鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

今日の広瀬川(その3)おまけ

2007-04-30 22:56:31 | お知らせ

 (その1)からお願いします。

 ピン呆けの写真ですが、こうして上流側を写すととってもいい感じに見えませんか。大河には見えませんか。

 この岩盤の瀬に、一体どれくらいの鮎がいついてくれるのでしょうか。

 あと2ヶ月の辛抱ですが、今年の鮎釣りは『喜・怒・哀・楽』、どの釣りになるのでしょうか。

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今日の広瀬川(その2)

2007-04-30 22:47:12 | 思いつくまま

 (その1)から読んでください。(写真は、花を撮るために焦点をマクロモードのままにして撮ったためピンぼけとなっています。申し訳ありません。)

 

 写真は、その1の下流ですが、誰が作ったのでしょうか、小石を集めて円を作ろうとしたようです。このところは浅いので、親子で水遊びをしつつ、石を並べて、この中に魚を追い込んで捕まえようとでも考えたのでしょうか。

 残念ながら、ここの浅瀬には魚が見えません。まあ、魚を取ろうというよりも、単なる遊びでやったのでしょうが、私にとってはとっても懐かしいことです。もしかして、これをつくったのは同じくらいの年代の人かも、と思って嬉しくなったりもしました。

 

  Long long ago 昔々になりますが、私が子どもの頃は広瀬川にはオイカワが一杯いました。浅瀬に石を並べて直径3メートル前後の円をつくって、一箇所だけ約30センチくらい開けておきます。そうすると、周りを泳いでいるオイカワが集団で穴(入り口)から入ってきます。

 今考えるとどうして入ってきたのでしょうか。そういう習性があるのでしょうか。広いところで泳いでいればいいものを、なんでわざわざ狭い空間に入ってくるのでしょうか。わざわざ捕まえてくださいと言わんばかりに入ってくるのですね。

 何十匹か入ったのを確かめて、開けておいた入り口を網で塞いでしまいます。あとはその網に魚を追い込めばいいわけです。そうやってオイカワをバケツ一杯も取ったことがあります。それだけ当時は魚がいたわけです。

 今はオイカワにはお目にかかることができません。ハヤはいますが、オイカワはほとんどいなくなったのではないでしょうか。

 あの美しいオイカワのオスの姿にお目にかかりたいものです。


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今日の広瀬川(その1)

2007-04-30 22:21:17 | 提案・要望

 今日は振り替え休日、暑いくらいの一日でした。

 少し風はあったものの、上着はなくてもシャツだけで川原を歩けるくらいのいい天気でした。明日もこのまま行ってくれればありがたいのですが、午後からは曇ってきて、夕方から雨になるかもしれないとか。

 

 広瀬川は、平水よりは少し多いかなと思われる位の水量で、少し濁りあり。5月3日のニジマスの放流が楽しみです。

 河原では親子連れが野球やサッカーをやったりして、晴天のもと遊んでいました。

 

 犬を連れての散歩の人はたくさんいますが、この頃これは何だ??と思うことがあります。

 まず、犬に服を着せていること。これは犬にとって迷惑以外の何ものでもないと思うのですが。

 それと、犬をつないで一緒に歩くというのではなく、犬を抱っこして歩く人が多くなったなあと感じるのですが、如何なものでしょうか。


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今日の一日

2007-04-29 23:24:21 | 提案・要望

 今日はというか、今日もいい天気。そんな中うちの奥さんは、午後から一人でフルキャストスタジアム宮城へ、野球観戦へ行きました。

 私はテレビで時々見ていました。

 今日で、奥さんとしては2回目の観戦、応援となりますが、この前も今日も大差で、”楽天”は負けています。

 昨日ほどひどくはなかったものの、いいところで打てない病は重症です。ワンアウト満塁での山崎の三振は痛かったし、次の外国人の当りはライナーのいい当りだったけれどもセンター正面となり、あえなくスリーアウト・チェンジ。球場はほぼ満員の入りでしたが、応援空しく完敗でした。

 

 それに引き換え、”ベガルタ”はやってくれました。ようやくすっきりと、2-0で水戸を下しました。”札幌”も昨日勝っていますので、順位は変わらないでしょうけど、何にしろ負けないことはいいことです、と言っては失礼か、勝ったのだから素直に喜ぶべきでしょう。

 

 その間私は、5月3日のニジマス放流の準備をし、テレビを見、ツタヤにて初めてDVDを3枚も借りてきました。映画を見ようと思っていたけど、見られなかったものばかりです。

 ニコラス・ケイジの『ロード・オブ・ウオー』、『ホテル・ルワンダ』そして『白バラの祈り』で、さっそく、『白バラの祈り』を見ました。

 1943年の時点で、こういうナチスに対する大学生の抵抗運動があったんですね。

 

