鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

涼しいのです、

2020-08-31 14:12:55 | 思いつくまま

 

さっきのラジオのニュースでは、まだまだ全国的には暑い日が続き、姫路では38度、名古屋でも37度とか言っていました。

 

きのうの仙台市の最高気温は28.1度で、午後1時45分の記録ですが、姫路や名古屋はきのうの仙台と比べても約10度も高いですが、きょうの仙台市と比べると17度、18度も高くなっています。

 

ちょっと信じられますか?この余りの違いに唖然としてしまいます。きのうは雨が降ったりもしましたが、過ごしやすいさわやかな気分にさせていただきました。

 

ところが今日はそれを追い越して、涼しさを通り越して大げさに言えばやや寒い感じの一日となっています。いやあ、参ってしまうのですが、午後2時過ぎの最高気温と最低気温は、21.7度と20.5度となっています。ほとんど差がありません。

 

その21.7度という最高気温は真夜中の午前0時16分の記録で、20.5度は午前11時45分の記録です。朝から霧雨が降ったり止んだりの梅雨寒に戻った感じの一日となっています。

 

あまりにも極端な気温の変化ですね。おとといは35.3度まで上がったのです。それがきのうは28.1度となり、きょうは21.7度となっています。あしたもきょう同様秋めいた天気とのことですが、あさってからはまた暑さがぶり返すようです。

 

今日は8月31日月曜日です。8月の最終日で、あしたからは9月長月となります。月曜日ということで、傘を差したり、しまったりしながら交差点に立ちました。相変わらず月曜日は荷物が多いようです。それにきょうは傘が加わります。

 

いつも注意しながら見ている児童生徒が数人いるのですが、みんなちゃんと登校したようです。土日と連休で、また月曜日が来て学校が始まると思うと気分的には重苦しいものになりますよね。少なくとも私の子ども時代はそうでした。

 

でも意外と今の子どもたちはいつもと変わらずに登校していくようです。感心します。小学校は委員会があるようで、中学校は1学期末考査があるようです。考査の二日目か。28日金曜日が考査の一日目だったようです。中学生の何人かはノートや小さいテキストのようなものを持ちながらの登校でした。

 

そういう風景もなかなかいいものじゃないですか。そういうものが私の中学時代もありましたね。実力考査といったか?学力考査といったか?実力考査かな。いやはや何とも仰々しい感じがします。学校に試験はつきものと思ってしまいますが、東京の何とかいう有名な学校はなくしたんでしたっけ。いろんな考え方に基づきいろんなやりかたが出てくるのでしょうね、これからは。

私が面白おかしく付き合っているブログから。江草乗の「言いたい放題」からの引用です。安倍政権の決算(30日のブログ)と題して、次のように箇条書きにまとめています。

(引用開始)『  安倍晋三にはどんな功績があったのだろうか。

「公文書を自由に改竄できるようになった」
「北方領土をロシアに献上した」
「辺野古の海を埋めててて大規模な自然破壊を行った」
「政権政党がマスコミを思い通りに操れるようになった」
「非正規雇用を増やして若者の将来への不安を増大させた」
「若者を上手に洗脳して自民党支持層(馬鹿)を増やした」
「加計学園のようなお友達への補助金をどんどん増やした」
「教育関連予算を削減して基礎研究への意欲を失わせた」
「尖閣諸島周辺に侵入する中国漁船に対してちゃんと抗議しなかった」


 オレがもっとも恐れるのはやはり、「若者をどんどん馬鹿にした」ということだろうか。 』 (引用終わり)

            

なかなかよくまとまっていますが、もう一つ加えるとするならば 「北朝鮮の拉致問題は全く進展しなかった(何もしなかった)」でしょうか。

若い人たちが、ほかに代わるべき人がいないからと言って、相変わらず自民党を支持し続けるようではもう日本に未来はないですね。米中のはざまで押しつぶされるか、米中戦争の戦場になって燃え尽きるか、どっちにしても、なんにしても日本に将来はないような気がします。

 

 


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広瀬川、巨鮎第2弾!

2020-08-30 14:08:42 | 広瀬川

 

いやあ、きょうは一日曇り空。しかも過ごしやすい。朝方の河原の散歩のとき、河原の風の何という清々しさ、まさに秋本番のさわやかな風が吹き去って行きます。一気に秋めいてきて、これでいいのでしょうか?と思ってしまうくらいです。 

 

もしかして、秋というか、秋らしい秋はなくて極めて短く、暑い日が続いた後、一気に寒くなる日が続いて冬になるというような気候変化が起こらないでしょうか、もしかして。そうなったら嫌ですねえ~。寒いのはもともと弱いのです。でも今回の猛暑で暑いのにも弱くなっているということが分かりました。これも加齢に伴う身体現象なのでしょうか。

 

今午後2時過ぎ、目下の最高気温は28.1度です。午後1時45分の記録です。この分ではきょうは30度を超えることはないでしょうね、たぶん。お昼でも26.6度でした。ちなみに午前5時では25.0度でした。

 

きのうは、たまに大粒の雨が、短時間ですが、降ったり、雷鳴がとどろいたり、そして何よりも午前10時台に最高気温35.3度を記録しています。時間の経過とともに気温は減少傾向となり、日差しも心なしか弱く感じました。

 

ということで、今の私には一大決心ですが、ライトスタイル(釣りビジョンでやっていましたが、大きくない川なんかでは、ライトスタイルの鮎釣りがいいですね)ではなく、通常の鮎釣りスタイルで広瀬川に入ることにしました。

 

前回の26日でしたか、1匹も掛からなかったら、広瀬川とはおさらばをするつもりでした。でも、どういうことか、2匹も掛かってしまい、キャッチしたのは1匹だけでしたが、大きさが25.5センチもありました。キャッチした時はもっとあると思ったのですがねえ。これはみなさんも同じ気持ちかと思いますが、現場での大きさと、自宅での実測とは少々違いがありますね。現場ではややもすると、ついつい大きめに見てしまいます。

 

きのうは26日と同じ場所に入り、時間は午後3時25分から4時45分頃までの1時間20分の竿出しでした。竿はがまかつの8.1メートル、水中糸は0.4号のナイロン糸、はりは8号の3本イカリです。

 

まさか今頃になって(去年も活躍しましたが)数十年前に買ったがまかつのヴィンテージ鮎引き抜き荒瀬8.1が重宝されるとは皮肉なものですねえ。この竿には金粉で所属クラブ名と名前が書かれています。サービスでした。

 

体力がなくなってきたので、いまでは9.5メートルの竿なんか使えません。いわゆる”テニス肘”で、1時間もすると右腕は重苦しくなり、痛みというまではないのですが、もう竿を持っているのが嫌になります。別に9.5メートルの竿に限らず、9メートルでも重い竿は敬遠気味です。去年買ったシモツケの大アユ用の竿は一回も使っていませんね。

 

もしかしてそのまま使われずに仲間の手に渡るのかもしれません。私が持っている鮎竿で使えるものはクラブの仲間にお分けしたいと思っています。それは私が死んでからになるのか、生きていても体が動かなくなってからとなるのか、まだはっきりはしませんが。家族には言ってありますし、仲間にも匂わせてはいます。

なんでこんな直接関係ないことを長々と書くのか、私の悪いところですね。きょうは涼しいから、ついつい書き進んでしまっているとも言えます。

もとに戻ります。きのうは3時25分から4時45分頃まで竿を出しました。周りには釣り人の姿はまったくありません。友釣り、ガラガケ、投網、だあれもいません。そういえば鳥もいなかったか。さみしい限りです。

 ① 

おとり鮎は2匹です。おとりをセットして ① の深めの瀬に入れます。ここは掛かることはないだろうけど、一応はここから鮎を馴染ませ、下流側の本命の場所へ導くという算段です。しかし、5分もしないうちかな、右岸ヘチの草におとり鮎が絡んでしまいました。

竿を煽るとおとり鮎の姿も出てきます。掛けバリが引っかかっているようでした。ここに入っていく勇気はないので、竿をたたんで、天上糸を引っ張ります。運を天に任せて。しかし天は薄情でした。ハナカン仕掛けと水中糸の結び目のところで切れました、ハイ。

それで、仕掛け一式をセットし直し(といっても去年の仕掛けをそのまま使用)、①の下流から泳がせます。そうそうおもりは使わず、背バリ仕掛けです。②の右岸ヘチ狙いは毎度のことです。前回はこの付近で掛かりました。

 

