越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

辺野古(2)

2010年07月07日 | 小説
(写真は、辺野古のちかく、299号線の路上に咲いていた黄色い「ハイビスカス」)

6月23日の「慰霊の日」ですが、いつものことのように、那覇から南の糸満(ひめゆり記念館などがある)へ向かう道路は、朝から大渋滞だったようです。

僕は、午前中にホテルで締めきりの原稿(メキシコの作家の翻訳書について)を書いて、お昼前にバイクを借りて、辺野古まで北へぶっ飛ばしました。

・・・といっても、50CCなので、限界はありますが(笑)。。。


沖縄本島の西海岸に58号線が走っていますが、今回は、東海岸を行くことにしました。

普天間基地のちかく、北中城(きたなかぐすく)あたりの交差点で、先頭で信号待ちをしていると、もう一台、小さなバイクが僕の横につきました。


ヘルメットをかぶった顔をそちらに向けると、黒いシャツを着た、20代前半と思われる青年でした。

ちょっこと頭を下げて「こんにちは」と、笑顔で挨拶されました。

僕は「天気よくないね」と、語りかけました。

青年は僕を地元の人だと思ったらしく、「那覇からやってきました」



これから長旅であるような口ぶりでした。

僕は「気をつつけて!」と、父親(おやじ)みたいな気分になって言いました。

実際、そんな年の差でした。

「馬鹿みたいだけど、こんなバイクで名護まで行くんだよ」と、言おうと思いましたが、すでに信号は青になっていました。


沖縄市(コザ)を抜けてから、330号線から299号線に入り、石川、金武あたりを走っているときに、ちょっと空模様が怪しくなり、ぱらぱらと雨が降ってきました。

めがねに雨水をしたたらせながら、なんとか辺野古崎までたどり着きました。



最初、幹線道路をはずれて辺野古の村に迷いこんだとき、戦前の「昭和の世界」にワープしたような錯覚に陥りました。

住宅地に、廃れたような小さなスナックや飲み屋の建物が、まるで蜂の巣みたいに乱立していましたが、外には人っ子ひとりいませんでした。

そのとき、僕は廃墟をイメージしましたが、夜は米兵相手の不夜城なのでしょうか。

そこから、下の崖のほうを覗くと、小さな港が見えたので、ぐるりと迂回して、港まで降りていきました。







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