 抵抗運動と言うと、今日は「昭和の日」といわれるはじめての祝日です。去年までは「みどりの日」、昭和天皇がなくなるまでは「天皇誕生日」でした。

 ”山崎”・”抵抗”・”昭和”とくれば、思い出すのは【山崎天皇を撃て】という本です。映画にもなったはずですが、著者は奥崎謙三というもと日本兵で、山崎と言う人も日本兵でした。

 うろ覚えで恐縮ですが、奥崎という元軍人は、お正月の皇居参賀のとき、国民にあいさつするために皇居に並んだ天皇に向かって、山崎という戦友に成り代わって≪パチンコ玉≫を発射したものです。

 もう何年前になるでしょうか、30年以上も昔のことだと思いますが、こういうことがあったために、次の年から参賀の場所はガラス張りになってしまいました。主権在民、国民主権なのに、天皇は単に象徴なのに、国民と天皇の間にそれこそ目に見えない壁が築かれてしまいました。

 たったこれだけのために、パチンコ玉だったのに、天皇一家を隔離してしまったのは残念です。

 

 奥崎謙三元日本兵は、無念の死を迎えなければならなかった山崎に代わって、不条理かつ理不尽、無責任な戦争指導者、そのトップに君臨していた天皇の戦争責任を問うというものだったと思います。

 何もかもが曖昧なままに、水に流されてしまうかのように事実を究明しようともせず、だから責任を明確にすることもなく、あまつさえそういうことはなかったと強弁して憚らない、恥も外聞もなく無責任極まりない体制になってしまった日本、そういう国が独立国として、世界平和のために貢献するなんてことができましょうか。

 どうしてもそういう愚痴になってしまいます。

 そんな国が、安倍ごとき輩を首相とし続けて、憲法改正まで一気にやってしまおうとしている現状は恐ろしいとしか言いようがありません。

 救いは夏の参議院選挙で退廃している自民党を大敗させて、安倍を引退させることしかありません。

 

 でも、救いは天皇が靖国神社参拝をやめた動機が、靖国神社がA級戦犯を合祀したからだということです。よっぽど天皇の方がしっかりしている。アジア太平洋戦争についてもはっきりと反省しているようですし。


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アヒルと鴨の・・・

2007-04-28 22:50:40 | 提案・要望

 「楽天」、10-2で完敗。うまくいきません。

 といっては贅沢か?ここまで粘り強くなったのだし、着実に今までよりは強くなってきたのは確かですから。

 ここはあまり一挙手一投足?に浮かれたり、落ち込んだりしないようにして、静かに応援していきましょうか。

 

  そして、「ベガルタ仙台」はこのまま負け知らずに、勝つか引き分けだけでシーズンを終わったらどうなるのでしょうか??

 

 5月中旬、13日か、ほとんど仙台市か仙台市周辺でロケが行われた映画「アヒルと鴨のコインロッカー」が一般公開されます。

 タウン誌等によると、仙台周辺では結構映画のロケが行われているのですね。

 『半落ち』『千の風になって』『東京タワー』『フラガール』そして『アヒルと鴨のコインロッカー』。これから公開予定の映画としては、『自虐の詩』『実録・連合赤軍ー浅間山荘への道程』『SUKIYAKI WESTERN DJANGO』があるそうです。

 せんだい・宮城フィルムコミッションによると、昨年県内ロケに協力した映画は8件、テレビのドラマなどは21件もロケに協力してきたそうです。

 

 「アヒルと鴨のコインロッカー」に戻りますが、近々映画が上映されると言うことで、それに合わせて、街の書店では、原作者の伊坂幸太郎の本が前のほうに山積みされています。

 個人的には彼の本は一冊も読んだことがありません。旺盛な執筆活動をしているようですが、読んでみようかなという気にはなれませんでした。

 でも、今回初めて、東京創元社の文庫本を買って「アヒルと鴨・・・」を読んでみました。あまりに前評判がいいし、映画化が難しいと言われてきた「アヒルと・・・」を原作者も納得するような形で映画化したといわれているので、ついついというか、とうとうというか買ってしまいました。

 

  お昼休みを中心に読んだのですが、私にはきわめて平板な、盛り上がりのない淡々とした、しかし読みやすい小説だったとしかいえません。

 圧倒的なとまではいわなくても、感動らしきものはありませんでした。感覚が鈍いのでしょうか。不感症なのでしょうか。自分としては、そうは思ってはいないのですが・・・。 

 

 読みやすいとはいえます。すらすらと進みますが、ただそれだけ。いつの間にか最後となってしまいました。何?これでいいの?と自問自答してしまいましたが、致し方ありません。事実そうなのですから。

 ただ、よく考えられているというか、よく練られているストーリーだとはいえます。

 読み進むにつれて、納得していきますが、ただそれがあまりにうまく収まりすぎている、できすぎているという感じがして、いくら小説でもそれはないだろう、もっと理不尽なことというか、不条理というか、うまくいえませんが、そういうものがあってもよかったのではないか、というよりもあるべきではなかったか、そんなことを思ってしまいました。私の正直な感想です。

 

 この本を読んで感動した、映画を楽しみにしていると言う人に対しては、水を差すようで申し訳ないですが、私としては映画は見るつもりはありません。


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男はどうなる?

