越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

『世界政府(その2)』(第七回) 

2011年02月13日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

ダニエル・エスチューリン
 最後に、著者は8ページ半を自分の祖父の思い出に費やす。
 
 それは、最後に私が見た生きた祖父の姿だった。

 ごく当たり前の顔つきで、96歳で、ぼろぼろに古びたソファに腰をおろし、大げさな眼鏡をかけて、私の視線を射貫くように見据えていたが、私が誰なのかほとんど分からない様子だった。

 祖父は生きていた。

 彼の意識の深奥に書き込まれた活字を順序立てようと、人間とは思えないような努力をしていたからである。

 だが、活字たちは意味ある一貫した字列をなすことを拒んでいた。 
 
 長い寿命を刻んだ人生の最期の数ヶ月、それまで明晰に自己表現し、ユーモアと弁舌にたけていた祖父は、文字通り、言葉を失った。弱り目に祟り目というべきか、癌が彼から言葉を奪い、命を奪った。
 
 私は片手にスペインに戻る航空券を持って、祖父に別れを告げるために祖父の家に立ち寄った。

 最後の訪問では、お互いにほとんど何も言えなかった。

 適切な言葉が思いつかなった。

 祖父は息をつくことができなかった。

 おかげで、私にとっては、息つくことだけで一仕事だった。

 生きた祖父を見るのは、これが最後だと分かっていたからだ。

 「アディオス(さよなら)」は、あまりに単純すぎる、あまりにむごい言葉だった。
 
 リビングルームのテーブルの上には、私の祖父母の写真が壁に立てかけて飾ってあった。
 
 1983年にカナダにやってきた直後の撮られたものだ。

 私の祖母は、一年以上前に亡くなっていた。

 祖父はそのとき重病に陥り、40年以上も深く愛し合ってきた人を喪った悲しみから立ち直れなかった。
 
 絶対に泣き崩れまいと思い、私は自分自身に言い続ける。

 ここでの文章は残酷さやチャンスを犠牲にして、正直さを擁護することにしよう、と。

 主なテーマは、政治でも、全体主義への批判でもなく、むしろ、一人の人間の心臓の鼓動である。

 それゆえに、私は祖父に本書を捧げる。そうした理由でこそ、この本は読まれねばならない。

 祖父の臨終は、1995年4月18日とされている。

 詩人オーデンがアイルランドの詩人イェーツの亡くなった日について「彼は彼自身の礼賛者になった」と言ったように、祖父自身としては、それが最後の午後になったようだ。

 祖父は思い出になった。

 名前の深奥の中に消え去ったのだ。

 それが死というものの謎の一つである。

 死は、誰にとっても、少なくとも故人の近親者にとっては、微少な差異を有しているのだ。

 私たちと同様、人々は少なくとも二度死ぬ。身体的に、そして概念的に。

 心臓が鼓動するのをやめたときに、そして忘却が始まったときに。

 最も幸運な者、最も偉大な者は、後者の死がかなりの期間、おそらく無期限に引き延ばされる者である。

 (中略)この地球のあらゆる国々、思いつく隅っこから弔いの電話がかかってきた。

 それはいわば、私の祖父、すなわちKGB(旧ソ連国家保安委員会)のカウンタースパイ活動の元工作員が、その人生に影響を与えた人々に捧げた限りない賞賛に対する彼らからの感謝のしるしだった。

 私の祖父の祖父は、兵士の中の兵士だった。

 ロシア帝国を、アレキサンダー2世と3世を護るために25年間戦った。

 私の祖父も一家の軍事的伝統を守った。

 ロシア革命、内戦、二つの大戦に参加した。

 第二次大戦の最初の数週間、ミンスク[現在、ベラルーシ共和国の首都。第二次大戦では、ナチス・ドイツによる激しい空爆を受けた]の防衛に参加していたとき、十一人の兄弟姉妹、彼の父と母、104歳の祖母がクリミア半島のカラシー・バザールの収容所でナチスによって毒殺された。

