越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

築地のキューバンナイト

2008年06月06日 | 音楽、踊り、祭り
 先週、築地市場の<キューバン・カフェ>に行ってみた。ちょうど、<キンテート・ソネス・デ・オリエンテ>というグループが来て、ライブをやる日であった。
 
 その日は、二度、演奏を聴いたが、歌詞を大事にするソンという曲奏に魅せられた。リズムとメロディーの両方を楽しめるから。

 二度目の演奏のときには、ほとんどの人が踊っていた。

 ボーカルの佐々木誠さんは、日本人ばなれしたいい声といい発音(スペイン語)をしていて、正直なところ、大きな衝撃を受けた。かれのブログ(マコト日記)も人柄を映し出すように、あったかい。

 トレスギターの末永雄三さんとも、少しだけキューバの話をしたが、演奏するときは、キューバのグアヤベラを着て、じつにシブいオヤジである。ライ・クーダーよりもかっこいいと思った。

 かれらの演奏を聴いて、かれらの音楽のふるさとであるサンティアゴ・デ・クーバに行ってみたくなった。

 参考 <マコト日記>http://chekere.exblog.jp/i0

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おいしいコーヒーの真実

2008年06月02日 | 映画



フェアトレードの可能性をさぐる。

マーク・フランシス、ニック・フランシス監督『おいしいコーヒーの真実』(5/31より渋谷アップリンクXにて公開中)
越川芳明
 
 この映画の中で、ニューヨークの取引所の副理事長ジョー・オニール氏は、コーヒーが世界で石油に次いで、第二位の取引規模を誇る国際商品だと述べる。

 世界で一日に、二十億杯以上のコーヒーが飲まれていて、日本もその消費に大きく寄与している。FAO(国連食糧農業機関)の統計(2004年)によれば、日本のコーヒー輸入高(生豆)は、米国、ドイツに次いで世界で第三位だという。

 街角に安いコーヒーショップがたくさんあることは消費者にとってありがたい。だが、その一方で、その安さの犠牲になっている人がいることも確かである。(1)

 熱帯や亜熱帯産のコーヒーは、バナナなどと並んでグローバリズムのひずみ、生産者と消費者の経済格差を端的に映し出す商品でもある。タンザニアのコーヒー村をフィールドワークする辻村英之は、次のようにいう。

「タンザニアの貧しいコーヒー小農民は、彼ら自身の努力で生活水準を大きく引き上げることができない。彼らの生活は、遠く離れたニューヨークで決まる価格、遠く離れたブラジルの天候、資産運用が目的でコーヒー豆現物には興味がない投機家の動向に、強く従属しているのである」(『コーヒーと南北問題』日本経済評論社、2004年、210頁)

 一つの商品が生産者から消費者にまで渡る過程は「商品連鎖」といわれるが、コーヒーのそれは恐ろしく長く複雑だ。(2)
 
 エチオピアの農民から欧米の焙煎業者に渡るまでに六種類の中間業者が介在しているという。そんなわけで、先進国では生産者の販売価格の百倍を超す値段で売られる不条理だけでなく、消費者には途上国の生産者の顔がまったく見えないという不幸も生じる。

 映画は、先進国と途上国とを交互に映し出す並行モンタージュの手法を用いて、毎日コーヒーを享受している先進国の住民にコーヒーの流通にまつわる現状を知らしめる。初めの数シーンは象徴的だ。まずアメリカで開かれているコーヒー豆の品評会「国際カッピング・コンテスト」の審査風景が映し出され、高級品の例として、ハラー豆が紹介される。

 それに続くシーンは、アフリカ一のコーヒー生産国エチオピアの緑豊かな山々と、土地を耕す農民が登場する。それから、キャメラは首都アディスアベバのコーヒー輸出加工センターをとらえ、倉庫に山と積まれたコーヒー豆の袋が映し出され、一人の男がベルギー向けの豆の品質チェックを行ない、こういう。「この天日乾燥のハラー豆は他に類を見ない品質だが、価格は悲しいほど安い」と。

 その男の名前は、タデッセ・メスケラ。キャメラはその後ずっとこの男が献身的に奮闘する姿を追いかける。メスケラ氏はエチオピア南部のオロミヤ州で、12万8361ものコーヒー農家を束ねる農協連合会の代表。生産地の村々だけなく、ロンドンやアメリカのコーヒー見本市にも出かけていき、サンプル商品を業界の人たちに手渡し、直販のルートをさぐる。

