これは2013年1月25日第3刷の『はだしのゲン わたしの遺書』(朝日学生新聞社発行)です。 第1刷は2012年12月20日で、作者の中沢 啓治三が亡くなったのはその前日の12月19日です。本の場合は約1ヶ月の先付が慣習となっているようなので、実際にはほんの少しだけ生前に発行されていることになります。 みなさんはもう読みましたか。
第1章から第8章まであり、それぞれ「母の死」、「ピカドン」、「残酷」、「生きる」、「出会い」、「上京」、「『はだしのゲン』誕生」、「肺がん」という見出しがついています。
ちょっと前になりますが、17日の朝日新聞の記事を見つけてショックでした。 恐れていたことがここまで来てしまったか、と思いました。
① (8月17日の記事)
② (18日の天声人語)
①の記事によると、松江市の教育委員会が作品中の暴力描写が過激だとして、各校に閲覧の制限を求め、昨年12月の校長会で全巻を書庫などに納める閉架図書にするように指示したということです。 そのため、現在は市立小中学校の図書館で当然貸し出しは行われず、教員が校内で教材として使うことができるだけになっています。
私としてはすべての小中学校にあるのかなと思っていましたが、小学校35校、中学校17校のうち約8割の図書館が蔵書していただけとのことです。
事の発端は、昨年8月に「ありもしない日本軍の蛮行が描かれており、子どもたちに間違った歴史認識を植え付ける」から、小中学校から「はだしのゲン」を撤去するようにとの市民からの陳情が市議会にあったためです。 (多分新しい歴史教科書をつくる会みたいな団体に入っている愚かなあさましい輩からのためにする反対でしょう。)
議会としての「教育委員会の判断で適切な処置をするべきだ」という意見に基づき、松江市教育委員会が協議して閉架を決めたといいます。 何と言う軽率な判断でしょうか。 こんな判断をしたりするから教育委員会不要論なんてことまで出てくるわけです。 (裏には議会の圧力があり、教委として撤去ではなく配架という折衷案みたいなことで決着を図ろうとしたのかもしれません。議会からの圧力がなくても、教委としては必要以上に議会に対しての配慮に留意したということは十分考えられます。)
この松江教委の対応について、中沢啓治さんの奥さんのミサヨさんは「信じられないし、悲しい。戦争や原爆の悲惨さや嫌味が分かっていないのではないでしょうか。」と話していると。
みなさんはどう考えますか。 妥当な対応だと納得しますか。 ここには子どもたちの感性や柔軟性に対する考えの違いがあるようです。 私は子どもたちの強さや感受性を信じたいと思っています。 大分前にもこのブログで書いたことを思い出しました。
私の母校である八幡小学校にも原爆を扱った分厚いハードカバーの本がありました。「はだしのゲン」は当然まだまだ発行されていません。 小学校3年か4年の頃、怖いもの見たさに恐る恐るその本を開いてみた記憶があります。 カラーの写真に衝撃を受けました。 正直言って恐くて気持ちがいいものではありませんでした。 でも見なければならないと思い、必死の思いでページをめくった記憶があります。何日間かトラウマのようになっていたかもしれません。それくらい強烈でした。 原爆との最初の接点です。
『こどもたちは【困難に負けず強く生きる】という作品の本質を見抜く力を持っている。子どもたちを信じて自由に読ませてあげてほしい』というNPO法人代表の渡辺朋子さんのことばに大賛成です。
小学校だけならまだしも、中学校も対象にしているということは一体どういうことでしょうか。 中学生ともなれば社会との接点も多くなり、自分の考えもしっかりしてくる時期であるし、過去の歴史を学びつつそこから将来へ向かって羽ばたく準備をする貴重かつ重要な年代です。 小中学生をひとまとめにして子どもたちと括ってしまっているのは大きな認識の誤りです。 中学生に対する侮辱といってもいいのではないでしょうか。 先生としての資格に疑問が付いてしまいます。
現在「はだしのゲン」は英語・ロシア語・フランス語・ドイツ語・韓国語・ギリシャ語・スペイン語・ポルトガル語・ウクライナ語・ポーランド語・インドネシア語・モンゴル語・タイ語・タガログ語・エスペラント語・スウェーデン語・フィンランド語・トルコ語・中国語(進行中)に翻訳されているそうです。(同書P193)
第7章「はだしのゲン」誕生 のなかで中沢さんは言っています。
六歳のぼくの網膜に焼き付いている原爆の姿を「はだしのゲン」で徹底的にかいてやろうと思ったのです。戦争で、原爆で、人間がどういうふうになるかということを徹底的にかいてやるぞ、とね。
「はだしのゲン」は、被爆のシーンがリアルだとよく言われますが、本当は、もっともっとリアルにかきたかったのです。けれど、回を追うごとに読者から「気持ち悪い」という声が出だし、ぼくは本当は心外なんだけど、読者にそっぽを向かれては意味がないと思い、かなり表現をゆるめ、極力残酷さを薄めるようにしてかきました。 (P 179)
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けれど、ぼくは「原爆をあびると、こういう姿になる」という本当のことを、子どもたちに見せなくては意味がないと思っていました。原爆の残酷さを目にすることで、「こんなことは決して許してはならない」と思ってほしいのです。
また、被爆後、人間の悪い本性をさんざん見てきましたから、「はだしのゲン」の中では、優しさや思いやり、家族愛も意識してかきました。やはり、次の世代の子どもたちには、人間の嫌な部分ではなく、よい部分をバトンタッチしてやりたい、そういう思いで「はだしのゲン」をかき続けました。(P 182)
「はだしのゲン」の連載は、「週刊少年ジャンプ」(1973年・昭和48年~)から「市民」、「文化評論」、「教育評論」(~1985年・昭和60年)という雑誌を渡り歩いてかき継がれました。 中沢さんの執念が感じられます。
また、2009年に英語版をオバマ大統領に送ったのだそうですが、本人の手元には届かなたったようだと。 「核なき世界」を目指すと演説したオバマ大統領に期待をこめて、二人の娘さんに読んでもらいたくて、加賀友禅の風呂敷に包んで送ったのですが。(P 196)
松江市の教委が小中学生に「はだしのゲン」を読ませないのであれば、みなさんに提案です。 この際「はだしのゲン」を各家庭で購入しようではありませんか!!日本国憲法同様、各家庭に必ずなくてはならないものとして、平和主義の象徴として「はだしのゲン」を各家庭で常備し、末永く読み伝えていきたいと考えます。