 祖父は真に人生を生きた人だった。ただ単に生存だけに人生を限った訳ではなかった。
 
 私の祖父は、1930年に一度結婚したことがある。

 子供は三人もうけた。

 それから、戦争になり、ベラルーシで戦い、ブレスト防衛に尽くした。

 だが、ドイツ軍の進軍により、残りの赤軍の兵と共に撤退を余儀なくされた。

 ある地点で、混乱の中で、家族とはぐれてしまった。

 母と8歳、5歳、3歳の三人の子供は、赤軍やナチスの兵隊のようには、すばやく移動できなかった。

 強制収容所に送られて、毒殺されたのだ。
 
 この本で証明し、ビルダーバーグ倶楽部をめぐる最初の本でも大々的に暴露したように、第二次大戦は、ロックフェラー家、ローブ家、ウォーバーグ家)によって抜け目なく資金提供を受けたのである。
 
 ビルダーバーグ倶楽部の創設メンバーの一人であるベルンハルト[オランダ王国]王子も関わり合いがあった。

 彼はナチだった。

 英国の王家の大半は、ナチスに共感を抱いていた。

 アメリカ合衆国の東海岸の「リベラル」派の連中の大半も同様だった。

 その国の経済的、政治的、社会的生活を支配する大富豪のネットワークである。

 獣としてのヒットラーは、こんにち、ビルダーバーグ倶楽部の会合に密かに参加する人々、外交問題評議会)や三極委員会によって生み出されたのである。

 これらの人々にとって、歴史とは何も書かれていないチョークボードであり、そこで他者の苦痛に向かって排便するのである。

 ビルダーバーグ倶楽部とその仲間に対してこれほどの軽蔑を投げかけたことで、私は責めを負わねばならないだろうか。

 私の場合、祖父が礎(いしずえ)になってくれている。

 死後もずっと、旅の道連れである。存在していると同時に不在でもある。

 時間と空間、いたるところで挫折した世界の罠、私たちが歴史と呼ぶゴミの山、それらもまた祖父の成功を意味していた。それらは祖父の成功の証だった。時と同じように、それらは、彼を消す魔法を含んでいた。

 私は、とりわけ彼の誕生日が近づいてきたときに、祖父を思い出す。

 だが、私にとって、今年は違う。

 年齢は生命の積み重ねであり、喪失の積み重ねである。

 大人になるというのは、線という線をことごとく打ち消されることに他ならない。

 私は敷居を跨いだ。いまからは、一人ぼっちなのだ・・・。


 
 このコラムの第二部では、この本の最後の部分をたくさん引用した。それらがビルダーバーグ倶楽部という忌まわしい組織への著者の軽蔑を物語っているからだ。

 アメリカ合衆国の青年子女たちの知性や感情がそんな風に台無しにされるのは、考えるだけで耐えられない。

 こんにち、私たちは核兵器によるホロコーストに突入するのを避けるべく戦わねばならない。

 心身共にできる限り健康を保持するために、また人類がそうしたひどい運命から解放される方法を考えだすために、戦わなければならない。
2010年8月18日 午後5時54分
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「世界政府(その2)」(第六回)

2011年02月09日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

イベリア航空
 
 一方、イベリア半島では、スペインの主要航空会社が乗客に関する個人情報をアメリカ合衆国政府に流したとして告発された。(中略)
 
 「合衆国は各航空会社に旅行者に関する詳細な情報を手渡すように義務づけている」と、ロイターのアンディ・サリヴァンは、2004年3月17日に報じた。

 同様に、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、ノースウェスト航空に、似たようなデータマイニングの研究のために何百万人もの乗客の個人情報――氏名、住所、旅程、クレジットカードの番号などを要求し、受け取ったという。