2007-04-27 23:10:20 | お知らせ

 テレビでは確か昨日の夜に放送されましたが、それと同じことは既に新聞に掲載されていました。

 

 4月17日の朝日新聞です。見出しは、「男児の出生率減少」「米大学調査 日米で70年代以降」というもの。

 記事の内容は、日米両国で70年代以降、男の赤ちゃんが生まれる率が下降傾向にあることが、米ピッツバーグ大学などの調査で分かったと。70年代の男女比を基準に試算すると、数字の上では過去の30年間に両国とも13万人前後の男児が女児になったことになるというもの。

 さらに、新生児のうち男児の割合は、日本では99年までの30年間で51.72%から51.35%に落ちていたという。

 

 何が原因かと言うことが気になるところですが、一番肝心なその説明は、いままでも言われてきた「環境中にあるなんらかの汚染物質が、男女を決める遺伝子に影響を及ぼしているかもしれない」というだけ。

 

 男性の精子の量が減少してきているということはかなり前から言われてきたことであるし、環境が遺伝子に影響を与えているのではと言われてきました。

 でもその時は割りとマスコミも騒いだと思うのですが、その後は何の報道もなかったのではないでしょうか。

 

 もともと生まれてくる男女比は男105-女100と言われてきたと思います。なぜ男の方が多く生まれるのかというと、女に比べて育てるのが大変だから、つまり生命力が弱いからだと聞いてきました。(新聞の記事では、30年前の男女比は51.72%-48.28%となり、女を100とすると男は107になります。30年後は、51.35%-48.65%だから、105.5-100となります。)

 生まれたときは男の方が多くても、20歳を過ぎる頃には丁度よくなり、その後は男の方が減っていく。

 どちらが長生きできるかと言えば、圧倒的に女の方であり、平気寿命では8歳くらいも差があります。(でも、その中身を見てみると、寝たきりになって長生きしているのが女ということがいえますが)

 

 染色体でいえば、XXの女に対して、男はXYです。大事な染色体はあくまでもXであって、Yにはほとんど何の重要性もないと記憶しています。染色体で大事なのはXで、Yはどうでもいいものであったら、その大事なXを二つも持っている女性に男が太刀打ちできるわけがないでしょう。

 男はもともと弱いのです。その弱い存在の男が環境の変化(悪化)の影響を、女よりも先に受けると言うのは当たり前のことで、身をもって女性に警告を発しているわけです。坑道の中のカナリヤです。

 

 女性の皆さん、男を大切にしましょう。いたわりましょう。

 

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あきれた!!

2007-04-26 23:26:02 | 思いつくまま

 政府は25日、集団的自衛権を研究する首相の私的諮問機関の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置し、柳井前駐米大使を座長とする懇談会のメンバー13人を正式に発表しました。

 この人選が、いくら私的な諮問機関とはいえ、結論が先にありきで、集団的自衛権の行使に反対する人は見当たらず、憲法解釈変更に前向きなメンバーを集めたとのこと。

 

 メンバーを見て、こんな奴を選ぶのかと、あきれてしまう人がいました。元駐タイ大使の岡崎久彦です。

 前にもどこかで書いたことがありますが、確か民放TV・日曜日の討論会に出ていたときの発言には開いた口がふさがりませんでした。

 『アングロサクソンは今まで戦いに負けたことはない。だから、黙ってついて行けばいいんだ』というようなことを、まじめな顔で言うもので、なんだこいつは!?と強く印象つけられました。

 そんな輩が、13人の中の一人というのです。朝日新聞の{主な懇談会メンバーの発言}のなかで、岡崎は「(集団的自衛権の)権利があって行使できないというのは解釈じゃないですから、バカを言っているだけですから、バカなことは言わないということでもって、いろんなことが解決します」(06年2月8日、参院国際問題調査会)、ということを言っていると紹介されています。

 これがまともな発言ですか。とてもまじめに物事を考えて発言しているとは思われません。

 

 ところで、ふと疑問に思ったのですが、こういう私的諮問機関の場合、それの予算、財源はどうなっているのでしょうか。税金を使うのでしょうか。首相のポケットマネーで負担するのでしょうか。機密費から流用するのでしょうか。メンバーの報酬はいかほどなのでしょうか。事務経費はいくら予定しているのか。