30分経過した頃かな、手元におとり鮎が追われている感じが3回ほど伝わってきました。おっこれはもしかして掛かってくれるかもと思ったら、掛かってくれました。前回の轍を踏まないように、竿は寝かせたままで十分にためて、その間自分が左岸側へ移動して、竿を立てると同時に引き抜きたいと考えていました。

その考えが100%うまくいったというわけではないですが、川の真ん中の急瀬をうまく横切ってからは割とうまくいき、左岸の浅瀬にもってきて無事引き抜きました。

この鮎もとっても大きく見えました。実際大きかったのですが、帰宅後の実測では25.5センチくらいでした。今年はこれが限界なのでしょうか。

この大アユをおとりとして使ってみたいという気持ちは少しはありましたが、実際には使いませんでした。仕掛けがこういう大アユ同士での釣りを予想していなかったし、大きいおとり鮎を使うと掛かるのは意外と小さい鮎という思い込みもありまして、このまま養殖鮎に引き続き頑張ってもらうことにしました。

②のやや下流気味かな。そこを泳がせていたら、今度はものすごい当たりでした。ものすごく強烈な引きでした。一気に引き抜き荒瀬が大きく絞られます。大きく半円を描きました。実際には音は出てはいないのですが、文字に表せばそれこそ ”ガッギューーン” となりますか。

一気に急瀬に入りましたので、これやばい! また前回の二の舞になりかねないと思いまして、あまり慎重になりすぎることのないように、下がりながら半分は強引に左岸にもっていきました。うれしいことにこれがうまくいき、浅い左岸に寄ってきたので、間髪を入れずに抜きました。

   

いやあ、やりました!!前回のリベンジも達成です。1匹目も強烈な引きでしたが、2匹目の引きは本当にものすごく、これはでかい!でかすぎる!と思ったのですが、いざ手にしてみると1匹目よりも小さかったです。自宅での実測では23.5センチですか。

その後、二度あることは三度あると勝手に考えて、もしかしてと同じところや、下流の荒瀬急瀬を泳がせましたが、追いはなく納竿としました。養殖おとりは感謝放免です。

いやあ、満足です。これぞ鮎釣りという鮎釣りを経験しました。

 

大きい方はオスで、小さい方がメスですね。この二匹は亡くなっている義理の父に捧げました。

 


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去る者あれば、生まれる・・・

2020-08-29 14:09:15 | 提案・要望

 

何でしょう、この暑さは。しかも、”みちのく”が熱いのです、暑いのです。日本を代表するかのように”みちのく”が燃えているのです。とくに、”みちのく”のうちでも、福島がきのうもですが、引き続き燃え上がっています。

 

い今午後2時過ぎです。毎度のことですが、パソコンに向かう時、まず最初に毎正時の気温をチェックします。画面に出てきた数値を見てぎょっとしました。なんじゃこれは!?と思いました。

 

午前10時の気温が、何となんとナント(久しぶりに出ました!)34度 でした。何かの間違いでは?とさえ思いました。午前10時の気温が34度なんていうのは、初めてではないでしょうか。10時ですよ、10時。 お昼は29.4度で、午後1時は30.4度で、2時は30.6度です。

 

というわけで目下の最高気温は、午前10時42分の記録 35.3度 猛暑日です。いやはや参ってしまいます。これはどう解釈すればいいのか、もしかして、きのう辞任を表明した安倍のことを歓迎しての、その熱狂が極暑、猛暑となって表れたのかも・・・・。

 

みちのくの総意が、自然現象までも狂わせるほど熱い塊となったのでしょうか。150年前の戊辰戦争における薩長、特に長州に対する恨みつらみがそうさせたのかもなあ、なんて勝手に一方的に思ったりして・・・・。

 

 

私が物事を考えるに際して、いろいろと参考にさせていただいている人の一人、思想家内田 樹さん、彼の本を読んだり、ホームページ(ブログ)も楽しく読まさせていただいています。彼がさっそく書いていました。要約できなかったので、全文掲載です。大文字は管理者です。

      

【引用開始~               安倍政権の7年8カ月

2020-08-29 samedi

 安倍政権7年8カ月をどう総括するかと問われたら、私は「知性と倫理性を著しく欠いた首相が長期にわたって政権の座にあったせいで、国力が著しく衰微した」という評価を下す。

  日本は今もGDP世界三位だし、軍事力でも世界五位の「大国」である。国際社会の中では「先進国」として遇されているし、米国の東アジアにおける最も信頼できる同盟国であるという評価も安定している。けれども、日本が「あるべき国際社会」を語り、その実現に向けて指導力を発揮することを期待している人々は国内外を探しても見当たらないし、経済的成功のための「日本モデル」や、世界平和の実現ための「日本ヴィジョン」を日本政府が提示するだろうと思っている人もいない。これだけの「国力」がありながら誰も日本にリーダーシップを求めていない。そのことに、われわれはもっと驚くべきだと思う。

  どうして国際社会は日本にリーダーシップを求めないのか?

  それは日本人が「倫理的インテグリティ(廉直、誠実、高潔)」というものに価値を見出さない国民だと思われているからである。そして、倫理的なインテグリティを重んじないと思われている国は、いくら金があろうと(もうあまりないが)、いくら軍事力を誇ろうとも、いくら「日本スゴイ」と自ら言い募っても、誰からも真率な敬意を示されることがない。

      

  勘違いしている人が多いが、人間は他者からの「真率な敬意」を糧にして、それを保持するためにさまざまな工夫をし、またさまざまな「瘦せ我慢」をして生きる存在なのである。人間は敬意なしには生きている気がしない。それはヘーゲルが直感した通りである。そして、日本はいつのまにか「他者からの真率な敬意」を誰からも寄せられない国になった。それが日本人が「生きている気がしなく」なった理由である。

  国が倫理的なインテグリティを持つとき、国民もそれを分有する。国が高邁な理想を掲げているときには(仮にそれがかなりの部分まで勘違いであったとしても)、国民はその国の一員であることを誇らしく思い、自分の英雄的な努力によって国運が向上することを願う。独立戦争のときのアメリカも、ナポレオン時代のフランスも、レーニンのソ連も、国民が国家の運命とおのれ個人の運命がリンクしていると信じているとき、その国は強い。逆に、国民の多くが「私の個人的努力の目標は自己利益の増大であり、私の個人的努力が国力増大に資するような直接的な回路は存在しない」という白けた気分でいるときに、国全体のパフォーマンスは下がる。日本はいまそういう国になった。なぜか、「国家主義」を標榜する安倍政権下で日本国民が失ったのは「私」と「国」との一体感だったのである。

 

 7年8カ月の安倍政権を眺めて来た国民が知ったのは、政治家であれ、官僚であれ、財界人であれ、メディアのトップであれ、彼らの行動は「国民全体の福利」をめざすものではないということであった。彼らは自分の党派、自分の支持者、自分の縁故者、自分自身のためにその権力を活用する。そのことを私たちは知らされ、受け入れてきた。「権力を自己利益のために使うことができるということが、『権力を持っている』ということである」というシニカルな事大主義をいま人々は「リアリズム」と呼んでいる。

 「勝ったものは正しかったから勝ったのだ。多数を制した党派は真理を語ったので多数を制したのだ」という現実肯定の思考停止のうちに多くの日本人は埋没している。そして、それが劇的な国力衰微の理由だったと私は思う。

  実際に安倍政権が通した重要法案の多くは安保法制も、特定秘密保護法も、テロ等準備罪も、世論調査では国民の過半は「今国会で強行採決すべきではない」という意思表示をした。だが、政権はこれを強行し、支持率はいったんは落ちたものの、すぐに回復した。つまり、有権者たちは「この政権は私たちが反対しても何の影響も受けないほどに強大な権力を有している。そうである以上、服従すべきだ」という腰砕けな推論をし、それをして「リアリズム」と呼んできたのである。

  閉じられた政治的空間の中であれば、安倍政権はこの「リアリズム」を心理的基礎にして、あと数年あるいはそれ以上にわたって盤石の体制を続けられたかも知れない。しかし、この政治的リアリズムは新型コロナ・ウィルスによるパンデミックという「リアル」にはまったく通用しなかった。ウィルスの危険を訴え、適切な対応措置を求める国民についてなら、これを恫喝し、懐柔し、必要とあらばデータを隠蔽改竄すれば黙らせることができるが、ウィルスにはそのようなマヌーヴァーは通用しない。