(中略)こうした出来事で、数十の訴訟が引き起こされた。

 これは、航空会社自身の契約条項の違反でもある。
 
 「ノースウェスト航空はNASAに何百万人の乗客の個人情報を渡した。

 この譲与は、プライバシーに関する契約条項を侵害している」と、2004年1月18日、エレクトロニック・プライバシー情報センターが声明を発表した。

 「ノースウェスト航空、乗客情報を政府に渡す」と、『USA トゥディ』紙(2004年1月19日付け)で、ジョン・シュワルツが報じた。
 
 エスチューリンは、次のような小見出しを掲げている。

誰にも公開中の個人情報

 「欧州委員会委員[ホアキン・] アルムニア、スペイン大統領の[ジョセップ・]ボレル・ジェスフォンテ」、欧州委員会委員長でビルダーバーグ倶楽部の常連のジョゼ・マヌエル・バローゾ[ポルトガル元首相]は、欧州憲法に明記されている基本的権利の承認のために、大々的なキャンペーンを張った。

(中略)ボレル、アルムニア、バゾーゾらが誰一人として、よき欧州市民に向かって言わなかったことは、第五十一項が、市民の権利は、欧州連合の利益がそれを必要とするならば、どれも停止することができるということだった。

 しかしながら、欧州委員会による欧州市民への裏切りに関する恥ずべきすっぱ抜きに関して、もっと言うべきことがある。

 それは電気通信の支配である。

 すなわち、治安部門によるデータ保有や監視を欧州議会が支持したことだ。
 
 2002年5月30日の、データの保有に関する投票(前欧州立法府において、PPE(欧州人民党) とPSE(欧州議会社会主義グループ)の票は、合計626票のうち、526の欧州代議員の票を集めた)
 
 「国境なき国家監視・報道」は、何億人もの欧州市民に影響を与える票決に至った経緯について報道した唯一の組織である。
 
 基本的に、国家法および国際法の問題に関する社会主義者たちの大言壮語や抵抗は、お笑い草である。

 欧州議会におけるPPEとPSEの共闘は、彼らが人々の命を守ったり、プライバシーや個人の自由といった「市民の人権」を守ったりするのではなく、欧州連合の政府の要求を支持するということを示している。
 
 ハビエール・ソラナ・マダリアガ[マドリード出身の政治家]は、ビルダーバーグ倶楽部の重要なメンバーで、北大西洋条約機構の事務総長、欧州連合理事会の事務総長、欧州連合の共通外交・安全保障政策上級代表であるが、国際ジャーナリスト連合が、「夏のクーデター」とだけ称した決定事項に関与した。

 読者諸賢よ、忘れないでほしい。

 ハビエール・ソラナのような人物は、あなた方の利益もスペインの利益も守ることなどしないということを」
 
 その後、著者のエスチューリンは16ページにわたって、すべてを詳述する。
 
 彼の本は「私の終わり」と小見出しのついた部分を含んでいる。
 
 創造的な記憶とは、歴史家たちの最もやっかいな敵である。

 忘却の口実が、私たちが公に記録しようと決心するすべての事柄を統御し、ゆがめる。

 存在と世界は、審美的現象としてのみ、それ自体を正当化するように見える。

 審美的現象のみというのは、「人生のための人生」ではなく、存在と世界にまつわる倫理的な解釈との鋭い対比を意味する。

 アモス・オズは、おそらく最も有名なイスラエルの作家であるが、こうした考察を行なっている。

 「そこは戦争が平和と呼ばれる場所。そこは抑圧と迫害が安全保障と呼ばれ、殺人が自由と呼ばれ、言語の汚染が生命と威厳の汚染に先立ち、それを準備する場所。結局、国家、体制、階級、思想は無傷でも、人の命が破壊される」

 もし民主主義が人民の政府の本質であるならば、政府やあくどい圧力団体の密かな目的は民主主義とは相容れない。

 人類に敵対する秘密キャンペーン繰り広げる政府内の密かな影響勢力は、自由という概念とかけ離れたものである。

 遠くない過去の致命的な過ちを繰り返したいと思わない限り、断固たる決意を持ってそれと戦わねばならない。

 分断された社会においてはとりわけ、私たちが共有し、分かち合っているものを劇的かつ直截なやり方で際立たせるいくつかの要素がある。

 人間としての威厳や自由への真の人間としての尊厳や自由への真の希求は、世界中のどこでも直ちに理解され、わざわざ翻訳する必要もない、普遍的で最も価値のあるものである。