 今秋には報告書をまとめるということですが、こういう場合は、約半年間の必要経費もはっきりとオープンにすべきではないでしょうか。


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ケータイ

2007-04-25 22:56:14 | 思いつくまま

 今日の出勤時は小雨が降っていましたので、バスで出勤することにしました。

 用意周到にレインコートを着て、傘を差して市営バスに乗り込みました。7:42amのバス。大体は座れます。今日も二人掛けの椅子に座りました。

 

 前には立っている若者、大学生くらいの青年ですか、が立っていて、若者の定番?ケータイを使ってメールしていました。(今風に今にもずり落ちそうなGパンスタイルで、後ろ左のポケットには黒色の分厚い札入れ、財布が三分の二くらい入っていました。何が入っていてそんなに分厚いのか中身を見てみたい気がしましたが、それよりも何と無用心なことかと呆れました。車内が込んでいれば、ひょいと取られても気がつかないのではないかと心配になってしまいます。)

 バス等の車内では「携帯電話の電源をお切りください」というアナウンスがありますが、電話で話をしなければ、メールならいいのでしょうか?ペースメーカー装着者等に支障はないのでしょうか?

 いまふと思ったのですが、そういえばこの頃は車内での「携帯電話の電源をお切りください」というアナウンスはなくなったような、少なくとも一時期のように回数が多くはなくなったような気がしますが、私だけの感じでしょうか?

 

 少しして、また新しい乗客が乗ってきました。大体が若い男女です。女性はハーフコート等を着ていますが、男性はあまり着ていないようです。(雨の日にはレインコートを必ず着用する私なんかは、化石といってもいいのでしょうか?)

 その中に少し背の高い若い今時風の男性がいました。先ほどのメールしていた男性の後ろに立って、左手でつり革を握っていました。カバンを右肩にかけていたようです。

 よく見ると、つり革を握っている左手には、しっかりとケータイが握られているではありませんか。しかも、よく見られるストラップは一つもないのです。滑りやすいのではないですか。ケータイを握りながら、つり革に掴まっている。なかなか大変なことではないでしょうか。

 シャツかズボンのポケットに仕舞っておけばいいのにと思ってしまいます。(先ほどの男性はケータイをポケットにしまっています。)なぜ、そこまでしてケータイを放さないのか。そんなに大事なのか。そこまでしなければならないのか。

 

 私も携帯電話は持っています(動機はブログにも書いたように、徘徊老人だった母を捜すために、家族から持たされたものです)が、今はほとんど「不携帯」です。

 帰宅したら電源を切るし、職場では電源は入っていますが、引出しの中に入れている(電話がかかってきても、分からないことはしょっちゅう)し、ちょっと外出するときでもそのままにしています。

 ケータイに縛られるのが嫌だからです。ケータイはあくまでも非常用で、かかってくるのを待つのではなく、こちらからかけるべきものという考えです。公衆電話がないときに、ないところでも電話ができるようにと持っているだけです。

 ケータイでインターネットを見るつもりはまったくありませんし、カメラの機能は利用しています。ケータイで写真を撮って、パソコンに送信したりはしています。

 

 個人的なことはどうでもいいことですが、少し前の地元の新聞にもケータイを持つ若者に関する記事が載っていました。

 投稿という形で、「ケータイ依存の若者 ・・・24時間束縛 窮屈な日常」という記事です。便利な機器を持つことにより、かえって日常生活が不便というか窮屈になってしまう皮肉。

 

 高校の先生から聞いたということですが、「メールにはすぐ返信。うっかりほっておくと『無視された』と言われるし、絵文字をたくさん使わないと『よそよそしい』『冷たい』と思われる。それが不安で不安で、お風呂でも寝るときも気が抜けないんです」と。

 これが恋愛となるともっと大変で、「お互いに細かく縛りあっていないと不安になる」らしいです。

 「携帯を媒介とした束縛。それは、われわれの想像以上に窮屈で、生活の一部になっているらしい。」「束縛は愛情の証しだ」と思っている、と。

 そこから、「若い人たちを見ていると、束縛に対して鈍感な人が多いことに驚く。愛情と束縛の区別がつかないようだ」といい、「愛情は信頼と元気と勇気を与え合うこと、束縛(支配)はそれらを奪うこと」。「愛情と支配を間違えないで」と続きます。

 「デートDV・・・、暴力的関係の入り口に当たるのが、このケータイによる束縛なのだ」と。そこから、「信頼関係を築けずに、不安におびえながら相手の自由を奪っても不安はちっとも解消されない。・・・。人を信じることは、自分を信じていなければできないことだ。」と続き、「ケータイに返事が来なくたって大丈夫。そう思えるとずいぶん楽になるんだけどな。」と。

 

 本当に私もそう思います。”ノー ケータイ デー”を設けましょう!!!

