またきょうからあしたにかけて冷え込むようです。 車で測った外気温は3度から4度でした。
きょうも午前10時30分前後に河原を散歩したのですが、きのうと比べて水量が減り、かつ濁りも収まってきたのですが、肝心のサケの姿はそのときは見えませんでした。 心配です。まだお亡くなりにはならないでほしいから。もう一度元気な姿をカメラに収めたいものです。
きょうから冬至初候(22日から26日まで)です。 いよいよ冬至です。新月でもあるようですね。19年に一度しかないとか。 家ではお昼前に冬至かぼちゃはできあがってしまいました。 食べるのは夕食ですが。 私はあまいものが大好きなので、つぶあんの入った冬至かぼちゃは鉱物ならぬ好物ですね。
早いものです、20日の第九本番からもう二日も経ってしまいました。 毎日やることが結構あり、そうすると、こうして過去の出来事は早く早く過ぎ去ってゆき、その感傷にゆっくりと浸っていることもできません。
ではあっても今回はずぶの素人が一念発起しての”第九合唱”挑戦5年目(5回目)という記念すべき?ことであり、総括ということも兼ねて振り返ってみたいなとは思うのですが、きのうの続きがなかなか書き出せません。
こう書きながらどう続けていくか頭の中ではいろいろ考えてはいるのです。でも出だしがうまく浮かばないし、一連の文章としたいのですが、箇条書き程度のものになってしまうのではないか、その方が書きやすいかなとも思ったり、悩み苦しんで?おります。
きのうはステージに上がるまでのことを、過去を振り返りつつ書かせていただきました。きょうはその続き、いよいよ第九本番ということになるのですが、そのはずなのですが、書きにくいのはなぜでしょうか。 なぜかいままでのようにすらすらと手が動きません。
今回が最後だから何とか格好いいものにしたい、記念すべきいい文章を書きたいなんていう邪な考えを持っているからかもしれません。子どもに誇れるような名文をものにして有終の美を飾りたいなんて、一人思い上がっているのかもしれません。 でもそう思いますよね・・・。愚かしい人間ですから。
正装して最後の声出しを行い、先生の注意を受けましたが、最後の最後にハミングで4つのパートでそれぞれ違う音を出し合って、合唱は決して”吠えるのではない!”、みんなで同じ音を出し合うことが大切、””息を前に出す””ということが大切と言われて、4階の練習会場から地下1階へ階段を歩いて行きます。一生懸命歌うのはとってもいいことではあるのだが、それだけでは困る、どこかに客観的に自分を見る自分を置いておいてほしいとも言われましたね。 名前のある練習法のようですが、私は分かりません。 ただ4つの音が柔らかに一つのものになると、何とも言えない心のなごむ、落ち着くような音になるのですね。不思議です。
合唱団のひとりひとりそれぞれ思うものがあると思うのですが、いよいよという時を迎えて口数も少なくなって、ゆっくりと階段を下って行きます。途中から上手(バスとアルト)は右側へ曲がり、下手(テノールとソプラノ)はそのまま奥の方へ進みます。
午後3時頃に舞台下手へ。入場する順番に縦に整列します。 奥の人(一番高い段)から入場し、退場は一番前の人からとなります。 モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」序曲を演奏中です。 演奏が終了し、指揮者が舞台そで下手に退場してくると同時に、合唱団の入場が始まります。