 それは支持するだけの価値がある。
 
 最後に、もし全体主義的社会の傲慢で無思考の悪弊によって、ときに人々があなたを軽蔑したり、「反対者」というラベルを貼ったりするとすれば、あなたはそれを名誉ある称号と見なさねばならない。
 
 グレアム・グリーン [英国の小説家] が「作家はいつ何時でも敵味方の立場を変える心の準備ができていないといけない。作家の使命は、犠牲者の側を弁護することであり、犠牲者は変わるものだから」と述べたことばあるが、的を射た表現と言える。
 
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「世界政府(その2)」(第五回)

2011年02月08日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

第4章のエピローグ

 「ビルダーバーグ倶楽部のメンバーによって準備された1973年の「実験」は、石油が支配のための武器として使用されるということを明確に証明した。

 1973年に起こった出来事は、アメリカの国民への警告になり、いかに外国の政府や多国籍企業が自分たちの国に影響を及ぼすかを知らしめた」と、デイヴィッド・A・リヴェラは、その著書『最後の警告――新しい政界秩序の歴史』の中で述べている。

第5章 マトリックス――データベースと完全情報認知プログラム(TIA)

 一般的に言って、聞き手がいなければ、同意にこぎつけるのはずっと簡単である。

 機密性の問題ではなく、もっと効果的に行動できるかどうかの問題である」
 
 これは、欧州委員会委員でビルダーバーグ倶楽部のメンバー、ニール・キノック[英国労働党元党首]の言葉だ。
 
 ペンタゴンの完全情報認知プログラム(TIA)は、暗号化された語句に基づくシステムであり、それは合衆国の憲法によって守られている、個人の自由の漸進的な崩壊を意味している。

 この巨大な諜報システムの詳細は謎のままだ。

 2001年9月11日の攻撃の直後から、TIAは監視ネットワークとなり、それは「アメリカ合衆国やヨーロッパで見られることになる、ある大きな傾向を象徴していた。すなわち、監視社会への確固たる流れである」

 全面的な情報ネットワークの中心となるのは、データ発掘としては新しく途方もない手法である。

 それは、データベースに基づき、隠蔽された怪しい情報を自動的に検出することを可能にする方法に他ならない。

 アクリント社は、一秒に何十億もの項目を処理するとてつもない能力を発揮しながら、世界中のアクセス可能なデータの巨大な項目を集積した。

 アクリント社は、最近の住所変更から、30年以上もさかのぼって旧住所まで、200億以上の項目を検索する。

 (中略)さらなる情報を求められて、アクリント社の重役はデータ資料の性質に関する詳細を開示することを拒んだ。

 アメリカ自由人権協会におけるプライバシーの問題に関する法定相談役、クリストファー・カラブリーズによれば、「コンピュータ・マトリックスがすべてのアメリカ人を容疑者に変えてしまう」という。

  AP通信社は、フロリダ州知事ジェブ・ブッシュが、2003年1月に、ディック・チェイニー副大統領や、新しく創設された国土安全保障省のトム・リッジや、FBI(連邦捜査局)ロバート・ミューラー長官に、「テロリスト」を捕まえるために、いかに安全保障を担う部局がコンピュータプログラムを使うかについての秘密計画を通告したことをすっぱ抜いた。
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『世界政府(その2)』(第四回)

2011年02月07日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

 もう一度、ある暴力事件が事態の流れを変えた。

 ナイロビとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件 (オサマ・ビン・ラディンの命令によると見なされているが、フランスの情報筋によれば、イスラエルの情報機関モッサドの仕業だという) に対応して、ビル・クリントン大統領は、1998年8月20日、アフガニスタンとスーダンの空っぽのテントに向かって巡航ミサイルを撃ち込んだ。

 それによって、クリントン政権はタリバーンと外交関係を断ち切り、国連の経済制裁が始まった。

 クリントンの残りの在位中には、合衆国と国連によるアフガニスタンへの公的な承認はあり得なかった。パイプラインの進展もなかった。
 
 その後、ジョージ・ウォーカー・ブッシュがホワイトハウス入りを果たした。

 クリントン政権の最後の数ヶ月に、タリバーンは公的にテロリスト集団と化した。

 ほとんど10年にもおよんで、合衆国のサポートを受けたユノカル・セントガス・コンソーシアムと、アルゼンチンのブリダス社とのあいだで激しい競争が繰り広げられたが、その後は、どちらもアフガニスタンに石油パイプラインを建設する協定を結べなかった。
 