  先般、世界23か国の人々に、コロナ対策に際して自国指導者の評価を求めたアンケートが行われた。日本政府の対応を「高く評価した」人は日本国民の5%にとどまった。世界平均は40%。中国は86%、ベトナムは82%、ニュージーランドは67%、死者数世界最多の米国でさえトランプを「高く評価する」国民は32%いた。

  この数字は感染を効果的に抑制し得たかどうかと直接相関しない。例えば、死者数の少なさだけを強調して、日本政府は「感染抑制に成功した」といつまでも言い張ることだってしようと思えばできたのである。けれども、日本国民は安倍政権が感染抑制についてはまったく無力だったということを知っていた。

  国難的時局において必要なのは、指導者が国民全体の福利と健康と安全をめざしていると「信じさせる」ことである。けれども、日本国民は、そんなことを信じなかった。「日本の指導層は自己利益のためだけに行動していて、自分の支持者にしか便益をもたらさない」ということをずっと前から「知っていた」からである。だから、内閣支持者たちでさえ、政権は「自分たちのために」何かよきことをしてくれることはあっても、全国民のために何かよきことをするだろうということを信じなかった。

 

  感染症は全国民が等しく良質な医療を受けることができる体制を整備することでしか収束しない。しかし、安倍政権は支持者のみに選択的に利得をもたらし、反対者には「何もやらない」ことによって「一強体制」の心理的基礎を打ち固めてきた。内閣支持率が30%を超えているのに、感染対策を高く評価するものは5%しかいなかったのはそのせいである。

  安倍政権は国民を支持者と反対者に二分し、「反対者には何もやらない」ことによって権力を畏怖し、服従する国民を創り出そうとしてきた。だから、彼が権力基盤を強固にするにつれて、日本人はどんどん「リアリスト」になり、誠実や正直や公平といった「きれいごと」をおまめに鼻先でせせら笑うようになり、そしてまさにそうした態度を通じて、国際社会において誰からも真率な敬意を示されることがなくなったのである。

 

  人間は他者からの敬意を糧として生きる。それを失ったものは「生きている気」がしなくなる。日本人はいまそのようにして国力の衰微を味わっているのである。誰の責任でもない。  ~引用終わり】

 


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一体、いつまで、どこまで、・・・・

2020-08-28 14:08:30 | 思いつくまま

  この前の巨鮎です。

 

             おいしく食べました。

 

言ってもどうにもならないですが、いったいいつまでこの暑さは続くのか、どこまで気温は上がるのか。いつまで続けば、どこまで上がれば自然は気が済むのか。いやはや何ともかんとも、もう言うべき言葉はないです。

 

改めて思います、去年クーラーを入れてよかったと。この件に関しては面と向ってはいいませんが、うちの奥様には頭が上がりません、感謝です。8月は去年よりも確実に暑いように感じます。

 

でもだからと言って、寝苦しさは感じませんね。  

  

 

臨時ニュースです。安倍晋三は辞任の意向を固めたということです。今ラジオで言っていました。何をいまさら!?と言いたいところですが、何はともあれ日本にとっていてもらっては困る輩は早めに消え去ってほしいもので、その点では少しは良かったかな。これで溜飲が下がり、蒸し暑さもほんのちょっとだけ弱まったように感じるかも・・・。

これが本当なら、これからの日本にとっては少しはいいことかな。これ以上政治的に悪くなることはないでしょうから、戦後最悪、最凶の長州州出身者が消えてくれて、今後二度と薩長の総理大臣が出ないようになれば、少しは救われるかな。

 

話しが逸れていくようですが、暑さに戻ります。今まで寝苦しさは全く感じてはいません。夜は眠れています。  でも、  ただし、 夜中に起きるのですね、これが少々辛い。夜間のトイレです。2回以上は夜間頻尿と言われるのですか?

  

夜中に起きなければ、せめて1回だけであってくれれば、もう万々歳、とっても嬉しいのですが、それは無理というものでしょうね。寝る前に水分補給をしないわけにはいかないし、薄い毛布一枚でも少々暑苦しく感じることはあります。汗をかいているので、その分おしっこの方は出ないようになってくれたらいいのになあ、としょっちゅう思っています。

 

暑い日が続くようになって変わったことの一つは、梅干ですね。今まではほとんど食べてはいません。でも奥様は梅干を毎年作っています。朝食のときに、梅干を一個分くらい食べるようにしています。

 

我が家では梅干は、種と実というか皮を分けて保存しています。どちらも当然捨てることはありません。種の方はいつまでも味がなくなるまでしゃぶっていられますし、果肉の方はごはんと一緒に食べるとなぜか元気が出ます。不思議なものですね、梅干というのは。

 

生の梅を食べると中毒を起こしますが、太陽の力を借りて日光浴等をしつつ梅をつけるととっても栄養価の高い?梅干ができてきます。梅と太陽のコラボの結実というものですか。

 

梅干というと、和歌山県の南高梅ですか、とっても高価な梅干ですが、昔々三井物産の子会社等の共催での特別販売会がありまして、その中に梅干の販売もありまして、南高梅は一個1000円もしていました。それをもらうことができまして、その場で食べました。

 

そのほかにはラフランスのビニール袋への詰め放題が、いくらだったか?1000円くらいかな、高価なラフランスを溢れるくらい詰めて1000円。そういううれしい販売会が昔はあったのですが、昔々の話しです。

         

昆虫にとって暑さとはどういうものなのでしょうね? どのくらい暑さを感じるのか。

何にしても、ニンゲンよりは逞しいし、強いですよね。

           

安倍晋三、辞任発表は確実のようですね。消え去るべきものは消え去るべきです、一刻も早く。


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居ました、巨鮎?!

2020-08-27 13:27:15 | 思いつくまま

 

今午後1時半前です。暑いですね、きょうも。なんでも午前中に高音注意報が出ているとか。午後1時までの最高気温は 32.1度 です。午前10時17分の記録です。10時の気温は30.3度でした。

 

暑い、暑いと言っても、いくら言っても、言ったからといっても涼しくなることなんかないのに、それでも言うんですね、愚かなニンゲンは、私のことです。 全国的に暑いのですが、それでも局地的には大雨が降ったりもしているようで、いったい何でしょうね、この天気は。

      

 

こうなれば、暑いのにもかかわらず、このブログを見てくれるみなさまに少しでも涼しさを届けられればいいなと思い、きのうの夕方の広瀬川の状況をお知らせします。 実はきのう一つの大きな決心をしまして、川へ向かいました。その前におとり鮎を買いに行きました。

今日2時間弱竿を出してみて、全く鮎が掛からなかったら、もう今年の広瀬川には見切りをつけよう、もう広瀬川に残念ですが”おさらば”しよう、と思った次第。こんなにも釣れない、鮎がいない広瀬川というのも初めての経験ではないかと思います。

 

ここまでくると、本当に鮎を放流したのかという原点まで疑いの目を向けてしまいますが、それなりに放流はしているようですので、それならなぜ鮎が釣れないのか?大雨で流された? 病気が流行った? カワウに食われた? 水量が少ないので深みに隠れたまま? いったい何がどうなったのでしょうか。

 

まあ、それは置いておくことにして、おとり鮎を買ってきまして、夕方の広瀬川に入ってみようと思いました。日中は暑すぎるからです。早朝もいいかなとも思いましたが、朝方はなにかとあわただしいもので、やはりそれで優雅な?夕方となりました。

今水量は減少していますが、それで少しでも深みのある、流れのあるところを狙って見ました。結果的には夕方4時20分から5時40分くらいまで竿を出しました。場所はこういうところです。

 ① 

 ② 

竿は9メートルをやめまして、少しでも軽くということで昔々のがまかつの鮎竿、ヴィンテージ鮎引き抜き荒瀬8.1メートルです。去年も割とよく使いました。水中糸は0.4号のフロロです。竿も仕掛けも大物用としました。ハリは8号の3本イカリです。

掛かるとしたら、残っているアユは当然大きいでしょうから、それに負けないように強い仕掛けにしました。背バリ仕掛けです。おもりはどうにも苦手ですね。4時20分にスタートしましたが、さっぱりです。

 

掛かってもよさそうなところで追いがありません。掛かるのは根掛りのみ。でも2回とも何とか抜けました。掛からないもので少しずつ下ります。①の下流の方かな、右岸ヘチを泳がせていたら、突然大きな当たりが伝わってきて、両腕をしびれさせます。

            

来たっ、よし来たぞ、何としても取ってやる、逃がしてなるものかと、まずは伸されて切れることのないように下流へついていくことにしました。川底の石が滑らなくて助かりました。ここの下流には急瀬や荒瀬が待っていますが、そこを何とかクリアして、左岸に寄せつつ下りました。上空の木の枝にも気をつけなければいけません。