私は男性陣の後ろから2段目、前からは3段目となります。舞台のほぼ中央付近(やや左手)で、少し左手には毎度のことですが、ティンパニーが控えています。 ティンパニー奏者は竹内何某さんで、仙フィルでは有名な人です。なんて言ったって、ベートーベンの第九の演奏になくてはならない楽器が”ティンパニー”です。
そうそう練習のときはメガネは掛けないのですが、本番の時はメガネをかけるようにしています。演奏が終わって客席が明るくなったときに、客席の人の顔が見えるようにかけているのですが、なかなか知っている顔には出会えません。 妻が来ているし、いろいろお世話になっている友達も来てくれていますので、探すのですが歩きながらですので難しいですね。
2番目に段上に上がってからは、客席の中でも妻が座っているはずの席の方に極力顔を向けて、いよいよこれからだ、そしてこれが最後だからよく見ておいてくれというメッセージを込めて眼差しを向けていたのですが、果たして届いたか、理解してくれたか・・・。
ご存知のように第九は第一から第四楽章まであり、全体で70分前後も掛かる長い交響曲ですので、最初から最後まで立ち通しというのは苦痛以外の何ものでもありません。 合唱団全員が入場してから、指揮者も入場し、我々は段に座ることになります。これが狭い、窮屈そのものなのです。一番前の人たちだけはパイプいすです。
そしてステージは照明が明るくて熱いのです。 するとどうなるか?そうです、どうしても眠くなってきます。 第4楽章が始まるまでいかに睡魔と闘うか!これが大変なのですね。いくら慣れたとはいえ、いままではどうしても睡魔の誘惑に負けそうになってしまいます。
とくに第三楽章ですね、これが始まるともう我慢も限界ということになるのですが、ところが今回はいつもとは異なりました。 そうそうステージで我慢することはもっとありますね。 あくびをしない、とくにくしゃみはしない、最初はこれが守られるのか本当に真面目に悩みました。 私は鼻が悪いのでしょっちゅう鼻水が出てくるので困るのです。朝に鼻水用の薬を飲んでおいたおかげで何とか助かりました。
くしゃみをかみ殺すというのも辛いものがあります。幸い今回はありませんでしたが。香水やオーデコロンとかは使用しないように言われていますが。いろんな匂いが混じったらくしゃみが出ないとも限りません。
今回は痰が絡みやすい状態だったので、何とかいつも通りに声が出るように祈りながら出番を待ったという次第です。 話しが逸れてきましたか、第三楽章です。 穏やかな響き、平安な響きのメロディが流れます。 第三楽章が始まる前に着飾ったソリストが入場してきました。
で、今回は全く眠くならなかったと言っていいくらいだったのです。じっくりと聞くことができたのです。こんなことは全く初めてといっていいです。 なんかとっても語りかけてくるものが感じられたのです。すんなりと受け入れることができました。うわあ~この感情は一体なんだと、新鮮な驚きで第三楽章を聴き終えました。
いまだから言えますが、斜め前の高校生は入場して座ってすぐに下を向きはじめたのです。つまり睡魔に襲われていたということです。 第一楽章から眠くなるなんて、またティンパニーのすぐ後ろなのに、ある意味大物かもと感心したりもしたのですが、まあ当然ずーと眠っているわけではなくて、眠くなって俯いたり、元に戻ったりの繰り返しです。注意しなければいけないほどでもないかと思いつつ見守っていたつもりです。
そしてついにやってきました、第四楽章、ティンパニーの嵐が。 それが起立の合図となっています。 バリトンのソリストから歌い出します。216小節から237小節までは独唱、238小節は前半がソリスト、後半は男声合唱の出番で、ともに Freude! Freude! (歓喜!)