(中略)ジョージ・W・ブッシュがタリバーンとの関係を再構築した。

 1998年と2000年に父親のジョージ・H・W・ブッシュ大統領がカーライル・グループ [米国国防省と契約している11番目に大きい会社] のためにサウジアラビアに飛び、そこで、『ウォールストリート・ジャーナル』(2001年9月27日付け)によれば、サウジの王室の家族やオサマ・ビン・ラディンの家族と個人的な会合を持ったという。

 9・11以前の出来事の中で最もシュールリアリスティックでカフカ風のエピソードの中で、『ワシントン・ポスト』紙は、アフガンのムジャーヒディーン(アラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味するムジャーヒドの複数形。イスラム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たちのことを指す)の形成に手を貸したCIA(中央情報局)工作員、ミルト・バーデンの言葉を引いている。

 彼は合衆国がタリバーンを理解するだけの時間を割かなかった事実を嘆いて、こう語ったという。

 「われわれは彼らが伝えようとしている言葉を決して聞かなかった。(中略)両者には共通の言語がなかった。われわれの言葉は「ビン・ラデンを諦めろ」だったし、タリバの言葉は「ビン・ラデンを諦める手助けを何かしてくれ」だった。

 だが、実際、交わされた言葉はもっとあったはずだ。
 
 事実、ブッシュ政権とアルカイダの「テロリスト」や指導者オサマ・ビン・ラディンの関係は、これ以上はないほど良好だった。

 アフガニスタン紛争――多国籍企業の強欲さが大石油会社(BP、シェル、エクソン、モービル、シェヴロンなど)の強欲さや残忍さと混ざり合った――の証拠は確固たるものだ。

 テロリスト集団の支配下ある、神の手が見捨てたような世界の隅っこが、ブッシュ政権、ブリダス社、ユノカル社、CIA(中央情報局)、タリバーン、エンロン社 [テキサス州ヒューストンに存在した、総合エネルギー取引とITビジネスの企業]、サウジアラビア、パキスタン、イラン、ロシア、インドなどの利害がすべて集中した一角に変わる、そう考えるだけでとても衝撃的だ。
 
 「ホワイトハウスのカウボーイ」の小見出しのついた箇所で、エスチューリンはこう述べている。

 ブッシュは中央アジアと太いパイプのあるエネルギー企業から閣僚を選んだ。ハリバートン社 [ヒューストンに本拠を置く多国籍企業。湾岸戦争とイラク戦争で巨額な利益を得た] のディック・チェイニー [91年1月の湾岸戦争をシュワルツコフ、パウエルらと主導。ハリバートン社の最大の個人株主]、ユノカル社のリチャード・アーミテージ(元国務副長官)、シェヴロン社の*コンドリーザ・ライス[元国務長官]などだ。

ブッシュは、この中央アジアの地域で獲得した権利を持つエンロン社のような企業の気前のよさのおかげで、権力の座につけた。
 
中東や中央アジアの石油政治へのブッシュ・ファミリーの関与や、サウジアラビアの王家やビン・ラデンの家族との深いつながりは、何世代にもわたって続いてきている。
 

どのようにビルダーバーグ倶楽部は、石油を国際化するという目的で、ヨム・キッパー戦争[1973 年10月のイスラエルの祝日「ヨム・キッパーの日」に始まった第4次中東戦争]を作りだしたのか
 
 (中略)ビルダーバーグ倶楽部のメンバーは、無計画ではない。

  5カ年計画で動いたりしない。

 もっと長期の計画を練っている。

  70年代の初め、プランBを用意した。
 
  あるメカニズムを作りだすことで、アメリカ合衆国とその他の11の主要産業国を石油をシェアしようという計画である。

  アレンは、次のようにそれを要約した。

 「さらに中東の石油輸出禁止があれば、アメリカ史上初めて、合衆国国内で産出される石油がシェアされ、割り当てられることになる」
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『世界政府(その2)』(第三回)