ようやく下流のトロ場まで来まして、抜きの準備に入り、無事キャッチしました。いやあ参りました、びっくりです、その大きさに、でかさに。でかい!うわあ、うおおでかい!と思わず声に出してしまいます。

 

もしかして27センチはあるかななんて思いました。昔々ここで27.5センチの鮎を引き抜いたことがありました。いやあ、ほっとしました。心臓はバクバクです。やったー、ヤッターです。帰宅しての死後実測では25.5センチですか。残念ながら27センチはなかったです。

 腹のひれにかかっていたからよかったのかなあ。背掛りだったらどうなっていたことやら・・・。これが午後5時前でした。この大きなオトリを使えばよかったのかもしれませんが、大事に保管しておいて、別の養殖オトリを取り出して同じようなところを泳がせます。

 

そしたら、10分もしないうちに ”ゴンッ” というあたりがありました。うん?これは大アユのあたりじゃないか、もしかして。  少し竿を立て気味にして、糸を張らずに様子を見ました。そしたら目印が前後左右に動いています。これは掛かっている。そう自信を深め、何としても仕留めてやると心に誓いました。

 

竿を上流側に立て、伸されないように注意して、そんなに下がらなくても何とか引き抜こうと思いました。最初のうちは目の前でのやり取りでしたが、岩盤底の急瀬を横切るときに流れに乗られてしまい、もうどうしようもなくなりました。

 

それでついて下りましたが、荒瀬に入ったところでばれてしまいました。感触としてはこれもかなり大きく、しかも背掛りのような感じがしました。抵抗感から。 あ~あ、巨鮎2匹目は目の前でパーとなりました。その後も粘ったのですが、追いはありませんでした。

でも、1匹とはいえ掛かったので満足です。メスですか。

 

 

 


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暑いですが、

2020-08-26 13:59:58 | 思いつくまま

 

いやあ、もう8月も26日ですか。来週の今日はもう完全に9月になっています。9月ですよ、9月、長月です。こうして8月を振り返ると、8月葉月は本当に暑かった。河原の草葉までも萎(しお)れるくらいに暑かった。お見事!天晴!と褒めてやりたいくらいです。

 

9月というと、もうあと4か月で2020年・令和2年もお仕舞ということです。いやあ、全く持って信じられないくらいです。今とっても暑い、こんなに暑いのにあと4か月で、いつしか涼しくなり今度は逆に寒く、寒くなるのですよ、ご同輩。

 

こんなことありですか?!何という季節の巡り合わせ。でもうまくいくのでしょうね、それこそ”自然”に。7月は長い梅雨が続いて、全く持ってパッとしない天気、7月らしくない天気だったように思うのですが、正直あてになりません。

      

 

今朝がたの外気温はとっても涼しかったです。窓から入ってくる風は、薄い毛布一枚で寝ている身にはいささか涼しすぎる感じで、縮こまって寝ていましたが、朝の信じられないような冷気はほっとしてうれしいです。

 

でも涼しかったのは朝の7時過ぎころまでで、その後はいかにも暑い8月らしく気温は上昇しまくりです。今午後2時過ぎですが、目下の最高気温は31.2度です。お昼に午後0時7分の記録です。やはり朝5時は22.8度とかなり低かったですね。

 

涼しかったと言えば、きのうの夕方久しぶりに気分転換もかねて河原を歩いたのですが、結構風もあったからかとっても過ごしやすく、気持ちよかったですね。さわやかな風を体に受けて、川面を見ながら上流へ歩くというのもいいものです。ついついというか思わずというか深呼吸したくなります。実際にしています。

 

そういえばもう朝夕はコオロギが主体となりつつある感じですね。夏から秋へと季節は移ろっているということです。心なしかセミの鳴き声も元気がなくなってきているというか、まあ数も少なくなっているので、セミの合唱にも力がなくなりました。

ここにアユはいないのでしょうかねえ~、本当に。下流の澱橋橋脚の前後にガラガケの人が二人竿を振っていました。タフですねえ。

そういえば、このところカモもサギもカワウも姿を見ていません。カワウはもうこの辺の鮎を食い尽くしたのでどこか別のところへ出張しているのでしょうか。

 

今朝の河原の散歩のときに見つけた昆虫等です。

 この蝶はなかなか落ち着いてくれません。

           

 クマバチ。大きいです。

                 

よく見てください。何だと思いますか? 下の写真を見ればわかるでしょうが。

           

そうです、亀です。甲羅が傷だらけの亀です。このカメは、大雨の後下の方の雨水口の水たまりにいた亀です。だから見た記憶がありました。分流の方にきて住み着いていたようです。

シオカラトンボでしょうか。

      これは雌のようです。 

バッタも暑いでしょうねえ。ましてやこんなアスファルトの上にいては。

     


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がっかり、残念

2020-08-25 13:48:12 | 思いつくまま

   

   

なんかきょうはとっても過ごしやすい感じの一日となっているような、なっていないような。ただ、いつもよりも風があり、その風も今のところ熱風には程遠いので、気持ちがいいくらいでした。

   

でも、まあこれからどうなるのかは分かりません。今は午後1時50分、これからまだまだ暑くなりそうな感じもしますので、どうなりますことやら・・・・。でももう最高気温は30度を超えているのですね。でも とか まあ とか、私の好きな接続詞?ですね。

 

午前11時10分に30.1度を記録しています。午後1時で29.7度ですので、30.1度を超えるのではないかなと思います。 きのうの午後、そういえば雨が降りました。ほんの一時的な雨でしたが。

      

河原の緑地帯はクローバーとかの草でおおわれているのですが、雨が降らず、熱暑が続くので可哀そうなくらい乾いています。枯れているような草もあります。実際は枯れてはいないのですね、雑草(という草はないのですが)は逞しいですから。

 

  (最後の掲載の1P)

以前に私の愛読書に週刊少年ジャンプをあげたことがありますが、この頃は急に面白くなくなってきました。そろそろ卒業なのかな、なんて思ったりして。毎週どれくらいの作品が掲載されているのか分かりませんが、少し前までは読みごたえがあるものが5作品くらいはあったかな。

          (最終P) 

それが、いつしかいろいろと入れ替わり、少年向けの週刊マンガで人肉食(とは言っても鬼が人間の子どもを食用としていたのですが)を取り扱った「約束のネバーランド」も終わり、この頃は「アクタージュ act-age 」が一番だったのですが、それも先週号で打ち切りとなってしまいました。

         

新聞のニュースを読んで知ったのですが、原作者のセクハラ行為があり、逮捕されたからのようでした。なんでも自転車で後ろから追い越すときか、女子中学生の胸を触ったからのようでした。

夜凪 景という女子高校生が主人公ですが、演劇の天才なのでしょうが、それでも演技に対する思い入れというか打ち込み方は想像を絶するものがありそうやって一つひとつ克服していく姿が楽しみだったのですが、それがいいところで連載ストップとなってしまいました。

  (主人公 夜凪 景) 

ガッカリ、残念どころではないですね、私に成り代わって演劇に打ち込む彼女に自分自身を投影させていた?だけにショックでした。なんてアホなことをしたのでしょう、原作者は。マツキタツヤの大バカ者!!