笑顔で歌うように何度も何度も言われてきたところです。 いくら苦悩の英雄ベートーベンでも第九合唱は「歓喜の歌」です。しかめっ面でのFreudeは様になりません。 この最初の音がそれなりにうまく出せれば、あとはもう前に進むしかありません。やり直しはききません。
順調に進んで、いよいよGの場面、313小節です。ここの後半の und der Cherub steht vor Gott, steht vor Gott, vor Gott, vor Gott. (そして智天使ケルヒムは神の御前に立つ!)ここで一気に盛り上がります。最後のGottでは飯守先生は かなり以上に引っ張りました。 合唱団としても大きく盛り上がり、よしこれでイケるぞと皆が心をひとつにしたのではないかと、かってにひとりで思った次第です。
その後は Freude schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium・・・(歓びよ、美しき神々の火花よ 楽園エリジウㇺの娘よ・・・)
Seid umschlungen, Millionen! diesen Kuβ der ganzen Welt!・・・・(抱き会え、幾百万の人々よ!この口づけを全世界へ・・・) この二つの旋律が繰り返され、
そして、Alle Menschen werden Brüder, (すべての人間は兄弟となるのだ)これがベートーベンの言いたかったことと言っていいのではないでしょうか。
(終わりではありませんが、いったんここで投稿します。)
何というのかな、歌の途中で不覚にも泣きそうになってしまったときもありました。 ああ、これでお仕舞なのだ!もうこうやって晴れの舞台で歌うことはないだろう、そういう気持ちが湧いてきたら ヤバイ 感じになってきてしまったわけです。 折角きょうはいままで順調に歌ってきたし、過去においてこんなに上手く歌えたことはない、それなら最後まで歌い切ろう、感傷に浸っている場合ではないと自分に言い聞かせて歌いました。
今回で最後ということばかりではなく、もしかしてここに来てようやく少し、ベートーベンの言いたかったことが本当に実感として、体感として分かってきつつあるのかなと言う感動みたいなものも醸し出されてきたのかもしれません。
915小節から920小節へ、最終章です。 入るのが難しいところですが、すんなり入れるとあとは最後の ”神々の輝き(火花)” を称えて終了です。 Tochter aus Elysium,
Freude schöner Götterfunken! Götterfunken!
終わった!歌い切った!安堵感、まずはよかった、間違わないで最後まで指揮者を見て、指揮者の後ろにお客さんを見て歌うことができた! ホッとしました、何といっても、よかった、終わったという気持ちが最初ですね。
観客の皆様方の鳴り止まない万雷の拍手、これを1回経験したらやめられなくなってしまいました。(今回で終わりにします。中毒になる前に!) 還暦を過ぎてはじめて1500人くらいの観客の拍手を受ける、一身に受けるやったーという満足感、充実感、長い試練と言ってもいい練習の賜物、報われたあ~、これだこれ!これを味わうために今まで試練に堪えてきたのだなんて自分に言い聞かせたりもして、・・・
客席にもライトが点き明るい会場となります。 前の方の席の人の顔は見えるのですが、半分以降の人たちの顔はなかなかはっきりとは見えにくく、とくに知っている人の顔、妻の顔を探したのですが、居るはずの席の方をいくら見ても確定はできませんでした。
その間指揮者、4人のソリスト、そして我らが合唱指導の先生は何度も出たり入ったりを繰り返します。観客にお礼をし、我々合唱団には振り向いて拍手をしてくれます。仙フィルの楽団員の方々も我々に拍手を惜しみません。ありがたいことです。幸せ者でした、newoneは!
長くなってしまいました。そろそろ終わりにしないと。
4階の練習会場に集まっての解散式。ここにも飯守指揮者は来てくれまして、大いに褒められました。 合唱指導の先生からも、ボイストレーニングの先生方からも、練習のときのピアノの先生方からもお褒めの言葉を頂きました。当然、悪い気はしません。
でも何と言っても嬉しかったのは妻のたった一言、「よかった」よ、と。口も大きく開いていたし、表情もよかった、と。 5年前の最初のときは、まあケチョンケチョンに言われてしまったからです。 口は開いていいない、表情も硬い、と。 今回は本心から言っているように感じられたので、文句なしに、すんなり受け入れられ、納得しました。と同時に感謝しました。
それから午後6時からか、ホテルの地下のスコッチバー?を借り切っての打ち上げ会。盛り上がったのは当然でした。 外は雨でしたが、熱気ムンムンのなかの、あっという間の2時間でした。3時間ほしかったですね。
ここまで読んでくださいましてありがとうございます。 あなたの下にきっと”幸”がやってくるでしょう。