2011年02月06日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

第4章 ビルダーバーグ倶楽部とアフガニスタンにおける秘密戦争

 戦争が行なわれる理由は、学校で教わる教科書に書かれている通り、イデオロギーに根ざしている。

第一次世界大戦や20世紀のあらゆる紛争に見られるように、国家は虚偽(うそ)をの口実を根拠にして、恐ろしく長期間、戦争にかかわる。

 著名な歴史学者エドマンド・モーガンは次のように書く。

 「歴史は決して繰り返さない。細部を知らない者にとって、そうは見えないかもしれないが・・・」。

 カスピ海の海盆や中央アジアは、21世紀のエネルギーにとって重要な場所だ。

石油資源の3分の2は、この地域にある。

「アメリカ合衆国は、この地域を自国の完全な支配下に置きたがっている」と、ジェイムズ・ドナンは、商業雑誌『石油とガス・ジャーナル』(2001年10月9日号)の記事で述べている。

 『タイム』誌(1998年5月号)によれば、マデレーン・オルブライト[当時、クリントン政権の国務長官で、コソヴォ戦争に関与した]は、その地域の未来を決するために働くことは、私たちにできる最もわくわくすることの一つだ、と結論づけている。

 湾岸戦争によって、ペンタゴン(米国防総省)はサウジアラビアやUAE(アラブ首長国連邦)やその他の国々に、数多くの軍事基地を作ることができた。

 ミシェル・チョスドスキー教授 [『アメリカの謀略戦争―9-11の真相とイラク戦争』ほかの著作があるオタワ大学の経済学者]がドキュメンタリー映画『戦争とグローバリゼーション』の中で述べているように、 1999年にNATOによって結成されたGUUAM同盟(グルジア、ウクライナ、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、モルドバ)は、カスピ海の石油やガスの豊かな埋蔵地の中心に位置する。

 GUUAMの欠くべからざる構成員はグルジア――アメリカ合衆国の顧客――だが、ミヘイル・サカシュヴィリ[2003年の無血革命で指導者的役割を果たした元グルジア大統領]が、アメリカ人によってお膳立てされ、市民による自然発生的な反乱として偽装されたクーデターによって、前ソ連外相のエドゥアルド・シェワルナゼ[元グルジア大統領]に取って代わって大統領になった。

 「地下計画(アンダーグラウンド・プロジェクト)」[世界の石油会社による破壊活動に反対する米国の草の根のネットワーク]によれば、「主にジョージ(H.W.)ブッシュ政権にかかわった冷戦時代の重要人物たち」と共に、旧ソ連のKGBや政治局(ポリトブロ)のメンバーたちも、石油の富を食い物にしている。

レーガン、ブッシュ、クリントンのアドバイザーだった者たち、たとえばジェイムズ・ベイカー[父親ブッシュ政権の国務長官]とか、デック・チェイニー[副大統領]とか、ジョン・H・サヌヌ[ホワイトハウス前首席補佐官]などだ。

 ピーター・サザーランド[BP社]やエリザベス女王2世[BPの大株主で、「300人委員会」の会長]は、石油資源や、カスピ海から通じる石油パイプラインを支配しようと戦っている。

 1998年、スコットランドでのビルダーバーグ倶楽部の秘密会議の後、私は独立メディアに記事を寄せた。

「それを創設したビルダーバーグ倶楽部の命令に従って、北大西洋条約機構はチチェン共和国爆撃のための白紙委任状をロシアに渡した。

互いの憎悪の起源が300年以上もさかのぼるこの二国間の対立を増長させることになるからである」と。

  アフガニスタンの石油パイプラインは、ただのビジネスではない。もっと大きな地政学的な計画の重要な一部なのだ。

すなわち、ユーラシア大陸(中東と旧ソ連の中央アジア)の軍事的、経済的支配を目指しているのだ。

 ジョージ・モンビットは、『ガーディアン』紙(2001年10月23日付け)で、断言している。

 「だが、石油やガスはそこにある限り価値はない。政治的かつ経済的な意味を持つ唯一の輸送ルートは、アフガニスタンを通るルートである・・・」と。

  ソ連邦の崩壊以降、アルゼンチンのブリダス石油会社は、野心的な*カルロス・ブルゲローニ社長[1993年ブリダス石油会社社長就任]の指揮のもと、トルクメニスタンの石油資源を開発する最初の会社になったが、世界で最大の天然ガスがそこで発見されることになるのである。