少年ジャンプと言えば、いまやけに流行っているというか ”鬼滅の刃” ですか。社会現象にさえなっているようですが、個人的には、最初にすんなりと入っていけなかったのか、とうとう最後までファンになることはなかったです。 第一印象が大事ですからね。

      


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雨が欲しい、広瀬川

2020-08-24 13:46:25 | 思いつくまま

おとといきのうと仙台では最高気温は30度を切り、29.9度と29.7度となっています。でもまあほとんど30度といっても間違いじゃないですね。きょうは、今は午後1時50分ですが、目下の最高気温は30.3度で、午前11時21分の記録となっています。

       

さすがにもう35度前後の気温はなくなったのではないかとおもうのですが、どうでしょうか。自然は人間のすきを突いてくるからなあ。広瀬川も小国川のような水量があり(それでも減水気味ですが)、川に中を歩くと鮎が散らばる、逃げ回るという現象がみられるような川であったら最高なのに・・・・。

絶対にありえないことを考えても、願っても詮無いことですが、そこは煩悩の塊のような私としてはついつい祈ってしまいます。広瀬川は雨が欲しい!!雨らしい雨はさっぱり降りません。降るところにはドバっと被害をもたらすくらい局地的に降っているのに。

      

このままもしもいったらもう広瀬川はお仕舞ですね。ひと雨ふた雨ほしいところです。川を、川の中に棲む魚を生き返らせてほしいものです。

 

そういえばきのう元気者の集まりのようなことがありました。澱橋の上下を使ってのカヌーです。いまはどういうのか知りませんが、仙台カヌー協会とかいうカヌーの団体があったような気がします。きのう澱橋左岸に車がいっぱい集まっていました。

 

 

 

 

ずいぶん小型のカヌーのようですが、気持ちがいいでしょうね。

 

たくさんの人が漕ぎ出すのを撮りたかったのですが、なかなか入らなかったので、一人だけの写真となりました。過去には上流域からカヌーが複数流れてきたことがあったですね。釣りをしているところにやってきて、恐縮していたことがありました。

 

これが昔々経験した最上川での船下りの船と鮎釣り師の出会いとかだったら絵になったのですがねえ。船頭さんの最上川舟歌が聞こえるくらいお互いの距離が近くなり、遊覧船観客と手を振りあうなんてもう夢物語そのものです。

 

 

今思い出しました。22日に小国川へ今年初めて行ったのですが、そのときに若いお父さんと男の子の親子連れが投網のようなものを持って川にやってきました。経壇原でしたが、ここは投網OKなのですかと聞いたら、一関大橋の上流は8月からOKとか言っていました。

 

しかし、投網とばかり思っていたのですが、網の操作を見て、これはもしかして刺し網というやつかと思い、聞いたら、そうだとのこと。この刺し網でおとりとなる鮎を捕ってから、友釣りをしようと思っていると言っていました。

 

その使い方が面白い?のです。大きな石を中心にして、そのまわりを刺し網でぐるっと一回りして、その円の中にいる魚を捕まえようというものでした。円周は10メートルくらいはあったかな。刺し網と言えば、流れに90度に渡して鮎を捕獲するものとばかり思っていました。

 

でも、掛かるのは小さい鮎ばかりで、それも網の目から逃げていくようなものばかりと笑っていました。

 

 

そういえば、22日は76年前に沖縄から本土への子どもたち中心のの疎開船 ”対馬丸” が米軍の潜水艦により魚雷攻撃を受けて沈没した日でした。生き残った引率の教師は自責の念から長いこと沈黙を守ってきましたが、晩年に事件を語り始め、短歌を作っていたそうです。朝日新聞に大きな記事が載りました。

新崎(旧姓・宮城)美津子さんです。事件当時(1944年)24歳だったそうです。新聞に紹介された短歌をみなさんと共有したいと思います。

『子供等は蕾のままに散りゆけり嗚呼満開の桜に思う』

『さんざめく子等を乗せたる対馬丸我が目の前で魚雷命中す』

『親を呼び師を呼び続くるいとし子の花かんばせの命の惜しき』

『いつまでも消ゆることなき少女らの声「宮城先生…」と細りゆく声』

『風化させじ短き命の尊さを語り部となり世にし伝えん』

乗っていた1800人のうち1500人が死亡しています。大半は子どもです。でも戦中はもとより戦後も詳しい調査はされなかったとか。戦中は憲兵隊により箝口令が敷かれ、口外すると非国民扱いされたとか。


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嗚呼、今夏初小国川釣行!

2020-08-23 13:29:24 | 小国川

   

きのうは失礼いたしました。懐かしいですねえ、「お呼びじゃない?お呼びじゃない?これまた失礼いたしました。」クレイジーキャッツの植木等の定番一言。クレイジーキャッツ、よかったですねえ、「シャボン玉ホリディ」。30分の白黒番組でしたが、毎週楽しみでした。

 

本当に充実した、中身の濃いバラエティ番組でした。この流れはドリフターズにもも受つがれていたのでしょうか。志村けんなんかは番組をつくるときは本当に真剣そのものだったといいますからね。

 

クレイジーキャッツにしろドリフターズにしろ、安易なお笑いをつくることはせず、考えに考えこまれ、練りに練られた内容のお笑いをつくっていたのじゃないかと思います。そしてそのシャボン玉ホリディに欠かせない存在が、ザ・ピーナッツでしたね。

 

みなさん見ましたか、これで何回目になるのか、今回はBSテレ東製作でしたが、BS日本とかBS朝日とかでも放送していたように感じます。全く同じものではありません。内容はそれぞれに違ってはいますが、骨格はほぼ同じかな。まあそれは仕方がないことですが。

 

そのテレ東の「昭和は輝いていた」です。MCは武田鉄矢、それに中尾ミエや伊東ゆかりも出ていました。これに園まりも揃ったらもう完成品ですね。ザ・ピーナッツの身長は153センチ(姉)と152センチ(妹)だったそうですね。スタイルがいいからもう少し大きいかなと思っていました。

 

懐かしい歌が、懐かしい絵がいっぱい出てきて嬉しかったですね。デュオとしては、彼女ら以上の歌手はもう出てこないでしょうね。突然の解散はびっくりしましたが、沢田研二との結婚だったとは、当時びっくりでした。(三人組としてはスリーグレイセスですね。ハーモニーが素晴らしかった。)

 

その彼女らがクレイジーキャッツとの面々、特に植木等やハナ肇とのお笑いに挑戦する姿がとってもよかったです。格式張らずに何でもやるという姿勢がよかったです。昔のことを懐かしむ、確かにこれが歳・年をとったということなのでしょうが、そうであればそれで結構ですね。過去があるから生きていけるのですから、我々は。(一般化してすみません)

今朝の澱橋上流の広瀬川も。

 

きのう今夏初めてとなります舟形町の小国川へ行ってきました。町内の30代の若手を連れての小国川釣行です。天気は大丈夫だろうと思っていました。しかし山形県に入って北上するにしたがって曇ってきまして、霧雨が降り出しました。

彼はもちろん小国川は初めてでしたので、無料の高速道路を降りてから、チャイルドランド?から川沿い西に向かい、小国川の流れを見ながら上流を目指しました。水量は一目見た時から少ないなあ~と思い、個人的には嬉しかったです。

一関大橋に近づくにつれて車の数はずっと多くなり、でもその割には川に入っている釣り人は少なかったです。何か嫌な感じがしました、釣れないから入っていないのか、と。一関大橋の前後とその上流の経壇原を見て回りました。

オトリ店のS氏宅に着いたとき(8時15分くらいかな)は、いっぱしの雨降りになり、強まることはあれ、止むことはないような感じですらありました。ここで出会った(七夕のような年に1回会うか合わないかの釣り友ですが)同じ仙台の釣り友がいうには、セミ温泉の方はもっとつよかった、と。

彼の言う通り、雨脚はますます強くなり、これはやばいなあ~と思いましたが、ここまで来て引き下がることはできません。それに我々がオトリ店に着いたときは、おとり鮎を求めに来ていた車は道路にも溢れ、7台くらいもありましたか!!!

こんな光景は初めてでした。車を止めるところがなかったもので、長沢の堰堤を見に行って時間をつぶしました。それでも駐車中の車の数は減っていませんでしたが、道路の片側に駐車して待っていたら、川に向かう車があり、そのあとに駐車できました。

でもまたおとりを買うまでに時間が掛かりました。S氏が一人で大きな水槽を行ったり来たり、サービス精神も欠きません。そうしてようやく二人分の日釣り券(@1800円)とおとり鮎(@1200)を入手しました。そして向かった先は経壇原です。

二人とも河童ならぬ合羽(カッパ)を羽織っての釣りとなりました。雨はほぼ本降りかな。雨のおかげで?厚さならぬ暑さは全く感じません。逆にちょっと涼しいくらいです。今時外が涼しいなんて贅沢の極みのようですが、これから川に入って釣りをする身としては、雨には止んでもらいたいのが正直な気持ちでした。

経壇原には下流と放流の方に二人くらいずつの釣り人が入っていました。私は上流の方へ向かい、そこから釣り下ろうと算段しました。水量は個人的にはちょうどいいくらいの水量で、急瀬や荒瀬でなければ右岸にも上がれそうでした。濁りもなく、ハミアトはいっぱいあります。水中糸はフロロの0.25号でスタートです。

9時20分から釣りスタートです。おとり鮎は中型の鮎とおまけ?の小型の鮎とからなります。中型の鮎をおとりにして、一応セバリをつけてやや水深のある早瀬へ導きました。何分経過したか、なんかおかしい?という感じで竿を立てたら、掛かっていたというものでした。だから大きくはありませんが、追星はまぶしいくらいです。

 

2匹目は少しだけぐぐっと手ごたえが伝わってきました。確かにかかったという反応があり、引きと引き抜きを楽しみました。慎重になるとどうしても伸され気味になってしまいます。悪い癖です。2匹目も中型か。10分くらいで2匹の釣果です。幸先がいい!!