 

 写真は、堤防の何とか木の花です。

 

 

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最期を信じて・・・(その6)

2007-04-24 22:44:52 | 思いつくまま

 前回のUPは、4月3日でした。ずいぶんと日が経ってしまいました。初めての方は、すみませんが、2月13日、3月8日・14日・16日・21日、4月3日と読み進んでいただければありがたいです。

 

 【平成12年(西暦2000年)】

(26)11月20日;

こんなにも生き生きとしておだやかな母を見るのは何ヶ月ぶりか

 

 こういうこともあるということです。確かにひどいときは、動き回り、ひとり言をいい、周りをいらいらさせますが、いつもそうとばかりはないということです。

 家族とはいえ、お互いに生身の人間ですから、悪いことがはるかに多いですが、たまには穏やかで周りにも迷惑を掛けない、いいときもありました。家族一同ニコニコです。とはいっても、今日はたまたまで、あしたはこうではないだろうなと内心思っていたはずです。

 

(27)12月17日;

母連れて桜ヶ丘はポカポカで話は弾む母と○△ちゃん

 

 桜ヶ丘は家から車で30分弱で行ける、私の従姉妹の家です。従姉妹とはいっても、私よりかなり年は上で、話は母とよくあいました。母親は私の父の姉となります。

 昔から親しく行き来していましたので、お互いに”ちゃん”づけで呼び合う中です。

 桜ヶ丘の家は、高台というか丘の中腹にあり、前には何も遮るものがないので、日当りは抜群で、天気がよければ暖房はいらないくらいです。

 母から見たら、義理の姪にあたることになりますか、私の知らないことでも結ばれていて、昔話に花が咲きます。だから、家族としてもなるべくそういうところに母を連れて行こうと、それなりに努力してきたつもりです。

 

 よく言われるように、痴呆性老人は昔のことはよく覚えています。そして、いつも一緒に居る家族には平気で?悪態をついたりするのですが、家に来たお客さんやこちらから出かけて行って会う人に対してはとてもまともに対応するのです。

 よく我々家族は、そのギャップに愕然と?したものです。

 

(28)12月21日;

じわじわと母の痴呆はひどくなり一人会話と幻覚幻聴

 

 突然返事をしたり、コタツから立ち上がって玄関に向かったり、誰もいないのにおにぎりをつくったりした話しは、(23)の短歌の紹介にあるとおりです。(4月3日の分です)

 

(29)(30)12月27日;

進む痴呆朝から夜まで独り言嘆き泣いたり自分を恨む

家に居て帰ろうと言う母の家何処に行きたい何処が生家

 

 独り言を言う場合でも、二通りあり、普通に昔なんかの思い出を話す場合と、自分の境遇を嘆き悲しむ場合とがあります。

 前者の場合は、本当に淡々とほとんど抑揚のない語り口ですが、後者はそのものずばり、自分のことを嘆き悲しむ場合で、「なんでこうなったのか」「死んでしまいたい」というようなことを叫んだり、この時はまともになっているのかなと思うこともありました。

 

 「家に帰る」ということは、しょっちゅう言っていたことで、特に夕ご飯の後にそういう行動に出ることが多かったです。

 玄関までは行けますが、玄関のカギは2箇所かけていますので、自分ではなかなか開けられません。玄関で靴を履いて、粘るわけです。家に帰してくれと。

 ここで長いときは1時間以上も粘り続け、お互いに醜い言葉の応酬をしたりしました。((24)参照)どちらが根負けするかの勝負ですが、寒さから母のほうが諦めることになります。

 

 日中のことですが、部屋から出たものの庭の囲いのため、道路には出られなかったことがありました。口は達者ですから、道路を歩く人に向かってずいぶん叫んだり、騒いだりしました。何といったと思いますか。「みなさん、助けてください。ここから出してください。」というようなことをいいました。

 家の周りの人は、母の痴呆については少しは知っていましたが、全く知らない道行く人はどう思ったことでしょうか。老人虐待かと思ったことでしょう。

 

(31)12月29日;

今日より三泊四日で姉の家母を預かりしばし安らぐ

 

 同じ仙台市内に住む姉の家に母を連れて行って、面倒をみてもらいました。お泊りです。

 本当に助かります。泊まらなくても数時間でも預かってくれるところがあれば、本当にありがたいことです。気が楽になります。

 お互いに時々は距離をおくことが、介護を続けるためには必要なことです。

 

(32)12月30日;

こんなにも静かな夜か我が家は母一人の存在の重さ

 

 これも姉に母の面倒見を頼んだお陰で、本当にゆったりとし、静かな年末を迎えることができました。

 普段はうるさくて、煩わしくて、いらいらばかりさせられていたけれど、いなければいないということで、ぽっかりと空洞ができたようにも感じてしまうのは、やはり家族だからでしょうか。

