろ…
義務教育だからと、選べずやめれず…という何となく感じる拘束感が
原因のひとつなのかもしれません。)

話は変わって、「かよいあいたい心たち」という国立小児精神科医長の崎尾英子先生の著書にこんな話が載っていました。

ある母親が、著者にこんな相談をしました。

父親が相談の対象である中2の長女に
「小さい頃からマンガやテレビに制限を加えたり、
自分の思うように動かしてきた」
また「親が子どもを動かせないようではいけない、と子どもに手をあげてきた」

長女は、「中学に入ってから、反発が強く、生活も不規則でだらしなく、
夜遅くまでテレビを見たり、食事もいっしょに取らない」

体罰で圧力をかけても有効でなかった父親は、不満をかかえながら
だまっているそうです。

父親は注意こそしませんが、「お前のしていることはいけないことなのだ。おもえは私の意見に従うべきだ」と毎日、非言語レベルで、メッセージを伝えています。

長女は、行動レベルでも非言語レベルでも
「私は以前のようにお父さんの考えには従わないのよ。
私は私がしたいようにするの」と主張しています。

現代の日本は、「民主主義」と呼ばれる個人の考えと自由を保証する考えが、
どこにも浸透してます。
それで、親の育て方は、各家庭自由!といっても、
その自由な価値観が民主主義からずれてた場合…
「うちは変!他の子と
同じようにしたい」という願望が育ってきて、衝突する時期がきます。
この家族もその時期を迎えているのですね。

「相手にこれこれをさせたい」思いが基本にあると、
相手を追い詰め追い込むことで、自分の意に沿わせようとするのは、
人の性質です。
が、それではやればやるほどお互いに辛くなるばかり…。

そんなときは、いっそ、やらせようと考えていた執着を捨て去ると、
物事がうまく行き始めるそうです。
子どもなりの考え方や子どもなりの動きを尊重することなしには、
子どもはいつまでも身動きできない…のです。

このとき、母親が父と娘の仲介をしないのも大事なのだとか。
放っておく…
「仲介」とは、本来の性質上、互いの意図をわかりやすく伝えるものです。
互いにお互いの指示に従うまい!!
としている人々の仲介をすると、
ややこしくなるんですね~

前回の記事に書きましたが、
当人同士が、
正々堂々とぶつかり合って、お互いに折り合えるところを探っていく…

思春期の子の成長にかかせないものなんですね。


 

いつもどうもありがとうございます。 



どうして子どもは家庭内暴力に走るのか?

2008-08-13 09:31:24 | 教育論
わが子が思春期に入ってから、
子育ってて難しくて奥が深いなぁと感じることが多いです。
ただ かわいがればよいというのではなくて、
時には激しくぶつかり合ったり、
真剣に話し合ったりする必要がたびたび出てきます。
子どもが大きくなると、子育て本を読む方というのは、
ぐんと減るのですが、やっぱりそうした本に目を通して、
親が常に軌道修正していくことが大事なように思います。

そこで…

臨床心理士であり文化庁長官でもあった 
河合隼雄氏の「過保護なくして親離れはない」という著書を読みました。
そのなかで、「家庭内暴力」について触れている部分は、
強く心に響きました。

河合氏は
「子どもを叱って、言うことをきかない時や、うまくいかないときは
たいてい大人がどこか間違っています」と
おっしゃっています。

子どもはなぜ家庭内暴力を起すのか?という疑問に
ひとつの例があげられていました。

親は子どものことを理解している[よき親]であろうとする願望が
いつもある。
そこで、「お父ちゃん、旅行行かして」と子どもが言うと、
少々心のなかで無理だと思っても
「行っといで」と許してしまいます。
しかし、中学生が旅行に行くなんてゼイタクだぞ、安全か、と反対する親がいて、はじめて子どもはもう一度計画を練る。
そうして親子が主張しあっているうちに、
親の立場からすれば、なるほどそこまで考えているのなら無理はないな、
お金は節約しなさい、泊まりは国民宿舎以外ダメという条件を出す
ことで、旅行を許す。

そこに子どもの成長がある。

ところが、たいがいの親は子どもの言いなりになるか、
頭ごなしに反対する。

こういうとき、父親が理解あるふりをして、
子どもに自分の意見を言う、
いわば実存的対決をすることを怠ると、子どもは問題を起すようです。
子どもは実存的対決なくして、成長はないし、
親子関係も成立しないのだそうです。

そうした対決を避ける「良い親?」は家庭内暴力予備軍を
育ててしまうのですね。

虹色教室でも思春期に差しかかる子と私の間で、
ぶつかり合うことがたびたびあります。
そういう時間というのは、合理的な学習時間ということから見ると、
無駄なのです。
しっかり主張させ、こっちも折れるところは折れるけれど、
これはダメという限度は守る!!
というぶつかり合いに1時間近くかかることがあるのです。
時には私に向かって、親や兄弟姉妹、学校への不満まで、洗いざらい
ぶちまけてくることがあります。
「もう、教室やめてやる!」とまで息まくこともあるのですが、
「なら、そうしなさい」と言うと、
次の学習日にはニコニコして現れ、
それまでとちがうしっかりした態度を身に付けています。
それはそれで良かったんだなぁ…
と子どもを育てる奥深さや難しさを
しみじみ感じています。


 

いつもどうもありがとうございます。 

子どものことをあれこれ思い悩まない…?

2008-07-22 12:54:06 | 教育論
「子供の才能を見つけるヒント」という本の中で、
アドラー博士が、

子どものことをあれこれ思い悩まず、
一つだけ「この子は大丈夫」と思い続けろ

というタイトルでお書きになっている話にちょっと圧倒されてしまいました。

あるお母さんがアドラー博士に、
うちの子は、わりとなににでも興味をしるすけれど、すぐ飽きてしまうので、
将来、ひとつの仕事をちゃんと続けられるのか心配だ…と相談をします。

それに対するアドラー博士の答は、
確かに、飽きっぽいと言うか、移り気な子はいます。しかしそれは悪いことでもなんでもないでしょう。
はてしなく続けるわけではありません。
もしかして、大きくなって、いろいろな職業を点々としたなら、
少しもかまわないではないですか?
いろいろな職業を転々として、
自分の才能に気づいていくのです。やったことは全て役に立つ。
「おまえ、いろいろなことがやれてよかったね」と、
子を誇りに思えばいい。

博士からの応用問題

うちの子はなにもやりたがらない。何をやらせても興味を持たない。
ただ食っちゃ寝食っちゃ寝をくりかえすだけで、ぼーっとしているので、
心配でたまらない。

アドラー博士の答はこうです~♪

「ああ、素敵だなぁ、飯食えて」「よく寝られてよかったなぁ」
という気持ちで接する。
拒食症の子がいたり、不眠症になったりして、
苦労している人もいる。

親自身はいろいろごちゃごちゃした見方をせずに、
いつだけ「この子は大丈夫だ」と思い続けることです。
どこから見たってこれでいいんだ、大丈夫なんだ、と
信じ続けてみることが大事です。

アドラー博士の答え…大らかですねぇ!!

子供は「過小評価」せず「過大評価せよ」

「たとえ、他人から子供が疑われても、
徹底的に信じてやれ」

というのも、博士の持論です。個を重んじる海外の教育論…参考になりますね。


 

いつもどうもありがとうございます。