  

その後は少しずつ釣り下り、右岸を狙ったり、急瀬にいれてみたり、幅広く探りつつ釣り下りました。3匹目からは結構いい型の鮎が掛かってくれました。小国川にしては大きいと言っていいのじゃないでしょうか。しかも背がかりが多く、瀬で掛かるもので引き抜きのスリル感がたまりませんでした。

      

下流で竿を出していた町内の初心者も瀬で大きい鮎を掛けたようで、引き抜こうとするのですが抜けません。寄ってきます。おとり鮎と掛かり鮎の姿が見えたりもするのですが、背がかりなため余計に抜くのが大変なようです。でも無事キャッチしました。

そんなこんなで2時間20分弱の間に私は12匹も掛かってしまいました。もう大満足です。最高の水量、きれいな流れ、豊かな自然、(そうそう10時頃からセミの鳴き声が始まりました、するとしばらくして雨も小やみになってくれました。)なんといっても追星のくっきりしたきれいな鮎、夏の鮎釣りの環境が整いました。

 

その後は暑すぎるくらいになりましたが、たくさんの釣り人と夏の鮎釣りを楽しむことができました。やはりたくさんの仲間が一緒に川に入らないとつまりません。さみしいです。夏の鮎釣りはみんなで盛り上げないと、盛り上がって行かないといけません。

  

その意味で天気は最初の頃こそ悪かったですが、たくさんの鮎釣り師と鮎釣りを楽しめたのはよかったです。初心者も3匹掛かりましたし。

 

 私の午前の釣果です。お取込です、ではなく、オトリ込みです。いい眺めですね。

 

初心者はこの一番大きい鮎を掛けました。↓

 

 午後からは長沢堰堤下流に入りましたが、釣り人が多くて入るところがなく、細長い中州の向こう側の急瀬に入りましたが、ここにはアユはいない、鮎は薄かったです。だから釣り人がいなかったのでしょうね。ここでは根がかり1回にその後1匹掛けましたがそれでもう限界。

午前中からでしたが、右腕のテニス肘、もう重苦しくて竿を持つのがとっても苦しかったです。だから集中力も薄くなってしまいます。早めに切り上げました、私は。  初心者はここでは掛からず、経壇原へ。なんとしてもここで2匹追加して、5匹 としたいという強い希望がありました。

私は早々と着替えて、大石に座って彼の釣りを見ていました。3時過ぎに小型の鮎が掛かったのに、途中何度もバウンドさせてしまい、痛恨のバラシです。でもその10分後くらいに言い方の鮎を背掛りでとりました。

こうなるとさっきのバラシがとっても悔やまれます。その後ずいぶんと粘ったのですが、ついに掛からず午後4時過ぎについに納竿しました。

 

帰りに産直の店でももをいっぱい買いました。傷物もありましたが、私にはそれでいいのです。家では皮をむいて切って、シロップ付けにします。そうするといつでもすぐに食べられます。10個以上で680円だったかな。

そういうわけで、うちに帰りついた時にはもうへとへとでした。去年と今年ではこんなにも体力差があることに愕然としました。この分ではひとりで釣りに行けないではないか!? 小国川なら午前中の2時間くらいの釣りが限界かな・・・・・・・。

 

例によっていつものように?長くなりました。読んでいただきましてありがとうございます。

 


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ここは、何処?

2020-08-22 22:38:07 | 思いつくまま

もうくたくたになって帰宅し、夕食後2時間の夜寝。そしてひと風呂、写真の加工取り込み、・・・・、それでアップが遅くなってしまいました。眠い!

 

 

 

 

 

以上は午前中、以下は午後です。

 

 

 

 今日はこれにて失礼いたします。


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もう、もう、もう

2020-08-21 16:30:51 | 思いつくまま

 

いったいいつまで続くこの猛暑。もういい加減にしてくれ!と何回も言っているのに、神様は聞いてくれません。土・日と少し下がって、また月曜日から猛暑が続くとさっきラジオで気象予報士が言っていました。

 

本当に雨が降りません。広瀬川は、分流は干上がっています。伏流水状態です。涼しい1階から2階に上がって来るのが少々?いやかなり億劫となっています。2階は扇風機だから、外から入ってくる風だけだから。

      

夜というか早朝、窓から入ってくる外気はかなり涼しくなりました。下手をすると風邪をひくかもしれないくらいです。変な話し、縮こまって寝ています。それでいて汗をかいているのですから、何じゃこれはと思ってしまいます。

そういうわけで、2階に上がってパソコンに向かうのは辛いのです。ましてやいろいろ考え悩みながら書こうとするものならもう大変です。体だけでなく、頭の中暑くなってしまいます。  こうやって予防線を張って早く切り上げようとしているのです、お分かりでしょう。

       

それで少しでも涼しさを感じてもらうように、そういう写真を中心に集めてみました。

水温もぬるく、体を沈めたら気持ちいいだろうなあと思わずにいられません。

      

 そしてけさも例の二人のガラガケ師が竿を振っていました。感心します。よほど掛かっているのでしょうか、もしかして。

 本流と分流の合流点の下流左岸ヘチの様子です。

たんにカラスが1羽と思うかもしれません。でも2羽のカラスなのです。どう見ても川に入って水と遠慮がちに戯れています。

     

真っ黒なカラスはことのほか暑いのでしょうね。

以下は昆虫です。

         

 トンボとかセミはなかなか捕まえられません。まあトンボは根気よく後を追えば、どこかには止まってくれますが、セミはこの木で鳴いているなと思っても、なかなか姿を見せません、というか見つけられません。それだけに見つけられるとうれしいです。

 

 でも今度はなかなかピントが合わないのです。そのうちに啼き止んで飛び去るということになりますし、とくにツクツクはヒトの気配に敏感で、すぐに鳴くスピードが速くなって、旋律も乱れます。

こちらには鳴くのを邪魔する気はさらさらないのですが、その気持ちが伝わりません。さみしいですね。カモにもときには伝わっているなあと思うこともありますが、大半は伝わりませんね。

                      

今河原の草地で一番元気なのは下のバッタ、キチキチバッタではないでしょうか。まあ歩く耽美に足元から飛び出します。私はでかいショーリョウバッタが好きですが。そういえば昔いたトノサマバッタは全く見ませんね。

 

 

毎度毎度の写真も最後にアップします。

 

      

 

      

 

 暑い、とにかく暑いです。

 健康に注意しましょう。水分だけでなく塩分もとっていますか。私は猛暑が続くようになってから、意識的に梅干を食べるようにしています。塩分補給です。しょっぱいけどうまいですね。普段は全く食べてはいないのですがね。


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また、ぶり返して

2020-08-20 14:31:47 | 思いつくまま

 

 (おとといのアブラゼミです。たぶんメスです。いっぱい卵を産んでほしいのですが。)

一昨日きのうと最高気温が30度ちょっとまでしか上がらなかったのですが、きょうはものの見事に暑いです。8時には29.0度まで上がり、9時にはとうとう30度超え(31.3度)でした。朝から雲一つない青空でしたね。

       

 (今朝のミンミンゼミです。木の幹というよりは小枝を渡りながら鳴いていました。普通声はすれども形は見えずなのですが、見つけることができました。)

 

きょうも交差点での朝の見守りに立ったのですが、まともに日差しを浴びると暑いのなんのって。歩行者用信号が青になったら、日差しをまともに浴びる横断歩道に出て、止まれになったら、日陰に入るということの繰り返しでの45分でした。

 

今午後2時半過ぎですが、今までの最高気温は33.9度です。午前11時46分の記録です。そして広瀬川の水量は順調に?確実にじわじわと減ってきています。川に入りたい、竿を出したい、とは思うのですが、この日差しと温度をみたらその気力がうせてしまいます。

 

中学校の3年生はきょう実力考査があるはずです。いやあご苦労様です。来年の高校入試は待っていてくれませんからね。そこいくと中学2年生は明るくて屈託がないというか、まだ高校入試がやってこないからか全体の雰囲気がパッと華やいで見えます。

 

 

15日に放送されたNHKの「太陽の子 Gift of Fire 」見ましたか。先月か先々月に自死した三浦春馬さんも飛行として出てきましたね。京都大学の原子物理学研究室での原子核爆弾の研究に従事する若き研究者たちの群像が描かれていました。