 

 

 ※ 写真は今も咲いているシクラメンです。


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②広瀬川のタンポポ

2007-04-23 22:16:04 | お知らせ

 広瀬川の定点観測に向かうときに、タンポポがずいぶん咲いているのに気がつきました。

 中には、咲き終わって胞子?状になっているタンポポもありました。もちろん西洋タンポポでしょうが。

 ウグイスも鳴いていました。

 

 7月1日の鮎釣りの解禁まで、あと2ヶ月以上もあります。まだ放流はされていません、5月3日以降になります。私の過去の統計から判断すると、今年も鮎は釣れません。来年はたくさん釣れる年になるでしょう。

 

 広瀬川は天然物の遡上は結構あるのです。あるけれども、下流部の二つの堰のためにほとんど中流から上流部に遡上できません。

 日本の清流100選に選ばれた、カジカが鳴いている川である、鮎も棲んでいるとはいっても、現実は堰堤の改修さえままならないのです。手をつけようとしない、それに気付かない?のは何とも歯がゆいことです。


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①今日の広瀬川

2007-04-23 21:57:37 | お知らせ

 一昨日の夜から昨日にかけての雨のため、当たり前のことですが、川は増水しています。

 久し振りの雑炊ならぬ増水です。できればこの増水で、4月8日ですか、渓流つりをしたときに上流の方で見つけた猫の死骸が流されていてくれればいいのですが、このくらいの増水では多分流されることはないでしょう。

 20cmくらいは増水していたでしょうか、かなりの濁りです。この増水で、少しは川もきれいになったことは確かでしょう。あと10日で丁度恒例のニジマスの放流が行われます。

 

 4月29日とばかり思っていたのですが、5月3日でした。釣具店の店頭に掲示されていました。調べたら去年も5月3日でした。

 去年は澱橋の下流の右岸から竿を出したのですが、今年は河川敷の畑の撤去、更地で、澱橋の上流左岸がきれいに整地され、ここからはたくさんの釣り人が竿を出せるので、ニジマスの放流はこのあたりが中心となってしまうかもしれません。

 そう思うと、どこに入るか迷ってしまいます。いくらたくさん放流するからといっても、自然の川は広く、ニジマスはどこにたまって、どこを回遊するのか、竿を出したところに肝心の魚が泳いできてくれないことには、どんなに頑張っても釣れません。

 でも、放流されてもいつまでもその場所にとどまっているわけではないので、多分いつものように放流されてから二時間も経てば、下流の方に泳いでいってしまうと考えるのがいいのかもしれません。

 

 去年は餌がぶどう虫30匹だけで、すぐなくなってしまい、結局のところ1時間弱で14匹の釣果で終わってしまいました。

 だから、今年は少なくとも釣れる状態なのに、餌がなくなったために釣りを止めるということは避けるべく、餌は多めに買って置こうと今から思っています。

 何しろ渓流竿を新調したのですから。

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桜との訣別

2007-04-22 23:19:34 | お知らせ

 昨日の夜からの雨。日中も雨、夜になって強くなってきました。まるで、梅雨に入ったかのようです。

 この分では、残っていた桜もほぼ全滅でしょう。致し方ありません。楽しませてくれた分、桜に感謝しないといけませんね。

 

 丁度、ということはないか、今から417年前の春、桜が咲き誇っていたであろう吉野山で、豊臣秀吉主催の大花見会が開催されました。

 伊達政宗のことを調べていて、偶然分かったのですが、豊臣秀吉、豊臣秀次、徳川家康、、前田利家、小早川秀秋、宇喜田秀家、そして伊達政宗らの大名・武将も、公家や歌人らとともに吉野山の花見に参加したそうです。

 大名たちは仮装をし、正宗は山伏の扮装をしたとか。

 

 このとき、花に関する「五つの歌題」に応じて歌を詠むという遊びをしたらしいです。各人の教養を試したのでしょうか。

 私が目にしたのは、秀吉・家康・利家・政宗の4人の、それぞれの題に応じた歌ですが、元は同じはずなのに、資料によっては少しずつ異なっているのですね。

 

 まず、5つの題からして少し異なっています。でも、これくらいならひらがなと漢字の違いという言い方もできると思います。

 

①「はなのねがひ」「花のねがひ」「花の願い」

②「はなをちらさぬかぜ」「花を散らさぬ風」「花をちらさぬ風」

③「たきのうへの花」「滝のうへの花」「瀧上花」

④「かみのまへのはな」「神のまへの花」「神前花」

⑤「はなのいはひ」「花のいはい」「花祝」

 

 ①に対しての政宗の歌;(これはまあ問題なしですか)