 (中略)アフガニスタンは中央アジア北部や中央アジア西部から、トルクメニスタンやウズベキスタンのガス資源を湾岸へ輸送する最短ルートである。

  ブリダス社の驚いたことに、ユノカル(UNOCAL)[1898年創設のアメリカの石油会社]は、地域の指導者のもとに直接、提案を持っていった。

ユノカルは、合衆国政府の指導のもと、経済支援を受けてコンソーシアムを形成していた。

その中には、サウジアラビアのデルタ石油が含まれ、サウジのアブダラー王子やファード王も関与していた・・・。

  アハメド ラシッド[パキスタン人ジャーナリスト]によれば、「ユノカル社のタリバーンに対する本当の影響力は、彼らの計画によって、合衆国政府がタリバーンを承認できるかどうかにかかっており、それこそタリバーンが何としても確保したいものだった」

 (中略)1996年春、ユノカルの幹部たちは、北部同盟の北部総司令官アブドゥル・ラシッド・ドスタム将軍[2001年12月のダシト・レイリ砂漠の大虐殺の責任者。何百人ものタリバーンの囚人が、アメリカ兵と北部同盟兵によって、アフガニスタンのクンドゥズ刑務所へ輸送用コンテナーで運ばれる途中、窒息死させられた]のもとへ飛んだが、北部同盟の支配する領土のどこに石油パイプラインを通すかを議論するためだった。

 アハメド・ラシッドの記述によれば、ユノカル社とブリダス社の競合は「サウジの王室の内部対立を反映していた」。1997年、タリバーンの上層部は、二度にわたってワシントンDCとブエノスアイレスに飛んで、ユノカル社やブリダス社の人たちと食事をしている。
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『世界政府(その2)』(第二回)

2011年02月05日 | 翻訳
(訳注:ひきつづきエスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

トラヴィスの亡霊

 1999年11月の第一週に、私は、地中海沿岸のローマ市ラツィオの近くの小村ラディスポリから投函された絵はがき(と、当初思えたもの)を受け取った。

 1980年3月30日は、私たちが公式にソ連を離れた日である。

 イタリア滞在中に、私たちはラディスポリに落ち着いた。

 その小さな村が、翌年、私たちの故郷になったのだった。
 
 私は街に出た。

 小雨が降っていた。

 幼児が二人楽しそうに水たまりを跳ねまわっていて、歩道に足跡を残していた。

 私は嵐雲を見あげながら、おしゃれな道路を渡って、家の近くにあるパブのドアを開けた。

 1999年11月29日のことである。

 あれは何を意味するのだろうか? 

 私はあの言葉を再び思い出した。「私は大丈夫。君がここにいると嬉しいんだが」。

 その下にファショダという署名。いったいこの男は何者なのか?
 
 「ファショダというのは人の名前じゃなく、場所の名前だ!」 

 私は心臓の鼓動が高まるのを感じた。

 1999年11月29日。(中略)ふと私は椅子に座ったまま背筋を伸ばした。

 「ファショダ。トラヴィス・リードだ!!!」
 
 トラヴィスというのは、1996年にキングズ・シティで開催されたビルダーバーグ倶楽部の会議で私が出会った犯罪人だった。

 ケチで素人ぽく、嫌われ者の盗人だった。(中略)

 トラヴィスは、逮捕されやすいタイプだったが、ほとんど同じスピードで、簡単に釈放されるのだった。

 後で分かったことだが、トラヴィス・リードは、犯罪者たちと働くために犯罪者になったらしい。

 彼はアメリカのCIA(中央情報局)やカナダのRCMP(王立カナダ騎馬警察)の両方に仕えていた工作員によってスーダンに送られた。(中略)