 

このドラマの中での三浦春馬さんの演技は光っていましたね。新聞の「記者室」を書いた守真弓という人は、「「俺だけ死なんわけにはいかん」とむせび泣く場面は鮮烈で、改めて三浦の早生が悲しい。」と書いていました。いろんな能力を持ち、いろんなことに挑戦していたのですね、彼は。

 

広島、長崎の次は”京都”だと、ドラマの中では語られていましたね。いったんは候補にあがってすぐに除外されましたが。

 

原爆に関して、以下は「まいどなニュース」からの記事です。2020/07/25からの引用です。本当なのでしょうか?全く知りませんでした。用意周到な米軍のことですから、模擬原爆の実験投下もさありなんです。東京大空襲だって、周到な準備を経て実施されたわけですからね。

 

知っていますか「模擬原爆」のこと…広島・長崎の前に、日本各地で投下訓練 大阪に今も残る被害の跡

広島・長崎が人類史上初の核攻撃を受けた日から、今年で75年。原子爆弾が投下された日は日本人なら誰もが知っているが、その約2週間前から、米軍が5トン爆弾を使って原爆を投下する訓練を日本上空で行っていたことを知る人は、意外に少ないのではないだろうか。

単独で飛来したB29

大阪市の南部に位置する東住吉区は当時、都市の中心部から離れた農村地帯だった。そのため空襲による被害は、市の中心部に比べると軽く済んでいる。

この地に代々住んでいる古老は、「防空壕は一応つくってありました。夜間の空襲なら、防空壕に入るより、畑に出てじっとしてるほうが安全でしたな。畑には灯りがまったくないから、攻撃を受けへんのです」と話していた。

しかし、このあたりの地域がまったく無傷だったわけではなく、南港通りから南側一帯には大きな被害を受けている。

昭和20年7月26日午前9時半頃、当時小学生だったOさんは、米陸軍の戦略爆撃機B29が、単独で大阪上空に現れるのを見た。

「空襲警報は鳴らんかった。空襲にしては様子が違うなぁと思っていると、パラシュートで何か落としてすぐ引き返していった。パラシュートの音かな? 風を切るゴーッという音が耳に残っている」という。

それは地上に落下する前に、空中で炸裂した。

社員寮が全壊して死者7名、重軽傷者73名の大惨事に

戦後に判明したことだが、Oさんが目撃したのは原爆の投下訓練で、米軍は5トン爆弾を「模擬原爆」として、シミュレーションをしていたのである。

東住吉区に投下された模擬原爆は田辺国民学校(現田辺小学校)の北側上空で炸裂。その真下にあった料亭「金剛荘」が全壊し、田辺国民学校も大きなダメージを受けた。

このときの被害は死者7名、重軽傷者73名、倒壊家屋485戸、罹災者1645人とされている。

模擬原爆が炸裂した直後の様子を、別の場所から見ていた人がいる。田辺在住のTさんで、Oさんと同じく当時は小学生だった。

Tさんはちょっと変わった現象を目撃していた。

「衝撃波っていうんですかね。それが道なりに走っていった跡でしょうか、こんなこともあるんだなぁと」

道路に沿って建てられている家に、衝撃波が反射しながら走った。その衝撃波で窓が割れる。ところが真向いの家の窓は割れておらず、その隣の家の窓が割れている。その繰り返しで、道路沿いに建っている家の窓が割れたり割れていなかったりという現象が、千鳥型に現れたという。つまり窓が割れた家は、衝撃波がぶつかって反射していった家ではないかと、Tさんは推測していた。

全国に49個、1日に4個落とされた都市も

模擬原爆の投下は7月20日に始まって、終戦までに北海道を除く全国に49個投下(海中投棄1個を含む)されたことが分かっている。8月14日には愛知県に2回投下され、うち春日井市にはいっぺんに4個も投下された。これもシミュレーションだったとすれば、終戦が遅れていたら3個目の原爆投下があったかもしれない。

東住吉区の爆心地から約200mのところにある恩楽寺は当時、本堂の背後から爆風を受けて、わずかに傾きが生じた。それが現在も、そのままになっている。ここでは毎年7月26日に「7.26田辺模擬原爆追悼実行委員会」の主催で追悼式が行われる。

模擬原爆資料館(恩楽寺のWEBサイト内に設けられたホームページ)

https://www.onrakuji.com/%E6%A8%A1%E6%93%AC%E5%8E%9F%E7%88%86%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8/

(まいどなニュース特約・平藤 清刀)2020/07/25 16:30

 

    

 

今朝もいました、釣り人 


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今日から授業再開、

2020-08-19 14:02:04 | 思いつくまま

あついです、きょうも。でも毎正時の気温を見ていると、そんなに上っているというわけではないのです。まあそれでもお昼前に31.0度を記録していますが。31度くらいならまだかわいい範囲ですか。

 

朝方の外の空気は割と涼しかったですね。というか外の空気のわりに薄着しすぎたというべきか、朝起きたら鼻水が止まらない。それはもう見事にいつも鼻水が流れてきます。勝手に出てくるのです。勝手に垂れてくるのです。これには参りました。

  

それでお昼に鼻水用の市販薬を飲みました。でもまだ効いてはいません。いや少しは勝手に流れてくる度合いが遅くなったかな。朝5時の気温は23.7度で、10日の23.1度以来の低い記録です。

 

きょう19日は実母の月命日です。お盆にもお墓参りには行きましたが、きょうも午前中お寺に行ってきました。ほとんどすべてのお墓に花が生けられていますが、ほとん枯れています。そりゃそうですよね、これだけ暑い日が続けば、花も萎れるどころか枯れていきます、ドライフラワーどころではないです。

 

そして気がついたのですが、鳴いているセミはずべてツクツクボーシでした。これも珍しい。今朝がたの河原のセミは、ミンミンとツクツクの2種類でした。アブラゼミはもう聞かれませんね。前にも書きましたが、今年のアブラゼミはどうしたのでしょうか?数が極めて少なかったような気がします。来年はそういうことのないように願いたいです。

 

そしてまたきょう19日は市内の小中学校等の授業再開日です。短い夏休みはきのうで終わりました。8月8日から18日までが今年の夏休みでした。小学校の新一年生は、短くても別に不思議には思わないのではないかなんて思っていましたが、ある2年生曰く、でも幼稚園等での夏休みは長かった、と言っていまして、なるほどなと感心した次第です。

 

今朝は小中高校生たちはみなさん、元気に登校していきました。こんなにもたくさんの子どもたちがいるのかとびっくりするくらいでした。見慣れているはずなのに、なぜかそんな気持ちになりました。もちろん、月曜日ではないですが、きょうから登校ということで、そうです、荷物はいっぱいです。

 

そうそう、今朝初めて見ました。小学生の一人が傘を差して登校していました。小学校4年生くらいの男の子でした。そもそも男性の日傘姿をほとんど見たことがないのですが、子どもの日傘姿を見て、これも時代か、変われば変わるものだと思った次第です。

 

まあどちらかというと夏休みは短すぎるという声が強かったかな。おばあちゃんの新潟へ行ったり、キャンプをしたり、山形しか行けなかったとかいろいろ聞けました。信号待ちのときに、結構水筒の水を飲む子どももいますね。

 

水筒の水がなくなったら学校の水道の水で補給しているのだと思うのですが、午前中に聞いていたラジオでは、水筒のほかにペットボトルを1本持ってきてほしいと言っている学校もあるようですね。そしたら荷物がますます重くなってしまいます。

 

澱橋下流左岸には今朝も二人の釣り師がいました。左岸陸地からガラガケの竿を振っています。タフですねえ。

 

 

【私の忘備録から】

武蔵野線東大泉駅付近から程遠からぬ路上に馬鈴薯が何百俵も山と積まれてある。何日も放つてある。供出の薯(いも)だが輸送力がないので止むなく雨晒しにしてあるのださうだ。都会では食糧が不足してゐる。それだのに、農家が汗と土に塗(まみ)れて供出した薯は腐るにまかせてある。何といふ馬鹿な話。・・・。「食糧も兵器」といふやうな標語を掲げたのは結構だ。しかし、標語だけでは戦争にならぬ。・・・。要するに局に当るものがほんたうに戦争をしてゐない証拠だ。こんなことでは勝てないぞ。(「あの日 あの時」1944年(昭和19年)8月26日 武蔵野生寄さん 8/15)

 