(1)おなじくはあかぬ心にまかせつつちらさで花を見るよしもがな

(2)おなじくはあかぬこころにまかせつつちらさで花をみるよしもがな

(3)おなじくはあかぬ心に任せつつ散らさで花を見るよしもがな

 

 ②に対しては;(これは「くみし」と「かりし」は違います)

(1)とをくみし花の木ずゑもにほふなり枝にしられぬ風やふくらん

(2)とをかりし花の木ずゑも匂ふなり枝にしられぬ風やふくらん

(3)遠く見し花の梢も匂うなり枝に知られん風や吹くらん

 

 ③に対しては;(「たきの」と「たきつ」、「れば」と「るは」)

(1)よし野山たきのながれに花ちればいせきにかかる浪ぞたちそふ

(2)よしの山たきつながれにはなちればいせきにかかる浪ぞたちそふ

(3)吉野山瀧津流れの花散るは井関にかかる浪ぞ立ちそう

 

 ④に対しては;

(1)むかしたれふかきこころのねざしにてこの神垣の花をうへけん

(2)むかしたれふかきこころのねざしにてこの神がきのはなをうゑけん

(3)昔誰深き心の根差にてこの神垣のはなを植えけん

 

 ⑤に対しては;(「はの」と「はを」、「そは」と「そう」)

(1)君がためよしのの山の槙の葉のときはに花の色やそはまし

(2)君がためよし野の山のまきのはのときはに花の色やそはまし

(3)君がため吉野の山の槇の葉を常磐に花の色や添うまじ

 

 という風に微妙に異なっているのです。原本というか1594年(文禄3年)のときの文書を見れば、ひらがなと漢字の使い方がどうなっているのかはわかると思うのですが・・・。

 でもこのときは、歌を歌うのは本人ではあっても、秀吉は供の歌人に書かせたらしいですし、家康や政宗は自筆だったようです。

 政宗はこの時の歌によって、戦いばかりではなく、教養人でもあることを広く世間に知らしめたということです。

 

 写真は家のシクラメンです。

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どうしてでしょうか?

2007-04-21 22:17:33 | 思いつくまま

 「楽天」はやはり上位に居続けることは無理なのでしょうか?3位なんていう高いクラスは居心地が悪いのでしょうか?落ち着かないのでしょうか?ついつい定位置ならぬ”低位置”に向かおうとするのかも。

 昨日今日と連敗してしまいました。ともに軽くいなされてしまうということはなくて、粘りが出てきたのは確かですが、まあ、あまり急にAクラスに入ったりするとかえってよくないので、一進一退、でも一進一退ではプラスマイナス0になってしまうため、二進一退が望ましいです。

 となると、2勝1敗ということになり、それは余りにも高望みかなとも思ってしまいます。

 ”1.5進1退”がいいか。

 

 昨日の夕方まえ(宵のうちではありません)のことです。書類を届けた後の帰り道、繁華街の一番町を歩いていました。

 広瀬通を渡って一番町に入ってほんの数秒歩いたときのこと。中央からやや右よりを歩いていたのですが、前方に紙幣らしきものが数枚舗道に落ちているのが目に入りました。

 

 一万円札です。それも4,5枚もです。4枚が少し扇型に開いて、もう一枚は30cmくらい離れたところに落ちていました。しかも新札です。

 なんでこんなところに落ちているのか、本当なのか、本物なのか、と一瞬信じられなかったです。一体誰がこんなところに新札を落とすのか、でも、どう見ても本物のようです。

 

 拾うか、迷いました。 正しい行いとしては、きちんと拾い集めて、交番か警察署に届けるべきでしょう。その前に、拾い集めて、道行く人に「どなたか落としませんでしたか?」と聞いてみるべきなのかもしれません。または、拾い集めて、近くの店で「5万円を落とすことになるような買い物をした人がいなかったか」聞くということも選択肢の一つだったのかもしれません。

 

 でも、現実は”拾わなかった”、正しくは『拾えなかった』。

 

 なぜか?≪恥ずかしかったから≫というのがより近い気持ちを表しているといえるでしょうか。そして≪面倒くさい≫という気持ち。

 仙台でも人通りの多い舗道です。たくさんの人が往来しています。そういうところで、足を止め、屈んでお金を拾うことなんてとてもできませんでした。

 

 拾っても、交番に届けなければならない。まずそれが面倒くさい。拾っているときに、道行く人は私が落とし主と思っているかもしれないし、落ちているのを知っていて拾わなかった人は、私が拾っているのを見て”ネコババ”するのではないかと思う人もいることでしょう。そんな風に思われるのは許しがたいこと、甘受できることではない。

 

