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草生亜紀子『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』

2024年07月14日 | 書評
何役もこなした翻訳家の人生   
草生亜紀子『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』
越川芳明

シェイクスピアの翻訳で知られる松岡和子は昭和十七(一九四二)年、日本が中国の東北地方に樹立した満州国で生まれた。

本書は、和子とその家族が経験した出来事を伝記風につづった「ファミリー・ヒストリー」。背景である時代も知ることができる。

父親は帝大出のエリートで、満州国の高級官吏だった。

日本の敗戦により、中国の八路軍(はちろぐん)(のちの人民解放軍)によって連行され、その後消息不明になる。

母は四歳の和子と妹と、父の連行十日後に生まれた弟を連れて、一年近く中国をさまよい、なんとか無事に帰国。

行方不明だった父は、十一年間ソ連で抑留生活を送ったのち帰国を果たす。

和子は十四歳になっていた

明治生まれの母は東京女子大英文科卒だった。

父の不在のあいだ英語教師の職を見つけ、「母子家庭」に向ける世間の冷たい目にも屈せずに、幼い子供たちを養った。

やがて和子も母と同じような「キャリア・ウーマン」の道を歩む。

東京女子大英文科を出たあと、演出家をめざして新興の一小劇団の研究生になる。

さらにシェイクスピアを本格的に学ぼうと、東大大学院英文科に進む。

東大紛争まっさかりの一九六八年、エンジニアと結婚。

その後、母校をはじめ大学で教える傍ら、二人の子を育て、夫の母の介護もしながら、せっせと小劇場に出かけ、劇評を書き、海外の現代劇の翻訳をこなす。

一人で何役も引き受ける、多忙な毎日だった。

著者は言う。「……演劇は和子を嫁や母であることの義務から、ほんのひととき救い出してくれる解放の時間だった」と。

和子は人生の節目で、さまざまな人脈に恵まれている。

なかでも「彩の国さいたま芸術劇場」の芸術監督に就任した蜷川(にながわ)幸雄は、シェイクスピア全作を上演するプロジェクトで和子による翻訳を採用することに決めた。

和子の未来の仕事に期待した異例の抜擢だった。
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