私にとって、戦争は自分が死ぬまで終わりません。海軍に行ったのは国のためではない。家族のために自分が死ねば、日本が戦争をやめるのではないかと思ったからでした。・・・。どれだけ他の人のために生きる心を持つか。それが生きることの要ではないでしょうか。・・・。私が英語で一番好きな言葉は「after you」です。「お先にどうぞ」と相手に譲ることはお茶の心に通じる。・・・。人は心の中に田んぼを与えられています。そこに何を植え、どう耕し、成長させるかを考えることが大事。「田」に「心」をつけてみてください。「思」。それは思想です。親から与えられた心と言う田んぼをどう育てるかを考えてほしい。(千 玄室 「明日へのLesson」から 08/12)


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きょうは、と思ったが、

2020-08-18 14:50:01 | 思いつくまま

 

きのうまでは文句なしに暑かったですが、きょうはもしかして30度を切ってくれるのではないかと半分期待していました。そして、辛うじてそうなるかなと思っていたら、熱の神様は甘くはない、きょうも30度を超えてしまいました。

 

午前11時43分に記録した、30.1度が目下の最高気温のようです。過去の記録を見ていくと、過去というほどのことでは全くないのですが、仙台で10日以降最高気温が30度を連続して記録しています。きょうで9日目となります。※14日は29.5度でした。失礼しました。

 

今日はまだ8月の18日です。仙台市内の小学校等はきょうまでが夏休みで、あしたから学校再開です。明日の登校時間、子どもたちはどういう表情でやってくるか、楽しみです。みんな明るく元気に登校してくれたらうれしいです。こんなに暑いのにプールに入れないというのは何とも気の毒です。

 

まだ8月の中旬ですので、先の大戦や原爆にこだわってもいいですよね。8月はヒロシマの原爆投下、9日のナガサキの原爆投下、9日のソ連の中立条約を一方的に破棄しての対日参戦、満州や樺太での蛮行の数々、そして15日のポツダム宣言の受け入れと続きます。

 

ソ連の参戦については、長崎への原爆投下直前の8日深夜(日本時間)にソ連が日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦布告して参戦してきたということになります。そして、ポツダム宣言には日本の降伏のための「条件」が提示されています。以下、「ポツダム宣言を読んだことがありますか?」という本からの抜粋です。

 

主な条件;日本軍隊の無条件降伏 /  武装解除と復員  / 領土の占領  / 領土の縮小  / 軍国主義の除去  / 民主主義の確立 /  平和産業の確保 /  戦争犯罪人の処罰 

 

終戦の詔書(玉音放送)については、部分的にはみなさんご存じかと思います。

「戦局必ずしも好転せず」「敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻(しき)りに無辜を殺傷し」「斯くの如くんば、朕何を以ってか億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや」「惟(おも)うに今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず、爾臣民の衷情も朕善く之を知る」「然れども朕は時運の趨く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以って万世の為に太平を開かんと欲す」最後は「爾臣民其れ克く朕が意を体せよ」です。

あらためて全文を読むとその格調の高さ?というか古めかしさ、その世界の違い、古い漢字の使い方、文語文の圧倒的な質量感を感じてしまいます。

ソ連の宣戦布告文を読んだことがありますか。1945年8月10日11時15分、マリク在日ソ連大使が東郷外務大臣に手渡したと書かれています。布告文の日付は8日です。

 

(引用開始)「(日本がポツダム宣言を拒否(留保)したことから)従って、極東戦争に対するソビエト連邦に宛てられた日本政府の提案は、一切の基礎を失った。調停に関する日本の降伏拒否を考慮し、連合国はソビエト政府に対して日本の侵略に対する戦争に参画し、戦争終結の時期を短縮し、犠牲の数を少なくし、全面的和平をできる限り速やかに克復することを促進するよう提案した。ソビエト政府は連合国に対する自国の義務に従い、連合国の提案を受諾し、本年7月26日の連合各国の宣言に参加した。

 

ソビエト政府においては自国の政府の右針路が平和を促進し、各国民を今後新たな犠牲と苦難とから救い、日本国民をしてドイツが無条件降伏を拒否した後被った危険と破壊避けしめ得る唯一の方法と思惟する。

 

 (澱橋の下流のトロ場ですが、魚がよく跳ねていました。)

以上に鑑み、ソビエト政府は明日すなわち8月9日よりソビエト連邦が日本と戦争状態に入る旨宣言する。            1945年8月8日 」(引用終わり)

 

 (その後この人は鮎を掛けました。慎重にためて、寄せて草むらに引き上げました。)

言っていることと実際にやったこととの落差のなんと大きいことか!!文章自体はとても立派です。しかし、現実にソ連兵が日本軍・日本人に行ったことはいったい何ですか。あれだけ悲惨な目に合わせておいて、どう弁解するのですか。と強く問い詰めたいところですが、・・・・・。悔しいですね。

 


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いつまで続く、この暑さ

2020-08-17 14:11:30 | 思いつくまま

メキシコ市のサファリパークで生まれたアフリカゾウの赤ちゃんだそうです。名前はZOOMズームだそうです。

    

 

 

お昼頃だったかなニュースを見てびっくり、いや聞いたのかな(そんなこともはっきりしないのですから、これはやばいですよね!)、浜松市で日本一の最高気温を記録したとか。単独での最高ということではなく、2018年の熊谷市の記録と同じ 41.1度 です。

 

普通人間の体温は36.5度くらいですか。きのうの仙台は35.5度か、とても暑かったですが、人間の体温以下ではありました。41.1度というと、36.5度を4.6度も上回っていることになります。

 

どんな感じなのか、ちょっと想像もできませんが、やけどをしそうなくらい暑いのだろうとは想像できます。それでもちゃんと日常生活を送っているのでしょうから、大したものです、人間は。

 

今日の仙台は、目下のところの最高気温は32.7度となっています。午後1時54分の記録ですが、この分ではもっと上がりそうです。朝方までというか午前中の前半くらいまではこんなにも気温が高くなるとは思われなかったですね。曇りがちでしたから。

 

そして、きのうも書きましたが、とてもじゃないですが、川には入る気がしません。これが一時間以上も入れ掛り状態が続く、しかもでかい鮎の入れ掛りが続くというのなら躊躇なく竿を担いで川に向っています。

 

今ふと思ったのですが、こういう真夏の日中に露天風呂の温泉に入ったら気分いいだろうなと。思いついたのは小国川の鮎っこ温泉の露天風呂ですか。周りの山々がとってもきれいな小高い山の中腹?にありますので気持ちはいいものです。

 

またもう一つは、寒河江市の湯~チェリーかな。午前中寒河江川で釣りをして、午後からは近くの最上川で大アユを狙うというパターンが数年続きました。あの頃はよかったですねえ。鮎釣りも絶好調の時でしたか。こんなに落ちぶれてはいませんでした。

 

とくに湯~チェリー温泉は、一か所で3通りの温泉に入れたし、ここの露天風呂は広くて見晴らしがよくて、何しろ最上川が見えるのですから、鮎釣りをしているのが見えるのですから。それも今は昔。今その周辺の最上川はどうなっているのでしょうか。

 

 この上下の写真のちょうど真ん中に朝から高校生の男子、6人前後がやってきて、川に入って騒ぐのではなく静かに浸っていました。ひざ下くらいの深さのところに上下に一列に並んで、おとなしく川の流れに身を任せていたのです。

そういえばおとといも3,4人の高校生の男子がいたかな、その時は下半身を川に浸けていました。左岸ヘチに正座する形に縦に座り瞑想?するというか、川の水の冷たさに感動しているというか、とにかく静かに座っていました。

これが女子だったらこうはいきません。もうぺちゃくちゃ、騒がしいくらいとなってしまいます。

 

ごみを捨てていかないのであれば、川と戯れるのは歓迎です。

 

 今朝も澱橋下流ではガラガケの人の姿が見えました。きのうと同じ人のようです。タフですね。結構長い竿を振り回しているようですから、重いだろうし、大したものです。

 

ここまで書いてふと思いました。そうか、朝早くに、暑くなる前に川に入ればいいのか、釣れる釣れないは時の運、今年は運もないが早朝ならまだしもいいのではないか。いいというのは、釣れるということではなくて、暑さからまぬがれられるということ。

この時期早朝だから釣れるということはないだろうけど、でもまあそれはそれでいいか、と思えばいいのかも。もっと進めて、今夏のこれからの鮎釣りは早朝日差しが強くなる前に行うようにすればいいのでは、なんて考えてはみるのですが、空しさが漂いますね。


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