 ほんの数秒の間にいろんなことを考えました。でも、現実は横目で見ながら通り過ぎてしまったのでした。羨ましそうな顔をしていたかどうかは定かではありません。(人通りがなければ、拾っていたのは間違いないでしょう。)

 人通りが多いということだけで、何もできず、何もなかったかのようにしなければならなかった。人通りが「抑止力」(?)になっている。

 

 しかし、悲しいことに?通り過ぎてから2回ほど後ろを振り返ってしまったのです。未練がましいことでしょうか?屈んでいる人を見かけはしませんでしたが。

 こんなんだったら、お金なんか見つけるのではなかった、とさえ思ってしまった私でした。

 

 超のつく美人とすれ違ったというのなら嬉しかったのに・・・。

 やはり、人間は下を向いて歩いてはいけません。上を向いて歩きましょう!!人通りの多いところでは。

 

 写真は、自宅の花で、”クリスマスローズ”というそうです。

コメント (2)
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②「鮎2007」

2007-04-20 22:36:42 | お知らせ

 皆さん、知っていました?「アイナメ」の漢字名を。全国的には、アイナメですが、こちらでは「ネウ」ともいいます。

 根魚で、掛ると引きが強く、秋から冬にかけて楽しませてくれる魚です。アイナメと似ている魚に「クジメ」がいます。アイナメよりも黒いのが特徴という感じですが、実際にはかなり違う魚のようです。

 でも食べてみるとどっちも味は変わらないように感じます。どちらもうまいです。アイナメは数が少なくなっているとか聞いています。だから、釣りのときは小さいアイナメは当然リリースしています。

 

 漢字での標記ですが、「アイナメ」は「鮎魚女」と書くようです。何と「鮎」と関係がありました。それを見て、そのことを知って、とっても嬉しくなりました。

 アイナメは焼いても良し、刺身も良し、フライも良し、煮ても良し、三枚に卸した後の荒汁?も良し、と何をしてもおいしい魚です。食べておいしく、釣って楽しい魚、それがアイナメですが、それが何と「鮎」とも関係があったのですね。

 

 そして、鮎といえば、今は鮎雑誌です。昨日ですが、「鮎2007」という雑誌が店頭に並んでいました。”COSMIC MOOK”ということで、発行はコスミック出版です。

 とってもユニークといえばユニークなのですが、例えば「釣った鮎を美味しく食べよう!プロ料理人の鮎レシピ」です。

 3人が料理の仕方を紹介しています。

 

 (1)ジェイムズ谷の創作イタリアン・・・たまには鮎の風味を活かしたオシャレナパスタはいかが・・・、と題して、①鮎のリエット カナッペ仕立て、②鮎の一夜干しパスタ 和風コンソメ仕立て、③鮎のマリネ サラダ仕立て、④鮎のムニエル オリエンタルソース、⑤鮎の冷製パスタ ガスパッチョ仕立て。

 

 (2)永井春夫の鮎の揚げもの・・・3枚におろした唐揚げと骨煎餅のあんかけなど・・・と題して、①鮎の唐揚げ、②鮎のフライ、③骨煎餅のあんかけ。

 

 (3)宇敷章の和風料理・・・塩焼きした鮎をアレンジした和風のバリエーション・・・と題して、①塩焼き、②鮎のみどり酢、③鮎雑炊、④鮎ざく、⑤鮎の陶板焼き。

 

 それと、巻頭カラーが、山形県最上川での釣りです。去年青葉カワセミ会員で何回か釣行したところです。

 最上川のどこか?立谷沢川との合流点。立谷沢川、この川は、川幅も狭いし、浅いし、とても竿を出す気にはなれなかったのですが。合流点のすぐ上流部にあるのが、「さみだれ大堰」です。

 そこの下流の釣り場で、三人が最上川の大鮎釣りに挑戦した記事です。

 そこには去年青葉カワセミ会として釣行したことがあります。そこそこ釣れたのですが、上がってから地元の漁協関係者がやってきて、・・・・。思い出しましたか??いい印象は持っていませんが、やはりそこは鮎がいるところだったのですね。


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①広瀬川の詩(続き)

2007-04-20 21:34:21 | お知らせ

 昨日お知らせした、伊藤文明さんの詩「広瀬川の詩」にはやはり続きがありました。

 あるところで本当に偶然に彼の本が見つかりました。中を見ていったら、「広瀬川の詩」が掲載されていました。続きは次のとおりです。

 

  『川よ 川よ 広瀬川よ

  ゆったりと 水を湛えて

  流れゆく川よ 広瀬川よ

  岸辺に集う水鳥たちに

  住み家を与え 安らぎ与え

  川原を散歩する恋人たちに

  自由と愛を分かち与え

  誰一人 別隔てることなく

  生きる喜びを与えてくれる』

 

 と続きます。これで何とか落ち着きます。

 


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