 それはニューヨークの先物取引や中間業者によって牛耳られている通常の流通システムの外に出る試みであり、フェアトレードと呼ばれるが、メスケラ氏は、みずからの行動を通じて、エチオピアの貧困農家と欧米の豊かな消費者の間に橋を架けようとする、アフリカの良心というべき人物だ。

 映画は、メスケラ氏を追いかけ、なんどかエチオピアと欧米を行き来した後、2003年にメキシコのカンクンで開かれた米国主導によるWTO(世界貿易機関)の閣僚会議の場に行き着く。それは、148カ国が集まって国際貿易のルールを裁定しようという試みであり、途上国の生産者と先進国の消費者の架け橋になるはずだったが、先進国側は世界市場の拡大をもくろみ、一方、途上国側は不公正なシステムの改善を要求して、決裂してしまった。

 英国のNGO「世界開発運動」のメンバーがこの大会自体の不公平さを訴えている。「ここの交渉は途上国には不公平だ。小国の代表は3名ほどなのに、EUの代表は650名もいる。同時進行の複数の交渉に途上国は加われない」と。

 本作も『ジャマイカ 楽園の真実』や『ダーウィンの悪夢』などと並ぶ、新自由主義のグローバリズムの問題を突いた啓蒙的なドキュメンタリーだといえる。だが、一つの商品の不公正な貿易がもたらすアフリカの貧困を、先進国からの支援という安易な方法ではなく、よりフェアな貿易によって解消し、それによって貧困国の自立を手助けする道をも提案している。

 映画は、テロップでこう述べる「アフリカの輸出シェアが1パーセント増えれば、年間700億ドルを創出できる。この金額はアフリカ全体が現在受け取っている援助額の約5倍に相当する」と。

 だから、最後のほうに出てくるシーンには作り手の皮肉がこめられている。東アフリカの港で、米国からの緊急支援物資である小麦が船から積みおろされ、USAと大きく書かれた袋に詰め込む作業が行なわれている。それは、あたかも爆弾を落としてから、被害者に向かって包帯を送るようなものだから、だ。



(1)タンザニア産のキリマンジャロを例にとってみよう。辻村英之は面白い数字を挙げている。「例えば、日本の喫茶店で、1杯450円の「キリマンジャロ」コーヒーを飲む場合、3.45円が生産者の取り分、6.46円が生産国の取り分となっているに過ぎない。コーヒーの真の品質(消費者が求める有用性)は、味と香り、すなわち香味で決まる。そしてその香味は一般的に、 7割が生豆、 2割が焙煎、 1割が抽出に依存していると言う。生産国で7割の「使用価値」が付されるのにもかかわらず、生産国の取り分は上記のように1.44%に過ぎないのであり、いかに生産者・生産国にとって不当な価格形成がなされているか、実感することができよう」(『コーヒーと南北問題』189頁)

(2)コーヒーの生産と流通をめぐってはいくつかの問題点が指摘できる。たとえば、エチオピアは、輸出額の67パーセントをコーヒーに頼っているモノカルチャーの国だ。生産額がコストを下回るような価格の暴落を経験すれば、直ちに貧困問題に突き当たる。現に、89年にそれまで機能していた「国際コーヒー協定」が破綻して、30年前の価格に落ち込んだ。だから、防衛策として、コーヒー栽培をやめて、東アフリカで常用されている麻薬植物チャットを栽培する小農家も出てくる。一方、バイヤーの側の問題として、欧米の多国籍企業4社が世界のコーヒー市場を支配しているという事実も存在する。すなわち、クラフト社、ネスレ社、P&G社、サラー・リー社である。

(『すばる』2008年7月号を改稿)

参考
コーヒー生豆の輸出量(2006年国連食糧農業機構の統計)
(単位 millions of metric tons)
1ブラジル 2.59
2ヴェトナム 0.85
3コロンビア 0.70
4インドネシア 0.65
5メキシコ 0.29
6インド 0.27
7エチオピア 0.26
8グアテマラ 0.26
9ホンドュラス 0.19
10ペルー 0.17
Total 7.80 

http:faostat.fao.org/site/567/default.aspex

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