 このスーダンへの旅の詳細は明らかになっていないが、1989年のときと同様、この荒廃した土地は最も適切な理由によって、最も非適切なあらゆる犯罪者たちを惹きつけたのだった。

 「もしトラヴィスが私に会いたがっているならば、きっととんでもない事態になのだろう」と、私は独り言をいった。

 私は正直に認めなければならないが、事態が悪化した場合、私がつねに頼りにするのは昔のソ連の士官たちだった。

 何か内的な動機によって、彼らは西側に不信を抱いており、簡単に身売りしたりしない。

 それは、主要な新聞やマスコミ報道が人々に信じたがらせていることとは、まったく逆のことだ。
 
 彼らは、あなたが裏切りたくない階級の人々だ。

 私は、彼らと一緒だと自分が安全だと知っていた。

 私の祖父は1950年代初めにこうしたKGB(ソ連国家保安委員会)工作員の父親たちを救うために、身の危険を冒したことがあった。

 11月27日の深夜、私の携帯電話が鳴った。

 トラヴィスだった。

 いま、ローマの郊外のアジトにいるとのことだった。
 
 ――ピッツァ・デラ・レプブリカに午後5時半――そこで私は口を挟んだ。
 
 ――俺がルールを決める――トラヴィスが叫んだ。
 
 ――情報が欲しくないのか、ええ?――トラヴィスが訊いた。
 
 ――殺されるほどは、いらない――私は冷静に答えた。
 
 トラヴィスは会いにこなかった。

 午後8時半に私たちは銃を片手に、彼の家――もしそう呼んでもかまわなければの話だが――を急襲した。

 ワンルームのアジトは、完璧に散らかっていた。
 
 だが、争った跡はなく、トラヴィス・リードの血痕も死体もなかった。

 それ以来、私の知る限り、彼の消息は分からない。
 
 ときどき、トラヴィスの亡霊が私の脳裏の奥深くに出没する。

 それは、脆弱で過ちを犯しやすい人間精神をめぐる病的な思い出である。
 
 そうエスチューリンは第3章を締めくくる。
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カストロ「世界政府(その2)」(第一回)

2011年02月01日 | 翻訳
(訳注:ひきつづき、エスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用です)

 ドラッグ・トラフィッキング(麻薬取引)のABC

アヘンは、世界各地で栽培されている。

南米、ラオス・ミャンマー・タイの「黄金の三角地帯」、そして「黄金の三日月」として知られているアフガニスタン・パキスタン・中央アジアなどで。

 アヘンのもとになる芥子(けし)の大半は、南アジアから、パキスタンやラオスを経由して、トルコまで伸びる約六千キロの狭い山岳地帯で栽培されている。

 ビルダーバーグ倶楽部はこの高地で直接ドラッグを運んだり、ドラッグからあがる収益をマネーローンダリングしたりすることはない。CIA(中央情報局)がそれにかかわっている・・・。

 ニール・クラークが次のように述べている。

 「ジョージ・ソロス [ハンガリー生まれの著名な投機家。2004年ブッシュの再選に反対する陣営に寄付行為をおこなう]は、怒っている。

 ブッシュの目的――パックス・アメリカーナを拡大し、世界を彼のような資本家にとって安全な場所にするという――に対してではなく、その目的を達成するためにブッシュが使っている杜撰(ずさん)で、見え透いたやり方に対して、である」

 バルカン半島のために提案されたマーシャル計画は、一種の幻想である。

 (中略)それは世界銀行と欧州復興開発銀行[ベルリンの壁崩壊以降、中東欧諸国における民主主義、市場経済への移行を支援する]、さらに個人投機家から資金提供を受け、主として鉱業、石油業、建築業を儲けさせるものである。

 それによって、ゆうに来世紀まで対外債務が膨張しつづけることになるだろう。
 
NATO(北大西洋条約機構)の軍事介入
 
 南ヨーロッパや地中海におけるNATO軍の強化は、バルカン半島を越えて、カスピ海や中央アジア、西アジアへと伸びるビルダーバーグの地政学的な影響力拡大の第一歩である。
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